日本のお姉さん -2630ページ目

初じゃがいも堀り。

友達と一緒に、じゃがいもを掘った。

じゃがいもの茎が枯れて、もうそろそろ収穫しないといけない

時期だった。遅すぎるぐらいだ。


一度もじゃがいもを掘ったことがないから、やらせろと言う友達に

スコップで掘らせてあげた。ちょっと掘ったら、茶色の虫が出てきた。

ゲジゲジも出てきた。友達は「ぎゃあああっ!!」と、叫んですごく

恐がっていた。スコップで恐る恐る土の表面をほじくっているので

見ていられず、結局わたしが全部じゃがいもを掘り出しで、友達は

いもを拾う役をしただけだった。


それからじゃがいもを持って友達の家に行って、晩ご飯を

ごちそうになった。ふかしたじゃがいもにバターと塩をかけたものと、

塩ゆでのと、肉じゃがの3種類、作ってくれたがあまりにおいしくて、

友達のお母さんも感動していた。

「北海道のお百姓さんは毎日、こんなおいしいものを食べているんやね。」

と、言っていた。

じゃがいもは今年の2月に、食べきれなかったじゃがいもを庭に埋めたら

直径3センチぐらいの小さいいもだったのに、芽が出て立派な葉が

出てきたんだ。本当は種芋を買ってきて、植えないと、病気に

やられているいもの可能性もあるんだそうだ。


来年は別の場所で、もっとこんもり盛り土をして、種芋を買ってきて

植えてくれとリクエストされた。団地の庭に、ホームセンターで

買ってきた土を直接盛って植えただけで、結構大きいいもが出来て

自分でも驚いた。団地の回覧に

「最近、勝手に野菜を植えている人がいますが、花なら他の人が

楽しめますが、野菜は利益が出るものなので、植えないように!」と

いう文章が書いてあるのが回ってきた。

もしかしてわたしの事なのね?


団地の土は悪いから、ホームセンターで買ってきた土でないと、花も

咲かないのさ。何か植えておくと、そこの土は変化して、いい土に

変わる。何か植えておかないと、団地が雇っているシルバー

人材センターの勤勉なおじいさま方が、チェーンソーみたいな機械で

雑草も植えてあった芝生も、いっしょくたに、土ごと削って、

まるはだかにしていくんだ。


土ぼこりがたちそうな、貧しいパサパサの土があらわになるんだ。


来年はプランターにホームセンターで買ってきた土を入れて、

ベランダ栽培でじゃがいもを植えるつもりだ。

じゃがいもは小学生の理科の時間に、みんなで育てて収穫も

したことがある。種芋を4つぐらいに切って、植えればいいだけだ。

芽が出たら、大きいのを一本残して、あとは間引きするのだ。

そっと、いものあたりの土を押さえながら、7センチぐらいになった

よけいな苗を抜き取るのだ。あとは6月ぐらいに肥料をやって、

花が咲いて黄色く枯れてきたら収穫できる。


肥料はカリ(土をアルカリにするため)と油かすをやった。

油かすだけでよかったのかどうかは分からない。

じゃがいもの育て方なんか、インターネットで調べても出てこないので、

適当に黒砂糖きのこの乳酸菌生成物のうすめたヤツとかを、

かけていた。完全無農薬なので、味は良かった。


来年はさつまいもも植えろと、友達は言うが、さつまいもは4歳

ぐらいの時につるを引っ張った記憶があるだけで、

小学校で育てたことが無いから不安だ。

じゃがいもに関しては、学校で習ったことが、

実生活で役にたった。あさがおでもなんでも、学校で植物を

育てる教育をしておくのは、いいことだと思う。

ついでに、どこかの無人島に流された時、サバイバルする方法など、

教えておいたらいいんじゃないかな。



映画「アイランド」はお勧めできます。(ネタバレ無し)

映画「アイランド」は、CMですでにネタバレ。

だから、どうせ未来のクローンの話だろうと

思って映画を観に行ったが、これが以外!!

めちゃめちゃドキドキはらはらさせられる

おもしろ~い映画だったので、観ていない人は

映画館でみた方がいいですよ~。

こういう映画は大画面で観た方がいい。


一緒に行った友達は、昔ショーン・コネリーが

似たような話の映画に出ていたと言っていた。

昔に、そんな映画があったの?

タイトルは忘れたと言っていた。

本当にありそうな話が一番恐い。

クローンの二人がピュアで初々しいの。

脇役もいい味だしてる人ばかりで、楽しめる。



靖国に行かず、談話を発表。

終戦記念日 小泉首相談話 アジアと関係構築、未来志向で

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会見で戦後60年に際しての小泉首相の談話を発表する細田官房長官=首相官邸で15日午前10時34分、川田雅浩写す
 
 60回目の終戦記念日にあたり、政府は15日午前の閣議で、小泉純一郎首相談話を決定した。過去の植民地支配と侵略に「反省とおわび」を改めて示したうえで「一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国と、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要」と明記。首相の靖国神社参拝をめぐり関係が冷え込んでいる中韓両国を挙げながら、アジア諸国との未来志向の協力関係構築の必要性を打ち出した。
 戦後60周年の今年、中韓両国で日本に歴史認識に対する不満が出ていることなどを受け、首相は終戦記念日にあたり閣議決定を要する「首相談話」の形で日本の姿勢を内外に示す必要があると判断したとみられる。
 首相談話は、戦後50周年にあたっての95年8月15日の村山富市首相談話と、小泉首相が今年4月にジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)50周年記念首脳会議で行った演説を基本的に踏襲。「わが国は、かつての植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と指摘、「こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明する」と明記した。そのうえで、中韓両国との連携の必要性を挙げながら「過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたい」「唯一の被爆国としての体験や戦後60年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく」と決意を表明している。
 細田博之官房長官は15日午前の記者会見で「村山談話とバンドン演説と軌を一としている」と説明した。一方で政府筋は「村山談話は反省に重点が置かれていたが、今回は未来志向を打ち出したのが特徴だ」と説明した。【末次省三】

 <小泉首相談話の全文>

 私は、終戦60年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。
 先の大戦では、300万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。
 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。
 戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。
 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります。
 我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の7割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。
 国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後60年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。
 戦後60年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。
平成17年8月15日
内閣総理大臣 小泉純一郎

 <解説>中韓との関係改善、急務と認識

 小泉純一郎首相が60回目の終戦記念日の15日、閣議決定を要する「首相談話」を出したのは、歴史認識問題をめぐり冷え込んだ中国、韓国との関係改善が急務との認識を打ち出したものだ。政府内には、来月の衆院選を控え、こうした談話を公表することに慎重論もあった。首相自身の靖国神社参拝問題が火種となっている中、談話がどこまでアジア諸国へのメッセージとなるかは、未知数だ。
 談話をめぐり、政府内には「閣議決定を必要としない『首相のコメント』といった形式で十分ではないか」との意見も根強かった。細田博之官房長官も12日の記者会見で政府として何らかの形でメッセージを出すことは示唆したものの、形態など具体的な言及は避けていた。
 首相談話は歴史認識については「植民地支配、侵略への反省とおわび」を示し、95年の村山富市首相談話を基本的に踏襲している。自民党内には「村山談話」へ異論が根強いが、首相談話では第2次世界大戦のA級戦犯を裁いた「東京裁判」を受諾したサンフランシスコ平和条約についてもふれている。
 一方で未来志向も強調、村山談話が盛り込んでいた「国策の誤り」という表現は用いなかった。細田長官は15日午前の記者会見でこの点について問われ「文章の流れ上の問題。首相もそのような趣旨をかつて言っており、それを否定するようなことではない」と説明したが、自民党向けの配慮もあったとみられる。【末次省三】
(毎日新聞) - 8月15日17時18分更新

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小泉さんに注目してくれている外国人は、

ちゃんと談話を読んでくれたかな?

「靖国に行かなかった。」とだけしか、発表されなくて、

だれも談話を読んでなかったりして!



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靖国参拝、終戦の日は見送り-小泉首相(時事通信社)
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靖国参拝、終戦の日は見送り-小泉首相(時事通信社)
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南京大虐殺前の、中国人がやった大虐殺

こういうことを勉強していないと、なぜ南京で事件が起こったのか

説明できない。

中国はヨーロッパに植民地化されるままにしておけば

よかったのかもしれない。

やっぱり中国に入ったことが間違いだったのだ。

こんなことをされたら、日本人だって怒ると思う。

ヨーロッパ人にはおとなしかったのに、日本人には、

すごいことをしたようだ。

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通州事件 
昭和12年(1937)冀東保安隊による日本人虐殺。

通州虐殺事件
「南京虐殺の徹底検証」東中野修道著 展転社より

『東京裁判却下未提出辯護側資料』第三巻に収録された外務省情報部長の公式声明(八月二日)と同部長談話(八月四日)によれば、事件が起きたのは七月二十九日(昭和十二年)の午前四時であった。三千人ほどの通州保安隊が百十名ほどの日本軍守備隊兵営を包囲し、日本人商店、旅館、民家を急襲した。通州の日本人三百八十名のうち、約二百名が虐殺された。ようやく難を免れたのは、日本軍の兵営に逃げ込んだ百二十名だけであった。

外務省情報部長談話によれば、事件の全貌は次のようであった。
《支那人は婦女、子供をも共に、全日本人を虐殺せむと企てた。婦人の多くは掻きさらはれて、二十四時間虐待酷使された後、東門の外で殺されたが、其処まで連れて行かれるには手足を縛られ、或は鼻や喉を針金で突き通されて、曳きずられたのであった。死骸は近くの池にぶち込まれ、或る者は強力な毒物をぬりつけられて、顔がずたずたになつてゐた。》

これは、戦時国際法にたいする重大な違反であった。外務省情報部長は事件から四日を経て、公式に支那兵の日本人虐殺・強姦・掠奪を批判したのである。東京裁判にも、弁護側からこの公式声明が提出された。しかし、理由の提示なきままウェッブ裁判長は却下している。「通州虐殺」は連合国にとり、触れて欲しくない問題であったからである。

しかし、その却下にもかかわらず昭和二十二年(一九四七年)四月二十五日、レヴィン弁護人は引き続き萱嶋高(元陸軍中将)を証人として喚問した。事件からすでに十年の歳月が流れていた。

『極東国際軍事裁判速記録』第五巻によれば、萱嶋は救援のため通州に急行した天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第二連隊長で、七月三十日(事件の翌日)午後四時、現地に到着した。次はその萱嶋連隊長の証言である。

《城内は実に凄惨なもので、到る処、無惨な日本人居留民の死体が横たはつて居りまして、殆ど全部の死体には首に縄がつけられてありました。頑是なき子供の死体や婦人の虐殺死体は殆ど見るに耐へませんでした。》
《その記録は今日ありません。従つて私は私の目撃したことを主として、記憶を辿り、左に陳述します。然しそれは余りにも残酷でありましたので、私は一生忘れることの出来ない印象となつて頭に残つて居ります。》
《旭軒とか云ふ飲食店を見ました。そこには四十から十七,八歳迄の女七,八名は皆強姦され、裸体で陰部を露出した儘、射殺されて居りました。其の内四,五名は陰部を銃剣で突刺されてゐました。(略)家の内は家具、布団、衣類等、何物もなく掠奪されてゐました。其の他の日本人の家屋は殆ど右同様の情態でありました。》
《錦水楼と云ふ旅館は凄惨でありました。同所は危険を感じた在通州日本人が集まつた所でありましたものの如く、大量虐殺を受けてをります。(略)錦水楼の女主人や女中等は珠子繋ぎにされ、手足を縛された儘、強姦され、遂に斬首されたと云ふことでした。》

萱嶋連隊長の証言が終わると桂鎮雄(元陸軍少佐)が証人台に登った。桂は事件に際し救援に通州に派遣された第二連隊の歩兵砲中隊長代理で、七月三十一日午前二時半、現地に到着していた。

《錦水楼の門に至るや、変わり果てた家の姿を見て驚くと共に、死体より発する臭気に思はず嫌な気持になりました。(略)次に帳場配膳室に入りました。ここに男一人、女二人が横倒れとなり、或はうつぶし或は上向いて死んでをり、ここの屍体は強姦せられたか否かは判りませんが、闘つた跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ、上半身は蜂の巣の様でありました。》

《私は一年前に行つたことのあるカフェーへ行きました。扉を開けて中へ入りましたが、部屋は散乱してをらず、これは何でもなかつたかと思ひつつ進んだ時、一つのボックスの中に、素つ裸の女の屍体がありました。これは縄で絞殺されてをりました。カフェーの裏に日本人の家があり、そこに二人の親子が惨殺されて居りました。子供は手の指を揃へて切断されてをりました。》

《南城門の近くに一日本人の商店があり、そこの主人らしきものが引つぱり出されて、殺された屍体が路上に放置されてありました。これは腹部の骨が露出し、内臓が散乱して居りました。》

凄惨な虐殺現場の目撃証言であった。最後の証人としてレヴィン弁護人が喚問したのは、桜井文雄(元陸軍少佐)であった。桜井も七月三十日、連隊主力とともに入城し、虐殺の模様を詳しく垣間見た支那駐屯歩兵第二連隊小隊長である。

《先ず守備隊の東門を出ますと、殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横はつて居るのを目撃し、一同悲憤の極に達しました。敵兵は見当りませんでしたので、夜半迄、専ら生存者の収容に擔りました。「日本人は居ないか」と連呼し乍ら、各戸毎に調査して参りますと、鼻部に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等が、彼所此所の塵、埃箱の中や、壕の内、塀の蔭等から、続々這ひ出して来ました。》

《某飲食店内には一家悉く皆首と両手を切断されて居るのを目撃しました。婦人と云ふ婦人は十四五歳以上は悉く強姦されて居りまして、見るに忍びませんでした。》

《旭軒と云ふ飲食店に入りますと、そこに居りました七八名の女は全部裸体にされ、強姦射(刺)殺されて居りまして、陰部に箒を押込んである者、口中に土砂を填めてあるもの、腹部を縦に断ち割つてあるもの等、全く見るに堪へませんでした。》

《東門の近くの鮮人商店の付近に池がありましたが、その池には首を縄で縛り両手を併せて、それに八番鉄線を通し(貫通)一家六名数珠繋ぎにして引廻された形跡、歴然たる死体がありました。池の水は血で赤く染つて居たのを目撃しました。》

あまりにも残虐な虐殺法であった。しかし、これは古代支那から続く戦法であった。

惨! 通州事件の真相   
中村 粲著の「大東亜戦争への道」より

所が近年になつて、通州事件は冀東保安隊第一、第二総隊の計画的行動であることが中国側資料によつて明らかとなつた。例えば張慶餘(当時冀東保安隊第一総隊長)の「冀東保安隊通県決起始末記」(元国民党将領抗日戦争体験記叢書『七七事変』所載)や「戦火蔓延、平津陥落」及び「冀東保安隊の決起について」(武月星他『盧溝橋事変風雲編』)等である。詳細は割愛するが、要はかうである。

昭和十年十一月に冀東防共自治委員会が成立して河北保安隊が冀東保安隊と改称されるや、第一総隊長・張慶餘は河北省主席・商震に指示を仰いだところ、暫く表面を糊塗すべしと云はれた。十二月、冀察政務委員会が発足して宋哲元が委員長に就任すると、張慶餘は第二総隊長・張硯田と共に哥老会(明代から の秘密結社)の首領・張樹声を通じて宋哲元と面会した(張慶餘・張硯田とともに哥老会会員)。宋哲元は両名の抗日決意を「政府を代表して」歓迎すると述べ、軍事訓練を強化して準備工作をしつかりやれと命じ、各々に一万元を贈つた。二人が「委員長に従つて国家に忠誠を尽す」旨を述べると、宋哲元「素晴らしい、素晴らしい」と云つた。通州での決起はこの会見と関係がある――かう張慶餘は告白してゐるのだ。

翌昭和十一年春には、張硯田の第二総隊内にすでに中共支部が結成されてゐ た。宋哲元との会見以後、冀東保安隊は第二十九軍(宋哲元軍長)と秘密裡に連携を保つたが、昭和十二年七月蘆溝橋事件が発生すると、張慶餘は河北省主 席・馮治安に指示を仰いだ(宋哲元は北平に不在)。馮は第二十九軍の開戦に呼応して通州で決起し、同時に一部保安隊で豊台を側面攻撃して挟撃の効果を 挙げよと指示すると共に第二十九軍参謀長・張 亭と連絡と連絡せしめ、張越亭は直ちに冀東保安隊第一、第二総隊を戦闘序列に編入した。

他方、張慶餘、張硯田総隊長は、通州特務機関長細木中佐が、第二十九軍の通州攻撃を防ぐために開いた軍事会議の席上、密かに示し合はせて細木機関長を欺き、分散してゐた配下の保安隊を通州に集結させるやう提案した。両名を 信頼してゐた細木中佐はこれに賛成、かつ散在してゐた日本居留民を保護する ため通州に集合させたのであつた。期くして準備が整ふや、七月二十八日夜十二時を期して通州城門を閉鎖し、一切の交通、通信を遮断して決起に移つたのであつた。

中国側の最新資料によれば通州反乱に至る事情は大要右の通りである。「誤爆」など何処にも出てこない。通州事件は二年間にわたる隠密裡の計画に基づく日本人襲撃事件だつたのであり、日本機に兵舎を誤爆され、疑心暗鬼となつて保安隊が起した事件などでは全然ない。

事件は右の如く計画に基づく反日蜂起ではあつたが、保安隊がその計画の実行に踏切つたについては、誤爆のやうな突発事件によつてではなく、別の、もつと打算的な原理によつて動かされたと見るべきであらう。既述の如く、南京 政府は「日本軍敗走」といふデマ放送を流してゐた。「日本軍を破つた」宋哲元の二十九軍が冀東に攻め込んできたら自分達の運命はどうなるのか。この際、冀東政府についてゐるのは甚だ危険である。機先を制して殷汝耕を生けどりにし、これを宋哲元と蒋介石に献上するなら、必ず恩賞に与ることができるに違 ひない。これが南京のデマ放送を信じた反乱者の思惑だつたのである。そして、昨日まで友軍であつた日本守備隊に対し、その兵力の最も手薄な時を見計らつて蜂起、襲撃を敢へてしたのであつた。

殺のために殺を好む

保安隊のこのやうな動機は、信義を踏みにじつても強者につくといふ、権謀術数渦巻く戦乱に明け暮れてきた支那民族特有の叛服常なき性格に根ざすものであり、信義を重大なものと考へる我が国民の到底理解し難いところである。

(注)通州人の特性 通州人は由来、軽佻浮華、軽較の術に長じ、打算的で義侠心がないと云はれる。金、元、明、清各朝の興亡史に「通州陥る」「通州降る」などの文字が見えるのもこのためだと云ふ。通州に昔「渡橋降伏」といふ言葉があつた。敵が八里橋(通州城西門から八華里にある橋で通州八景の一つ)を渡つてしまへば降伏するに如かず、の意味である。

このやうに鼓騒城外に迫れば戦はずして通州人の心胆は氷の如く冷たくなり、忽ちにして腰を抜かしてしまふ性向があると論ずる向きもあるが(中野江漢「事変と北支の風物」、『文藝春秋』昭和十二年九月号)、通州事 件を考へる上で参考になるかも知れない。

斯かる背信行為そのものが許し得ないことであるが、仮に百歩譲つて、日本守備隊に対する攻撃は、保安隊がすでに共産思想に染まつてゐたことからして理解できる面があるにしても、無辜の日本居留民二百六十余名の惨殺は全く殺のために殺を好む鬼畜も所業であり、天人共に許さざる蛮行である。罪なく、抵抗力もなき幼児・婦人に対してさへ、一片の憐れみの情を示すこともなく、ただ日本人であるからと云ふ理由で白昼平然と犯し、掠め、凌辱し、惨殺して行つた彼等支那保安隊は、人身を装ふ悪鬼悪獣と云はずして何と呼ぶべきであらうか。

平和ボケしている場合かな?こんなブログ、見つけました。

他人のブログにびっくり!
中国はなんて好戦的なんでしょう!
中国軍が、共産党より強くなっていて、
コントロールできなくなっているんじゃないの!?
ヤバ過ぎ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2005年08月14日(日) 17時34分43秒

【中国】 年内に日中の間で軍事衝突が起きる可能性示唆

テーマ:支那

  東シナ海


 前駐日中国大使館商務参事官・唐淳風氏は8月10日、香港のメディアに対して、年内に日中の間で軍事衝突が起きる可能性があるとし、日本の脅威に備えるべきであると述べた。武力行使について政府関係者からの発言としては、中国軍部の朱成虎少将が先月、北京の国防大学での演説で、米国政府が台湾海峡での武力紛争に介入した場合、核攻撃も辞さないと述べている。今春の反日運動の扇動から日本脅威論のプロパガンダへと、日米を戦争相手国とした中国のファシズム化傾向が水面下で進んでいるようだ。

 中国商務部研究員で日中問題の専門家とされている唐氏はこのほど、マカオで抗日勝利60周年記念行事の一環として「日本の政治と外交及び日中関係の今後五十年を探る」をテーマにした学術会議出席した。その帰路、香港に立ち寄り「中国評論新聞社」の取材を受け、当該の発言をしたという。

 軍事衝突の原因について、唐氏は「小泉首相が直面している政治危機は必ず国際紛争を挑発する」と「東シナ海天然ガス開発問題」の二点をあげている。

 また、東シナ海の天然ガス開発問題の進展について、三つの可能性


  ① 日中関係の悪化

  ② 中日双方の妥協

  ③ 年内軍事衝突の勃発


 をあげ、日中関係は楽観的な見方が体勢をしめる中で、年内に軍事衝突が起きる可能性が高いことを強調した。

 豪州に亡命した自由法学学者・袁紅氷教授(元北京大学法律科教授、貴州法律学会会長)は、唐氏の発言は中国共産党が全面的にファシズム傾向が表出したものであると指摘した。

 袁教授によれば、東シナ海天然ガス開発問題において、第2次世界大戦後日本に対して戦争賠償を放棄した中国にとっては、本当の目的は中国の利益ではなく、単なる全面ファシズム化のため一つの口実としていると言う。

 さらに、「政治、経済、社会の全面的な危機に直面している中国は、国内で有事に備える『緊急状況法』(有事には国家主席が無制限の立法を持つ)の実施を既に確定し、最大のねらいは、中国および全世界を戦争に巻き込ませることによって、中国共産党の政権を維持することである」と袁教授は指摘し、中国の全面ファシズム化に世界は注意すべきであると警告した。

 唐淳風氏は、日中関係の専門家の立場から中国共産党の統一戦線を理論面から支えており、一貫して日本脅威論のプロパガンダを展開している。今年6月に「中日両国は開戦するか」を出版し、日本は平和憲法の範囲を超えて有事法制を整備し、周辺諸国と戦争の準備をしており、中国は日本に対する見方を修正しないと、甚大な被害を被ると警告している。また、8月3日には「日本の戦略方向と中国の対応」という文章を中国官製のBBS「人民網」で発表し、「日本には、小泉の支持の元に戦争愛好者がおり、結果を恐れず戦争を起そうとしている。東シナ海で開戦したら、我々はどうするか?我々の取るべき道は、日本の侵略行為を阻止するために闘争を展開することだ」とし、日本に対する軍事面での認識を改めるよう、中国社会に警告、日本の侵略方針は130年間変わっていないなどと、日本が脅威であることを強調している。


                                            (大紀元時報)


                 --------------------以上引用--------------------


 記事が非常に長く、全て読むのは一苦労です。 


 日本は中国を侵略する意図があり、日本と中国は年内にも軍事衝突が起こる可能性があると

前駐日中国大使館商務参事官・唐淳風氏は語ったようです。


 以前日本に住んでいたのなら、日本には侵略の意思が無いことくらいわかるはずなのに、

どうしてこのような論調で新聞に発言するのでしょう?


 日本の脅威を中国国内で煽る事で、人民の対日感情を悪化させるのが狙いなのでしょうか?

 

 まさか、対中強硬姿勢を見せる自民党から、対中宥和政策(アジアの共生)を掲げる民主党の

政権奪取の為の中国の宣伝工作なのでしょうか?


 まぁここ最近の世論から言っても、共産党の発言を鵜呑みにする日本人は減ったでしょうし、辟易

し始めていますから、今回のは中国国内(共産党内)に向けたメッセージの一つだと思います。


 袁教授が指摘する中国ファシズム(過剰な民族主義による抑圧的な政治体制)の台頭は、

共産党内部を強固にする事も目的ではありますし、何より共産党内部がぐらつき始めている事を

示します。プラス毎度おなじみの権力闘争もありそうです。(軍部といえば江沢民?)


 まぁどちらにしても、物騒な話です。日本の軍国主義や侵略を否定しながら、自分達の行為は

正当化しようとする。これが国連常任理事国で、日本が多額に援助している国の真実です。


 このような国と共生していくことが大切と訴える岡田民主党代表。彼の目には、中国の軍閥政治、

軍国主義がどのように映っているのでしょう?まぁ自民党もこんな国に団体観光のビザ免除しているの

ですから、同罪ですがね。


 また、お盆で帰省して、地元の新聞(東奥日報)を読んでも、日中経済貿易センター理事長の中国市場の

有効性を伝えているし(ソース元は共同通信)、社説では「八戸と天津市の経済交流を具体化するよう、

きちんと作業を進めてもらいたい」なんて、なぜか命令口調で中国との交流を訴えるし。

日本の左翼マスコミにも困ったものです。 


 こんなニュースを日本の既存のマスメディアで伝えないんだから、日本って情けない・・・


共産国に飲み込まれようとし、真実を真正面から見ず、宗主国の顔色を見、事大主義な国、

核ミサイルや中長距離ミサイル開発やソープ、喜び組みに熱心で自国の国民を飢えさせる国に、

経済だけ成長し、貧富格差を生み、環境汚染や政治腐敗が激しく、毎日がデモのお祭り好きな国。


 隣国に恵まれませんね・・・


 【追伸】

  

  あまり文章がまとめられませんでした。

  帰省疲れなので、許してください。

http://ameblo.jp/hate-k-and-c/entry-10003502221.html  

面白いブログを見つけた。

日中友好のために その5
8月15日になりました。
日本人にとっては忘れられない日です。
多くの人にとって、複雑な思いを巡らせる事になるでしょう。


真実はどこに ← 必見!



この時期になると、中国の方々は日本の国旗をわざわざ買って燃やしてくださったり、
小泉首相のお葬式を勝手に毎日行ってくださったりしてくれます。


小泉首相は(中国の人に)毎日葬儀を挙げていただいている


喧嘩するほど仲が良いと言いますが、このように日中友好はとても重要です。



まずは下記のページをご覧頂きたい。

日本と中国の歴史的な問題です。
上の方はあまり知られていませんが、非常に重要です。


通州事件


南京大虐殺



そして、この時期になると、色々な報道がされますが、それらをご覧になる前に
下記もご覧頂きたい。
諸問題をまとめてみました。



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サンフランシスコ講和会議で日本が受け入れた東京裁判・・・
東京裁判で有罪になったA級戦犯を靖国神社に祀り・・・
A級戦犯を靖国神社に祀り、国家の事業として慰霊祭を行うのは宗教の自由に反する・・・

という文章を何気なく新聞で読む事がありますが、この短い文章の中にも様々な問題が隠されています。今までは、特に当たり前だと思っていましたが、詳しく調べてみたら、驚くべき真実が隠されていました。




★ポイント1 東京裁判って何?


東京裁判

 (1)「平和に対する罪」という国際法や慣習になかった事後法で裁かれた。
  (事後法を認めれば、どんな人でも逮捕出来ます。)
  (本当に犯罪を犯したのなら通常の法律で裁けるはずですが、事後法で裁いた
   という事は、ある意味、法律に反した行為をしていなかった証拠となります。)

 (2)原告・検察・裁判官が同一。
  (アメリカを始めとする戦勝国。中立国は無視。)
  (戦時国際法の学位をもった裁判官はインドのパール博士だけ。)


極東国際軍事裁判 ←おすすめフラッシュ

the International Military Tribunal for the Far East ←英語版


東京裁判は法律上成立しない

【検証】国際法違反の東京裁判(極東国際軍事裁判)

事後法による処刑。これは近代法最大のタブー

東京裁判

東京裁判(極東国際軍事裁判)

国際法を犠牲にした東京裁判


なお、日本は戦争に負けたのだから、何をされても文句が言えないと主張されている方もいらっしゃいます(酷い場合、三国史や義経の例を挙げています)。そういう方は、国際的な法律を軽視されているのではないでしょうか? (これを裁判と呼ぶのはおかしいです。魔女裁判、暗黒裁判なら理解出来ますが・・・) 国際的な法律や慣習をねじ曲げて裁判でないものを裁判だと認めたり、中国や韓国が歴史を捏造するのを黙って見ているのは、愚かな事です。


原告・検察・裁判官が同一である東京裁判を立派な裁判だと主張する人は、三権分立を重視する民主主義を全く理解出来ない人です。

繰り返しになりますが、事後法を認めれば、どんな善人でも簡単に逮捕出来ます。戦争に負けたとしてもこのような不正は認められません。





★ポイント2 東京裁判を日本は受け入れたの?


サンフランシスコ講和会議で日本は東京裁判の判決を受け入れた。

日本は、東京裁判を受け入れたわけではない。

日本語に翻訳されたものは誤訳です。英文から正しい解釈をしましょう!!


サンフランシスコ平和条約の正しい解釈 より

サンフランシスコ平和条約第十一条

Japan accepts the judgments(判決) of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan,and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.


ちなみに「裁判」は、「trial」や「proceedings」です。


サンフランシスコ講和条約で日本が受け入れたのは、あくまでも「判決」であって、「裁判」ではありません。そして東京裁判において示された歴史観を尊重する義務を日本は負いません。講和条約に宗教施設への戦犯の合祀や、戦犯が祀られた宗教施設への参拝を禁じるような規定は一切ありませんし、そもそも東京裁判史観を日本が後生大事に守る義務もありません。東京裁判や講和条約と靖国参拝は全く無関係なのです。


サンフランシスコ講和条約第11条は何を意味するか





★ポイント3 A級戦犯は今でも犯罪者か?

A級以下の戦犯は刑期を終え、犯罪者ではなくなった。
元戦犯というだけで、普通の人になった。
現在、全ての戦犯は刑期を終えているので、元戦犯で現在でも犯罪者の人はいない。


サンフランシスコ講和条約11条に基づいて、A級戦犯は昭和31年、BC級戦犯は昭和33年までに国際的な同意のもと全員赦免されています。少し細かく書きますと、サンフランシスコ講和条約発効後は、極東軍事裁判(いわゆる東京裁判)の判決を日本が受諾して、国内法に準じて裁いた事に同意した事になり、戦犯刑の減免等の処置については、上記11条に基づき東京裁判に代表者を派遣した国のうち11カ国の同意を得た上で、国内法による日本政府からの勧告を経て全て合法的に処置されています。ついでに言いますと、中国も韓国も戦犯の扱いを決めたサンフランシスコ講和条約に批准していません。自身が批准していない条約の戦犯(そもそも国際的同意のもとで赦免されているので「元戦犯」が正しい)の合祀を根拠に批判しているのです。尚、極東軍事裁判(いわゆる東京裁判)は事後法で裁かれています。事後法は、罪刑法定主義と刑罰不遡及から鑑みて、法律上成立しません。(韓国では事後法を使って元大統領を逮捕したりしていますが…。)しかしながら、この様な不当な裁判の結果を敗戦国として受け入れざるを得なかった。そこで条約に則り名誉回復をしたのです。


A級戦犯はいまでも罪人!?

近代法の理念に基づいて刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅する。従って処刑されたA項戦犯者は、現在では犯罪者ではない。前述の通り日本はサンフランシスコ講和条約で東京裁判の判決を受諾した。これは日本政府が判決に従って刑の執行を継続することであり裁判全体、すなわちそのプロセスや判決理由についてまで承認したという意味ではないという意見もある。


その正当性も確かでない東京裁判で有罪になった戦犯が刑期を終えたのに、ずっと有罪であり続ける事はあり得ません。いわゆる戦犯達が本当に犯罪を犯していたのでしょうか?(本当に犯罪を犯していたのであれば、事後法で裁かれる事はなかったでしょう。) 戦争を決定した人は、負けた後で自動的に有罪になると勘違いしていませんか?





★ポイント4 A級戦犯を靖国神社に祀る事は駄目なのか?

A級以下の戦犯を祀る靖国神社
 (1)犯罪者でなくなった元戦犯を祀っている。
 (2)また、他の宗教の妨げになっていないので、政治家が参拝する事は、
     政教分離を定めた日本国憲法20条に違反していない。

「政教分離を定めた日本国憲法20条に違反している」というのは誤解で、1977年の最高裁の判決(7月の津地鎮祭訴訟)で、神道による儀式が 他の宗教への干渉にならない限り、問題はないことが明確になっています。ちなみに 政府主催で毎年8月15日に戦没者追悼式を行っています。菊の花に囲まれた祭壇の中央に依り代が飾られていますが、これは儒教形式であり、位牌に相当します。これに霊が呼ばれて憑くのです。もちろんいわゆるA、BC級戦犯も含まれています。完全に宗教的行事ですが、天皇陛下始め、首相、閣僚、衆参両院議長、最高裁判所長官などが参列しています。政教分離やA級戦犯合祀を理由に 靖国への参拝に反対する政党からも、その代表が参列しているのは矛盾しています。




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以上の事は、法律に反していないので、中国や韓国による靖国神社参拝中止の要求

内政干渉です。


以上の事は、法律に反していないので、事実として多くの人に伝える事は何ら問題が
ない。日本は法治国家ですから、当たり前です。

以上の事は、法律に反していないので、事実として多くの人に伝える事は、戦前の
日本を美化する事には当たりませんし、日本が他国に謝罪した事を取り消す事には
当たりません。

日本は、何十回も謝罪してきましたし、被害を負ったとされる国に多額のODAをして
援助しています。


特に大事なこと、それは、

日本人がいくら過去の事を謝っても真の友好関係を築く事は出来ません。


↓詳細はこちらもご覧下さい。 当ブログ関連記事

日中友好のために その4

日中友好のために その3

日中友好のために その2

日中友好のために その1

本当の中国って・・・日中友好を心から願っています





その日本を事あるごとに非難している中国 はといえば・・・



みなさ~ん、もうすぐ「毛沢東ブーム」がやってきますよ!

中国共産党は、8000万人・・・たそうです。

毛沢東が支那の最高権力者であった27年間に彼のために命を落とした人は少なく見積もっても7,000万人をくだらない。しかも、この数字には朝鮮戦争における人民解放軍がらみの死者を含まない。平時において7,000万人を殺すなど、人類史上空前のことだ。・・・毛沢東は、長征(Long March)の途次、生まれたばかりの彼の息子を放置して殺すように命じている。・・・毛沢東は、日本軍が引き起こした1937~38年の南京事件に対し、一貫して何の関心も示していない。


胡錦濤とチェチェン虐殺





支那人が絡んだ日本人虐殺事件

惨たるかな通州事件

第2の『通州事件発生』を警戒せよ!

こわごわ通州へ(通州虐殺事件)

「南京裁判」の判決文と、南京事件、通州事件、済南事件の類似性

http://morokuzu.exblog.jp/3302078

戦争になれば自分の子供が死ぬから嫌だという主婦。

平和であればいいと、誰もが願っている。


世界中が、良い国ばかりなら、戦争なんか起こらない。


でも、会社にも、隣近所にも、身近に嫌な人がいて、


険悪な関係になったりするように、国と国も


仲が悪くなったりする時もある。


ただ、近所の人々が殺し合いになれば、警察が動く。


悪い方が、裁かれる。


国と国がケンカになって戦争になれば、裁くものが


いない。自然と、世界で一番強い国が、仲裁に入るか、


やられている国を助けに行くことになる。でないと、


弱い国は強い国に吸収されてしまう。


日本が軍隊を持たなければ、いつまでもアメリカの


いいなりにならねば、やっていけない。


中国もロシアも核を持っている。北朝鮮も持とうとしている。


今、止めさせようと話し合いの途中だ。


自分の子供が徴兵制で取られたり、戦争で死ぬのが


嫌だからと言って憲法を変えずにそのままにしておくなら、


いつまでもアメリカに頼っていなければならない。


アメリカが都合が悪くて助けてくれなかったら、戦争になった


場合日本はどこかの大きな国に吸収されてしまう。


すると、自分の子供は、吸収された大きな国の兵隊となって、


徴兵され、戦争が起きたら最前戦で、どこか他の国で戦いを


させられることになるんだよ。


たとえば中国に日本が吸収されたら、日本の若者が


中国の兵隊となって、イスラエルに攻めていく軍に


入れられるわけ。最前戦で、死んでも別に惜しくない


持ち駒になるわけ。


自分の国が無くなるとは、そういうことなんだ。


すべての国が良い国だと思う、その考えが甘いと思う。


今のところアメリカは、世界で一番強そうな国だし、日本を


守ってくれている。アメリカが核を持っているから、


外国も日本に手出しができない状態なのだ。


自分の子供が、徴兵制で選ばれ、アメリカの命令で


イラクに行っているのではない。


日本を守るために自ら志願して自衛隊になった人か、あるいは


将来手に職を付けるために、自衛隊になった人が、入隊の理由は


なんであれ、日本の代表として、日本の利益のために


いのちをかけて、イラク復興を助けているんだよ。


(早くアメリカにはイラクから出て、日本を助けてもらわないと、


今、中国とロシアと、韓国と北朝鮮が日本に対して


怪しい状況だからね。)


ただ、自衛隊が憲法のために丸腰なので、外国の軍に


お守りをしてもらっている状態なんだよ。


徴兵制が嫌なら、アメリカの味方をして、自衛隊に仕事を


してもらわなければならない。


アメリカの言いなりになりたくないと思うなら、日本も軍を持って


徴兵制をしかないといけない。どちらがいいでしょう?


今のところアメリカに助けてもらって、自衛隊に仕事をしてもらった


方が助かりませんか?だったら丸腰で行かせるなと言いたい。


アメリカは30年前から、核を摘んだ船を日本の港に入れていると


思う。そういう取り決めをしたような文章も最近出てきた。


核は持っていないが、アメリカが持っていて、にらみを


効かせてくれているんだ。それが嫌なら徴兵制だ。


どっちも嫌だと言うなら、主婦パワーで、日本国内で騒がず、


中国や韓国で騒いで、反日教育を止めさせて欲しい。

中国の要注意人物、ただしかなり自由に泳げている人物。

ホウ(さんずいを二本にして、馬)キン(錦)カ(華)という

もと日本にいた中国人留学生は、靖国神社の狛犬(こまいぬ)に

赤ペンキをかけたり、沖縄の島に勝手に密入国して

中国の旗を立てたり、とっても自由に動いている。


本当は共産国では、こういう勝手な事はなかなかできない

もんだが、この人はかなり自由に動かせてもらっている。

だからお姉さんは、中国が彼を利用して将棋の駒に

しているなと思っている。中国のスパイかもしれない。


靖国の存在自体が間違いだとか、

全ての参拝者に参拝をやめさせるべきだとか、

日本人の宗教に規制をかけようとしている。

中国人は共産党だから、

宗教に関しては無知なので、

話し合ってもわからないと、

わたしは思う。分かり合えなくても、国と国は

仲良くしないといけないのさ。


仲良くできないなら戦争じゃないの。

一番避けたいのは戦争なのに、この人物は

日本人が、中国人を嫌いになるのを助けている。

宗教に関しては、黙っているべきだ。


日本がこどもに戦争について、しっかり勉強するよう

勧めるならわたしも賛成。

ちょっとは戦争に関する本を読めと、言いたい。

ただし、中国の都合の良い教科書でではなく、

正しい歴史の本でね、、、、。人体実験をしたとか

化学兵器の研究をしていたとかばかりではなく、

なぜこうなっってしまったかとかも学んで欲しい。

日本が戦争に負けた後に、中国に渡した

爆弾の処理は、中国がやるはずだと思うけどね。

管理責任があるのに、今頃まだ処理していない

から、お金を出せといっても、だれも実物を見ていない

から、ねつ造かもしれないからね。

現にインターネットで、あれはねつ造だったという

話も流れているからね。出せと言われて出した

金額も、それだけかかるもんか!という

びっくりするような額だからね。実際に日本がチェック

してからお金を出さないとね。ウソかも

しれないですから。


この要注意人物は、日本がまだ爆弾の処理を

終わらせていないと言っていた。

中国に100パーセント洗脳されている。

これが、普通の今の中国のワカモノなのだ。

みんな日本に対してひどい憎しみに

染まっている。


この要注意人物は、

日本のこどもは、何んにもわかっていない、

とか、日本のテレビで軽蔑したような中国語で

しゃべっているのだ。彼は日本人に

嫌われてもかまわないそうだ。


テレビで日本人の若者に対して、

「この子供、、、何んにも教えられてないよ!!」と、

軽蔑したような言い方をしていた。


自分こそ、中国に洗脳されて、ヒステリックに憎しみ丸出しで

将来に役に立つ事をせずに、害になる事ばかり

しているではないか。

日本と中国が戦争になれば嬉しいのか?

平和の使者ではなく、「争いの使者」であることは

間 違 い な い 。本当に可愛くない。


日本のテレビ局は、こんなショーモナイ

要注意人物を

テレビに出さないようにして欲しい。だって、日本では

この人物は、器物破損で不法入国の

犯 罪 者 で す か ら ね 。


この人物は、

大東亜戦争って言葉を靖国が使っているから

靖国自体の存在を許さないと言っていた。

古い神社だから昔の言葉を使っているのだと

思うのだが、「大東亜」を使うなという法律は

日本に無いと思うから、そういう法律を作れとでも

言いたいのかな?


だれか中国語で、正しい歴史認識の本を出したらいいのに。

でも洗脳されている人々に、何を言っても無駄かも。


中国政府に、戦争を仕掛けるような事は止めろと

お願いしてみてはどうか?

中国人の子供たちは、このままでは生きた爆弾だよ。

火が付いたら爆発するよ。戦争だよ?


中国政府は、戦 争 を 願 っ て い る の か ?





8月15日は終戦記念日

今日は、終戦記念日だ。どこかの新聞が,アンケートを
とった。戦争は失敗だったか、やむを得なかったのか。
「失敗だった」が47%で、「やむを得なかった」が23%であとは、
「わからない」だったそうだ。


列強国に周りを囲まれて、日本としては、自国がいずれ外国の
植民地になったらどうしよう!という恐怖は絶対あったと、
わたしは想像する。当時の様子は、
アジアは全部ヨーロッパに植民地化されていて、
特に中国と朝鮮は、あまり世話もされずに、文盲だらけ、
アヘン中毒だらけ、人さらいだらけのどうしようもない国だった
らしい。


戦争は失敗だったし、ボロ負けする前に戦争をやめた方が
よかったと思うけれども、日本のその時の状態を考えると、
仕方がなかったのかなとも思う。
戦争をしていなかったとしても、たぶん
ロシアにやられているんじゃないかな?わかんないけどね。


多分、朝鮮から軍が勝手に中国に入ったのが、
間違いの第一歩だと思う。
一歩一歩、間違えてはならないんだと思う。
一歩間違えたら、戦争への道に入り込んでしまうのかも
しれない。


ヨーロッパやアメリカにしたら、日本みたいなアジアの国が
ずうずうしくも、白人の国のマネをして、植民地を持とうと
するなんて、ふざけた国に見えただろうな。
戦争をしかけてきたら、日本もなんとかしないと、
植民地にされるから、戦争しないことが善だとも言えない。

攻められたら戦わなければ、領土を分割されて

しまう。もう分割される予定が決まっていたのだが、

アメリカに日本が楯突いたので、アメリカが日本を

占領することになった。


実際、アメリカは日本と戦争したくてうずうずしていた

らしい。中国の高官のお嬢ちゃんに、

助けて!と請われていたが、アメリカ国民全体を

参戦の気分に乗せるまではいっていなかった。

アメリカの誘いに乗ったのかもしれない。

アメリカは、日本が中国から上手く引き下がる

ようにはさせてくれなかった。


イラクにクエートがやられた時は、クエートが弱いのが
いけないんだと思ったよ。
平和ボケしていたんだろう。

もちろんイラクが攻めていったのは、悪い。

でも、イラクが不穏な動きをしているのに、

ちゃんと用意をしていたのか?


わたしのアラブ人(インドネシアでは無い)の友達は、

イラクはもともとクエートを持っていたのに、

クエートは石油を盗って独立してしまった。

彼らは金持ちで自己中心で、傲慢で

他の貧しいアラブの国を顧みない。

だからイラクに攻められていいきみだとは、

言わないが仕方が無いと思うという

意見をほとんどのアラブの国の人は思っている

はずだということを言っていた。


アラブ人は「対イスラエル」なら、団結するが、

アラブの国同士ならバラバラなのかもしれないと

思った。


たけしの番組で、クエート人が、二人出たとき、

彼らが、カメラの前で、

「アメリカはクエートを助けに来てくれた。僕の

姉も妹もあの時、イラクの兵隊が大勢で家に来て

強姦していった。アメリカだけが、助けに来てくれた。

あのままならイラクに占領されていた。」というような

事を、必死になって訴えていた。


確かに、クエートを助けたのはアメリカだ。

イラクがアメリカ大使館の女性に

「もしイラクがクエートを攻めたらどうするか?」と、

聞いた時、「アメリカはそれには関係しない。」とか

言った人がいるとか、、、。彼女はマスコミから

隠されてしまったので、本当はどうなのか誰も

わからない。


とにかくクエートは、弱かった。

小さい国だからかもしれない。軍隊が小規模過ぎたのかも

しれない。でもイラクに対する備えが足りなかった。

やっぱり平和ボケしていたのだろう。


日本もボケてないで、にらみを効かせるぐらいしないと、
甘くみられて島を盗られちゃうよ。

いなくなった猫が帰ってきたあ!!

30時間いなくなっていた猫が、帰ってきた!!

すごく嬉しい。でも、かつおぶしの形の、かつおのパックを開けてやっても、

一切れしか食べない。全然お腹がすいている感じではない。

どこかで可愛がられていたようだ。


このままでは、よその猫になってしまうと思う。

二度と、外に出さないでいようと思った。


アメリカで、一匹の猫を二人の人が、その猫の本当の飼い主の

地位を争って、裁判をしたという話を聞いたことがある。


結局、その猫は、二つの家庭を出入りしていて、

どちらの家の人も、その猫を自分の猫だと思っていたということが

分かったそうだ。猫にしたら、どっちの家が自分の家かなんて、

気にしていないと思う。どちらの家も、居こごちが良かったんだろう。


てまりちゃんは、去年の2月に、家に来た猫だ。

元からいた猫はてまりちゃんが嫌いだ。

実は、わたしが一番可愛がっていたN猫が、去年死んだとき、

N猫と一緒に大きくなったA猫の様子がおかしくなった。

異常にてまりちゃんを恐がる猫になった。

今まではN猫がいたから、N猫がA猫のママのように

A猫を可愛がっていたので、

A猫は安心して暮らしていたようだ。

N猫が死んだので、すごく不安になったようである。

A猫は、N猫がいないと、てまりちゃんが恐いのだ。


A猫は、N猫が嫌いなあまりに、ベランダ猫になってしまった。

ベランダに住む猫になった。今は、暑いから外の方が気持ちが

いいかもしれないが、冬はどうするのだろう。

さっき、ベランダに出ると、てまりちゃんとA猫が一緒にいた。


これからは、A猫も家猫にして、仲良く家の中で棲み分けが

できるように、飼い主であるわたしが頑張ろうと思う。

気が合わない猫って、いる。

人間でも、猫でも、気が合わないものたちって、いる。


もしどうしてもA猫とてまりちゃんが、うまくいかなかったら、

てまりちゃんの里親を捜すことも考えようと思った。

てまりちゃんを手放すのは、嫌だけれど、

猫の幸せを考えたら、それがベストかもしれない。

A猫は13歳。あと何年生きることができるか、

わからない。N猫は13歳で死んでしまった。

N猫は、わたしに対してもママのように優しい猫だった。

毎朝7時に、顔を舐めて起こしてくれた。

起きるまで諦めずに起こしてくれた。目覚まし時計が鳴る前に

起こしてくれた。猫と思えないほど、愛情深い猫だった。

どの人にも優しかった。どの人にも愛想が良く、どの猫にも

優しくて、どの雄猫にももてた。


N猫は、死ぬ3ヶ月前から、4時に起こすようになって、

わたしは、苦しめられた。年を取って、時間が分からなく

なったのだが、わたしは、N猫が具合が悪いことに

気が付かなかった。気が付いた時は、

腎臓が悪くなっていた。口がアンモニアの臭いが

していた。いろいろ手をつくしてみたが、貧血が治らず、

心臓も弱り、肺もやられた。


いろんな臓器が弱ってしまって、溺れているような状態になった。

9時間苦しませてしまったが、最後は楽にしてやった。

N猫は猫だったが、一生懸命わたしに愛情をかけてくれた。

あんなお利口さんな猫に出会えて幸せである。

N猫が死んでから、A猫は変になった。


わたしもある意味、変になっている。人生から大切なものが、

消えたのは痛手だ。ペットロスには、

なるもんかと、頑張って生きている。頑張らなければならないほど、

ペットロスになっていたのかもしれない。

今年はたくさんの外国人の友達が国に帰った。

周りに、ブログを書いても、迷惑をかけそうな友達は、全員

遠くに行った。窓の下には、夏の花が咲いている。

去年、N猫が死んだ日から、いろんな花を植えた。


昨日、てまりちゃんがベランダから、

出て行った時、わたしはホースで庭の花々に水をかけていた。

N猫が死んでから、狂ったように毎日忙しく暮らしているなあ

と考えていた。N猫がいなくて寂しいと思う自分を、

忘れたかったのだ。寂しいと思っていいのだと、思った。


今、自分にあるものを、大切にしよう。

まず、A猫とてまりちゃんが、仲良く家で一緒に住めるよう、

なんとかしてみよう。

A猫と、てまりちゃんを一所懸命愛してあげようと、思った。