『にゃんころがり新聞』 -26ページ目

『にゃんころがり新聞』

「にゃんころがりmagazine」https://nyankorogari.net/
に不具合が発生しました。修正するのに時間がかかるため、「にゃんころがり新聞」に一時的に記事をアップロードすることとしました。
ご迷惑をおかけして申し訳ございません。


 『通学列車』(作者/郭公太さん)の書評です。

 『通学列車』は、佳品『中田病院にて』の続編です。

(あらすじ)
 『通学列車』では、修一は、高校生になっています。
 修一は、違う高校に通う女子高生の里子に、通学列車の中で出会い、惹きつけられていきます。
彼は、里子に、白血病で亡くなった直美の面影を見ます。シャイな修一は、しばらく里子と会話もできないでいますが、あるきっかけから、短い通学列車の時間のなかで、本の貸し借りをしたり、すこしずつ会話を交わしていくようになります。そんなある日、里子は、里子が絶対に知らない「中田病院」の夢をみたりするようになり(中田病院は、修一と直美が出会った場所です)、それを聞いた修一は、里子を通して、直美が自分にメッセージを送ってきていると感じるようになります・・・。




 イメージが結晶化された、美しい作品だと思います。
 地の文に安定感があり、描写力があると思います。

 まずは『中田病院にて』から読まれることをオススメします。


 『中田病院にて』はこちらから読めます。↓
http://p.booklog.jp/book/75247

『通学列車』はこちらから↓
http://p.booklog.jp/book/75267

 『中田病院』のにゃんくの書評ページはこちらです。↓
http://ameblo.jp/nyankodoo/entry-12030710691.html



 






記事は以上です。














忘れられない人
にゃんく




 雨の中、顔を歪め、鼻水を垂らし、ずぶ濡れになった女が路上に蹲り泣いていた。俺が傍によると、異様に目をぎらぎらさせて上目遣いに睨んだ。
 人通りは皆無ではなかった。でも、皆この女と関わり合いになるのを避けるかのように、女を避けて通りすぎていた。
女はこの蒸し暑い中、寒気がとまらないというふうに、ぶるぶる震えている。
どうして泣いているのかわけを訊ねても女は言葉を忘れてしまったみたいに首を微かにふるばかりでこちらの質問にはまるで答えようとしない。ただ、
「わたしにかまわないで。わたしはもうすぐ死ぬの。死んだほうがいいの」
 そう呟くばかりで、女は自分を殺しに来る者が今まさに近付いて来ると言うかのように、遠い路上の先にむけた目を見開き、ますます激しくからだを震わせるのだった。

俺は女の手を引いて六畳一間の狭いアパートに連れて帰った。

 女は浮浪者というわけではなく、身なりは清潔で、雨で濡れた以外は特に嫌な臭いを発しているわけでもなかった。
アパートのなかにいれると、タオルを差し出した俺の手に、女はビクンとからだを震わせた。俺は女にとりあえず服を貸してやった。
 俺のシャツを着て脱衣所から出てきた女が、クチュンとくしゃみをした。
 ガス代を使うので、ほんとうはやりたくなかったのだが、俺は女のために風呂を沸かした。いつ振りだろう、風呂なんて沸かすのは。時々盥に水をためて、手拭いで濯ぎながら体を拭くだけの生活になって久しかった。
風呂から出てくると、女は前髪を垂らし、表情を隠したまま、脚をかかえて畳のすみで小さくなっていた。俺は女を抱くことを想像してみた。けれど、まったく、その気にならなかった。女は俺とほとんど同じ歳頃だろう、まだ三十代なかばくらい、痩せて頬はこそげ落ち、目は落ち窪み、どことなく幽霊のように暗い雰囲気を全体に漂わせている。全く抱く気にならなかった。もちろんそんなことを口には出さない。出さないが、女は何故だかそんな俺の気持ちを察しているかのように、居心地悪そうに壁に凭れて縮こまっているばかりなのだ。
 窓の外を見ると、まだ雨が降っていた。
「どうして死のうと思っていたんだ?」
 と俺は女に訊ねた。女は目を伏せたまま、何も答えなかった。

「答えたくなければ、答えなくていいさ」
 と俺は言った。「でも、死ぬな。俺にも、あんたにも、どんな人間にも、何かしらいいところはある。会ったばかりだから、あんたのことはまだよくわからないし、どんな目に遭ったのかもわからないが、あんたには、誰にも負けない、あんただけの、いいところが必ずあるはずだ。それを必要としている人間だって、きっといる。だから、死ぬな。俺がいいたいのは、それだけだ」
 女は返事をしなかった。ただ、目を俺からそらして畳を見つめたまま、俯けていた顔をわずかにあげただけだった。
 女に聞こえるほどの大きな音で、俺の腹の虫がぐうと鳴った。俺は恥ずかしく思い、
「ああ、腹減ったな、くそ」
 とわざと何でもないふうを装って空元気に言ってみた。そして女に、
「こんなところに長く居ても食べるものもありゃしないぜ。明日になったら家に帰るんだよ」
 と諭し、いつものように布団を敷き、その隣にスペースを作ってバスタオルをひろげた。俺は女に布団で寝るように言った。女がおずおずと布団のうえに移動しおわるのを見計らって、電球の紐を引っ張り、電気を消した。俺はバスタオルのうえでごろんと横になって目を瞑った。

 翌日、俺は物音で目を醒ました。振り仰ぐと女が台所に立ち包丁をつかっていた。
 起きだした俺は訝し気に、
「何をしている?」
 と女に問うた。昨日より幾分ゆるんだ表情を見せた女は、当たり前のように、
「お味噌汁作っているの」
 と答えた。俺はふらふらと立ちあがり、よろめきながら台所までの僅かな距離を歩いた。女が皮を剥いたじゃがいもを細く刻んでいる。此処でひとりで暮らしはじめてから、お味噌汁なんて食べたのは何年ぶりだろうと俺は思った。俺は自分の体が内側からあたたまるのを感じた。
 台所で口をゆすぎ、一杯水を飲んだあと、座卓にすわって汚れた窓のそとの隣家の煉瓦を、眺めるともなく眺めていた。十分ほどすると、俺のまえに炊きたてのご飯と、お味噌汁が並べられた。
「召しあがれ」
 昨日の恩返しのように、女はやさしく言った。味噌汁のいいにおいがした。別段たいしたこともしていないのに、こんなにしてもらっていいのだろうか、と思いつつ、俺は箸をもって味噌汁をすすり、飯を口にふくんだ。食べたあとから、疑問があたまにのぼった。
「これ、何処で手に入れた?」
 俺の家には米の常備もなかったし、味噌汁にする具材だってありはしなかった。無収入だから、食べるものといえば、コンビニで廃棄される弁当か、それがなければ水道水ということがほとんどになっていた。三十で仕事をやめ、妻にも逃げられた。すこしばかりの貯金も底をつき、このような底辺まで転落した。いずれ水や電気もとまり、家賃を滞納しているこのアパートから追い出される事態になるのも時間の問題だった。このままではいけないことはわかってはいるが、いったん底辺に落っこちた者が這いあがることはこの日本では至難の業だ。誰だって俺と同じ状況に追い詰められればそうなるだろう。ほんとうに、這い上がることは、難しい。

「この時間じゃ、スーパーだって開いてないだろう」
 女は胸まであるきれいな髪を掻きあげた。外面の枯れ果てた感じとは裏腹に、髪質だけは美しかった。それが皮肉にも、女の不器量をより際立たせていた。
「ご近所さんからわけていただいたの。盗んできたものじゃないから、心配しないで。召しあがれ」
 女は何でもないかのような口吻で言った。
 ご近所さん? 近所付き合いなど、したこともないし、したいとも思わない。大丈夫か? という気がして俺はご飯をもう一度見つめた。けれども食欲には勝てなかった。ものの五分もしないうちに俺は朝食を平らげていた。

 それから俺と女の奇妙な共同生活がはじまった。
 女は時々家からいなくなり、そのまま戻ってこないかと思っていると、道を覚えている賢い飼い犬のようにちゃんと俺の家まで歩いて帰って来た。そうして何処からか食料を調達してきて、俺に食べさせてくれた。どうやって入手してきているのか、皆目謎だった。吃驚して訊ねても、俺にはどうやったらそんなにうまくいくのかわからないほどだった。が、ちゃんとした食事だったから、俺に文句のあろうはずもなかった。女が差し出すままにそれを胃のなかに流しこんだ。
 女には帰る家もないようだった。甲斐甲斐しく給仕する女の姿は、妻そのものと言ってもよかった。けれども、俺たちは結婚したわけではなかった。俺は女に肉体的な関係を求めたことはなかったし、女のほうも、どういうわけか、聞き分けのよい犬のようにお行儀がよく、一線を越えてこなかった。女が求めてこないことが、俺の気持ちを楽にさせてくれていた。つまりその時の俺たちは単なる同居人の関係を維持しており、それ以上でも以下でもなかったということだ。

 女はごく僅かしか食べ物を口にしなかったが、隣に座り俺が食べる姿を嬉しそうに見つめていた。女には男を支える不思議な才能があるようだった。俺はあらためて女を見直していた。俺は思わぬ掘り出し物を見つけた気分になっていた。
 しかし、無収入で喰っていくのは、やはり並大抵ではなかった。時に女は夜遅くなるまで外を這いずりまわって、食糧を捜してこなければならなかった。そして大家が毎日のようにやって来てはやかましく家賃の督促をした。
「すこしお金があったらな」
 と俺はある時女にむかって呟いた。「こんな生活はいつまでも続けられるものじゃない。俺がまともな職に就いていれば、お前にこんな苦労をさせなくてもすむのだが」
 何気なく呟いた俺の言葉に、女は思いを巡すように、剥がれかかった汚い部屋の、壁紙のシミを見つめていた。

 明くる日、起きだしてしばらくすると、女がふたりで商売をはじめないかと持ちかけてきた。
「家賃だって溜まっているし、水道代や何やかやだって払わないといけないわ。お金を稼げば、生活水準もあがって、あんたに楽させてあげることができるもの。ねえ、そうしましょうよ」
 でも、俺は商才なんてないよと女に言った。
 公務員で、ただ机に坐っているだけで給料をもらっていた。それすらも何年も続かなかった。仲間や上司とうまくいかなくなり、嫌になって辞めたのだ。俺は何処の組織に属しても全く使えない人間で、誰にとっても価値のない、そこらへんに転がる石ころみたいな男だった。
「あなたは何もしなくていいのよ」
 と女は言った。「私の傍にいてくれるだけでいい。あとは私が何とかするわ」

 重ねて説得してくる女に、俺はやむを得ず同意していた。難しいことは聞かなかった。聞いても頭にはいってこなかったし、興味も持てなかった。女には悪いが、どうせ失敗するだろうくらいに思っていた。だから期待もしていなかった。
 ネットを使うのだということだった。日本は高齢化社会だから、介護の仕事なら幾らでもあるというのが女の見立てだった。
 女はなけなしの所持金を使いはたし、部屋にネット回線を繋ぎ、いちばん安い、中古のパソコンを買い入れた。女はパソコンのひかりで何時間も顔面を青色に点滅させていた。そうして俺にはわからないパソコン言語を操り、手作りのホームページを開設すると、何日か経って、そこに仕事がはいるようになった。それからは女は外を飛び回るようになった。そして帰ってきたら、熱心にメールをチェックしていた。俺は部屋でごろごろしているだけだった。それだけで飯は食えたし、女と商売をはじめてから数ヶ月後には、それまで俺の安眠を脅かしていた大家の借金の催促も、嘘のように来なくなっていた。

 やがて女は人を雇い、自分が外回りに出ることはやめ、被雇用者に出先の仕事を任せるようになり、自分は家にいながら、俺の隣でパソコンの画面を操り、あれこれと指示をだすだけで、金を無尽蔵に湧きださせることができるようになっていた。それはまったく驚くべきことだった。こんなにたやすく、しかも短期間のあいだに、これだけの成功をおさめることを、いったい誰が予想できただろう?

 時がたち、六畳一間では手狭になったから、都心のマンションに俺と女は引っ越して、そこに住むようになった。五十階の窓から見える都会の景色は百万ドル、いや一千万ドルの夜景だった。見られる側ではなく、上から見下ろす立場に昇格したのだ。浮浪者になりかかっていたことを考えれば、夢のような話だった。
 女がくる前は、昼寝ばかりしていた。金がないから、それ以外のことはやりたくてもできなかったのだ。けれども満腹し、金に余裕がでるようになってからは、オレはそんな生活にもだんだん退屈するようになっていった。
 相変わらず女は忙しそうにしていた。はじめのうちは、俺は家事をやって女を助けていたが、それもそのうちやめてしまった。女はそんな俺に対し、喜びはしなかったけれど、それでも小言ひとつ言わなかった。時々ディナーを予約して、三つ星レストランでふたりで食事をした。それが女の愉しみのひとつらしかった。仕事をしている時の女の顔と、俺と一緒にいるときの女の顔は、明らかに別人だった。共同生活をはじめてから、いつしか俺は、女の存在を空気のように当たり前のように考えるようになっていた。ただ、死のうと思っていた女を俺が拾って来て、助けてやった。それだけの関係が続いていた。それを女がどう考えていたのかはわからない。でも女は女で、俺に感謝しているのは確かなようだった。何しろ死のうと思いつめていたのだから、あるいは俺のことをいのちの恩人くらいに考えていたのかもしれない。それを証明するかのような、俺を支える、女の献身的な働きだった。そして俺と一緒にいるときの女の顔には幸せのオーラが満ちあふれていた。
 マンションにはいくつか部屋があったが、俺たちはあの薄汚い六畳一間のアパートに住んでいた頃と同じように、夜はベッドを並べた同じ寝室で眠った。それに大した意味はなかった。わざわざばらばらの部屋で眠る必要を認めなかっただけの話だ。

 ある時、俺は若い女の子が欲しくなった。金は女が稼ぎに稼いでくれているおかげで、幾らあるのかわからないほど貯まっていた。もちろん元はといえば女の才覚ひとつで稼いだ金ではあるが、女から毎月の小遣いだってもらっていたし、その範囲内では俺にだって自由に使える金があった。小遣いは月に数十万円という金額で、ギャンブルもやらない俺には使い切れない額だった。誰しも男なら、それだけ余裕があればとびきり若くて美人な女の子を手に入れたくなるのが人情というものだろう。俺は女の子を捜した。通りには、何人か、俺の眼鏡にかなう女の子が歩いていた。でも彼女たちの大方は、すでにその所有者である男たちの手から伸びた鎖が、下半身に厳重に巻きつけられているようなものだった。情けないことに俺はどうやって自分の欲しいものを手に入れたらいいのか思いつかなかった。それは切実な悩みだった。それにこの手の欲望は、手に入るのが難しいと分かれば分かるほど、どこまでも自分の手におさめなくてはすまないような気になるのだった。そこで、俺が相談できる相手はただひとりだった。俺は女にその話をした。女は俺の悩み事や希望をこれまで何でも叶えてくれていた。今回だって例外ではないはずだった。
「とびきり若くて美人な女の子が欲しいのだ」
 俺のことばを聴くと、女はすこし哀しそうな顔をした。それはかつて見せたこともないような潤みを帯びた目だった。強いて言えば、はじめて出遭ったとき、路上に蹲り、死ぬと放言していたあの時の顔に似ていなくもなかった。でも俺は女が何故そんな表情を見せたのか、意にも介さなかった。女の考えることは時に複雑すぎて、俺の手に負えなかった。けれども俺の欲求は簡単だった。若くてかわいい女の子がほしいだけだ。そんな欲望は、男なら誰しも持つものだろう。別段珍しいものでもない。
「わかりました」
 しばらくすると、女は気を取り直したように、いつもの声で言った。「すこし待っていてください。お望みの者を連れて来ます」
 そう答えた。
 数日の間、俺はマンションの窓から外を眺めたり、無闇に部屋と部屋のあいだを行ったり来たりして、女の子がやって来る日を今か今かと首を長くして待っていた。今度ばかりは、そうやすやすとはいかないような気がした。いくら女でも、魔法使いではあるまいし、俺の願いごとを無制限に叶えてくれる力を持っているものではあるまい。

 幾許もなく、玄関ドアのチャイムが鳴らされた。そしてドアの外に立っていたのは、にっこり笑いかける、まだ二十歳前後の、若い女の子だった。俺は有頂天になった。できればその場で食べちゃいたいくらいだったが、さすがに思いとどまった。女の子は笑顔がかわいらしく、声がまるで生まれたての仔猫のようで、料理は下手だったし話はつまらなかったけれど、そんなことは全然気にならないくらい、小さいが体の何処に触れても柔らかくて、何とも言えないくらい女の子らしい体つきをしていた。俺はその子のことしか頭にはいらなくなっており、女がマンションに帰ってこないことにもさして関心を払っていなかった。女の子とふたりきりになりたい俺に気兼ねしているのだろう、そのうち戻るさ、くらいに考えていた。女の子の名前はバニーといった。本名ではなく、たぶん愛称だろう。俺はその子のことをバニーちゃんと呼んでかわいがった。そしてバニーちゃんが夜に漏らす声は俺を夢中にさせた。
 俺はバニーちゃんをくどいて彼女から婚約を取り付けることに成功した。その頃俺はやっとすこし冷静になって周りを見回すことができた。最後に女を見かけた時からずいぶん日にちが経っていた。俺はあの女がもう俺の元に帰ってくるつもりのないことにその時ようやく気がついた。

 しばらくは女が遺していってくれた金で生活できたけれど、その栄華も長くは続かなかった。女が不在のため、ネットに開設していた商売も、俺にはうまくこなしていく能力もなく、やり方もわからなかったために、重大ミスが頻発し、思いがけない出費が続いた。さらに、婚約者であるバニーちゃんの贅沢三昧の生活が事の悪化に拍車をかけた。気がついてみれば、女がいなくなってから数ヶ月であれほど余裕のあった貯金は底をついてしまっていた。あとはプレハブのような薄汚い六畳一間の人生に転げ落ちるまでたいした時間はかからなかった。バニーちゃんは後ろも振り返らずにぴょんぴょん飛びはねて俺の元から去って行ったし、俺は再びアパートの家賃すら滞納する生活に舞い戻っていた。

 雨の降る日だった。
 俺はあてもなく夜の街をさ迷っていた。
 俺が捜していたのは、バニーちゃんではなく、雨の日に路上で蹲って泣いていたあの女のことだった。今となっては、女が生きているのか死んでいるのかすらわからなかった。一緒に出かけたレストランで、ワイングラスを片手に乾杯をする女の笑顔が、昨日のことのように思い出された。
 何処を捜しても泣いている女の姿は見あたらなかった。けれども俺には女が死を決意した表情で涙を流し、今まさに何処かの路上で蹲り、虚空を見あげているような気がしてならないのだった。〈了〉



にゃんく作小説「忘れられない人」、いかがでしたか?
率直な感想、お待ちしております。



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妖怪ウォッチ コマさん ~ハナビとキセキの時間~ (ビッグコミックススペシャル)/小学館
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 コミック『妖怪ウォッチコマさん~ハナビとキセキの時間~』のレビューです。

 簡単なあらすじです。
 末期の不治の病に冒されている女性・ハナビさんの元に、ある日、妖怪のコマさんが転がりこんできます。
 お金を持っていないコマさんは、ハナビさんの元に居候させてもらう代わりに、一日ひとつハナビさんの願い事をきくことになります。

 お客さんが来なくなって久しい本屋さんを経営する老店主や、声が小さいと周りの人たちから陰口をきかれる女の子、挨拶をしなくなったバスの車掌など、それぞれ悩みをもった人たちが登場します。
 そんな彼らの元へ、ハナビさんの依頼により、頭に葉っぱを乗せたコマさんが、人間に化けて登場します。浮き世離れした不思議感覚と、持ち前の天然の陽気さで、コマさんは思いがけず、彼らが忘れていた幸せな気持ちを、不治の病のために家から外に出られないハナビさんの代わりに、すこしずつ、取り戻していってくれます。

                      *

 最終話ちかくでは、ハナビさんは実は、以前交際していた恋人のヤスナに、自分が苦しんでいる姿を見せないために、病院を抜け出してきたことがわかります。
 外を出歩いていたコマさんは、複雑なことは理解できませんが、ハナビさんの思い出の場所をうろついているうちに、ハナビさんのことを探していた恋人ヤスナと出会い、ハナビさんとヤスナを再会させる役割を演じます。
 「もんげー!」と絶叫するコマさんが楽しいです。身近にこんな人がいたら、おもしろいです。
 知らず知らずのうちに、みんなを元気にしていってくれるコマさんの姿に、ほっとします。
 笑いあり、涙ありの、子供も大人も楽しめる、心温まる物語を集めた短編集です。


 『妖怪ウォッチコマさん~ハナビとキセキの時間~』(漫画 柴本翔/原作・監修レベルファイブ/小学館発行)
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 『ねこぢるうどん』ねこぢる

 主人公というか、主要な登場人物はネコです。幼いネコの兄妹(?)が主人公です。彼らがしかし、見た目のかわいさとは裏腹に、実に無邪気に残酷なことをするんです。例えば、近所でキリギリスとかてんとう虫とか、昆虫たちのかわいそうな親子を集めて来て、裁判みたいなことを自宅の庭でやるわけです。そして、次々と、『お前は、虫ケラの罪で、死刑!』なんてことを言って、ガス室送りにするんですね。ガス室って言っても、ただダンボール箱で仕切った場所に閉じ込めて、キンチョールで殺しちゃうわけですけども。その次のコマでは、母ネコに、「おやつですよ」、なんて言われて家に戻ってカキ氷を食べています。なんというか、かわいらしい絵と残酷な内容がアンバランスな感じでおもしろい漫画です。
 私ははじめて読んだのですが、かわいいネコの絵なのに、ところどころ気持ちの悪い描写があり、話は必ず残酷な方向へ進みますね。

 この作品を読んで、「気持ち悪さ」を感じる方も多いと思います。その気持ち悪さを心地良いと感じてしまうのは、麻薬みたいなものが含まれているからなんでしょうかね。
 漫画で①~③巻まであります。
 ③まで読んでみて、ハマりました。
 すばらしいです。
 残酷な描写があるからすばらしいと言っているわけじゃなくて、この人の書く世界観がいい、としか言えませんけれど。
 各巻、読み切りの短いお話がつまっているのですが、作者は基本的に夢で見たことを作品に描いているようです。
 私のお気に入りの話は、自分のことをプリンセスと思っているおばさんの話と、天罰を与える神様の話、あとはラストの脳挫傷のトレモンド夫人を治療?している女性の話です。
 夢を作品化したのでは夏目漱石の『夢十夜』などがありますが、ねこぢるはもっと悪夢的な感じです。

アドルフに告ぐ(1) (手塚治虫文庫全集)/講談社

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 コミック『アドルフに告ぐ』(手塚治虫)のレビューです。

 大河的な歴史漫画です。
 時代は第二次世界大戦前の日本とヨーロッパを舞台にしています。
 熱狂的な支持を受けるヒットラー。
 弾圧されるユダヤ人。
 
 しかし、そのヒットラーが実はユダヤ人だったのではないかという出生の秘密にまつわる文書が出て来ます。その文書を公表すれば、ヒットラーを失脚させ、ユダヤ人の苦境を救えるのではないか……。
 でも、事はすんなりとはいきません。その文書を抹殺しようとするゲシュタポからの拷問があったりします。そういうお話です。


                                      *


 だいたい史実にそってお話は進んでいくようです。
 それに、架空のキャラを登場させつつ、歴史は再現されていきます。
 まさに大作です。漫画で読みやすいので、もっと早くに読んでおくべきでした。。。


青青(あお)の時代 (第1巻) (希望コミックス (311))/潮出版社
¥561
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 コミック『青青の時代』(山岸涼子)のレビューです。
 漫画で①~④巻まであります。


 日本という国が生まれる前の、卑弥呼が神様からのお告げを聞いて政治をしていた頃の話です。


 話のはじまりは、大和(ヤマタイ)伊都国に日女(ヒルメ)という卑弥呼の姉に当たる人物が連れて来られるところからはじまります。ちょうど王が死にかけており、4(よん)の王子が卑弥呼を追い落とし、その代わりに日女(ヒルメ)という女を据えて、自らも王の地位に座とうとしています。
 王には、4人の王子たちがおり、それぞれに出自が違っていて、たがいに自らが王になろうと争います。日女は、壱与(いよ)という少女を伴っていて、壱与もこの権力争いに巻き込まれます・・・


 かわいらしい絵からは想像できないほどドロドロした権力争いが描かれています。
何も考えずに読んでも面白いです。かなり歴史資料を参照して描かれているようです。史実とは異なりますが、物語を構築するにあたり、作者のオリジナルが多分に織り込まれていて、当時の雰囲気として、ほんとうにこの漫画に描かれているようなものだったろうなあと思わせられます。


白眼子 (潮漫画文庫)/潮出版社
¥600
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 『白眼子(はくがんし)』(山岸涼子)のレビューです。
 コミックの帯には、<運命観相を生業とする白眼子。彼にはいったい何が見えているのか? 異能の持ち主と少女の不思議な縁(えにし)を描く! ・・・極上の幻視・怪異譚>とあります。


 あらすじです。
 終戦直後の北海道。5歳程度の女の子が、知人とはぐれ、極寒の空の下、凍傷になる一歩手前のところで震えています。そこへ白眼子という占い師のような男がやって来て、女の子を家に連れ帰り、養女として育てます。
 白眼子には不思議な力が備わっていて、白眼子の両の眼は見えませんが、死者と会話ができたり、人の運勢が分かったりします。女の子は光子と名付けられ、白眼子とひとつ屋根の下で暮らします。
 光子は黒子(ほくろ)の多い自分の容姿にコンプレックスを持っていますが、ある時、白眼子に、「人の幸福と不幸の量は決まっている。何かを得れば、何かを失う。(黒子を隠そうとしなくてもいい)」というふうなことを言われます。後日、知人を通じて光子の写真を見た家族によって、光子は子供の頃にはぐれた家族と再会します。光子の黒子の特徴があったからこそ、大人になった光子だと分かり再会できたのです。
 光子と白眼子は離れ離れになりますが、何十年か経ち、光子に子供ができてから、光子はまた白眼子に会いたいと強く願うようになります。

                                                 *

 すごく面白いです。
 点数をつけるなら、100点といってもいいくらいです。
 普通、漫画でも小説でも、虚構ですから、どこか作り話っぽいところがあるはずなんですが、この作品には、それがありません。ありえない話を描いているにもかかわらず、まったく現実の、ほんとうにあった話のように読めてしまうところが凄いところです。
 この作者の作品ははじめて読むので、他の作品も読んでみたいと思いました。


手塚治虫漫画全集 アポロの歌 コミック 全3巻完結セット (アポロの歌)/講談社
¥1,793
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 『アポロの歌』(手塚治虫)のレビューです。

 あらすじです。
  近石昭吾は、何度生まれ変わっても、愛する女性、渡ひろみと結ばれない運命を女神によって定められてしまいます。ある時は、戦争中のドイツで。昭吾はドイツ兵に襲われているユダヤ人のひろみを助けますが、自らの父母を殺されたと勘違いしたひろみに撃たれて死んでしまいます。
 生まれかわった昭吾はカメラマンのひろみを乗せて飛行機を操縦しています。ひろみのワガママな注文のために、飛行機は無人島に不時着してしまいます。怪我をしたひろみを手当てした昭吾ですが、帰国した後、昭吾と二人っきりで暮らしていたことが婚約者にわかると婚約者に捨てられるかもしれないと考え、ひろみは昭吾を殺そうとします。やがて二人は和解しますが、通りすがりの船に助けられる直前、火山が噴火し、ひろみは裂けた大地の中に飲み込まれてしまいます。
 次に生まれ変わった時、昭吾はその凶暴性ゆえに精神の治療を受けています。ひろみは昭吾にスポーツを通じて、正常な人間に戻ってほしいと考え、昭吾のマラソンのコーチをしています。しかし、ひろみの愛人が現れ、昭吾を付け回し、車を昭吾にぶつけて、昭吾は瀕死の重傷を負い、死んでしまいます。
 次に昭吾は未来に生まれ変わっていて、そこでは人間のほとんどは死に絶え、合成人間が支配しています。昭吾は合成人間の女王であるひろみに呼び出され、「私が知らない人間の愛の営みを、見せてみよ」と命じられます。拒否していた昭吾ですが、ひろみのことが好きになっていきます。人間の心を持たないはずの合成人間のひろみも昭吾のことをいつしか愛するようになっています。そして二人は…

                              *

 すごいです。作者あとがきを読むと、作者本人はこの作品をあまり好きじゃないように思えてしまうのですけれど、ぼくはとってもいいと思います。
 今さら言うことではないかもしれませんけれど、手塚治虫は先見性に優れていますね。
 クローン技術などが人体に応用されることを予想して1970年代にこの作品を既に書いています。最新の科学技術に対する関心も高かったのでしょう。
 この生まれ変わっては何度も愛する人と結ばれずに死んでいくお話を、4、5回は繰り返しています。そこもすごいところだと思います。普通、2、3回やると絵を書くのも疲れてくるはずなのに、手塚先生は、ますます元気に最後まで書いています。
 この作品は、どちらかと言うと、手塚作品の中ではマイナーな方だと思うのですが、それでもこれだけ深い世界観、奥行きのある構造を持っています。
 やはり手塚治虫は再読してみる価値は今だに衰えていないような気がします。


 翌日。
 車で金比羅火口災害遺構散策路へ行きました。そこには噴火のためにデコボコになった道路があり、また、地中から斜めにせり上がった排水溝、朽ち果てた車などが保存されてありました。

(↑金比羅火口災害遺構散策路)

(↑金比羅火口災害遺構散策路からの眺め)

(↑斜めにかしぎ、取り残された家)

(↑いまだに地中から煙があがっている様子です)

 そこから、ザ・ウィンザーホテル洞爺までレッツラドンドン。2008年7月に各国首脳が来日しサミットが行われたホテルです。  行ってみるまではただのホテルかなあ?と思っていたのですが、侮るなかれ、一枚上手の高級ホテルで、エントランス前には赤い絨毯が敷かれ、一階ロビーの奥のテラスからは、思わず声が漏れるほどの、洞爺湖を上から見下ろせる絶好の見晴らしでした。なるほど、サミットの会場に選ばれるものがあるわけだと納得する思いでした。


 にゃん子さんが、そのホテルで評判だというパン屋さんでパンを買うというので、ぼくも便乗してクロワッサンなどを購入。頂上はぴゅうぴゅう風が吹き上げてきて寒いほどでした。その中でパンを食べた後、セグウェイの体験試乗へ。幸い、予約は入っておらず、すぐにプレイできました。  トレーナーさんが付き添って、乗り方から教えてくれて、はじめてセグウェイなるものにふたりして乗ったわけですが、これが意外に面白い。後で調べてみると、なんと一台百万円するんですね、その場で回転するのも自由自在、坂道もへっちゃらのこのマシン。おわってみると延長10分の合計30分では物足りないくらいに堪能しました。  まだ日本では見慣れませんけれど、アメリカでは公道なんかも走っているのでしょうか。セグウェイの先生になって、生徒さんから月謝をもらう生活も、ええのではないかなと、ふとそんな策士めいた思いつきも浮かんだのでした。

  それから、ぼくが室蘭に行ってウニ丼を食すことを主張するのに対し、にゃん子さんは「遠い」と拒み、ならば何処で食べるかとiPadで調べた結果、道の駅あぷたのウニ丼の評判が上々なのを知って、一路あぷたへGOGO。到着は2時半でした。

 パン二個では腹が減り気味のぼく。ウニ丼が食べたくて仕方ありませんでしたが、なんと食堂は2時で営業が終了と書いてあります。あちゃ~、一歩遅かったかと後悔するも、ニャン子さんが店員さんに交渉をしてくれて、ご飯は切れているけれどウニだけならあるよということで、1000円程度で、山盛りのウニが出てきて、見晴らしのよい海を望めるデッキテーブルで摘みました。うまい!  苦くない!  やっぱり本場北海道のウニは違いましたね。これでご飯があれば、なお最高だったんですけどね。
  さて、ウニも食べたし、あとはホテルに戻るだけと、ホテル方向へ車を飛ばします。途中、モニュメントを制していく、Googleが開発したネットゲーム、イングレスをやっているニャン子さんのためにホテル周辺をくるくる回り、地元の喫茶店でチョコパフェなどを頼んだあと、(500円で、山盛りのパフェがでてきました。東京だったら、絶対1000円以上しますね)、土産物屋で銘菓わかさいもなどを買い込んでホテルに戻りました。

(↑ホテル内の様子)


(↑ホテル周辺の景観)


  天気が良くて、相変わらず観光客の中国人が半数以上いて、ここは何処の国かと思うくらいでしたが、中国人が来てくれなければ最早日本経済が回らないのですから、歓迎しなければと思い直し、晩餐には海の幸恋しさ止まらず、毛カニを注文し、出てくるまでに30分くらいかかってしまいましたが、待ったかいあったほどの美味さでした。
  夜は、洞爺湖畔の打ち上げ花火に見入り、夜はもう寒いくらいで、上着を着込んだなりでふたりして夜空を見上げていました。


  今回も、天気も良くて、すかっとする旅行でよかったねと、存分楽しめたのでした。










さてさて先日、北海道へ行ってまいりました。
羽田から新千歳空港に、到着。
電車で洞爺駅へ向かいます。

(洞爺駅から海に近づいた場所で、写真撮影した画像↑)

(ここは洞爺駅近く↑)


(海も駅から近いです↑)


レンタカーを借りて、それからすぐに車で洞爺湖の遊覧船乗り場へ向かいました。
洞爺湖の畔で、白鳥の親子が出迎えてくれました。白鳥の子供ってはじめて見たんですけど、ちっちゃくて、毛がほわほわしてて、丸っこくてかわいかったです。

  それから遊覧船に乗り、一路洞爺湖の中央に浮かぶ中島へ向かいました。

 船尾に中国人の集団がいて、船を追い掛けるようにして飛んでくる鴎に、爆エサやり。
 鴎たちが血相をかえて、宙に放り投げられるお菓子目当てに突進してきます。

 鴎って、スナック菓子大好きなんですね。ある意味、湖の景色を見るより、死に物狂いでお菓子に飛びついてくる鴎たちを見る方が、迫力があって楽しかったくらいです。


(↑お菓子を食べたあとは、遊覧船のてっぺんから、見張りをしてました)

 そんなこんなで、さて中島に着いてみると、中島の遊歩道へ潜入するために、遭難したとき対策の、ノートへの名前の記帳をすませて、柵をくぐり、いざ林の中の遊歩道へ入って行きました。

遊歩道の中は、カラマツ、トドマツなどの林地帯です。都会では浴びれないイオンをからだいっぱいに浴びてきました。そして、木の生えていないちょっとしたスペースに、なんと鹿が座り込んでこっちを見ています。カメラを向けて見ましたが、「何やってんだろな」という顔でこちらを見ていました。

 帰りの船が三十分ごとにやって来ていて、それに間に合わせるため途中で引き返し、遊覧船で乗り込んだ乗り場へと帰ってきました。

それから車で有珠山ロープウェイへGOGO。日本最大級という触れ込みの火口へ接近してきました。

(↑ロープウェイから記念撮影♪)

(↑火口附近へと続く遊歩道から撮影♪)

 火口は爆発のためにクレーターが形成されていて、湯気がもうもうとあがっていました。今噴火したら確実にうちら死ぬなという思いをニャン子さんも共有したようで、ふたりして黙って火口付近に見入っていました。

 

 ロープウェイの入り口付近に、トウモロコシなどを売っている屋台があり、そこでメロンとトウモロコシを食しました。トウモロコシは、甘くておいしかったですねー。たぶん今まで生きてて食べたトウモロコシの中で一番おいしいトウモロコシだったと思います。

 その後、宿泊先の、洞爺湖万世閣ホテルレイクサイドテラスへ到着。洞爺湖畔のホテルです。

(↑ホテルからの眺め)

夜のバイキング夕食を食べ、湖畔に打ち上げられる花火を見て、初日を終えました。

(夜の花火↑)


 二日目に続く。