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あわてない、あわてない。赤ちゃんが「はいはい」するように、のんびりゆっくり進みましょう。

去年の3.11の後、計画停電で灯りの無い夜を過ごすことがあった。
いや、今は計画停電に至った経緯について語りたいんじゃなくてね。



ひさしぶりにランタンの灯りで家族で食事をしたのは、不謹慎かもしれないけれど楽しい経験だったんだな。

子供らが小さい時分には、テントや寝袋を車に積み込んで毎年キャンプに行ったものだけど、しばらくそんなことをしてなかった。計画停電が発表された日、物置からキャンプ用具を引っぱり出して来て、ガスランタンがちゃんと灯るか昼間の内からチェックしたっけ。


ネパールの街は、ひっきりなしに停電する。
ホテルやレストランや土産物屋はそれぞれに自家発電機を持っていて、停電になるとこれに切り替えるのだけど、カトマンズのボクの宿は昼間の内は停電になっても自家発電機をまわさないんだ。
電気が通じてないからネットもストップ。いろいろと調べ物をしながらの旅には不便この上なかったのだけれど、これってネットが使えることを前提に旅していたからでさぁ……

*****

ポカラでは、最初からネットもテレビもなかった。
ボクが取った宿は、そういうものから離れて時を過ごすってのがコンセプトらしくてね。
最初からネットがつながらないって分かっていたから、停電なんてむしろ夜が夜らしくて良いくらいだったんだな。


街には暗くなっても仕事をしている人がいる。
でも停電になると、それを合図にどこからともなく「あぁ」と声が聞こえて、それで仕事は終わり。
その後は、虫の声や犬の鳴き声や、時々窓が一瞬明るく照らされたかなと思うとバイクの音が聞こえたり、ふと静かになると停電モードになった人間達の会話が聞こえて来る。

光の無い環境に夜が馴染んでくると、ヤモリが鳴き出す。

東京のボクの家にも小さなヤモリが住み着いていて、くもや昆虫は激しく怖がる我が家の女性達もヤモリには好意的なんだ。「ヤモちゃん」って呼ばれて愛されているくらいなんだけど、でも我が家ではヤモリが鳴いてるのを聞いた事がないんだな。なんでだろう……

ヤモリの鳴き声を聞いていると、自然と人家がちょうど良く混じり合ったあたりに居る気がするよ。
リラックスする。

テレビもなくてネットもない。そしてボクは一人旅で孤独。でもなんかとてもゆったりとした時間でさ。

$///   H A I H A I S M   ///-停電の夜
↑ 停電の夜 チャイ(ミルクティ)とビールと Yeti Airlines でもらったピーナッツ

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停電の 夜にヤモリの キョキョと鳴く


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ヤモリは夏の季語らしい。ポカラはもう夏なんだな。
ちょっと戻って、バンコクからカトマンズに来るまでの話なんだけどね。

バンコクの都心部からスワンナプーム空港までは、おととしエアポート・レイル・リンクって名前の高速鉄道が開通してずいぶんと楽になったんだ。
都心部のパヤタイ駅から18分で空港まで渋滞知らず。それで、料金はタクシーの4分の1から5分の1。
カトマンズ行きのフライトに乗るためにボクはこいつを利用したんだ。

パヤタイ駅で次の電車を待つ待合所に小柄な欧米人のおばあさんがいた。ちょっとキュートな感じのおばあさんで、でもまぁ60代の後半って感じだから、いまやおばあさんって言うのは失礼なのかもしれないな。
彼女は背中に小さなザックを背負ってて、そのザックの外側のポケットに山登り用の折りたたみのストックを刺していた。

そのストックがすっかり斜めになっちゃってるんだよ。その上彼女はチョロチョロと良く動く。だから、歩くときも、ホームまでのエレベーターに乗るときも、列を作るときも、コツコツとそのストックが周りのひとの顔や肩に当たるんだ。でも彼女はそれに気付かない。
みんな迷惑そうではいるんだけど、でも相手は小柄でキュートなおばあさんでしょ。なんとなく文句をつけるのもためらわれて、ってそんな感じだった。

*****

次に彼女を見かけたのはカトマンズの空港だった。やっぱりな。 やっぱり同じフライトだったんだ。登山用のストックを持っているからそうじゃないかって思っていた。

ネパールでは入国のためのビザを空港で発給してもらうことができるんだけど、ボクはそのための列に並んでいたんだ。そしてボクの20人くらい後ろに彼女がいた。
相変わらずコツコツとストックをひとの顔や肩に当てていて、迷惑げな周りの人たちの中で、彼女だけがちょろちょろと細かく動いていた。

係官は実にのんびりと作業するし、問題ありって見なされたのかやたら時間のかかる人がいる。
そんなのを我慢しながら列で待っていると、ボクの肩をコツコツとたたく人がいた。

そう、そのおばあさんね。
彼女は少しずつ少しずつ順番を前に進め、ボクのすぐ後ろまで来ていたんだな。

そしてチョロチョロと動く。
彼女にヘッドライトが付いていたら、きっとボクはパッシングされていたと思うよ。 追い越そうとしているね。時には自分のキャリーバックを、ボクの場所よりもちょっと前に出してみたりして。

まぁ、一人くらい割り込んだって何時間も時間をロスするワケじゃないし、彼女はそうやってもう20人もかわしてきたんだから割り込むなら割り込むでいいさ。半分はそう思っていたんだよ。
でも後の半分ではなんだか承服できなくてね。彼女がボクの前に割り込まないように微妙な位置取りをしたりして、これはこれで疲れたんだ。馬鹿げた駆け引きをしてしまった。

*****

ようやくボクの番が来た時、まずは手数料を支払うカウンターでパスポートを見せて滞在日数とかを申告するんだけど、その時彼女はカウンター内の2人の係官の1人にこう言ったんだ。

私はディプロマットです。

はい。確かに。ディプロマットだって、そう言った。

驚いたよ。
この小柄な山登りスタイルのばあさんがディプロマット(外交官)なのか!!!
ディプロマットが観光客と一緒にビザを発給してもらうために列に並んでいたのか!!!


係官は、それならばこちらにどうぞってな感じで別のカウンターに彼女を連れて行ったから、その後どんなやり取りがなされたのかはまったく分からないけど、でもね、ボクがビザの手数料を払い終って入国審査のカウンターに移ろうとした時、彼女はその係官に連れてこられて列のボクの前に入ったんだ。

あなたはここで入国審査を受けて下さい。そう言われながら。


すごいなぁ、彼女。ボクもとうとう抜かれちゃったよ。21人抜ごぼう抜き。

今日は「やられたな」って、そういう話。


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ボクが始めてカトマンズという街のことを知ったのは、映画「カトマンズの男」でだったと思う。主人公のジャン=ポール・ベルモンドがいつも逃げ回っているドタバタコメディだった。
その次は、カトマンズからロンドンまでを2階建てのロンドンバスで旅をする若者達を取材したドキュメンタリーだったかな。

以来ずっとカトマンズは憧れだったんだけど、その憧れを抱いたままこの歳になったワケじゃないよ。実はボクがこの街に来るのは2回目なんだ。34年前に1回来ている。
それはボクの生まれて初めての海外旅行で、家族と一緒にインドの都市をいくつか回った後、カトマンズに来た。

その時の記憶はもうほとんど遠くかすんでしまっている。でもどこかカトマンズから離れた古都を訪ねたのは確かだ。その街の中心の広場にはいくつかの寺院があって、広場を囲む家々の1階が土産物屋やレストランになっていた。

土産物屋の一つに入ると、高校生くらいの可愛い少女がいた。
話をしている内に日本に興味があるから住所を教えて欲しいと言われ、住所を交換したのが記憶にある。当時カトマンズでは自分の毛にカラフルな毛糸を編み込んで三つ編みを作るのが流行っていて、彼女もまっすぐな黒い髪に赤い毛糸を編み込んだ、そういうお下げ髪をしていた。

彼女の名前はラクシュミ(Lakshmi)。
ラクシュミってのは、ヒンズー教の美と豊穣と幸運の、そして仏教に取り入れられてからは吉祥天と呼ばれる女神さまだ。仏様の名前のついた土産物屋の少女。あぁ、なんかネパールなんだなぁ…… そう思ったんだよね。

*****

カトマンズに来てから少しずつ昔のことを思い出し始めたのだけど、彼女のいた街がどこだったのか全然思い出せない。

カトマンズ盆地にはかつて3つの王朝が並び立っていたことがあって、1つはカトマンズに、1つはパタンに、1つはバクタプルにその都を築いていた。だからボクが34年前に行った街は、パタンかバクタプルのどっちかなんだ。

だからさ、両方の街を訪れてみたよ。パタンは記憶と全く違う。バクタプルがそれらしかった。
そしておそらくこの辺りと思うところには、今もお土産屋さんと彼女と同じ名前を付けたゲストハウスがあった。
そして、そっかぁ、きっとここなんだな…… そう確認しただけでカトマンズの宿に戻って来た。

$///   H A I H A I S M   ///-lakshmi


当時バクタプルまで、ボクらツアー客を乗せたバスは山道を進んでいったはずだ。
街ではめずらしい空調付きの大型バスは未舗装の山道を走り、窓からは農地とその向こうのヒマラヤの山々が見えていた。途中バスが来たのに気付いて走って見に来た子供達がいて、彼らが裸足だったことを覚えている。
ところが今、カトマンズからバクタプルまでの道はクラクションの音と排気ガスの臭いで充満し、沿道にはずっと家々が立ち並んでいた。
この34年で、ボクもネパールもずいぶんと変わったんだな。

*****

この話を家族にメールで送ると、妹が母のアルバムから昔の旅行の写真を探し出して送って来た。そこには34年前のバクタプルの寺院の写真と、お土産屋をバックにした 黒と赤のお下げ髪のはにかんだ少女と若い頃のボクの写真があった。

ボクは、自分の若い頃の写真を見るのが嫌いだ。
でももし今もバクタプルに彼女がいて、彼女に昔の写真を見せてあげることができたらきっと驚いて喜んだだろうにね。

ボクの記憶の辺りのお土産屋さんに入って行って、ここに今ではボクと同じくらいの年齢のラクシュミと言う名前のお嬢さんはいませんでしたか? そう聞いてみても良かったのかもな。


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さて住所交換した彼女とはその後どうなったかと言うと……
帰国してしばらくして手紙が来た。でもそれは彼女からじゃなくて日本語を勉強している彼女の弟からだった。彼女は自分のためではなく弟のために日本人の住所を聞き出したんだ。

ぼくも返事を出したはずなんだけど、そして何往復かは手紙のやりとりがあったんだろうけど、その後どうなっちゃったんだろう。

ふふ。あのお土産屋に居たあのオヤジが、彼女の弟だったのかもしれないぞ。
のんびりするためにポカラに行くことにした。

そう。バンコクの次の街って言うのは、カトマンズでした。
前の記事で、飛行機の中にライフジャケットが本当にあったって書いたけど、そして飛行機の中にライフジャケットが置いてあるのは当たり前の事だって思ったんだけど、でもバンコクからカトマンズまでって海が無いんだよ。

ま、どうでもいいか。

*****

ポカラ行きの航空券を求めて旅行会社を訪ねてみると、航空会社2社のチケットを扱っているって言う。

仏様航空(Buddha Air)と雪男航空(Yeti Airlines)と2つあって、さてどちらにしますか? と尋ねられた。

値段とか、出発時刻とか、サービスとか、2つの会社にどんな差があるのかあれやこれや聞いていると、どちらも同じだと言う。値段も同じ、サービスも同じ、フライトの時刻だって、どっちも毎日、何便も飛んでる。

いや困ったな。決め手が無いならどっちでもいいか、と適当に決めようとすると……

*****

そうですねぇ、お客さん。絶対にここだけの話ってことにしておいて下さいよ。違いは操縦士です。

仏様航空の場合は、もちろん仏様が操縦なさっていらっしゃる。もちろんコックピットは客席からは見えませんがね。仏様が操縦なさっていらっしゃるだけに、いざと言う時極楽に行きやすい。ここネパールではそういう風に言われてます。いや、私はヒンドゥー教徒なんで詳しくは存じませんがね。

一方雪男航空の場合は、もうお気づきかと思いますが雪男が操縦しています。イエティですよ。ご存知ありませんか? いわゆるUMA(未確認動物)ってやつですよ。はいはい。全身体毛で覆われた。まぁ、雪男だけにヒマラヤの地理にはめっぽう詳しいというワケですな。不時着する時も適切な場所を選ぶことができるって、もっぱらの評判ですよ。

で、どちらになさいますか?


*****

口調が変わったから、ボクには彼が真面目だってすぐに気付いた。いや、気付いた気がした。いや、気付いた気がした様な気分になった。

えっ? はい? 何ですって?

----- ですからお客様。仏様と雪男と、どちらをお選びになりますか?

え、えと…… そりゃポカラはヒマラヤの麓の街だから、地理に詳しいイエティの方がいいだろうな。
極楽には遠い将来行きたいと思うけれど、このフライトで連れて行ってもらわなくてもいいし。

----- 地理だの、極楽だの…… いったい何をおっしゃってるやら。では、雪男航空の2時50分の便を1席予約いたしました。ネパールではフライトが数時間遅れることも良くありますので、ご注意下さい。

*****

この国に来たら、ぜったいに「せっかち」は止めようって思っていたんだ。
ボクはせっかちのせいで、ゆっくり噛み締めて味わうことが苦手だったんだ。
だから、数時間遅れたって大丈夫。どんと来い。

せっかちは絶対にだめ。
絶対に早足では歩かない。
次に何をすべきか考えながら今のことをしない。


そう固く誓っていたはずなのに、ポカラに向かう日、フライト予定時刻の1時間半前にはもう空港に着いちゃってた。チェックインは1時間前だけど、どうせ定刻にチェックインは始まらないんだろうなって思いながらボンヤリとチェックインカウンターを眺めていた。

すると、カウンターの男性がボクになにか合図を送っている。
無線機片手の女性係員がボクのことを見ながら、何かしら連絡を取り合っている。
小柄なポーターのおじさんがボクの荷物を取り上げると、昔風呂屋にあった体重計の化け物のような秤に荷物を載せ、針がまだ重さをきちんと示す前に荷物のタグを括り付けている。
カウンターの男性はポンポンと威勢良くスタンプを押して搭乗券をボクに手渡す。
セキュリティチェックの方に促されたと思うと、持ち込み手荷物に形だけエックス線を通し(誰も画面を見てない)、形だけボディチェックされ(さらっと触られただけ)、押し出されるようボクは搭乗待合室から外に出された。

そこにはタラップの下まで搭乗客を運ぶバスが、ボクを待っていた。

思わず1つ前のフライトに乗れてしまったんだ。どうも1時間前のフライトに一席空きがあったらしい。そういえばさっき、ボクが手に持っているチケットを空港の係員が覗き込んでいたっけ。
一席空きがあったところに、せっかちな乗客が一人。航空会社にとっては渡りに船だ。


ボクは、一番最後にバスに乗り込んだから一番最初にバスを降りることになり、
従って一番最初に搭乗することになり、
全て自由席の機内でヒマラヤ山脈が見える方向の右側の座席にちゃっかり座ることができちゃったりした。ラッキー♪

雪男の操縦技術もなかなかだったし、こんな景色も見えた。
山好きな人なら、なんて名前の山だか分かるんだろうな。

$///   H A I H A I S M   ///-himaraya


今日は、早め早めに行動するのも悪くないんじゃない? ってそういう話。


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2日間ヒマラヤの麓ののどかな街ポカラでポカラっとした後、ボクはカトマンズに戻ったワケなんだけど、帰りのフライトは案の定2時間遅れた。
片道35分のフライトで2時間遅れって、どんなシステムになってるんだろう。

またまた1時間以上前に空港に着いていたボクは、なーんもすることなく離着陸の全くない1本の滑走路をじーっと眺めていたとさ。

せっかち、憎むべし!

バンコクのスワンナプーム空港からのフライトは、エキサイティングで、インタレスティングで、実にワンダホーなものだった。


みなさん、こんにちは。
ヤッホーとか、ラリホーとか、ワンダホーとか、アンビリーバボーとか…… なんか語尾が間抜けな言葉を使ってみたかっただけです。「なつむぎ」です。


バンコクから次の街に向かう飛行機は、優先搭乗の客が先に機内に案内された後も、ボクの番がなかなか回ってこなかったのね。後ろの方の席から10列ごとに区切って、順番に乗客を搭乗させていたからなんだ。ボクの席は エコノミークラスの中で一番前だったから、機内へと案内されたのは一番最後だった。

乗り込んでみると機内は既に満席。
凍えそうなくらいキンキンに冷えていて、全体にスパイシーな香りが立ちこめている。
そして何よりもびっくりしたのは、機内全体の人間の密度が、なにかしら濃い。

いや、決して普通より客を詰め込んでいるってワケじゃないんだよ。人間の数が多いんじゃなくて、なんだか人間活動の濃い人たちが集まってる、そんな感じだったんだな。

こういう濃い人たちは、やっぱり後ろから順番にゆっくり詰めていかなくちゃんらないんだろか……

*****

自分の席を探している時、持ち込んだランチボックをもう広げていて、中から取り出した大きなイチゴをほおばろうとしている老婦人と目が合った。


彼女の後方では何人ものビジネスマンが、 なんとも重厚な、昔ラップトップって呼んでたようなマシーンを広げてもう仕事をしている。
きっとあいつらは激しく重い。あれを膝の上に乗せて仕事をしたら、きっと膝の骨がくだける。


絶え間なく奇声を上げながら、落ち着き無く動いている子供がいる。
母親とおばあさんと思われる2人の女性がなだめようとするんだけど、手渡すお菓子やおもちゃを彼はすべて放り出してしまって、全く納得しようとしない。

すると彼はライフジャケットを取り出して来た。ボクは乗客がライフジャケットをいじっているところを初めて見たよ。本当に椅子の下にはライフジャケットがあるんだ。緊急時に着水してもこれで安心だ。

彼はライフジャケットがずいぶんと気に入った様子で、それを見た母親はこれで静かにしてもらえると思ったのか、その包装を開けてしまった。
それに気付いてあわてるキャビンアテンダント。キャビンアテンダントにライフジャケットを取り上げられて、また奇声をあげ始める子供、それら一連の出来事の隣で、貧乏ゆすりをしながら機内誌を読んでいる父親。


通路をはさんでボクの隣のビジネスマンは、飛行機が滑走路に向けて動き始め、全ての電子機器の電源を落とすようにとアナウンスがあった後も、PCを使うのを止めなかった。CAに注意されてようやくPCを閉じたと思ったら、こんどはスマホをいじりだした。

放っておいていいのかな? さてどうしたものだろう……
そう思いながらボクはきっと、じーっと彼のスマホを見ていたんだろうね。それを察した彼がなんか居心地悪そうにし始めて、それに気付いたボクが彼の方をちらっと見ると、二人は目が合っちゃった。
しかたがないから指のジェスチャーで「ダメなんじゃん?」って指摘した。


離陸してしばらくすると、後ろの方で男達の大笑いがずっと続いている。
トイレに行く途中に見てみると、ヒゲ面の男4人がトランプに興じていた。しかも4人1列ならんで座席に座ってね。いいおっさん達が手札を相手に見られないようにしている仕草が、なんとも可愛いって言うか……


そうこうしている内に食事の時間になった。
普通ならカートで運んですぐに配り始めるのに、なかなかそうならない。CAが機内食のトレイを1つずつ何往復も運んで行くんだ。機内食を特別にリクエストした客がずいぶんと多いんだって感じたな。種類は皆それぞれ違うみたい。メインディッシュを覆うアルミホイルの色がみんな違う色だった。
豚がだめだったり、牛がだめだったり、そもそも肉がだめだったり、アレルギーだったり、好き嫌いだったり、そんないろんな種類の人が乗っているんだ。

それからしばらくしてようやく、特にリクエストのない一般の人たちに機内食が配られ始めた。

そうか、これだったんだ! 機内に満ちていたスパイシーさの原因は。

食事として皆に配られると機内のスパイシーさは10倍増し。そして食べ始めると香りが鼻腔に広がってさらにまたその10倍増し。そしてこれがすごく辛い。

もちろんバンコクに滞在していた時も辛い料理は食べたよ。
でも何って言うんだろう…… タイの辛さがチクチクと刺される様な辛さだとすれば、この辛さは鈍器で殴られた様な辛さなのだ。

*****

不思議なことと言えば不思議だな。
機内食を食べ進む内にずっと漂っていたスパイシーな香りに全く違和感を感じなくなってきたし、毛布を胸までかけて過ごしていたくらいに冷え過ぎだった温度も、ちょうど気持ちいいと感じるようになって来た。

あぁそうか。調和してたんだ。

気がつくとイチゴの老婦人も、ライフジャケットの一家も、スマホのビジネスマンも、トランプのヒゲ面も、みんな美味しそうに機内食を食べている。子供も静かになったじゃないか。なんだか満ち足りた平和な空気だ。

いち早く食事を終えた貧乏ゆすりの父親は、からだを少しひねり、膝にPCをのせて仕事を始めていた。貧乏ゆすりをしていないのは、あのでかい膝を砕くほどのPCが重しの役目をしているに違いない。

あぁ、やっぱり全ては、こういう風に調和してるんだ。物事はね。

*****

そんなローカルな乗り合いバスのようなフライトだった。
3時間まったく退屈なし。

そしてボクは、どこか「それでいいのだ!」的ムードを漂わす国に到着したんだけど、それがどこかは次の記事でね。

そろそろボクの、ビールタイムです。
宿の近くのレストランの、Happy Hour が始まります。
ビールを頼むと、ポップコーンを付けてくれるんだってさ~


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