カトマンズの旅が意外とセンチメンタルだったりする話 | /// H A I H A I S M ///

/// H A I H A I S M ///

あわてない、あわてない。赤ちゃんが「はいはい」するように、のんびりゆっくり進みましょう。

ボクが始めてカトマンズという街のことを知ったのは、映画「カトマンズの男」でだったと思う。主人公のジャン=ポール・ベルモンドがいつも逃げ回っているドタバタコメディだった。
その次は、カトマンズからロンドンまでを2階建てのロンドンバスで旅をする若者達を取材したドキュメンタリーだったかな。

以来ずっとカトマンズは憧れだったんだけど、その憧れを抱いたままこの歳になったワケじゃないよ。実はボクがこの街に来るのは2回目なんだ。34年前に1回来ている。
それはボクの生まれて初めての海外旅行で、家族と一緒にインドの都市をいくつか回った後、カトマンズに来た。

その時の記憶はもうほとんど遠くかすんでしまっている。でもどこかカトマンズから離れた古都を訪ねたのは確かだ。その街の中心の広場にはいくつかの寺院があって、広場を囲む家々の1階が土産物屋やレストランになっていた。

土産物屋の一つに入ると、高校生くらいの可愛い少女がいた。
話をしている内に日本に興味があるから住所を教えて欲しいと言われ、住所を交換したのが記憶にある。当時カトマンズでは自分の毛にカラフルな毛糸を編み込んで三つ編みを作るのが流行っていて、彼女もまっすぐな黒い髪に赤い毛糸を編み込んだ、そういうお下げ髪をしていた。

彼女の名前はラクシュミ(Lakshmi)。
ラクシュミってのは、ヒンズー教の美と豊穣と幸運の、そして仏教に取り入れられてからは吉祥天と呼ばれる女神さまだ。仏様の名前のついた土産物屋の少女。あぁ、なんかネパールなんだなぁ…… そう思ったんだよね。

*****

カトマンズに来てから少しずつ昔のことを思い出し始めたのだけど、彼女のいた街がどこだったのか全然思い出せない。

カトマンズ盆地にはかつて3つの王朝が並び立っていたことがあって、1つはカトマンズに、1つはパタンに、1つはバクタプルにその都を築いていた。だからボクが34年前に行った街は、パタンかバクタプルのどっちかなんだ。

だからさ、両方の街を訪れてみたよ。パタンは記憶と全く違う。バクタプルがそれらしかった。
そしておそらくこの辺りと思うところには、今もお土産屋さんと彼女と同じ名前を付けたゲストハウスがあった。
そして、そっかぁ、きっとここなんだな…… そう確認しただけでカトマンズの宿に戻って来た。

$///   H A I H A I S M   ///-lakshmi


当時バクタプルまで、ボクらツアー客を乗せたバスは山道を進んでいったはずだ。
街ではめずらしい空調付きの大型バスは未舗装の山道を走り、窓からは農地とその向こうのヒマラヤの山々が見えていた。途中バスが来たのに気付いて走って見に来た子供達がいて、彼らが裸足だったことを覚えている。
ところが今、カトマンズからバクタプルまでの道はクラクションの音と排気ガスの臭いで充満し、沿道にはずっと家々が立ち並んでいた。
この34年で、ボクもネパールもずいぶんと変わったんだな。

*****

この話を家族にメールで送ると、妹が母のアルバムから昔の旅行の写真を探し出して送って来た。そこには34年前のバクタプルの寺院の写真と、お土産屋をバックにした 黒と赤のお下げ髪のはにかんだ少女と若い頃のボクの写真があった。

ボクは、自分の若い頃の写真を見るのが嫌いだ。
でももし今もバクタプルに彼女がいて、彼女に昔の写真を見せてあげることができたらきっと驚いて喜んだだろうにね。

ボクの記憶の辺りのお土産屋さんに入って行って、ここに今ではボクと同じくらいの年齢のラクシュミと言う名前のお嬢さんはいませんでしたか? そう聞いてみても良かったのかもな。


ブログランキング・にほんブログ村へ  click me!


さて住所交換した彼女とはその後どうなったかと言うと……
帰国してしばらくして手紙が来た。でもそれは彼女からじゃなくて日本語を勉強している彼女の弟からだった。彼女は自分のためではなく弟のために日本人の住所を聞き出したんだ。

ぼくも返事を出したはずなんだけど、そして何往復かは手紙のやりとりがあったんだろうけど、その後どうなっちゃったんだろう。

ふふ。あのお土産屋に居たあのオヤジが、彼女の弟だったのかもしれないぞ。