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あわてない、あわてない。赤ちゃんが「はいはい」するように、のんびりゆっくり進みましょう。

最近、タイにばっかり目が向いてしまっているようですが、
片方の目ではもちろんブラジルを追いかけてます。
どっちにしても贔屓は「南」、南極までは行きたくないけどな。
なつむぎ」です。

*****

さて、2011年最初に紹介する曲は、あぁ、もう40年も前のことになってしまったんだ。
1971年にブラジルの男性デュオ「Antonio Carlos & Jocafi」が大ヒットさせた「Você abusou」です。

タイトルは日本語で「おもちゃにしないで」とされたり、「わがままなあなた」とされたりと色々だけど、
リフレインで歌われる歌詞はこんな感じで、

♪ Você abusou, tirou partido de mim, abusou!
  Tirou partido de mim, abusou!
  Tirou partido de mim, abusou!


こんな感じに訳してみました。

♪ あなたはひど過ぎ わたしを利用したのよ ひどい
  わたしを利用したんだから ひどいわ
  もう一度言うけど ひどい


abusou の元の動詞 abusar は英語の abuse と語源は一緒で、まぁ、「濫用する」とか、「つけ込む」とか、そんな言葉だけど、ここでは「やり過ぎよ!」とか「ひどいわ!」ってな感じなのかなって思って。

ニュアンス合ってる?


日本では今ひとつ人気のない曲なんじゃないかなって気がするけれど、
素直なメロディで、案外ブラジル人はこんな曲に郷愁を感じたりするんじゃないだろか。

ボクも時々聴きかえすと、最初に聴いた時のこととかじんわりと想い出すなぁ。19歳の夏。
(最初のヒットの時じゃないからね。念のため)

*****

まずは、オリジナルの「アントニオ・カルロス&ジョカフィ」


●Antonio Carlos & Jocafi(ちょっと音が悪いところがあります)

そして、アシェーの女王「ダニエラ・メルクーリ」


●Daniela Mercury

最後に、フレンチジャズのピアニスト「Serge Delaite」
いったい彼は何人なのか、名前は何と発音するのか。とりあえず「セルジュ・デラート」


●Serge Delaite

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...で、先生。病状はどの程度悪化しているんでしょうか。

うーん、なつむぎさん。気を確かに聞いていただきたいんですけど、正直なところ、かなり悪化しています。まぁ命を失うことは無いでしょうが、命を失ったも同然になる可能性は十分あると言えます。

で、でも、先生。最初に症状が出た時には、「大丈夫。普通3ヶ月もすると、自然と治癒するものですよ」って言ってたじゃありませんか。もう半年以上も経つのに、どんどん悪化するってどうしてなんでしょう?

なつむぎさん。
あなた、いままで感染したことがあまり無かったんじゃないですか? 恋に対する免疫が、普通の人の半分もない。これでは自然治癒は無理です。もっと早くその事を伝えておいてくれていたら、それなりの対処方法もあったんですよ。


だ、だって、そんなこと何も聞いてくれなかったじゃありませんか。

こまった患者さんだ。ここは恋愛外来ですよ。ここに来る際には、自分の既往症について説明をするようにと案内がありませんでした?
それに、普通なつむぎさん位の年齢になると、たいていは何回か、人によっては何十回か、感染と自然治癒を繰り返していて、もうすっかり免疫が出来ているものなんです。それは私の不注意もあったとは思いますが、あなたの場合はかなりのレアケースだと言ってもいい。学会で発表したいくらいです。


いったいどうすれば、治るんでしょう...

あなたみたいな症状をね、早期高齢者自己喪失型免疫不全症候群と言いましてね。自分は何に恋しているのか分からないまま、恋をしているのと同じ症状に冒されるというものなんです。この病気で確かに言えることは、どうなったら治ったと言えるか、それが分からないことなんです。

若年性の恋でしたら、徐々に症状が薄れて来て、その内に罹患したことすら忘れてしまう。それをもって治癒した、解決したと普通は言うわけですが、なつむぎさんくらいの年齢の場合、忘れることなく解決しようとしてしまう。いわば恋に対して、ブレーキを踏みながら、アクセルも踏んでる様なものです。忘れるという解決策を最初から放棄している。本質的な治癒はかなり難しい。


*****

みなさん、こんにちは。わたしは、なつむぎの妖精です。

一度、みなさんにご挨拶しましたけど、もう忘れちゃいました? ●ここ

今回はしくじっちゃったみたい、わたし。
今までは、なつむぎが変な病気にかからないようにって、そればかりに一生懸命で、近づく女性や時には男性を注意深く遠ざけて来たんですよ。えぇ、それは上手くやってました。
でもまさか、それが理由で免疫が付かなかっただなんて...

可愛そうに、なつむぎはもう今回の恋から抜け出せないかもしれない。
わたしには、もう守ってあげきれないかもしれない。
たぶん、いいえきっと、今回なつむぎが恋してしまったのは、人間じゃないんです。もちろん、わたしと同じような妖精でもない。ある意味、一番タチの悪い魔物だって言ってもいいと思うわ。

なつむぎが恋してるのは、なんて言うのかしら「あるべき自分」みたいなものかしら。わたしは妖精だから、良くわからない。妖精仲間に聞いても、そんなものに恋するのなんて人間だけだし、しかも普通は青年の一時期だけだって言ってたわ。それも、普通ほとんど悪化しない内に治っちゃうんですって。そんなものに恋をするより、生身の人間に恋をしていた方が、ずっとドキドキするし、日々の雑事に追われている内に、症状があったことすら遠い目をしないと思い出せないくらいになっちゃうんだって。

でも、ごく稀に人生の後半に、真面目な目で思い出す人間がいるらしい。そうなったら、妖精の力だけではどうにもならないんですって...
いったい、なつむぎはこれからどうなるのかしら。わたしに守っていってあげることができるのかしら。


*****

はいっ!元気です。

皆さん、あけましておめでとうございます。
もう、酸いも甘いも噛み分けていたつもりだった「なつむぎ」です。

ボクに自覚症状はあります。もちろんね。それは、このブログを始めた時からね。
でもそれが、「自分が生きてこなかったもう一人のボク」、「自分が本当に生きたいと思っていたもう一人のボク」に対する恋だったとはなぁ。

「放浪の詩人」と言うのは、実現してないけれどそうありたい、そういう自分の事でした。

去年までは、まぁ狭い限定された世界でだけれど、社会的には定住したまま、魂は漂流していた。
今年からは、身体は放浪していても心は確かなところにしっかりと根を張って生きたいと思ってます。

みなさん、今年もよろしくお願いします。

なつむぎ



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そうだな。少なく見積もって50年。


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日本に冬が来るように、南国タイにも冬が来る。

気温は34度なのに「今日は寒いです~」というベッドメークのお姉さんに、
今はバンコクも「冬」なのだと教えてもらいました。

「え? 冬ってのは、寒い季節だってことでしょ?」

「そうよ。寒いでしょ。昨日の夕方からずっと」

確かに、前日の夕方にこの時期には珍しく霧雨が降ったりして、
今朝は陽射しこそ強いものの、時々吹く風が肌に心地よかったりもしたな。

そんな1日、ボクの6泊9日のバンコクの旅で1日だけオフの日を作りました。

2年前、東京でタイ語の個人レッスンを受けていたM先生を、
バンコクで久しぶりに食事でもしませんかとメールで誘ったところ、
今や大学の先生になっている彼女が、ちょうど学生が試験の最中で1日休みがとれる日があるから、
レンタカーを借りで郊外を案内してあげますよ。ということになったのね。

そんなこんなで、バンコクの「冬」の1日、
M先生「母娘」との1日観光ということになりました。

はい。
親娘というのは、2人でだったはずのバンコク郊外ドライブにお母さんが付いて来たってことです。

M先生ってのは、ボクより20歳以上年下の嫁入り前のお嬢さんだからな。
きっとお母さんは心配だったんだろうね。

国籍不明感のただよう、口ひげのある、あやしい東洋人中年男。
物腰と形(なり)は紳士的なのがやはりどこか詐欺師的であるし...


でもさ、風体の怪しさはボクだけじゃなくて、
ボクら3人が一緒に居ることで「相乗効果」が生じたみたいだったんだ。

*****

と言うのは、彼女ら母娘はタイでは少数派のムスリムで、スカーフで髪の毛を覆っているから一見してそれと分かるのね。
で、ボクの方はと言えば、タイ人には滅多に居ない口ひげを生やした東洋人。それに、腹の回りに爆弾でも巻き付けてるみたいな体型。

ふん!失敬な。世界的飢餓が襲ってきたときのために蓄えなのにな。

レンタカー屋の兄さんが間違って渡したナビゲーターは、日本語はもちろんタイ語も話さないし、もっぱら英語で Keep right. Turn right. ばかりを繰り返す。言うこと聞いてたら、ぐるっとバンコクを一周しちゃうよ、なんていいながらあれやこれや道に迷ってる内に、

あの3人はイスラムゲリラで自爆テロを企んでるに違いない。

ってきっと疑われたんだろうな。目的地に着く前に警官に止められて10分くらい尋問をされたりした。運転しているM先生は、IDカードやら運転免許書を警察官に提示して、なにやら一生懸命説明している。

ボクが聞き取れるのは... う~ん、5%位なんだけど、
後ろに乗ってるのはわたしの母で、助手席の(ちょっと渋めのいい)男は、日本人の友達でタイに遊びに来たから、観光に連れてってあげてるのよ。
腹の回りには何も巻き付けてはいないわ。あれは、ビールばっかり飲んでるから(じゃなくて、言ってみれば教養が溜まってるのね)。

ってな感じ。まぁ、カッコの中は、想像で補ってますけど。

*****

そんなこんなのトラブルに遭いながらも向かった先は...

1 メー・クローンの市場

ここには、一度は行ってみたかった。たぶん「世界の車窓」からで見たことがあると思うんだ。
鉄道の線路の上が市場になっていて、普段はそこが線路上だなんて気付かない。
で、列車がやってくる時だけパタパタとあわてて、日よけのテントや商品を片付けるんだよね。

テントを慌ててたたむ様子から、タラート・ロム・フップ(ตลาดร่มหุบ)=「傘をたたむ市場」って呼ばれてるらしいんだけど、まさにそんな感じだった。

メー・クローンの街に着いて駐車場に車を入れたのが8時半。
1時間に1本ほどの列車が来るのがちょうど8時半だけど、いつも少し遅れるから今から市場に行くとちょうどいいよ、と屋台のおばさんに教えてもらい歩きだそうとすると、M先生のお母さんが突然直立不動で動かなくなった。

ん?どしたかな?金縛りかな?って思って聞いてみたら、近くの小学校で小学生がタイの国家を歌っているんだそうだ。たぶん朝礼かなにかがあったんだね。
タイの国歌が流れる時は、みな立ち止まって敬意を表すのです。それがしきたりです。
これは本の知識だけで知っていたけど、朝夕のバンコクの駅なんかでは、だれも立ち止まりはしてなかったから、なんとなく忘れてた。

そんなこんなで、ちょうど市場に着いた時、まさにテントは仕舞われようとしていて、あっと言う間に列車が来たのね。

↓ だからこれは、あわてて撮ったコンパクトデジカメでの動画です。画像が悪くて、ごめんちゃい。


ほんと、今まで商品が置かれて人が歩いていた線路の上を、列車が走ってくるのはエキサイティングだったな。

2 バーンクン寺

メー・クローンの市場から、車で10分くらいのところにあるお寺なんだけど、
400年ほど前に建てられた寺院が、200年ほど前にミャンマーに攻め込まれて以来、放置されたままになっていたらしい。

そのため、寺院がすっかり南国の木に包まれてしまって、まるで木の中に仏様が祀られているような状態になっちゃっているのね。

↓ これが入り口。まるで老木の「うろ」みたいでしょ。
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↓ で、中にはちゃんと仏様が祀ってある。
///   H A I H A I S M   ///-バーンクン寺

3 その他

M先生は大サービスでね。
今日は1日オフだから、いろんなところに連れて行ってあげるわよ。
さぁ、どこに行きたいの? どこに行きたいの? と聞いてくれるワケです。

だから、いろんなところに行ったよ。

3a 土日しか開いていないので閑散としていた「アムパワー水上マーケット」
   開いていると、昔はバンコクの水路の至る所で見られた船のお店や、船の屋台や、そんなものを
   楽しめるところです。

3b 土日しか観光客が来ないのでほとんどの店が閉まっていて閑散としてる「コ・クレット」
   コ・クレット(クレット島)というのはチャオプラヤ川に浮かぶ島で、素焼きの焼き物の産地。
   船着き場から長く続く狭い道にたくさんのお店が並び、店が開いてたら賑やかなんだろうな。

アムパワー水上マーケットの近くには、ラーマ2世(現在の王様はラーマ9世)の生家が復元されていたりして、客がほとんどいない平日にノンビリと散策するにはよかった。

コ・クレットでは、川の上に張り出して作った家のバルコニー(当然、下は川)をカフェ(という程おしゃれなものではないけど、ムードはある)に入って、しばらく休憩。
陽が少し傾き、チャオプラヤ河の河面を涼しい風が渡り、対岸には大きな金色の仏像がこちらを向いて微笑んでいたりして、あぁ、タイに居るんだな、と実感したりしてね。

*****

他にも、あれやこれや、いろいろと見たんだけど、M先生のお母さんはその度にたくさん買い物をするのね。アムパワー水上マーケットのあたりは、ざぼん(タイ語でソムオー)の名産地らしいんだけど、それをなんと7つも買い込んでいた。直径30センチくらいあるやつをだよ。

彼女ら、レンタカーを返してから自宅まで帰らなくちゃならないのに、いったいどうやって持って帰るつもりなんだろって思って居ると、いよいよお別れの時、ざぼんを全部ボクにお土産として渡したいってお母さんが言い出した。

そ、そんな!
そんな重い物、トランクに入れたら重量超過だよ。いや、それより日本にフルーツは持って帰れるのか?
結局、丁寧にお礼をいい、ホテルで頂きますと言って1個だけもらって帰ったね。
フロントでナイフを借りたり、厚い皮をむくのはめんどくさかったけど、ビールを飲んだ後、寝る前に、2~3房食べるとなんだか口の中がさっぱりしたなぁ。

*****

汗だくで「絵」探していた他の日とは大違い。
やっぱり、休日って良いな~

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今日はすっかり、観光客の旅行記でした。いつも読んでくれてありがとね。

さて、ボクの今年のブログ更新はこれで最後です。みなさん、1年間お世話になりました。
また来年も、よろしくお願いいたします。

では、良いお年を。
 A Happy New Year.
  Feliz Año Nuevo.
   สวัสดีปีใหม่
 Lesson 1
 ケン :ハロー、メリー。
 メリー:ハロー、ケン。
 ケン :メリーさん。それはビキニですか?
 メリー:いいえ、これはビキニではありません。これは下着です。
 ケン :オー! それは下着です。どうして、下着で踊るのですか?
 メリー:なぜなら、ここはパッポンのゴーゴーバーだからです。

*****

ボクがバンコクでいつも泊まるホテルから、駅で1つ、歩くと10分くらいのところに、
パッポン通りという名前の通りがある。
東南アジア随一の「歓楽街」パッポン通りは、ベトナム戦争に咲いた「あだ花」だと言えるかな。

新宿の歌舞伎町を10倍濃縮したような猥雑さと活力にあふれた通りで、
夜になると通り全体がお土産屋の屋台で埋め尽くされ、
通りの両側には、ゴーゴーバーが建ち並んでいるって所です。

ゴーゴーバーってのは、
思わず、照れ隠しに英語の教科書の第1課みたいな感じの文で紹介したくなる感じのお店で、
まぁ何と言うか、激しい音楽に合わせて、女の子だったり女の子の形をした男の子達が、
水着というより下着姿で、舞台の上で踊ってる店なんだな。

ボクも上手に説明できる程、詳しいわけじゃないんだよ。 (きっぱり!)
入ったことはないんだからさ。 (はっきり!きっぱり!)

でもこういった店が、堂々と「扉を開けて」営業しているから、
中の様子が分かっちゃうってワケです。


さてボクは、バンコクに行くと時々この道を通る。
えぇ、もちろんゴーゴーバーに行くわけじゃなくて、 (きっぱり!)
通りからチラッと中を覗くのが楽しいわけじゃなくて、 (はっきり!きっぱり!)

ティファニーの箱に入ったブルガリの指輪なんかを売っている土産物屋をからかいながら、
有馬温泉」に行くためなんだよね。

*****

このパッポン通り近くを歩いていると、
「エロDVD」「エロDVD」
って、呼びかけられることが多くてね。

背中に「Call me "エロDVD"」って書いた紙でも貼り付けられたかな?
なんて考えている内に、 (←ウソ
やつらは、す~っとなにやら怪しい写真の写った紙を見せてくるんだよね。

う~ん。心は少年のごとく清らかでも、姿形がオヤジだとどうもこの道は歩きづらい。
この道を歩く時間帯だけでいいから、スカーレット・ヨハンソンみたいな姿になれないものだろうか。

そうすれば「エロDVD」なんて呼ばれることもないし、
いや、仮に呼びとめられたとしてもそんな物を買う必要なんてなくて、
いやもちろん、最初から買うつもりは無いんだけど、
すぐさまホテルに戻って、バスルームの鏡の前で自分の姿を眺めちゃうけどね。


と、横に行っちゃった話しを元に戻すとして、
さっき、「有馬温泉? なんだ? いかがわしい場所か?」って思った人、いるでしょ。
うん、きっといる。

ちがいますって。

ボクが、「エロDVD屋」のお兄さんや、
「シャチョ。オミヤゲ」「シャチョ。オミヤゲ」と、かなり強引な土産屋のおばさんを振り切って行く「有馬温泉」とは、
真面目なマッサージ屋さんなんだ。

足ツボマッサージ1時間、肩腰のマッサージ1時間の、合計2時間もの間、
ボクはもみほぐされちゃうワケです。
しかも日本円で1500円程度の料金で。

毎日毎日ひたすら街を歩き回ってたボクにとっては、ここが一番「極楽」の場所だった。

ほんと、これほんと。


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今夜はクリスマスイヴ。
ゴーゴーバーのお姉さんにも、お土産屋のおばさんにも、エロDVDのお兄さんにも、
そしてみなさんにも、サンタクロースからの素敵なプレゼントがありますように。
ボクが始めてタイ語を教わった日本人のY先生は、
「大阪の方が、タイの生活に似てるのよね~」
って、良く言っていた。

どうも、タイ人は東京より大阪での生活の方が向いているらしいし、
関西人の方が、タイ語の上達が速かったりするらしい。

そんな事を言われていたせいか、ボクもバンコクに行く度に大阪をイメージしたりしちゃうんだけど、
それはなんて言うか「生活にみなぎるバイタリティ」とでも言うのかな?

もちろん東京にだって、力強く生活する骨太の人は居るだろうし、
大阪にだって、シャイでデリケートな薄手のクリスタルガラスのような人は居るだろうけどね。
でも、大阪やバンコクのバイタリティには、やっぱりボクは圧倒される。

はい。東京のひ弱なボク。
名前は「なつむぎ」です。
どぞ、よろしく。

*****

Y先生はこんなことも言っていた。
タイ語で「~でしょ?」って言う意味の「~チャイマイ?」って言い回しも、
関西弁の「ちゃいまっか?」に似てる、チャイマイ?

それもそうだし、タイ語には中国語と同じように「声調(1つの音節の中の音の高低)」があって、
これを間違えると意味が違っちゃうんだけど、関西弁には声調があるよね。
いや。ボクの耳にはそう聞こえる。東京の言葉には無いけど、関西弁にはある。
東京で「目(め)が」って言うところ、関西だと「目(めえ)が」って言ったりするじゃん。


それからタイのおばさん達の、まぁ良く話すこと。

7日間の「絵」探しの旅の内、1日だけタイ人母娘とドライブをしたんだけど、
そのお母さんが、ほんと良く話す。

ちょっとしたスキに、屋台のおばさん、お寺のお坊さん、船待ちの家族、駐車場のおじさん...
とにかく、気がつくと会話をしている。
内容は、どこから来たの? 何しに? 食事はしたの? そこのヒゲのあやしい外国人は何者?
ってな感じの、極めて日常的な内容らしいんだけどね。

コミュニケーションは、生活を生活するらしくするための大切なんだよなって、
彼女を見ながら考えたりしてた。
タイ人が生活に求めるのは「サバ-イ(気分良く)」と「サヌック(楽しく)」なんだそうでね。

気がつくと日々の生活に追われちゃって、
あぁ自分は、サバいくも、サヌックくもない生活を送っているんだって反省したりして。
生きてはいるけど、生き生きと生活をしているワケじゃないんじゃないかって、ちょっと心配したりして。

あ、この母娘とのプチ旅行記は、またいずれ。

*****

さて、やっと本題。
タイは大阪だ」説だけど、今回、その正しさを確信したよ。
少なくとも、バンコクは東京じゃない。

その証拠が、これ↓

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これ、バンコクのBTS(高架鉄道)のチケットなんだけど、
表面に、電車に乗るときの注意事項が印刷されているんだ。
「扉に寄りかかると危ない」とか、「電車とホームの間の隙間に注意しろ」とか。

で、この写真のチケットには、エスカレーターで下ろうとしている人物が正面から描かれていて...
って、思ったワケですよ。ボク的にはね。かれは左手で手摺りを持っていると。

でもよく見ると、ちゃんと英語でも書いてあるではありませんか。

Please stand to the right.

そうなんだ。
やっぱりタイは大阪だったんだって、確信した次第です。


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