「キミ、日本の学生でしょ。安いホテルを探しているんでしょ。 僕の泊ってるホテルの近くに、日本の学生が多い安い宿があるよ」 そう声をかけられたのは、ブルゴスから乗った急行列車がチャマルティン駅に到着して、ボクがホームに降り立ってしばらくした頃、市内に行く地下鉄への乗り換えを急ごうか、それとも駅のバルで少しの間考えをまとめてからにしようかと立ち止まって考えている時だった。
普段なら、相手が日本人であっても海外の街で声をかけてくる人は信用しないことにしているんだけどね。
東京のとある大学で助手をしているという彼の言葉と、彼の実直な風貌と人恋しそうな表情と、
なによりも街の中心部までタクシーに同乗させてくれるという彼の提案に魅力を感じて、
ボクは中心部の目抜き通り「グラン・ビア」の裏手の安宿にしばらくの間滞在することになった。
あの...これバンコクの話じゃないです。もうかれこれ30年近く前のマドリッドでの話なんだな。
連れていかれた宿はアマデオ(Amadeo)という名のペンション(西語で Hostal)で、ちょっと神経質なアデラばあさんとその娘が、日本人だけを泊めている宿だった。
ヨーロッパの中では物価の安いマドリッドのその安宿には、アフリカや、インドや、東南アジアから流れ着いた旅行者やら、どこから来たのか、どこへ行くのかも分からない長く住み着いてしまってる人や、そんな日本人でいつも賑わっていた。
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ボクがマドリッドに暮らしていたちょうどその頃、バンコクの中華街(ヤオワラート)の一角に、
「楽宮大旅社」という名の、タイ語では「ローンレーム・サンティパープ(
โรงแรม สันติภาพ )」という宿があるという事を知ったのは、スペインから帰国してしばらく経ってからだ。
ローンレームは「ホテル」、サンティパープとは「平和」の事。その宿が面している通りが「サンティパープ通り」だから、漢字の名称が「楽宮大旅社」だってワケ。
↑タノン・サンティパープ(サンティパープ通り)
「楽宮大旅社」は、谷恒生の小説「バンコク楽宮ホテル(1981年)」で有名になった宿で、いろんな国を渡り歩いた様々な素性の日本人と、タイの農村生まれや難民の娼婦たちが暮らす、南国らしい熱気と怠惰と生活の腐敗臭のたちこめた安宿として描かれている。
そこに住み着いた日本人達は、怠惰な生活の中で酒を飲み、麻薬を吸い、女を買って暮らしている。そういう人物たちのちょっとした冒険譚だったと思う。
ボクがマドリッドに暮らしていたのは1982年。その小説が世に出て1年後だったのだけれど、東南アジアから流れてきた日本人長期旅行者の間でまるで伝説の様に語られていたいろんなエピソードが、その小説の中に書かれていることを後で知った。彼らは「バンコク楽宮ホテル」の登場人物と自分とを、重ね合わせてたのかもしれないね。
そういうエピソードを半ば自慢げに話す彼らには、小説に描かれていた日本人達と同じようにどことなく「退廃」の臭いが染み付いていたものだから、「自分は長い間旅を続けても、こういう風な臭いを人に感じさせるようにはなりたくない」ボクはそう思ったものだ。
もちろん、オスタル・アマデオに娼婦は住んで居なかったし、健康的な女性旅行者たちも宿泊していたし、楽宮大旅社ほどの退廃感はなかったとは思うけれど、それでもボクは多少、彼らに影響されたんだろうと思う。
1週間ほどアマデオに滞在した後、マドリッドの街で日本人学生数人と出会ったことがある。
大学でスペイン語を専攻して1年目で、休みを利用してスペイン旅行に来ている彼らは、年上のボクのことをスペイン語の勉強のためにマドリッドに来ている留学生だと勘違いしたらしい。
ボクは、どういうワケかどの街に行っても、その街に長い人間の様に思われるんだよね。
街を歩く前に地図を何度も読み、すっかり頭に入ってから、あたかも慣れた街を歩くようにスタスタと歩くからだと思う。
彼らは土産屋の店員と上手くコミュニケーションがとれずにいて、ボクに助けを求めて来た。でも実際のボクは、マドリッドに出てきたその日に本屋でスペイン語の入門書を買ったばかりだからさ。ボクのスペイン語力じゃぁ助けにならない。
ボクがスペイン語を満足に話せないことを知った時の彼らの目の中に、ボクは軽蔑の感情を見たっけ。
「この男は、怠惰に、ズルズルと、目的を見失ってスペイン暮らしをしているだけだ」 って、そう判断した目だった。
ボクはその時、自分にも怠惰な外こもり日本人の臭いがし始めているんだって気がついた。そしてその直後ボクは宿を替え、日本人の居ない下宿屋に移ることにした。
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今回バンコクで、その後の楽宮大旅社を見に行こうと思ったんだよ。マドリッドに暮らしているころのボクにつながる「臭い」が、そこにはあるのだろうかと思って。
↑かつての楽宮大旅社
↑現在の楽宮大旅社
中華街の外れ、タイ国鉄のフアランポーン駅近くにある楽宮大旅社は、既に営業を終えていた。今では昔の看板の痕跡だけが、古い建物に残っていた。そして、日本の貧乏旅行者が良く食べたと言う階下の食堂だけがまだ営業していて、食堂の女主人が楽宮大旅社をのぞき込む日本人のボクの事をじっと見てたっけ。
ボクは経験したことの無い30年前のバンコクの外こもりの拠点は、自分の若いころを思い出すのに十分だったなぁ。ボクが嫌っていた外こもり日本人の「退廃」の臭いも、今ではそう嫌悪感を感じないかもしれない。
いや、これから自分がしたいことだってことではなくて、そういう生活もあるんだろうなって。
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