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あわてない、あわてない。赤ちゃんが「はいはい」するように、のんびりゆっくり進みましょう。

お父さん似?お母さん似? ブログネタ:お父さん似?お母さん似? 参加中

子供のころ、というより社会人になって働き始めるころまでずっとだけど、
自分は、父にも母にも似ていないって思ってた。

本当の父母じゃないんだって、悩んでいたとかじゃないんだよ。

そりゃ、顔や身体のパーツや、ちょっとしたクセや性格やらは、どっちかから受け継いだものもあるだろうけど、
たまに見かける、双子かと思うほど似ている母娘とか、そんな風にどちらか一方には似ていないってね。

だから、友人のS君の家に遊びに行ってお父さんを見たときには、本当に腰を抜かしそうになったよ。
まるで特殊メークで30歳ふけさせたS君が「なつむぎ君、いらっしゃい」って出迎えてくれたからね。

顔立ちも背格好も同じなら、会話の端々にちょっとした「嫌味」があるのも一緒でさ。

彼らの家族は、東京ではお金持ちが屋敷を構える街として有名なD市に引っ越したばっかりで、
ボクはその新築祝いに訪れたワケなんだけど、
部屋着でくつろいだS君パパは、

いやぁ、なつむぎ君。この街も住んでみると悪くないね。前に住んでいたところより遠くになっちゃうからちょっと迷ったんだけど。で、なつむぎ君は、どこに住んでるの?

すみません。同じ東京都でも都下の方なんで。ずっとずっと、都心からは遠いんで。

って心で呟いた。

別に、S君父子の悪口を言いたいワケじゃないんだよ。

悪いところも似ちゃうってなると、あまり親の片方とそっくりってのは、やだな。

そう思ったってこと。

*****

さて、そんなボクだけど、
だんだんとオジサンになるにつれて、やっぱり父に似てるんだなって思うところがあって、

たとえば、
ご機嫌のいい時は母ににてるけど、不機嫌になり方が父そっくりだとか、
つねに時間を前倒しに考えちゃって、余裕、余裕をみるから、目的地に1時間前に着いちゃったりだとか。
だんだんと、食べ物の嗜好が似て来たりだとか。

他人に指摘してもらえば、父と共通する「望ましくない」点がきっと、もっと、たくさん見つかるはずだよ。
いやぁ、恐ろしい。


そりゃ似てない点もある。
彼は、酒はNG。ボクは酒飲み、母譲り。夕べも小さなカニのから揚げを食べながら、ひたすらビールを飲んだ。

$///   H A I H A I S M   ///-fried bay crabs

そして彼はお金を稼ぐのが得意。ボクは不得意、専門外。


なぜ、似るべきところが、似ない!


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今日は、メキシコ第2の国歌とも言われる「シエリート・リンド」です。

あまりに有名な曲だから、ラテンをあまり聴かない人でもきっと知ってるよね。
ボクも子供のころから知っていた。
ただ、ちょっと歌詞を間違えて覚えていたけど。

コーラスの部分なんだけれど、ボクは、

アーイアイアイアイ おさ~るさーんだよ~」って覚えてたんだ。

ウソです。冗談ですよ。本当は、

アーイアイアイアイ しゃーんはーいのよぉるー」って覚えてた。

なぜ「上海の夜」だったのかは分からないんだけど、
その後、この間違いが修正されることはなかったから、
幼稚園児の時からかなり成長するまで、ずーっとそう思い込んでいて、
「そこだけ日本語なのはなぜ?」なんて疑問は、特に感じなかったんだよね。

それが間違いだって分かったのは、
初めてマドリッドに行って、プラサ・マジョール付近のメソン(居酒屋)で飲んで、
ラテンアメリカの学生たちに無理やりコーラスに参加させられた時のこと。

「ん? いったいお前、何て歌ってるの? 日本語の歌詞かい?」

「そうだよ。una noche de ShangHai(上海の夜)って意味だけど」

「おい、おい。やめてくれよ。この歌は中国の歌じゃないんだぜ」

あ、そう言えばそうだな。なんで「上海の夜」って覚えていたんだろう、って気付いた感じ。

*****

歌詞はこんなだよ(ちょっと意訳)。

♪ De la sierra morena,
  cielito lindo, vienen bajando
  Un par de ojitos negros,
  cielito lindo, de contrabando.

  [CORO]
  ¡Ay! ¡ay! ¡ay! ¡ay!, ¡canta y no llores!
  Porque cantando se alegran,
  cielito lindo, los corazones.


♪ 結い上げた黒い髪
  なんてすばらしいんだろう その下には
  2つの黒い瞳
  愛すべき 内緒の美しさ

  (コーラス)
  アーイアイアイアイ 歌ってよ 泣かないで
  だって歌えば 心が躍る
  素敵だな 楽しくなる


ボクが「しゃーんはーいのよぉるー」って歌ってた部分は、「カーンタイノジョーレス」だった。

*****

さてさて、この曲はマリアッチで歌われることが多いから、

↓こんな感じ

●Trío Los Panchos

当然メキシコの歌なんだろうって思っていたんだけど、
ウィキペディアのスペイン語版を読んでいたら、こんな記述にぶつかった。

Se trata de una canción tradicional de México, escrita en 1882 por el compositor mexicano Quirino Mendoza y Cortés,aunque algunos alegan que el verdadero origen de la canción pueda ser cubana o española.

1882年にメキシコ人作曲家、キリノ・メンドーサ・イ・コルテスによって書かれたメキシコの伝統的な歌とされているが、本当はキューバあるいはスペインの歌が元であるとする者もいる。

本家争いがあるくらい、愛されてる歌だってことなんだろうね。

今日は、ちょっと毛色の変わった「シエリート・リンド」を……。


●Mina Mazzini


●Los Lobos


●Chingon


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足の指、開ける? ブログネタ:足の指、開ける? 参加中


ん? 足の指が開けるか、ですか? うは。無理無理。

意志と、口と、頭と、身体は、硬いです。なつむぎ」です。

9日間ブログは更新しないって決めてたんだからね。
絶対に、本当だからっ!

*****

女房や息子や娘は、自分の意思で足の指をグワグワと広げられるのに、
ボクのは、どんなにいきんでもピクリともしないんだな。
筋肉がついてないんだろか? それとも脳の指令が行かないのだろか? って心配になるよ。


小学校の時だって、前屈で胸が床にぴったりくっついちゃう軟体女子の次にボクがやってみると、
なんと顔をひざにつけることもできない。
他の指の間とおんなじで、右足の親指と左足の親指の間も、あんまり開かないしね。
あ、これ。シモネタじゃないから。


妹は耳をぴくぴくと前後に動かすことができるのに、ボクは顔のどこに力を入れていいのかわからない。
無理して動かそうとあれこれ顔の筋肉を動かしていると、悪い人相にあくどい表情が加わって、まわりの子供達に泣かれちゃったりしてさ。

****

ある時、
足の指をリラックスさせると、身体の血の巡りがよくなるのよ」って女房に言われて、
冷え性も治るし、頭皮の血行もよくなるんじゃないかしら」って。
で、自宅にいるときに足指パッドをしていたことがある。
頭皮の血行についてはどうでもいいんだけど。

↓こんなやつ
$///   H A I H A I S M   ///-足指パッド

ところがさぁ。なんか、いきなり足の指にはめるとかなり痛いんだよ。
なんていうのか、鼻の穴に無理やり碁石を押し込まれちゃうような感じ?

それなら、風呂に入って少し指を柔らかくしてからはめればいいよってことで、
風呂に入って、足の指をしっかり暖めて、風呂上りにおもむろにはめたのね。

上手く装着できたね。
まだ痛さもあるけれど、「これで、冷え性も、頭皮の血行もよくなるのかぁ」なんて、達成感もあったりしてね。
くどいようだけど、頭皮の血行については本当はどうでもいいんだけど。


で、しばらくしてたら、なんか足の指の間が痛い。
パッドと足指の皮膚がこすれて、すりむけちゃってるじゃないかぁ。
風呂に入りすぎて、皮膚がふにゃふにゃにふやけてたんだ。

*****

で、それ以来、足の指を広げる荒行はやめることにした。

たま~に、軍足をはいたりはするくらいにした。
$///   H A I H A I S M   ///-軍足


でも、内科的な方法で、身体を柔らかくするようには心がけてるよ。
神戸牛は、肉質を柔らかくするためにビールを飲んでるって言うでしょ?

ボクは柔軟体操代わりのビールを、「毎日」欠かしません。

えぇ、意志が強いものですから。


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サワッディー・カップ(สวัสดีครับ)!

7日間のバンコク滞在で、挨拶だけは格段に上達した「なつむぎ」です。
マーケットで銀のブレスレットを買おうとして店員さんに声をかけたら、
振り返りざまに「タイ人かと思った」って言われたんだよね。

どうも、挨拶だけはタイ人並に上達したみたいです。
それ以外は、ダメダメだったけどさ。

さて、今日はバンコク放浪中の食事事情についてご報告です。

*****

ボクの泊まってたホテルは、ビジネス街って言っても良い環境にあったのね。
それでも、すぐ隣にはセブンイレブンがあって、美味しいシーフード・レストランがあって、
なによりも、屋台村って言ったらいいのかな、
いくつかの違った料理の屋台が集まっていて共通の椅子とテーブルが置いてある場所、
オシャレに言えば「フードコート」って言っても良さそうな場所がある。

このフードコートが、出退勤の時間や、昼の時間には、
食事を買ったり食べたりするたちでごった返すんだよね。人気なんだ。
ボクもたいてい朝ご飯は、そして時には昼ご飯も晩ご飯も、ここで取ってた。
だって、1食が30~40バーツ(日本円で100円前後)なんだもの。それで美味しいし。

それは、こんな感じ。

///   H A I H A I S M   ///-叉焼のせご飯
●叉焼のせご飯(甘ダレ付き)

///   H A I H A I S M   ///-汁太米麺
●太麺の汁クイティアオ(米の麺)

///   H A I H A I S M   ///-おかず(2品)ご飯
●おかず2品のせご飯


で、まえに「有馬温泉」のくだりで「パッポン通り」を紹介したけれど、 ●ここ
その隣には「タニヤ通り」って言う名前の、これまた不思議な通りがあるんだな。
通り全体が日本語の看板だらけの、現地の日本人が日本人を接待するためのクラブが集まった街。
夜になると各お店の綺麗どころ(ちょっとお世辞)が街路に出て日本語で客引きをするものだから、
一瞬「ここ、どこ?」感におそわれるんだよね。

で、その裏通りに牛丼屋を発見してしまった。
その名も「吉野家」ならぬ「牛野家」

///   H A I H A I S M   ///-牛野家
●お店

///   H A I H A I S M   ///-牛野家の牛丼
●牛丼(並盛り120バーツ≒340円:なんだ安くないぞ!)

そして、近くのビルの中には、こんな回転寿司屋さんも。
その名も「小僧寿司」ならぬ「小象寿司」

///   H A I H A I S M   ///-子象寿司

さすがタイ。
ティファニー製のブルガリの指輪があるくらいだもの、何でもある。


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「キミ、日本の学生でしょ。安いホテルを探しているんでしょ。
 僕の泊ってるホテルの近くに、日本の学生が多い安い宿があるよ」


そう声をかけられたのは、ブルゴスから乗った急行列車がチャマルティン駅に到着して、ボクがホームに降り立ってしばらくした頃、市内に行く地下鉄への乗り換えを急ごうか、それとも駅のバルで少しの間考えをまとめてからにしようかと立ち止まって考えている時だった。

普段なら、相手が日本人であっても海外の街で声をかけてくる人は信用しないことにしているんだけどね。
東京のとある大学で助手をしているという彼の言葉と、彼の実直な風貌と人恋しそうな表情と、
なによりも街の中心部までタクシーに同乗させてくれるという彼の提案に魅力を感じて、
ボクは中心部の目抜き通り「グラン・ビア」の裏手の安宿にしばらくの間滞在することになった。

あの...これバンコクの話じゃないです。もうかれこれ30年近く前のマドリッドでの話なんだな。

連れていかれた宿はアマデオ(Amadeo)という名のペンション(西語で Hostal)で、ちょっと神経質なアデラばあさんとその娘が、日本人だけを泊めている宿だった。

ヨーロッパの中では物価の安いマドリッドのその安宿には、アフリカや、インドや、東南アジアから流れ着いた旅行者やら、どこから来たのか、どこへ行くのかも分からない長く住み着いてしまってる人や、そんな日本人でいつも賑わっていた。

*****

ボクがマドリッドに暮らしていたちょうどその頃、バンコクの中華街(ヤオワラート)の一角に、
「楽宮大旅社」という名の、タイ語では「ローンレーム・サンティパープ(โรงแรม สันติภาพ)」という宿があるという事を知ったのは、スペインから帰国してしばらく経ってからだ。
ローンレームは「ホテル」、サンティパープとは「平和」の事。その宿が面している通りが「サンティパープ通り」だから、漢字の名称が「楽宮大旅社」だってワケ。


$///   H A I H A I S M   ///-サンティパープ通り
↑タノン・サンティパープ(サンティパープ通り)

「楽宮大旅社」は、谷恒生の小説「バンコク楽宮ホテル(1981年)」で有名になった宿で、いろんな国を渡り歩いた様々な素性の日本人と、タイの農村生まれや難民の娼婦たちが暮らす、南国らしい熱気と怠惰と生活の腐敗臭のたちこめた安宿として描かれている。

そこに住み着いた日本人達は、怠惰な生活の中で酒を飲み、麻薬を吸い、女を買って暮らしている。そういう人物たちのちょっとした冒険譚だったと思う。

ボクがマドリッドに暮らしていたのは1982年。その小説が世に出て1年後だったのだけれど、東南アジアから流れてきた日本人長期旅行者の間でまるで伝説の様に語られていたいろんなエピソードが、その小説の中に書かれていることを後で知った。彼らは「バンコク楽宮ホテル」の登場人物と自分とを、重ね合わせてたのかもしれないね。

そういうエピソードを半ば自慢げに話す彼らには、小説に描かれていた日本人達と同じようにどことなく「退廃」の臭いが染み付いていたものだから、「自分は長い間旅を続けても、こういう風な臭いを人に感じさせるようにはなりたくない」ボクはそう思ったものだ。

もちろん、オスタル・アマデオに娼婦は住んで居なかったし、健康的な女性旅行者たちも宿泊していたし、楽宮大旅社ほどの退廃感はなかったとは思うけれど、それでもボクは多少、彼らに影響されたんだろうと思う。


1週間ほどアマデオに滞在した後、マドリッドの街で日本人学生数人と出会ったことがある。

大学でスペイン語を専攻して1年目で、休みを利用してスペイン旅行に来ている彼らは、年上のボクのことをスペイン語の勉強のためにマドリッドに来ている留学生だと勘違いしたらしい。

ボクは、どういうワケかどの街に行っても、その街に長い人間の様に思われるんだよね。
街を歩く前に地図を何度も読み、すっかり頭に入ってから、あたかも慣れた街を歩くようにスタスタと歩くからだと思う。

彼らは土産屋の店員と上手くコミュニケーションがとれずにいて、ボクに助けを求めて来た。でも実際のボクは、マドリッドに出てきたその日に本屋でスペイン語の入門書を買ったばかりだからさ。ボクのスペイン語力じゃぁ助けにならない。


ボクがスペイン語を満足に話せないことを知った時の彼らの目の中に、ボクは軽蔑の感情を見たっけ。
「この男は、怠惰に、ズルズルと、目的を見失ってスペイン暮らしをしているだけだ」って、そう判断した目だった。

ボクはその時、自分にも怠惰な外こもり日本人の臭いがし始めているんだって気がついた。そしてその直後ボクは宿を替え、日本人の居ない下宿屋に移ることにした。

*****

今回バンコクで、その後の楽宮大旅社を見に行こうと思ったんだよ。マドリッドに暮らしているころのボクにつながる「臭い」が、そこにはあるのだろうかと思って。

$///   H A I H A I S M   ///-楽宮大旅社1
↑かつての楽宮大旅社

$///   H A I H A I S M   ///-楽宮大旅社2
↑現在の楽宮大旅社

中華街の外れ、タイ国鉄のフアランポーン駅近くにある楽宮大旅社は、既に営業を終えていた。今では昔の看板の痕跡だけが、古い建物に残っていた。そして、日本の貧乏旅行者が良く食べたと言う階下の食堂だけがまだ営業していて、食堂の女主人が楽宮大旅社をのぞき込む日本人のボクの事をじっと見てたっけ。


ボクは経験したことの無い30年前のバンコクの外こもりの拠点は、自分の若いころを思い出すのに十分だったなぁ。ボクが嫌っていた外こもり日本人の「退廃」の臭いも、今ではそう嫌悪感を感じないかもしれない。

いや、これから自分がしたいことだってことではなくて、そういう生活もあるんだろうなって。


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