ハバナの街では、もっぱら「コイバ」と呼びかけられていました。
ある時は「モン・シェリ」と呼ばれ、ある時は「ミ・アモール」と呼ばれる。みなと、みなとで別の名前。なかなか悪くないな。「なつむぎ」です。
コイパ(COHIBA)ってのは、キューバ産の高級葉巻のブランドでね。ヤツらは観光客相手に偽物の葉巻を売りつけようって魂胆なんだな。
いやぁ、その街その街に特産品があるってものです。
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スペイン語圏を旅行していて物売りなんかから声をかけられる時は、たいていは「チノ(CHINO)」
あ、さすがにスペイン本国ではそんな呼ばれかたは少なくなったかな。
これは想像の通り中国人のことね。
彼らに中国人と日本人を区別しろって方がどだい無理なんだけど、ボクだってノルウェー人とスウェーデン人を見た目で区別しろって言われてもできないし、でもついつい「ボクはハポネス(JAPONÉS)」なんだけどな、なんて訂正しちゃう。
ある時、飲み屋でイギリスから来たの?ってウェイトレスに尋ねられてたグループが、「いや、ボクらはスコットランドからです」ってムキになって訂正していたけれど、それに似てるかも。
で「チノ」の次に多いのは「こにちわ」だな。なんで「ん」の発音ができないかね。
そんな中、トリニダーでボクに「アンニョンハセヨ。キューバはウンコですか? 」って話しかけてきたヤツがいた。どうも韓国人と日本人の区別が付いてないみたい。
----- おいおい。ボクはキューバが気に入ってるよ。だから、ウンコじゃないと思うけど、いったい誰にその日本語教わったの?
----- ¿Te gusta Cuba? (キューバは好きですか?)って意味だろ?
可愛そうな客引きの彼には、ウンコの正しい意味と「キューバは気に入りましたか?」と丁寧な日本語を教えてあげたけど、レストランの客引きの彼、ちゃんと仕事になってたのだろうか……
いやむしろつい反応をしてしまう、元の呼び止め方のほうがが良かったのかもな。
いずれにしても、向こうから声をかけてくる人に付き合って得になることは滅多にない。
ほとんどが客引きなんだ。
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ハバナからバスで6時間程の世界遺産の街トリニダーの夕暮れ時のこと。
生演奏を聴かせてくれるバーが盛り上がって来るまでの間、夕日に染まって、それが徐々に青く黒く沈んでいく街並を見ながら外で涼もうと、教会の横のなだらかな階段に腰をかけていた。
しばらくすると、ボクと目を合わせるのを恥ずかしそうにしながら近づいて来て、レストランのカードをボクに示して、とてもおいしいレストランだと説明しはじめたハタチ前後の青年がいてね。
----- ごめんよ。ボクはもう食べちゃったんだよ。ここでしばらく涼んでから、音楽を聴きに行こうと思ってね。
本当は夕食はまだだったんだけど、キューバに来てからと言うもの食事の量が多くって。
その日も、朝早いバスに乗るボクのために、ホテルがでっかいサンドイッチを作ってくれていて、それを2回に分けて食べただけでもう1日分を食べおえた気分だった。
あとは、ビールの分が空いているだけ。
普通だったら客引きは、次の獲物を探しにすぐに立ち去るんだけれど、マイコと名乗る彼はそのまま立ち止まっていて、どこから来たのか、地震の影響はどうなんだ、日本人は勤勉だからすぐに立ち直るよ、などとずっとボクに話し続けていた。
ボクが少し退屈そうにすると階段の隣に座り直し、話題をスポーツに変えたり、音楽に変えたり、キューバ人の信じる神様について話したり、お茶を飲む習慣があることは健康に良いことなんだと力説したり……
----- へー。キミはお茶に詳しいんだ。
----- ボクは薬学を勉強しているんだ。いろんな文化のいろんなハーブに興味があるんだよ。あと5年は学校に通わなくちゃならないんだ。ねぇセニョール。ボクの話しは面白かったかい? ボクのことどんな風に思える?
彼の話はなかなか面白かった。
たいていの場合、何かしてくれた後にはチップを要求される。
彼が話し始めた時もすぐにチップを要求されるんだろうなって思っていたのだけれど、気がつけばもう1時間も話をしていた。
西の家々の屋根のすぐ上でオレンジ色に熱を放っていた太陽はもうすっかり沈み、涼しい風と、店からの音楽が聴こえ始めている。
----- キミの話しはとても面白かったよ。キミの勉強は社会の役に立つ仕事だよ。頑張って勉強しなよね。今日はありがとう。
そうボクが言うと、彼はまた最初の時のようにちょっと困ったような照れたような顔をして、
----- もしボクの話が面白かったなら、もう少しその…… そこのバーで話をするのはどうだろう。
ボクは「残念だけど」と申し出を断って、「ではね」と立ち去ろうとすると、
----- なにか1杯飲みたいんだ。普通だったらモヒートかなにか一緒に飲んでいたでしょ?
彼は最後になんとかしてチップが欲しいんだけど、でもどう言って良いやらわからず、もじもじとしているようだった。
----- モヒートは高いだろ?3ペソくらいするだろ? そこのバーでビールが1本1ペソだよ。これで飲めよ。
そう言って1ペソを渡した。
----- でも、ボクはモヒートが飲みたいってそう思っていたんだよ。だからさ……
----- あはは。モヒートは身体に良くないよ。ビールの方が健康に良いんだぜ? 悪いこと言わないからビールにしなよ。
----- わかった。でもビールだったら3本くらい飲みたいって思うんだ。
----- だめだよ、3本も飲んじゃ。飲み過ぎは健康に悪いよ。頭にもだよ。これからも勉強続けるんだろ?
3本どころか5本でも6本でもそれ以上でも飲んでしまうボクがこう言うのも申し訳ない気がするけどね。
彼は最後に「わかったよ。ビールごちそうさま。笑顔でボクの話を聞いてくれてありがとう」そう言って去って行った。
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彼の話は本当に面白かった。
それより、ボクを飽きさせないようにと色々と話題を変えようとするのには好感が持てた。
彼の表情には、不安と、はにかみと、照れが見え隠れした。
いいな、若いっていいな、そう思った。
学費のために、レストランの客引きのバイトをしていたのかな。
いや、薬学を勉強しているって言うのももしかしたらウソかもしれない。
どっちにしても、1時間もかけて1ペソじゃ割にあわなかっただろうな。
もっと押しが強くなくちゃだめだよな。ボクにつまらん理屈を言われて、3ペソ欲しかったのに1ペソに値切られてしまうようじゃぁ、だめだよ。
でもしかたがないさ。
知性があって、デリカシーがあるってことは、決して金にはつながらないものなのさ。
マイコ それでいいんだよ。
自分のペースでさ。

↑ サンティシマ教会脇の階段 夜になるとどこから集まった大勢の人たちであふれ、
歌ったり踊ったりの大騒ぎになる。
