みなさまこんにちは
健やかで心地よい暮らしを提案するナースセラピストにゃおです
自分史の続きです
中学の同級生になじめないでいた私は、高校は1時間離れたところに行きたいな、と思ってました。
父の仕事は建築関係だったので、工業高校で建築かインテリアを学びたいと思ってました。
が、父の死もあり、
一時は准看学校とか、定時制とか考えましたが、
中学の学年主任の先生に、奨学金があるから高校は行った方がいいと言われ
地元の高校に進学。
ほぼほぼ中学から持ち上がりのような感じなのですが、何しろ規模が違う!!
他の中学からもたくさん来る!!
(高校を中心に汽車の上りも下りも一時間以上かけて通ってる子や、
交通の便が悪すぎて高校生ながら下宿する子もいたくらい幅広い範囲から来る)
中学は3クラスでしたが、
高校は普通科3クラス、商業科2クラス、経理科、事務科、情報処理科と計8クラスもあり、
他の中学からたくさん来るのです!!
何故か中学では一学年違うだけで犬猿の仲なのに、高校はいるとそうでも無くなる
姉の友達はとても私に良くしてくださいました
私自身、クラス委員したり、
誘われてバンド活動したり
この頃はバンドブームもあってイカ天って番組もあったほど
楽に自分でいれる場所があって楽しかった
ほんと友人や周りのおかげだったんだな、と今つくづく思う。
もちろん細かいこと見ると楽しくないことも、辛いことも、きついこともありました。
部活も陸上入ったけど(チームプレイ向いてないって思って)
成績残すほど真面目に取り組めなかったし、嫌な思いもたくさんした。
それでも総じて楽しかったし、
悩みなんてなさそうだよね
って言われるのがすごく嬉しかった
学校に内緒でバイトしたりね
(余談だけど、学校から公認で、やらないか?と言われるバイトもあって
それは、、、野菜の仕分け!!特にトマトの時期!!田舎ならではですな)
高校までは共学でしたが
その後進んだ看護学校はその頃まだ男性は殆どおらず、うちの学校も女子校でした。
女の世界、、、といろいろ言われる場所ですが、
めっちゃ楽しかった
いや、もちろん、キツかったですよ、授業自体は。
机上の学習も、チンプンカンプンなことも多いし、
60点以上取らないと、お金を払って再試験うけなきゃいけないから
必死で勉強した。
実習に出れば看護師のいびりかのようなキツイ人もいたし、
緊張の連続。
前日に予習して、当日の朝の申し送り時に受け持ち患者さんの何をやるか、を発表するのに
目的は?根拠は?その病気の病態は?とか突っ込まれたり
実習後にはその日のノートをまとめてって必死。
現場が忙しいと学生だけで出来そうな処置とかはそのまま任されるし
まあでも実際、現場に出て働くようになると、
学生指導って二度手間でしかないから、忙しい現場でそれをやるって相当大変やったろうな
それでもみんな同じ釜の飯を食うじゃないけど、
同じようにつらいこと(実習や国試)を乗り越えてきたので、結構仲間意識が強かった。
ちなみに私は地元の学校に行ったので、
そこは実は母の職場(医療事務)で、母のことを知ってるベテラン勢には逐一報告され
やりづらいったらありゃしなく
もともと外に出たい!って願望もあったので、就職は他に行くと決め、
奨学金は受けず、
禁止されてるバイトを何食わぬ顔でしてました。
禁止されてるのに、町で有名な喫茶店とかでバイトさせてもらってたから、
実習先の看護師さんとか、学校の教務とかにバレてたけど、
暗黙の了解から公認になったのか、その後も歴代の看護学生がバイトしていたっぽい。
(因みに公認で勧められたバイトもあって、それは
ホテルや旅館のベットメイキング!!
学校の公認ではないけれど、裏では割のいいバイトとして宴会コンパニオンとかもありました。
温泉観光地ならではです。)
地元の公立の学校に行った一番の理由は【学費が安い!】
年間2~30万くらいだったと記憶しています。(今は上がってるかもしれません)
だから、学費は全部バイトで賄いました。
相変わらずバンドもやってて(高校の時はベースだったけど、ドラムやりたくてドラムに転向した)
学祭でも演奏させてもらえたり
かなり充実した生活でした
【学生時代の私も含めて】
私もかなりの閉塞感を感じていました。
表面上何ともないふりしながらも、消えてなくなりたいと思っていた。
いじめというか無視のようなこともされてたこともあったし、
理不尽な思いをしたこともあります。
けれど世界は広い。
広いと知ってもなかなか出られないかもしれません。
私はバスや汽車は通ってるところに住んでいたけどそれでも遠く感じました。
少し都会に出るだけでも1時間はかかるし、ちゃんと都会に出ようと思えば2時間かかる
移動のためのお金もかかる、だから動けない、
そんな風にも感じてました。
けど世界は広いのです。
でも出来ればオンラインだけで仲良くなって、会う時はいきなり二人で、というのではなく、
趣味のコミュニティとかでみんなで、複数でオンラインで仲良くなって、
その後もみんなで複数で大勢で会う、というのを勧めます。
大勢いてもその中で話しかけやすそうな人とか少しずつ広げる。
危険を冒す行動をしてもいいけれど、全部の責任は自分にあります。
単なる好奇心だけではなく、きちんと警戒心も持って、
何かおかしい、と感じたら逃げる、誰かに相談する、が必ず大事かな、と思います。
私の父は今から思えば【鬱病】だったのだと思います。
でも今から36年前なんて【鬱病】なんて殆ど知られてもいなかった。
精神疾患は異常なものとみなされることが多かった時代です。
父が鬱病になってしまったのは朝から晩まで働いていて、圧倒的に睡眠時間が足りて無かった。
だから居眠り単独事故も起こしてしまったし、怪我もして
崖から転落して、鎖骨骨折だけで済んだのって(擦り傷切り傷ありましたが)凄いよね。
本当はそこで、ちゃんと仕事と自分と向き合うことが出来ていれば、
父はもしかしたらもう少し長生き出来たかもしれない。
見つめなおすきっかけだったのに、それをしないで、
がんばり続けるのが周りのためだと思って頑張り続けて糸が切れてしまった。
男の人は特に、大切な人の前で弱みをさらけ出すというのはやりにくいだろうけど
そして忙しければ忙しいほどコミュニケーションも取れなくなってしまうのだけど
いきなりいなくなられると、やっぱり後悔は残るから、
普段からちゃんと大切なことは話し合わなくてはいけないな、と思う。
(私も自分に言い聞かせています。)
本日も最後までお読みいただきありがとうございます