幸せだった幼少期 自分史① | ハッピーライフクリエイター ナースセラピストにゃおこのブログ

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みなさまこんにちはニコニコ

 

健やかで心地よい暮らしを提案するナースセラピストにゃおですニコニコ

 

 

ここ最近立て続けで起きてる色んな出来事、

 

その中で私の本当を見つけるべく

 

今までの人生の振り返りをしようと思います◎

 

(2021/09/10追記あり)

 

 

 

幸せな幼少期

 

3人兄弟の末っ子として生まれる。

 

両親、学年5つ差の兄と年子の姉

 


(兄が真ん中だから兄の誕生日かな~。向かって左が私です)

 

父親は小さいながらも会社を経営し、

母親はフルタイムで働きつつも家のことも抜かりなくやっていたように思う。

 

父親の仲の良い家族ぐるみでの旅行に行ったりもしたし、

家族だけの旅行も毎年行っていたように思う。

 

私の中での想い出は

九州だと思うんだけど、フェリーで遊んでいて

何かに引っかかってジャンバースカートを破ってしまったことチーン

このスカート、親戚の伯母さんが姉とおそろいで作ってくれたのにね。

(ほかにも楽しいこととか一杯あったはずなのに、これが一番印象的だなんてね。)

 

 

家は小さくて古い家だったけど、

 

水屋があって、池があって、

水は山水で、

家庭菜園が出来る畑があって、

茶畑があって、

梅の木や、柿の木があって、

木に登ったり、屋根に上ったりして遊んでた。

 

その頃は雪もちゃんと積もってたから、

冬は雪ダルマ作ったり、多く降れば鎌倉作ったり、

ソリやミニスキーしたり。

 

活発な姉とは対照的に、

あんまり大勢で遊ぶのは得意じゃなくて、

 

というか、

大勢の中でも割とマイペース。。。ってここは今と変わらないな笑い泣き

 

大好きだった幼馴染の、かよちゃん。

かよちゃんちは昔ながらの大きな家で、おばあちゃんもひいおばあちゃんもいて、

このばあちゃんたちが働き者で、お風呂も薪で沸かしてたりしてた。

 

かよちゃんと遊ぶときはたいてい、

塗り絵とかままごととか、漫画読んでるうちに寝ちゃったりとか、今でいうインドアな遊びで、

そんなかよちゃんが小学2年生のころに引っ越してしまって

寂しかったな。

他にも幼馴染いたし、小学校だと交友範囲も保育園より多少広がるから

それなりに楽しくやってたけど

 

今思うと悲しかったんだな~。

 

 

姉とは年子だったので

無意識に比べられることがあったのだろうけど、

この頃はそんなに氣にするようなことも特に無かった。

 

(もともとの家の前で。

水屋の前に池があった。

1年生の遠足の日の写真っぽい)

 

 

幸せだったはずなのに

 

小学校4年生の時、

家を建て直すことになった。

 

嬉しかった。

けどただ広くなるだけと単純に思ってたけど、

住んでた家より広くするには

 

畑をつぶしたり、

池をつぶしたり、

家につながっていた水屋もつぶしたり、

(水屋は新しい家でも家の裏にできたけどなんとなく無機質なものになってしまったし、

平成のなんちゃらで、色々整備されて水道水を通すことになった時に、山水があまり来なくなってしまったので今は殆ど使っていない。)

 

 

バブル前のおかしな時期だったからか、

うちだけじゃないけど、この頃は父親は朝から晩まで働いててほとんど家にいなかった。

それと同時に、母がイライラするようになってた。

(シュークリーム作ってくれた時とかもあったけど)

 

自分が大人になってから、

あの頃母は寂しかったんだろうって思うけど、

10歳そこそこの子供にそんなことわかるはずも無い。

 

そして学校では

年子の姉はもちろん、近所の同級生とかとも色んなことで比べられてた。

 

もちろん、私の方がすごいね、みたいに言われることもあったけど

劣等感の方が増してた。

 

勉強が出来たり

活発だったり

大人のいうことをちゃんと聞いたり

学校の活動に積極的になることがいいことだったり

 

田舎ならではの同調圧力とか

 

どちらかというと

みんなの意見に合わせることが苦手だったので

学校は苦手、という意識が強かった。

 

もともとよく変わってるって言われたし

自分が納得できないことに迎合するのが苦手だった。

 

けど周りの目があるから学校さぼることも出来ないし、

さぼって行くところもないし、

 

ある意味周りに合わせないと生きられない、という圧迫感があった。

 

大人の言うことに納得できないと素直に聴けなくて頑固だったり

自分を出すということが出来なかった。

 

授業中、発表するのすら泣きそうになるほど緊張した。

 

だからか、

10歳ころから自殺願望があったな。。。

 

兄弟げんかをして、

あんたなんかうちの子じゃない!!って言われると

 

たしかに、兄も姉もいて男の子も女の子もいるから、

私なんていなくてもいいんだよな、

っていう思考になってた。

 

橋から拾ってきた、なんて言われると

私の本当のおうちはどこなんだろうって夢想したり。笑

 

いつ死んでもいいと思ってたし、

どうやって死んだら苦しくないのかな、なんてことも良く考えてた。

 

自分にもコンプレックスだらけだったし

 

姉が活発で目立つタイプで学年でも人気者、な人だったから余計に

比べられることが辛かったな。

 

〇〇〇(姉の名前)の妹、って扱いで。

(今思えば姉も私の姉ちゃんって言われてたのかもしれないけど)

 

7歳までの記憶が原風景というけれど

 

よく

やりたいことを見つけるのに

 

7歳ころまでに好きだったことを思い出すと良いといわれます。

 

でも、どうなんだろうな、私。。。

 

からだを動かすことも、

うちに籠ることも、

両方好きだった。

 

けど夢中になってやってたことって何??

 

って言われたら、

 

なんなんやろう???滝汗

 

 

【ここから追記】

 

そういえば、昔よく、夢か現実化覚えていないけど、空を飛んだ。

 

羽をつけて飛んだり、という画像が浮かぶので、多分夢なんだろうとは思うのだけど、

 

とてもリアルな感覚が今でも残っています。

 

 

そして、実家は夜になると真っ暗になるくらいのところだったので

 

星がとてもきれいでした。

 

よく夜空眺めてたな✨✨✨

 

 

 

長くなったので今日はこの辺で。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございますドキドキ