訪ねた八幡様は「産土(ウブスナ)八幡神社」と呼ばれる 旧村社格の神社。ですが 古い棟札(嘉永五年)により 昔は「立正八幡宮」と呼ばれていた事がわかっている、そうです。(立正は日蓮宗の言葉。多分明治時代の「神仏分離令」で 神社に立正という仏教由来の社号を使うのはふさわしくない~ という事にでもなったのでしょう・・・)

↑あの石垣の上が境内地、ですね?

↑鳥居の向こうに大きな木が見えます。湯河原町指定の天然記念物、「産土八幡神社の楠」。
↓推定樹齢は600年ですって。

↑と、その手前に小さな祠型の石がありました。

↑文字があったのか像があったのか・・・ 削られたように(正確には上からセメントを塗られたように)何もありませんでしたが それでも尚(元々何であったかを知る人達から)大切にされているようですね?
↓改めて八幡様へ。

↓石段を下から見上げたところ。

↑鳥居の扁額には社号「産土八幡」の文字。
↓鳥居右手の石柱は社号標。

中段右手に由緒を記したプレートがありました。


↑写します。「産土八幡神社(ウブスナハチマンジンジャ)
足利下郡湯河原町 城堀(シロボリ)字城下(アザシロシタ)321番地
一、祭神 誉田別命(ホンダワケノミコト)(応神天皇)
一、由緒 創立西暦1108年(天仁(テンニン)元年)と伝えられ、その他不詳、 1873年(明治6年)十一月十三日神饌幣帛料(シンセンヘイハクリョウ)供進神社に指定された。
1947年(昭和22年)神社制度の変革により宗教法人となり、1949年(昭和24年)三月二八日官有境内地271坪9勺(←約897.4㎡) 無償譲与を受く。1964年(昭和39年)駅下土地区画整理事業完成と新幹線開通に伴ない町の発展目覚ましく、氏子崇敬者数は急速に増加し、玉垣、社号標の建設を始め社務所を新築 広く氏子住民の奉賛を得て、社頭の内容外親共に整備し、あまねく郷民の崇敬を集めている。
一、例祭日 九月十四日、十五日 」
(補足/上に載る この神社が建つ場所の地名「城堀(シロボリ)」「城下(シロシタ)~」は、中世 この辺りに土肥氏(←頼朝の挙兵を助けた湯河原の豪族)の居館があった(という伝承が残っている/遺構等は見つかっていない)ことに由来する、ようです。)
(ちょっと疑問/ 普通八幡神社の八幡神は(例えば鎌倉の鶴岡八幡宮のように_)「誉田別命(応神天皇) + その母・神功皇后 +比売神 or 武内宿禰 稀に 父・仲哀天皇~ など」 三柱の神を祀っていますが こちらでは 誉田別命(応神天皇)一柱だけ が祀られているとの事_。
実は南足柄の岩原の八幡様も品陀別命(=誉田別命=ホンダワケノミコト)一柱のみが、
小田原の井細田の八幡様も、 網一色八幡様も、 飯泉八幡様も、下曽我の八幡様も、 米神の八幡様も、、、 誉田別命 一柱のみが祀られているんです。
西湘では 一柱のみを「八幡神」とする神社が多い、のかな?)
石段を上がります。

鳥居の向こうに社殿が見えてきた。

鳥居を潜ると 左右に石灯籠。

↑左の石灯籠。奥は社務所 兼 集会所、でしょうか?
↓右の石灯籠。

↓その奥に手水舎。

↓屋根には八幡様の神紋「三つ巴」。

↓残念ながら水は止められていました・・・。

↓改めて_ 社殿。

↓屋根に 神紋「三つ巴」。


獅子の飾り瓦も載っています。


(↑曲芸っぽいですね^^;)
↓階(キザハシ)の脇には狛犬。

↓玉を持つ吽型。

↓仔をあやす阿型。

(↑おーっとこれは珍しい。大抵は阿が玉、吽が仔連れですよね?)
↓拝殿の虹梁の彫り物も 初めて見るデザイン。


↑波の上を駆ける馬。乗っているのは神様?伝承や故事かな?
↓ご挨拶しましょう。

↓ちょっとオマケ。扁額の社号の「土」の字は「点」つきでした。

↓もういっちょ。お賽銭箱は埋め込み型でした。

↓湯河原のますますの発展、祈らせて頂きました。

もう少し境内を見せて頂きましょう。

↓社務所の北の唐破風型の庇を持つ建屋は「神庫」のようでした。(字は読めなかったのですが・・・)

拝殿の東側は修復工事中でした。


↑これは確かに 放っておけない。
↓拝殿の後ろの神殿。


↑神殿を囲むフェンスに がっちりした鍵。(・・・工事の人とかが仮置きした物 かな?)
おいとましましょう。

↑鳥居側を見ると その向こうに天然記念物の楠。
↓ありがとうございました。

一旦境内を出て 楠の木を見に行きました。

坂をジグザグに上がって行きます_。

↓わー 改めて大きいなあ!

↓根方に道祖神。/ このエリアに多い「僧型」のものですね?


ちょっとお顔に違和感が・・・。



↑これは_
胴は石ですが 頭部はセメントですね。後から付けられたようです。(ありそうなところでは 廃仏毀釈で僧型の物の頭が壊され 後に修復された~ とか?)
むーん、 痛ましいけれど これもまた「歴史」。忘れないために残されるべきもの、でしょうね。
↓道祖神の右手には 百番供養塔(←観音霊場巡礼達成のお礼)と南無阿弥陀仏の名号塔が並んでいました。

これらも仏教系の石造物。一度は辛い目に遭ってきたものかも・・・。
この後は パン屋の「ブレッドアンドサーカス」に行こうと思ったのですが・・・
すごい行列ができていたので 諦めました^^;)))
おしまい。