岩原八幡神社 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

(つづき)

お腹が一杯になったところで_
このエリアの鎮守社、「岩原八幡神社」を目指します。

↑「かつ乃」さんの裏の道を西へ歩いております。
↓おや?そこに隠れているのは_


↓あーっやっぱり、とび太くん!(←滋賀生まれのとびだし坊や)

足柄エリアにもいるのね?とび太くん_^^) 余談ながら『翔んで埼玉2』でとび太くんが大活躍(???)し、あわや「生まれてくる子が とびた と命名されかかって」笑ってしまいました。。。

_軽く脱線しましたが、
先に進みます。



↑とうとうと流れる用水路の水。
↓近くのお宅のフェンスにこんな イベント参加呼びかけ広告。

広告の結ばれてたお宅前を南へ。

そこからは「山」側へ坂を上がっていきます。


↑空き地のフェンスからこぼれるように咲く黄色い花~。↓キバナコスモスかな?と思いましたがAIに聞いたら「オオキンケイギク(特定外来種/駆除推奨)」との事でしたー。。。(可愛いのに残念)


(因みに キバナコスモスとオオキンケイギクは花は似てますが 花季が違うし 葉も違うんですね。注意しましょう。)

坂の先に鳥居が見えてきました。


↑右に立つのは社号標かしら?と思いましたが・・・ ↓読めません^^;)

↓裏面にも文字らしき線刻がありましたが・・・

「教えてわかる人」_でございます。(左の丸の中の「岩」だけは読めますね?)
↓案内板。

↓脇に双体道祖神。


_多分。

二本の道路に挟まれた参道を進みます。


(↑右手の石垣の上は「薬師堂」。/ きっと江戸時代までは 神社と薬師堂は「セット」だったのでしょうね?)

↓石段の途中の 二の鳥居。


↑右手の石の文字が又...読めない。
_ともかく、ここを右手に入ると「薬師堂」なんですね。



↑お堂を正面から見たところ_。
↓蟇股にお薬師さんの種字、「ベイ」、賽銭箱には「卍」。




↓説明板。

写します_
「薬師堂
 この薬師堂の本尊は古城略記によりますと、聖徳太子の作で、
大森氏の守り本尊
であったといわれています。
 
もとは清泉院(←岩原にかつてあった寺)の跡に建てられてあったものですが、後に現在の所に移されたといわれています。
 現在は、塚原の長泉院持になっています。


お堂前から道を見下ろしてみます。



↓参道に戻り、石段を上がって行きます。


ナチュラルに歪な石が 美しい!

↓石段の先に 社殿と思しき建屋が見えてきました。



最後の石段手前、右に 小さなお稲荷さんの祠。


(↑あら、ちょっとこれは 可愛そう_)
↓時に_ お稲荷さんの隣は 広い原っぱ(?曲輪?)になっていました。


↑綺麗にならされた土地ですから きっと元々は何か建屋が建っていたのでしょう、ね?

↓引き返して最後の石段を上がります。



いきなり正面に茅の輪。 いくつもの旗、ビニールの覆いつきのテントも二基、

↑社務所前には日よけが置かれ 台の上には湯茶の用意? も_。
_まるでついさっきまで沢山の人がいたみたい・・・。(この時は からり と無人でしたが)

なんだか お留守のお宅にお邪魔したようなバツの悪さを覚えましたが・・・

ともあれご挨拶をいたしましょう。


(↑お賽銭箱の向こうに 「八幡神社御璽」「大照皇大神宮」のお札が納められた宮形。/ こちらには八幡様(品陀別命 / 応神天皇)の他 天照大御神もお祀りされてるのでしょうか?)

本殿の脇に注連縄と紙垂で囲った聖地がありました。

↑どんな神事に使われたのでしょうか。

↓社殿周辺にはこんな小社も。


↑八坂神社との事。(境内末社、という事なのでしょうか。)
↓少し離れた所には お地蔵さんの祠もありました。


由緒書を読んでみます。

「八幡神社
 八幡神社は、源頼義(988-1075)が陸奥(現在の青森県あたり)の鎮守としておもむく途中に建立し、その後源頼朝が富士の巻狩の途中ここに参拝して、社殿の改修を命じ、巻狩の無事を祈願したと伝えられています。
 新編相模風土記稿によりますと、1657年(明暦三年)の棟札には、源頼朝が建立したと書かれています。その後、駿河から小田原へ侵入してきた守護大名の大森氏や、伊豆から出てきて大森氏をほろぼした小田原の北条氏も、この八幡神社を深くうやまい大切にしました。
 現在も岩原及び塚原鎮守として、深く信仰されています。例祭は三月十五日でしたが、現在では日曜日に行われています。
 祭神 品陀別命(応神天皇)

説明文に続いては周辺の観光案内(?)も載っていました。

↑お、八幡神社に一番近い「名所・旧跡」として「岩原城跡」が紹介されていますね? / この後 訪ねておりますよ?


岩原城跡へ向かうため 神社前を北へ進みましたらー


↑本殿の裏手に こんもり とした塚が見えました。
↓地図を見ると、

↑「八幡神社本殿裏古墳」という(まんまの)名前でした。_かつてこのエリアにはいくつも古墳があったそうですが、今残るのはこの 六世紀頃作られた円墳 一基のみ、とか。
時に、MAP左上に「黄金塚之碑」なる物が見えますが、これは「かつてあった」(今は道の拡張や住宅建築で失われた)古墳の存在を伝える為の碑、だそうです。

これも見に行っております。

↓八幡様の境内からー 

山へ上がっていく車道に出たところ。


少し坂を上がったところに それ はありました。


↑「黄金塚之碑」。(繰り返しになりますが、すでにこの古墳はなくなっております_)

この辺りでは他に 諏訪原(スワノハラ)周辺にも古墳がいくつも残っていますが_
箱根外輪山の東麓、朝日を浴びる丘陵地は 昔の人が思う「霊を祀るにふさわしい場所」なんでしょうか。


_この後は坂道をてくてく(200m程)上がって、岩原城跡 を見に行ってみました。

_つづく