そして私は気づく
外で本当の漬物が食べられるのは、うれしいけれど、これは、家でもたべられるのだ。
しかも、野菜の原価そのままで。
個人で飲食店を経営する場合、最低、仕入れ値の2.5倍はとらないと、うまくいかないものらしい。ところが、高級な魚など、それだけとると、食べてくれる客が制限されるため、いきおい、値付けが甘くなる。残すと、無残な生ごみになる可能性もあるのだから。
逆に、漬物や奴などは、もとが安いうえに、300円や400円とっても、自然にみえてしまうのだから、たちが悪いじゃないか。
もっと、始末におえないのは、お酒の値付けになるのだけれど、これは、また、次回に。
しかも、野菜の原価そのままで。
個人で飲食店を経営する場合、最低、仕入れ値の2.5倍はとらないと、うまくいかないものらしい。ところが、高級な魚など、それだけとると、食べてくれる客が制限されるため、いきおい、値付けが甘くなる。残すと、無残な生ごみになる可能性もあるのだから。
逆に、漬物や奴などは、もとが安いうえに、300円や400円とっても、自然にみえてしまうのだから、たちが悪いじゃないか。
もっと、始末におえないのは、お酒の値付けになるのだけれど、これは、また、次回に。
漬物
家で漬物を漬ける家庭は、本当に少なくなった。買って食べるものになったのだ。
しかし、それは、調味液に漬け込んだものであって、もどき、でしかない。それしか知らぬヒトにとって、自家製の漬物がどんなものか知る由もないのである。
不幸なことに、私は糠床をもっている。何年か前に、左手を負傷し、簡単に食事をとるには、何がいいのか、と模索していたときに、実家でヌカヅケをごちそうになり、これだ、と、つくったもの。無濾過のビールを購入して、その酵母をいれたり、同じ仲間だから、と、酒かすをいれてみたりして、相当なところまで熟成した糠床。
これのおかげで、私は、外で漬物を食べて、ここのは、ホンモノだ、なんて知ったかぶりができる。そして、うれしくなったりもする。この店は、いいお店だ。
しかし、それは、調味液に漬け込んだものであって、もどき、でしかない。それしか知らぬヒトにとって、自家製の漬物がどんなものか知る由もないのである。
不幸なことに、私は糠床をもっている。何年か前に、左手を負傷し、簡単に食事をとるには、何がいいのか、と模索していたときに、実家でヌカヅケをごちそうになり、これだ、と、つくったもの。無濾過のビールを購入して、その酵母をいれたり、同じ仲間だから、と、酒かすをいれてみたりして、相当なところまで熟成した糠床。
これのおかげで、私は、外で漬物を食べて、ここのは、ホンモノだ、なんて知ったかぶりができる。そして、うれしくなったりもする。この店は、いいお店だ。
外でお酒を飲むのをやめる
結構、いい歳になってくると、くつろいでお酒の飲める1軒や2軒できてしまうものだ。そして、仕事の終わりが近づいてくると、気持ちは、今日は、どんな料理があるんだろう、とか、しめには、何を食そうか、なんてことで、ささやかな、幸せをかみしめることになる。
私にとって、そういうお店の選定基準は、自家製の漬物をおいている、塩辛も自家製、しかも、肝と身を合わせただけでなく、しっかりと熟成したものしか出さない、ということだった。とりもなおさず、妥協のない料理を食せることが多いからだ。
そうして、何軒か、そういう料理屋にであい、通いつめることとなった。常連になることはもとより、良い料理をだしてくれるのだから、ほめ言葉も自然に口をついて出てくる。気に入られる、居心地がよくなる。まこと に、結構なことだ。
ところが、ある日突然、気づいてしまったのだ。私の選定基準は、自分の料理体験からきていることに。
私にとって、そういうお店の選定基準は、自家製の漬物をおいている、塩辛も自家製、しかも、肝と身を合わせただけでなく、しっかりと熟成したものしか出さない、ということだった。とりもなおさず、妥協のない料理を食せることが多いからだ。
そうして、何軒か、そういう料理屋にであい、通いつめることとなった。常連になることはもとより、良い料理をだしてくれるのだから、ほめ言葉も自然に口をついて出てくる。気に入られる、居心地がよくなる。まこと に、結構なことだ。
ところが、ある日突然、気づいてしまったのだ。私の選定基準は、自分の料理体験からきていることに。