HOODのブログ -89ページ目

精神渋滞


♪カラーも色褪せる白黒のチェスボードの上で君に出会った…(Colors)宇多田ヒカル

…納品作成、深夜に目眩。手が震えてきた。

畜生、これまでか。

精神が死にかけた時に聞く宇多田ヒカルは最高に良い。


突き放すようで包み込む歌詞と彼女の声。

『あは、そうなの?』彼女は私の左目瞼に、手のひらを当てて『ほら、こうすると、やはり私は見えない?』…と真面目な顔で、こちらを見る。堅く閉ざされた視界に、彼女の指先、冷たい手のひらが心地よかった。


手を離すと『ごめんね。一本だけ良いかな…』とタバコを出して火を点けた。薄い紫の粒子をモニター光が写し出した。

『フッ…』と息を吐く。

そうして、また歌い始めた。

カメラ時代


ミノルタSR初期型・巻き上げ側の内部。


徒にジャンクカメラを増やしても無意味なのだが、少なくともミノルタSR初期型に関しては『使う』という名目がある。
一方で、無性に修繕してみたくなるカメラもあるのだ。

それが『ペトリ』、何とも曰く言いがたい会社である。

例えば、文芸散歩として著名な野田宇太郎が資料撮影に使用したカメラがペトリ製のハーフ版カメラである。決して信頼性の高いカメラではないはずなのに、その選択はあまりに清貧過ぎ、感銘すら覚えてしまう。
あるいは民俗学者宮本常一は、オリンパスペンとペンタックスSPで膨大な映像資料を残した。作家松本清張は戦時中は諜報の特殊任務に就いていたという逸話があって、戦後も様々なカメラを使っているが、使用した代表的なカメラの一つがオリンパスEEDである。

彼らに共通するのは撮影にニコンやライカではなく、庶民的な機材を選んでいる事だ。

その庶民派の最右翼が『ペトリ製カメラ』なのである。
中学時代、クラスメートで一人だけ一眼レフを持っていた子がいて、それがペトリ製であった。彼は『ペトリは安いけど性能は一流なんだ!』と自慢していた。
そういう思い出も手伝って、ペトリ追想に走りそうなのだが…。

さらにペトリに魅力を感じる理由として、その独特のシャッター構造がある。言葉では説明し難いが、一軸シャフトをスプリングに通して『動力的な配置』で作動させている点だ。これは、ジャンクを入手してもアマチュアでは修理は不可能な構造に違いない。
ペトリ製のカメラは、いずれも壊れたら、どうにもならぬ…その儚さがマニア的なのだろう。

系譜

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ミノルタSR初期型から始まった系譜は、101型を経てXE・XDとライカとの提携や進化した電装部品を身に纏いながら発展成熟してゆく。

だいぶ前に(二十年くらい…)都内の中古カメラ屋から壊れて動かないSR7を譲って頂き分解した事があった…シャッター幕はカビが生え、速度は不調、ファインダーは曇り。結局、単純に分解しただけに終始した。、今の私ならば修理再生が可能であったかも知れない…と、多少の痛みに似た思いがある。

解体された部品の幾つかは再利用されているが、初期型に寄せる印象は当時とは全く違う。

初期型はカメラとしては大柄で重量もあるが、カメラは財産であった時代の製品である。各部品の仕上げも良いし、通常の整備ならば簡易に行える。ハイアマチュア向けデジタル高級一眼レフが、実は『使い潰し』を前提として生産されているのとは趣が違うのだ。

しかし、これは趣味的なカメラと写真の枠であり、私的な写真撮影の話である。ならばこそだ、旧式のカメラで写真を撮る事が楽しい。


ジャンクのSR7を紙袋に入れながら『このカメラを分解して仕組みを勉強すると、いつか役に立つ日が来るよ…』と言うカメラ屋の店主は、まさに正鵠を射ていたわけだ。