新座市の鰻屋『高はし』
江戸を望む武蔵の地を離れ北関東へ転封。いわば国許へ帰り私は隠居する。気分的には大人社会の第一線からは身を引くつもりだ。
しかし、移動するための費用がバカに高い。その手続き役所や郵便局、各方面に電話やらで疲労困憊。部屋のホコリで喘息発作が始まり、ついには鼻血と激しい下血である。もうダメだ。なんと言う事だ、私は肉体が弱いにも程がある。
役所手続きを終えて、うんざりしながらチャリを転がしていると道すがら『うなぎ屋』の幟が立っている。以前は高級蕎麦屋であったが、商売変えしたのか。だが、雰囲気が微妙に違うようだ。
そうだ…気分転換をしよう。
私は、自分が死ぬときに最後の晩餐は鰻と決めていた。
最後の気力を振り絞って、一口でも良いから美味い鰻を食って死ぬ。
今日は財布、身体ともに大出血だ。
鰻…食うぞ。
この『高はし』、開店して一年くらいの新しい店だと言う。店主に話を聞けば、気の毒な事に、前の蕎麦屋の商売振りはかなり悪辣で近所の評判が悪かったらしく、『私が鰻屋を開店してから、しばらくは近所から白い目で見られていましてね…お前が蕎麦屋の経営者か!と誤解されて嫌みを言われたり…』若い店主は苦笑いしていた。一つの店を買う場合、そういう評判が影響される事もあるのだ。
30分ほどして鰻が焼けた。向付け小鉢前菜四品が付いて、胆吸い・新香、鰻特上3700円。
期待を胸に重箱を開ける。一口、箸を進める。また一口。箸が進む。少し小振りだが身の絞まりも良い。辛めのタレ、鰻蒲焼きらしい味わいだ。
都内有名店の多くはは蒸しが強くて、旨味が抜け落ちている。ただ柔らかいだけで、タレも甘辛いだけで美味くない。
私は多少小振りでも
、こういう蒲焼きが好きだ。聞けば、まだ若い店主は日本料理の板前から鰻屋に転身して、鰻屋の少ない新座市に店を出したという。
店を出して独立する事は用意ではない。まして個人経営店は苦難の時代だ。
都内の鰻屋が次々に後継者を失い閉店してゆく。そういう状況下で、埼玉都民が集まる街新座市で健闘される事を心から祈りたい。
心身ともに困憊していたけど鰻蒲焼きを食べて、少しだけ落ち着いた。やはり…死ぬときゃ私は『鰻』だな。
鰻屋『高はし』本店…新座市野火止5ー16ー7・電話/FAX048-424-4224
駐車場あり。なお店内は『禁煙』である。
鰻屋ならば当然の心構えであり、タバコの煙で鰻の香りを奪ってはならない。
ホテル・カルフォルニア
雨降る夜。たぶん桜が散る。
深夜の雲上を何故か轟音をあげて戦闘機が飛んで行く。空気を切り裂くような初めて耳にする音だ。
ラジオを付けたらAFNからホテル・カルフォルニアが流れてきた。雨に濡れた都会の風景を想像しながら思い出した事がある。
その昔、朝鮮戦争の後方支援基地であった日本国内。東京も例外ではなかった。戦時下、山手線目白駅の傍らに一本の米国式の低いホームが設置されていて、早朝に米国の兵隊達を乗せた列車が横須賀へ立った…という。私が都内暮らしを始めた頃は、その辺りは休止中の客車が留置してあったりしたが、ホームらしき跡が確かにあった。今では再開発でマンションや博物館が建っている。面影すら皆無だ。
この地から戦地に赴いた青年達を知っている人々が、まだ日本にいるのだろうか。
母国を守る戦争ではなく大義のない戦場で命を落とす。自分ならばやりきれない。
トウキョウにも故郷へも戻らぬ若者はいたはずで、亡くなった兵士一人一人に人生があった。ある日、突然に人生が終わってしまう不条理を、単純に英雄に言い換える矛盾。大都会の物陰に人知れぬ歴史が潜んでいる。
もっと東京を知りたかったが、ひとまず私もサヨウナラ。
また旅に出るよ
最後の桜、借り物ライカで撮影してみる。
キュ…と機械と連動した布幕が閉じる音が一眼レフとは感覚性能が異なる。
航空機に例えるならば、一眼レフが空冷エンジンの響きであるならば、ライカは液冷エンジンの趣がある。しかし、簡潔なフィルム装填、確実な作動とファインダーで狙える機材は日本製一眼レフである。
それでも、最後の桜を見送るべくライカを使ってみた。
やはりライカは記号的カメラであり、一種の慟哭を持った道具だった。どこか人間臭い…愛機とする人々の気持ちが理解できる。
だが、このカメラを持ち主にお返ししたら、もうライカを使う事はあるまい。
趣味で撮影するならば最高の機材ではあるが、私には縁がない。そう思いながら、私は最後のスプロールを抜いた。
さようなら。短い間だったけど楽しかったよ。






