借り物ライカ
四月から郷里に引き込むため、久しくお借りしていたライカを先方へお返しする事になった。
何しろ…『借り物ライカ様』だ。使うのも神経が必要だった。
このバルナック型ライカに付いては多くの識者が述べているので、このブログでは触れない。
ただ一言で言うならば、一緒に写り込んでいるIXY60がコンパクトデジタルカメラでありながら、カメラとしての発想、その始祖をライカに求めている事は明解な事実であろう。
同時にデジタルカメラが高級一眼レフであってもPCの周辺機器に過ぎず、運命として使い捨て使用で終始するように、ライカもフィルムシステムが終焉を迎えた時に『機能』を終える。様々なアプローチを試みても、記録作業のフィルムシステムは終焉が近い。しかし、フィルム撮影では『ライカ』は優れた撮影機材であった。精緻なメカニズムと静かなレリーズ音。象徴的に対象を見るファインダーは使用者として、他に優るカメラは思い付かない。
しかし、今となっては凝りすぎた構造が最も使いにくいカメラの一つであり、精密機械とは『哲学の言質』に等しい構造を持つ、有する存在であった。
『ライカ』を使うという行為そのもの、この意識が撮影者には邪魔である事を学んだ。使用する機材が記号化する、手段が目的化した危うさ。ライカとは、そうしたカメラでもある。
夜行列車…3
その昔。夜汽車の車窓。大きな踏切には踏切警手がいた。踏切小屋があって、列車が近づくとハンドルを回して引き上げてあった踏切綱を降し、踏切を閉鎖。白旗を振って列車を向かい入れる。踏切横には彼らのために小さな羽目板作りの小屋が建てられて、中にはストーブが備え付けられていたりした。屋根にはコンクリート製の瓦が葺いてある小屋もあった。幹線ならば深夜でも貨物列車の通過があるから、踏切番は交代制であったようだ。
夜半、車窓から踏切小屋を見ると裸電球が灯されていて、中に中年を過ぎた職員が一人見える。
最小の労働力と精神性、勤勉な奉仕精神があれば勤まるように思えた。立てば半畳の職場である。一人黙々と列車を待つ。
あるいは入れ換え作業で、機関車がせわしく往復をする。その間は踏切は閉鎖されたまま、車や通行人は待たされる。
『開かずの踏切』だが、踏切番だけが機関車に白旗を振り続けている。入れ換え作業が終わると軽く
汽笛を鳴らした機関車が遠ざかり、踏切綱が上に上がる。
待ちかねた我々が行き過ぎるシーンを眺めながら、踏切番は小屋に腰を下ろし、彼は一服をする。
何よりも小屋の佇まいが良い。風雪の強い日、扉を閉めて列車を待つ様子など絵的な風情さえあった。


