HOODのブログ -57ページ目

夜行列車…2


憧れの夜汽車に乗れたのは、学生時代に入ってからだ。

ゼミのフィールドワークや実家への帰省で、周囲の迷惑も顧みず夜行を選んだ。

すでに夜行列車は斜陽のスジであり、客車列車は僅かだった。

寝台急行『銀河』
特急ではなく、急行料金で関西方面に向かう寝台列車があった。何より『銀河』という響きが良い。
夜行列車に相応しい名前だと思う。


これで京都に向かう。東海道線根府川鉄橋を渡る頃には缶ビールの効果もあってB寝台に身を横たえている。

あとは…ぐっすりと、、と…そうは問屋が卸さない。
駅に到着する度に停車制動、発車の牽引振動があって眠気を破られる。しかも、高速貨物列車に先を譲るらしく各所で待避待ち。

そんな振動を体感しながらも、列車は静岡駅へ付く。ここで運転士が交代したのだろう。眠気覚ましの振動が消えた。

『あっ、運転士が変わったな』

発車、停車の振動は僅かに伝わるくらいになった。言わば、『夜行寝台のプロ・職人』の運転である。深夜、眠りについている百人以上の客を乗せた列車を、一人の男が機関車の前方に厳しい眼差しを向けながら運転している。たぶん、本当のハードボイルドな世界とは、こういう職場で一人の肩に託された責任感に満ちた仕事なのだ…と勝手に想像しながら、私は安心して眠りに入る。おそらく、この列車運転を任された運転士は、夜行寝台に限らず貨物列車の運転でも、丁寧な制御で列車を走らせていたに違いない。

朝、車内アナウンスがあってベットから降りて車窓から外を眺めたら、朝日に照らされた琵琶湖が見えた。やがて、山科を過ぎれば京都は近い。軽い汽笛を鳴らしながら列車は朝の東海道を走る。


こういう旅も、また還らぬ古の夢になってしまった。
夜行寝台の運転職人さんも、すでに退職なされただろう。

どうにも…未来の旅には夢や楽しみがない。

夜行列車


『夜汽車』という文部省唱歌があったと記憶する。ネット検索すれば詳細がわかると思われるが、記憶の中だけで話を進める。もっとも、今は歌詞、歌などは覚えていない。曲があって、聞けば思い出すに違いない。

少年時代の私には、夜汽車は現実から逃避する憧れであった。遠くに汽笛を聞きながら、『あの列車に乗ってみたいな…』と寝床の中で空想を巡らした。


夜汽車で見知らぬ街へ旅に出て、辺境の地でリセットした生活をしたい…最後は人知れず無縁墓地に埋葬されるのが良い。最小限の生活で生計を立てて、どこか地方駅の弁当売りなど、少年の理想的な人生であったと思う。


この人、誰だっけ?

名前があったかな。

『弁当屋さん』と呼んでいたから、弁当屋で良いよ。


現実には、それこそが『夢』だ。実際には経歴や資産を暴かれて、短い人生の終焉を迎える。


もう、夜汽車も来ないし弁当屋にもなれない。

つまらないものだ。

米軍放送


真夜中。AFNを聞く。一昔前の役所仕事な米軍放送だったが、今は日本語講座やらイベント情報など在日米国人向けになっていて、流れる曲も一般的だ。米軍放送だから、さすがにAKB48の楽曲はない。


この放送は首都圏一帯だが、北関東に至ると電波が弱い。スマホでも聞けるらしいのだが、私はガラケー派でアナログなラジオが好きだ。

AFNを聞きながら、東京を離れると次第に電波が弱まり聞こえなくなる。 それが、私と都会の距離になった。別に英語が好きな訳じゃない。むしろ、外語は苦手だ。
それでも、音楽との合間に挟まれた天気予報やニュースはリズムが良い。彼らが丁寧な英語で伝えているのが判る。