今宵は雨月
雨音が聞こえたので、缶ビール片手にベランダに出た。
雨足は強いのに、雲間に空が白く輝いている。月だ。半月あまりの月が見えた。
雨に濡れた風景を月の光が映し出す。
雨音が響く中に、閑として月光の足音が重なるようだ。
夕方、近所の空がロマン派の描く空を思わせるような色合いになった。ターナーやドラクロワの風景にある、あの繁栄の果てに破滅の未来に見据えたような色だ。
それを強調して写メで撮影してみた…うーん、違うか。
だが、さすがに雨と月を合わせた風景撮影は難しかった。
そう言えば、忘れていた。謡曲には『雨月』という能があった。詞章を読むと、どことなく晩秋の風景を思わせる。
…紅葉の色にも混じる塵泥(ちりひじ)の、積もる木の葉を掻き集め、雨の名残と思わん…謡曲・雨月より。
東北の秋に同調する私としては、晩秋の冷たい雨と落ち果てた紅葉の対比を思い浮かべる。
しかし、晩夏と呼ぶにも早く、今夜の風景とは全く異質なのだ。妙に官能的なのは夏特有であるとしても、どこか清々としている。
加えて、草むらから夏虫が鳴く。雨音、月の音、虫の音と幾つもの時間の流れが複合しているように思えた。
こうやって静寂が支配して、時間が終わるならば悪くはないな。
最初の一歩
那珂川河畔にて。1992・3月…ミノルタSRT101・55ミリf1.7
1960年代前後に製造されたミノルタ一眼レフSR1シリーズ。各要目は省くが、当時としては通常の撮影に過不足ない機種である。
多くのカメラ愛好の先達がブログで触れたので、今さら私が語るのは冗長に過ぎる。
あえて一言で表現するのであれば、ミノルタ一眼レフは台所用品に近い機材だ。
台所用品とは所有自慢をする道具でもなく、プロの料理人が使う銘が入る包丁でもない。普段使いにあって信頼出来る道具である。
そういう意味でミノルタの旧式一眼レフは使い勝手が良いのだ。
惜しむらくは、急速なバブル時代に入り、趣味であったアマチュア写真家の多くもミノルタやペンタックスの機材から、ニコン・キヤノンへ機材変更を行った。
背景はバブル経済だけが要因ではないのだが、プロ・アマが使う機材がニコン、キヤノンに固定化したのは確かだ。
私の場合、学生生活で上京はしたが生活苦にあって、やむなく土木系発掘調査バイトを始めた。その仕事には資料撮影があって、手にしたのが一眼レフなのだ。
職場はニコン系で統一されていてニコンF、F3があり、使い捨て的にオートフォーカス一眼のF401があった。
私は初めて仕事作業を通じ、一眼レフの撮影は面白いものだな…と実感したが、当時は生活も大変で自分用を買おうとは考えなかった。
ある日、能楽サークルの後輩が遊び使いでミノルタ一眼レフを学内に持参してきた。
その後輩のカメラを借りて(無理無理に、一年近く取り上げて…!)撮影した一枚がブログに上げた写真。
川面を眺める犬、少年の表情が良い…※この撮影をした翌年に那珂川が大氾濫し、撮影付近は水没した。
この後輩から借りたミノルタの機材が私が撮影に入る契機となったわけで、借りたのがニコンやライカであったら、私は写真を選ばなかったように思う。
お土産のペナントには努力と根性書いてあった。
つまらぬ手術などがあって夏前半は時間を浪費。
高校野球も北海と作新の決勝戦が先程終わり、明日にはリオ五輪も閉会式だという。
五輪の各中継を見ていて各国の民族性というか、文化の違いが試合や戦い方、ユニホームやシンクロでは振り付けなどにまで顕著に読み取れて興味ふかい。
試合中の様々なアピール性や色彩デザインは北欧や欧米の方がリードしており、身体能力や先進性も優位にあった。
逆に日本はプレゼンや表現性よりも、試合構成や実直なプレーが身上なのだ…と
思えた。練習と稽古量を裏打ちする厳しい精神主義が、本来は貧弱な身体を補ってきたのだろう。それなくして日本人選手は五輪で輝く道はない。結論は、そこに集約されてしまうのかとも思う。
いや、稽古も根性も嫌いな私が肯定して言うような話ではない。そんな精神文化になったら、ちょっと日本から逃げ出すかも知れない。
一方で『努力は必ず報われる…』とまでは言わないが、そうあって欲しいとも思う。その辺りは、神仏を敬う意識近いのじゃないか。
日本人において『努力』とは聖域なんだなぁ…とも改めて思えた。




