HOODのブログ -36ページ目

祖母の縫った古浴衣


数十年前に祖母が縫い上げた古い浴衣。祖父のために作った浴衣、祖母が自らのために作った浴衣もある。特に、自分用に縫ったものは出来映えが良い。生地も凝っているし浴衣には見えない。

明治生まれの(日露戦争より先だ)祖母にとって和裁など片手間な技術、それは女の日常であった。女としての役割を求められた祖母が、家事のみを修する立場に満足していたかは不明だ。才媛でもあった祖母は、初等教育時代から札幌の女学校卒業まで学年の筆頭席次で、初等では同級に非常な秀才であった男の子がいたらしい。だが、教科で負けたのは体育だけ…と生前は自慢していた。
男の子は、やがて海軍に進み、終戦工作で活躍した海軍参謀になるのだが…『あの子に一度も学業で負けた事はなかったねぇ、算数なんて、いつも私が勝ちだった。』と祖母は、テレビの終戦特集番組で当時を語る参謀氏を見ながら、相当な自慢振りだった。

どうして祖母が、それほどまでに優秀であったか。様々に考えてみると、当時の子供は家事手伝いは当然であり、その後は必死で勉強に励んだ。余計な時間もないし、遊びと言っても姉妹や兄弟で行う素朴で単純なものだ。

そういうシンプルな生活と、知識欲求に溢れた思考が育んだに違いないのだ。

さらに学業とは男子専用のものではない。女子にも道は開かれるべきだ…とする近代主義も背中を押していたように思う。

そんな祖母に質問した事がある。
私『おばあちゃんは、次に生まれるとしたら女と男、どちらが良い?』

祖母『それは、絶対に女だね。女が良いよ。好きな男の子供も産めるし、自ら勉強して出世も出来る。男はね。女に甘える必要があるから、つまらないねぇ…』

次は、男が良い…と予想していたが、意外な答えでもあり、また祖母らしくもあるが、今さらながら亡くなって三十年近いのだった。

昨年の夏


たぶん1959年あたりに製造されたミノルタSR1初期2型。

B~1/500までのシャッター速度のため条件次第では使いにくいが、機械として仕上げの良さもあり、当時の写真愛好家の気分を楽しめる。


昨年の夏、中野フジヤカメラ『夏休みセール』で入手。ファンインダー分解清掃、幕速ギア注油などでジャンク状態から復活した。

ニコンの持つ高級感、ペンタックスの質実剛健さは…当機にない 。あるのは使い勝手の利便性で、現在朝ドラで放映されている『暮らしのナントカ』で、たぶん評価されるカメラである…この型も含めて、各型を揃えてしまったのが咋夏の思い出である。

そういえば昨年の夏も日記を辿れば、私は足首を捻挫。歩行不能となり室内に引き込もっていたのだな。。

カメラでは駄目なのか


デジタルカメラすら使わずスマホで撮影。大方の観光地で見かけるシーンだ。何も工夫がいらないし、簡単に撮影可能。ブログやツイッターへの添付も容易い。


このブログ、添付した写真や文章も含めて一台の携帯(ガラケーだよ)で、暇な時にベットに寝転んだり、酒で舌を湿らせながら書いている。

ブログ写真だけならば、特にカメラは不要。しかし、意外とそう簡単でもない。カメラにはカメラに向いた使い方、あるいは撮影の場所に雰囲気にあったカメラがあるのだ。

例えば、街角スナップが好きな私の経験から言えば、メカシャッター機の旧式一眼レフを下げて大都会を歩くのが一番だった。

フィルムカメラという一つ間を置いた道具が、機能的には時代遅れであっても、撮影するための意匠として存在価値を失っていない。

ガチャ、ガチャと音を立てながら撮影する滑稽さが、お互いに逃げようもない世界を作る。


撮影中に撮影者と被写体(それは森羅万象である…)との関係性がうまれてゆく。フィルムを焼いてプリントするまで何も生まれないし、写真的価値も誕生しない…その不確実さに、我々は『写し取った時間』を託しているのだろう。そこがフィルム写真とデジタルカメラとの異なる価値だ。