HOODのブログ -329ページ目

山の端の月

能を趣味として始めてから、ついに来年で私も25年目である…それを記念して、再び能を舞うとか、いや、全く考えていない。


このブログ…千五百回目更新を過ぎていたようだ。
山伏修行の千日回峰とか、あるいは山に修行して一千余過日など言ったりする。

あまりカウントに興味がないので、今まで能撮影をして何回目か…とか、能を見て今日が何回目だ…も同様。


それでも、こんなブログが長らく継続出来たということは、ある種の運も見方しているはずだ。
自分の希望とは裏腹に、何事も突然終わらなくてはならないのが人生だ。
だから、いつ終わっても全て肯定しておきたい願う。


私の学生時代から友人が、…俺はいつ何があっても恥ずかしくないように部屋は整頓している…エッチな関連映像や書物は部屋には置かない…机には写経の一つもあればいい、と。

だが、私は無頓着だ。私生活の恥ずかしさなど、自分が終わってしまえば感じないだろう。他人に見せたくない私物が一杯ならば、生きて部屋に帰れば済むことだ。

ただ、仕事の終わり方だけは選びたい。いや、選べるうちに終わりたいように願う。好きな仕事や趣味であればこそ、自分の決断で幕は下ろしたい。

少しだけ、山の端の月が見えた。今日この頃だ。

推しも、また文化の一助。

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先の補足。

おそらく熱心に劇場や握手会に足を運んでいるファンに、『白熱論争』を書かせたら、ヲタに素人とプロがミックスされてカオスとなるだろう。が、より濃いめの展開となるはずだ。これを活字で読みたいと思うのは、私の思いこみか。


一つ興味深いのは、恋愛や性の目覚めに関する楽曲が劇場曲にはある。


♪『あなたに、女の子の一番、大切なものをあげるわ』
かって山口百恵が歌う時、我々は胸を熱く掴みとられたような感覚が走った。
リアルな感情と、アイドルが歌う虚構がない交ぜになった。

同様に、私が好きな劇場曲『純愛クレッシェンド』や『隣のバナナ』などに、その彼女たちのリアルが混交すると、この楽曲は破綻するだろう、と推察できる。

そのあたりが含みとなって中年男性三人組による『指原論』が転じて、現代に身を置く若者の世代論となっている事は一つ評価できると思う。


動画サイトを眺めていると、ふつうの女の子や男の子までが、曲に合わせてダンスを楽しそうに踊っている。
そういう熱さというものは、若い時が一番高揚する。若者たちに歌う、ダンスで動く楽しさを提供した事実は、実は大切な文化の一つなのだ。

そこが何よりの『推し』でもある。

中高年の脳内処理

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私を…儂に変えてみる。

部屋には買い込んだ書籍が散乱して、だいぶ捨てたのだが…飽和状態だ。ゆえに、儂が本を買う場合は再読する必要があるもの、もしくは天の啓示が下った場合に限られる。本とは、頭脳の一部でありバイブルに等しい有り難い教えなのである。

その範疇に入らなければ…『立ち読み』で終わる。人の本を読む速度が幾らかは知らんのだが、儂は読む速度は稲妻の如く早い。しかも、頭に入ったかは誰も問わないから、儂は平気である。


で…今日、儂は小林よしのり等中年男三人による『AKB白熱論争』を書店で手にした。

彼らは冒頭、総選挙の話題から入る。以降、各メンバー論や秋元氏の戦略分析などを語るのだが…総じて『指原莉乃とはグループにおいて何者であるのか…』を底流に意識して、討論は展開しているようだ。


さて、儂も中高年の一人だ。この年代、もはや実際の恋愛とは遠くなり、職場の若い子について同僚や仲間とあれこれネタにする世代でもない。
リアルでは、若い子について語るには『社会的責任もあり、面倒な年齢』という事だ。
それは、青春を遙かに過ぎた身の寂しさである。


『AKBがお好きなんて、まだお若いですね…』


バカを言ってはいかん。お若いのではなくて、老いたのでリアルに若い子の話題が不可能になっただけなのだ。
最近、AKB資料を集めたという老政治評論家の田村某、本書の小林よしのり、このネタで盛り上がる中高年、誰もが皆老人ご一行様なのだ…。


彼女達の老人慰問を、脳内で受けて増幅して楽しんでいるにすぎない。

全員、我が身を見て、そこに気が付け!

ましてや、国の将来案ずるのは、それからだ。