生涯現役
技術を身を助ける。
まずは手に職をつけよ…と云う。
それは本当にレベルを維持した技術の事だ。小手先では、たぶん晩年までは持たない。
老いて、初めて技術の真価が問われる。
たぶん…知識や知性も同じだろう。
それまでの、すべての拙さを補ってくれるものが『若さ』だっりする。
かって中古カメラブームというものが、カメラマニア界に拡散していた。
そのポストバブル的な商いで、多くの中古カメラ屋が林立した。
店主が高く売れそうなジャンクカメラを入手しては、ちまちまと修理して販売している…そういう店が都内にもあった。
今は、それらの店の大抵は消えた。
一方で、今でも修理の注文を受けながら店を上手に経営している方もある。
その差はなんだろう。
今も続く店には、偽らない技術や知識があったからだ。
商いとは、正当な取引があって成立する。
しかし、高くても良質な技術と商いだから成功するとは限らない。
今は昔、カメラ修理でメディア的にも有名な店があった。
しかし、言葉ひとつを取っても店主の尊大な態度、その店に来る常連客の特権意識には辟易した。
口は悪くても腕は確か…いや、それは単に傲慢なだけだ。
いずれ、人は去って行く。
いつまでも、仕事によって他人の生活を支える、それが手に職をつけた人という事だ。その態度に魅了される人は多い。
廃墟の花
少しばかり、精神的に空白があった。
自分に関係する事柄に、多少の迷いが生じたからだ。
人の一生が、一人では完結しない以上、それは相互補完にある。生まれてから、死んで墓に入れてもらうまで、実は他人の世話になるのだ。
しかし、いつしか自分の力に溺れたり、慢心や無関心となり果て…忘れてしまう。
今日は休日。
一人、機材ケースを引いて出掛けている。
手首が重い。
まだ、先は遠いのにさ。
都内某所、ブロック塀だけが残る空地に赤い薔薇が咲いていた。以前、この場所に庭があって薔薇を育てていた住人の名残か。
少し香りを立てて、日だまりに咲いていた。
もう…誰が花を楽しむわけもないのに。
都会は庭が狭いから、花を惜しむ花盗人もいない。
映像言語
能の撮影は、昨年より九割以上デジタル撮影で行っている。
しかし、プライベートな写真や私的作品撮影、日記的な写真はフィルムで記録してきた。
アナログとして残る映像に、私自身の意識や言葉を託しておきたいからだ。
二十四枚、三十六枚しかフィルム一本では撮影出来ない。
だが…そこが良い。
物事を学ぶ基本は、常に制約がある方法こそ、実は原点ではないかと思ったりする。
今は撮影機材でのアマ、プロの差は、ほぼ埋められている。
しかし、優れた写真家であろうとするならば、必要なものは何だろう。
実は、商業写真への実績や写真経歴でもないし、さらに言うならば技術要素でもない。
つまり……。
うむ。この話題は、かなり長くなりそうだし、まだ私なりに解答をすべて書き出した、とは言えないのだ。
気が向いたら、また書き出してみる。
写メは、初公開…私の手。


