真実に生きられる社会
写メは小伝馬町『牢屋敷処刑場跡』吉田松蔭、橋本左内がこの場で命を落とした。。
最近、ここを、ちょいと放置気味だ。
単に私の気分が回らないだけなのだが、過疎なブログなだけに期待値は低いはずだ。
以前、時事問題をブログで触れた際に反対の意見を持つ勢力に執拗な嫌がらせを受けており、以降は当たり障りない話題や芸能ネタで終始してきた。
やはり…この辺が限界か。『場の空気を読む』という同調圧力より、無意識に支配されているようにも感じる。
生活と仕事と一部でもある能楽のお知らせや、趣味的な話題でも良いはずなのに、文藝に触れるとすれば、そこは時事問題(社会思潮)とは切り離せない表裏があるのも事実だ。
先日、陛下が『真実』というお言葉をのべられた。この『真実』という言葉の意味は重みがある。
そこには『場の空気』を先導して社会を弄ぶ無邪気さ(軽薄と言いたいが…)はない。
こういう状況下に、言葉の存在危機を汲み取る必要もあるのだ。
『場の空気』だけで言葉が選ばれる社会というのは、おそらくかなり絶望的である。
チャーシュー麺!
晩秋から初冬へ、ラーメンの季節がきた。
ラーメン屋に行くと、大抵はチャーシュー麺を選ぶ。特に意味などはないが、チャーシューが好きなのだ。
最近、チャーシュー麺…焼豚ではなく煮豚を使う店が増えたのか。焼豚に煮豚が成り代わってしまった。
『当店自慢のとろとろチャーシュー』って、それは『煮豚だろうがっ!』と心の中で叫ぶ時がある。
私は、ちょっと硬めに締まった焼豚が良い。麺と取り混ぜて食べる時が…至福。
そもそもチャーシュー麺の焼豚、枚数に決まりがあるのだろうか。
何となく奇数であるようにも感じる。
ただ、残念ながら焼豚を使う店は確かに減りつつあるようだ。
自家製であるにせよ、仕入れて使うにしても原価が難しいのかな。
スープは塩ラーメン派であったが、最近は醤油味が好み。
しかし、即席ラーメンの場合は味噌を選ぶ。そういえば味噌ラーメンも、あまり目にしない。
濃厚魚介スープなんて言いながら、さながら煮魚の残り汁みたいなスープを提供する店もあった。
味に対するセンスがないんだろうな。
最後に…即座に身体に影響があるから、あの店には絶対に行くなよ…というラーメン屋を知っているが、ここでは書かない。っか、書けない。
食べ物の偽装など論外だが、それとは別に食は健康と結び付く。そこを配慮した料理ではあってほしい。
センサーに反応あり
以前にもブログで展開した下世話な話だが、男性には『良い女センサー』が装備されている…はずだ。
数十メートル先から歩いてくる女性、あるいは雑踏の人混みから自分好みのベストな女を抽出発見してロックオン。
恋愛と性衝動とは別物だが、ともに狩猟本能の周辺機能であろう。
では、どうして我々は選別が可能なのか。
そこに被選別側の女性による情報の発信『オーラ』があるとみる。むろん無意識によるもの、意識した作為によるもの様々だ。
それは原始、狩猟時代に女性が身に付けた生存本能でもある。
つまり、優れた性本能とは生存能力や狩猟本能の格差に過ぎない。それが私の見解。
一昨年より推しを続けている某グループ…言わずとしれているが。
例えば、『チーム4』ライブステージの中から推しメンだけを探しだし、ロックオンする。
すでに主催者側から厳しい選定を受けて集まった彼女達は、ビジュアル的にも並みの女の子ではない。醸し出す『釣ってやるぜ』オーラも尋常ではあるまい。
しかし、あえて推しメンだけに集中できる我々の能力とは、特殊な動体視力と推しメンと体温や汗の匂いまで意識下で、認識しているに違いないのである。
我が推し『峯岸みなみ』はMVでは後列にあり、一瞬のなかに判別せねば見逃してしまう。それは、巻き戻しという己の未熟さゆえの恥辱。
惜しむらくは、このように研ぎ澄まされた能力センサーは日常生活に有効活用される場合は、極めて稀であり、残念ながら男性の邪念妄想の類いとして、侮蔑の対象『ぇえい、下がれっ、キモヲタ!』として扱われるのが現実である。
また私自身、一度もライブや握手会に参加を果たせず、探査センサー以前の問題を抱えているのも事実である。
これは反省すべきであろう。行動を伴わない発言は恥じる。


