HOODのブログ -208ページ目

『峯岸みなみ』という主題


たまに…いや、かなりブログ記事として頻繁に上げている我が推し『峯岸みなみ』だ。この半年、ファンの一人として苦渋と落胆、希望を探す日々であった。

ちと…大袈裟。


私が彼女に求めていたのは、13歳の時よりアイドルを仕事に決めた女の子が、芸能界で生き残るための努力や気骨を見せてくれる事が一つにある。

ゆえに、男性スキャンダルが発生した際、彼女の弁明や恋愛へ個人見解よりも、事後の処理に興味と関心があった。


確かに、地球規模で拡散した丸刈り会見が効果的であったか、この演出的背景を解釈分析する余地はある。

しかし、この解釈論を横に置いて『峯岸みなみ』というタレントの相変わらずファンである事に、私は賭けているわけである。

彼女が後継者を育成してゆくのか。新しい道を導いてゆくのかは…実は私の『峯岸みなみ』にとって主題ではない。

一人の歯車、部品の一つに過ぎない彼女の選択余地は少ないはずだ。だが、それが夢物語であっても『峯岸みなみ』物語を期待するわけだ。
そこに彼女を通じての主題がある。

写メは、『みぃちゃんに弄られる岡田彩花』ネットから拾ってきた…岡田彩は未完の大器であると、私は見ている。

アイドルとして歩む道は一つでだけでない。しかし、目指す山頂は幾多あるのか。頂きへ至る先達として峯岸がいて、同じく岡田彩が回峰するAKB世界観を私は楽しみたい。

せめて還暦までは…遊ばせて欲しいのだ。

星の終わり


アイソン彗星が太陽に炙られて蒸発した…宇宙の塵と水の塊である以上、太陽に引き寄せられた時点でアイソン彗星の運命は決まっていたか。

それは恒星系に所属した全ての惑星の運命でもある。いつの日か、太陽も活動が衰えて次第に膨張を始める。やがて、水星や金星を飲み込み、そうして地球は焦げてゆく。

その状況に至る前に地球環境は激変しているだろうから、地上から人間の築いた文明など消滅しているに違いない。虫一匹途絶えているだろう。

ただ、残念ながら数万年は先の話だ。
まだ…人類は続く。

続くには違いないが、宇宙の摂理に照らしたら、遥かに愚かで下等な人類猿である我々は、自らが作り上げた小太陽とも言うべき『原子炉』の始末さえ難儀している。


しかも、人類猿は闘争や集団防衛を好む、それゆえに思考と哲学を捨てて、支配欲と被支配欲に繋がれて権力の奴隷となる。

あと数千年、人類文化は続くのだろうか。

その時に、今以上に人の尊厳や存在する自由を保証する世界であってほしい。

その日までは、やはり戦いと苦渋の積み重ねなんだろうな。


やれやれ…だ。

一夜の伴侶


ギックリ腰が痛いまま、まだ治らない。喘息薬の服用と腰痛で、活動は日々に低下。さながら冬眠を控えたトカゲ何かのようだ。


昨夜、今日の昼間とテレビで『ローマの休日』、『麗しのサブリナ』を見ていた。
主演のオードリー・ヘップバーンは当時25歳という絶頂の若さだ。映画の解説をネットで探していたら、『ローマの休日』の二人…王女と新聞記者の関係を探る記事があった。
映画製作当時、米国にはマッカーシー旋風が吹き、いわゆる『赤狩り』が支配した時代が作品に影を落とす。
ゆえに、肉体関係を連想する台詞や演出は排除され、見た目は清純なプラトニック恋愛に描かれた…とされる。

なるほど、『ローマの休日』の深読みするも良し、また単純に恋愛コメディと見るも楽しい。

私が気がついたのは、王女の心理が恋愛へ傾いて描写に従って、声のトーンが低めに変化し言葉に艶が出てくる。そして、どことなく伏し目に記者を演じるグレゴリー・ペックと視線を交わす。


…人によって読み方は変わる。
彼女が一人の男性に恋をして、本気で生涯を伴にするか…その煩悶は描かないが、ならばこそ、この二人の関係の深さがある。

その処理は、なかなかに洒落ていて、何よりオードリーは美しい。確かに、グレース・ケリーやイングリット・バークマンなど美人女優は星の数だが、無垢な女性像と現実の肉体の存在感を考えると、彼女しかいない。


作品中で『グッバイ…さようなら』、この台詞が効果的に幾度か使われるが、最後のシーンで二人は視線を交わすも、別れを言葉に表さない。
嘘から始まった二人が真実に目覚めた時、本当の関係になったという事か。