猪と鉄と古代エジプト /(3)名古屋城に据えた八角堂の疑問 | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
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第一話の「鉄地蔵尊のある六角堂 /(1)名古屋城に据えた八角堂の疑問」から続いています。

 

 

第三話 イノシシと、鉄と、古代エジプト

 

<<<<<  第三話目次  >>>>>

●鍛冶屋の一族と「八」と「イノシシ」

●鉄と、古代エジプト信仰の符合

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[鍛冶屋の一族と「八」と「イノシシ」]

橘の日置神社(名古屋市中区)から繋がった金屋と言う氏族は、名古屋周辺では、可児市の金山城周辺や、豊川稲荷周辺にも見られ、地名として残っていて、秦氏族が共に関わっている神社があります。 

兵主(ひょうず)の神を祀る和鍛冶については良く分かりませんが、伊楯の神を祀る渡来系鍛冶は、金屋氏が関わっているように思われます。

 

可児市の一宮は、高麗王に関わる白髭神社で、豊川稲荷も渡来氏族の信仰です。

これは、古代の豪族の大友氏でも繋がり、大分県の秦氏の拠点で、白髭神社も含めて結びつくのです。

 

大分の秦氏は、銅の採掘で力を持っていて、東大寺の大仏の建造に大きく貢献したとされるのです。

その事からも、各地の国分寺にも影響を持っていたと推測するのです。

 

大分には、八幡社の総社、宇佐八幡宮があり、京都愛宕、石清水八幡宮に縁の和気清麻呂伝説があり、イノシシに助けられる話なのです。

イノシシの伝説は、やはり鉄と結びついていると考えられます。

そして、「八幡神」です。

 

私の古くからのお客様も、金山神社(名古屋)を代々守ってきた人で驚いたこともありました。

また、私の仕事の中心地区は、この金山地区なのです。

不思議な事に金曜日に訪れるのです。

高校の一番の友人も「鉄男」と言い、我が家の豊臣の地も、秀吉が、加藤清正と共に、鍛冶屋(津島)との繋がりを持っていたのです。

ここで出て来る津島(海部郡)の鍛冶屋からして、織田家の支配地域である事から、信長も、鉄との繋がりを感じるのです。

(秀吉・清正と。鍛冶屋の繋がりの記事はコチラ)

 

[鉄と、古代エジプト信仰の符合]

日置神社で見つけた夏至の沈む太陽のラインは、古代エジプトの信仰に繋がり、

この信仰も「夏至の沈む太陽」の信仰なのです。

それは、鉄一族が信仰する南宮大社も、イノシシの神が住む伊吹山を崇め、夏至の沈む太陽のラインで結ばれていた事から、推測のラインは、確信に変わったのです。

こんな偶然ある分け無いと思ったのですが、

これが偶然ではかたずけられない一致が幾つも、白山と鉄を絡めて現れたのです。

それは、臨済宗の開祖、栄西禅師とも絡んでくるのです。

(日置神社と夏至の太陽の記事はコチラ)

 

夏至の太陽の沈むラインが指し示した養老の一宮の多岐神社の大鳥居のあった場所の地名が「安久」と言い、そこを流れる牧田川の名前とが白山に結びついたのです。

白山の以前の遥拝所も「安久濤(あくど)の淵」と言いました。

 

それから結びつく越前も鍛冶屋で知られ、越前の一宮、足羽神社の呼び名からも、「安久」の名前からも、不思議なことに、古代エジプトの太陽神ラーとも不思議な一致が、見られたのです。

(足羽神社と、太陽の船の記事はコチラ)

太陽の船の不思議なデザイン

 

上のラーの前の不思議なデザインは、越前の足羽神社と完全に一致します。

足と、羽は、足羽神社の名前から分かります。

鎌は、この越前を訪れれば分かります。

越前は、「越前鎌」で有名だからです。

越前の鍛冶資料館に訪れた時、「刀鍛冶は、普通、鎌は作らないが、ここはではどう言う訳か作られた」と説明を受けたのです。

太陽神ラーの持つ冥界への鍵は、「アンク」と呼ばれ、上記で書いた、越前足羽に繋がるだろう養老の一宮(多気神社)の大鳥居のあった場所・「安久(やすひさ)」が「アンク」と読める事は、場所的にも冥界との入り口を意味し、あまりない一致ではないでしょうか。

 

第四話へ続く