太陽神ラーの前に描かれた不思議なアイテム/日本での驚きの類似 | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
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前の記事では太陽の船に描かれている鎌を紐解いてきましたが、その鎌は、画像を見て頂く

 

と分かるように、謎を投げかけるかのように、「羽」と、「一本の足」が一緒に描かれています。

 

世界中の学者が、この壁画の謎を紐解いているでしょうが、そういう情報は得ずして、私だけ

 

の素人の紐解きでしていこうと思います。

 

ラー神の前の不思議なアイテム

 

[羽と足を紐解く]

 

この項目を読まれる前に、下記の以前の記事を読み直して下さい。

 

(「三井からつながる不思議な痕跡」の記事はコチラ・・・この記事は(10)まで続いています。)

 

日本の太陽の舟が描かれている珍塚古墳の近くにも「羽」につながるものがあります。


それは、上記のリンクの記事で紐解いた「足羽神社(あすわ)」です。

 

「足と、羽」の2つのアイテムが名前に見られます。

 

エジプトの太陽の舟の絵とピッタリ合致しませんか?

 

こんな珍しい組み合わせが一致するなんて、有り得ない事です。

 

この神社は、白山の西にあり、福井県の名前の由来にもなった、泉の三柱を祀る神社で、祭

 

神は、珍塚古墳の近くの味水御井(うましみずみい)神社(久留米/北九州)の神々を起源とし

 

ます。

 

その一柱である生井(いくい)の神は、子供の誕生を守護します。

 

生井の字からも、この「井」は、生を産み出す産道の比喩のようです。

 

これは、エジプトの太陽の舟が、女神の産道から出る事と重なりはしないでしょうか。

 

そして、日本の太陽の舟が描かれている場所も久留米なのです。

 

この御井(みい)神社は、中部地方の白山信仰の地に多く見られ、この神を祀る神社は、ほと

 

んどが「御井神社(みい)」と言われ、所在の地は、三井と表されたりもします。

 

しかし、足羽神社だけが「御井」の名称ではありません。

 

この神社を知った時から、疑問に思っていました。

 

これは、日本の太陽の船と、エジプトの太陽の船とつながる事を、暗に示すための細工ではな

 

いかと私は思うのです。

 

三越(三井)にライオンがいるのも、三囲神社(三井家の守護宮)の三柱鳥居の中の井戸も、三

 

井家と御井とのつながりには導き出せませんが、不思議な一致です。

 

太陽の舟の絵だけのつながりでは、謎は解けないと考えたのでしょうか?

 

この神社は、永平寺の近くにある事にも意味があるようです。

 

白山神社の奥の院の大祭は、海の日で、永平寺が取り仕切ります。

 

海の日の由来は、明治天皇が、汽船に乗って東北へ巡幸された事からです。

 

これは、明治天皇=ラー神と言うものを、裏の意味に持たせたのではないかと思うのです。

 

白山が、日本海を航行する船の守り神とされるのも、太陽の船が航行する事と重ねてあると

 

すると、納得がいきます。

 

白山の天秤の伝説では、計量に使われているのが「わらじ」です。

 

「羽」であれば、簡単に紐解けたと思いますが、もう一つひねってありました。

 

「わらじ」は、足に履きます。それは、「足羽」から、足は羽であると導いているのです。

 

この天秤伝説も、変わった話で、そうは有る伝説ではないと思いませんか?

 

(白山伝説の記事は、コチラから続いています)

 

[今までの記事で取り上げた『足』]

 

「足」のアイテムは、以前にも出てきました。

 

ヤマトタケルに関わるものに、特に表れています。

 

ヤマトタケルの父・彦天皇(景行天皇)の「足」や、兄の墓のある猿投神社の近くには、

 

(あすけ)と呼ばれる地があり、この三人は、伊吹山周辺に縁が深く、伊吹山南東には、牧田川

 

が流れ、この牧田は、多分、足羽神社に代々続く宮司さんの名前からだと思われ、名前の変

 

遷は、馬来(まきた)から、現在では、牧田になっています。

 

牧田川の近くには、島の地名が見られ、御井神社もあるのです。

 

この神社は、各地に有るわけではありません。

 

だから、御井と、羽がつながると感じるのです。

 

[我が家の牧田との不思議なつながり]

 

家族にも不思議なつながりがあり、「ルリ子」の名の母は、城で生まれ育ち、そこには、マキ

 

タ電気の本社があるのです。こじつけ気味ですが、長女の家の近くの愛知池の辺にも、マキ

 

タ電気の大きな工場があるのです。

 

長男も、長女と同じような配置で、愛知町の北に住んでいて、井の寺があり、安井さんが多

 

く住みます。

 

愛知(泉)でつながり、安(易が語源)でつながり、マキタの足羽神社でつながるのです。

 

私にも、マキタに縁があります。それは、本人の許可を得ていないので省略します。

 

また、この話をする特定の人ともつながっています。

 

この人の妹さんが、牧田家へ嫁いで、お姉さんが、私と同じ名前の家に嫁いでいるのです。

 

足羽神社の事を話したら、凄く、驚いていました。

 

三姉妹だから、宗像三女神のようです。

 

ご本人は、真ん中の次女で、お住まいが、七夕信仰が隠れていると推測した元興寺が関わる

 

場所に隣接して、弁天島のような場所もあるのです。宗像三女神も、次女の祀られている中

 

津宮には、七夕信仰があるのです。

 

日本には、一本足の妖怪の伝説が多く残ります。

 

その中で、良く知られているのが、主に紀州に伝わる「一本足のだたら」の伝説です。

 

これは、一つ目で一本足の目に見えない妖怪の話で、この太陽の船の一本足とつながるよう

 

です。

 

何故なら、一つ目である事と、「だたら」から、「製鉄」に関わりが見え、それは、以前にも、何

 

度も紐解いてきましたが、白山信仰とつながるからです。

 

そして、一つ目は、ピラミッドにつながるのは皆さんも、ご存知かと思います。

 

このように、太陽の船の絵に描かれた、謎に満ちたアイテムは、北九州から白山、そして、大

 

和の地に多くの痕跡を残し、私に、不思議な共時性を持たせてつなげてきます。

 

皆さんの地でも、このようなつながりがあったら、是非、お知らせ下さい。

 

次回は、羽をもう少し追ってみようと思います。