私独自の紐解きで、エジプトのピラミッド信仰の日本での痕跡を紐解いてきました。
今日は、今まで注目してきたエジプトの古代信仰と、白山信仰と、小臼命(ヤマトタケル)、そし
て、大臼命をもう少し見ていこうと思います。
[死神の鎌と、法隆寺の五重塔の鎌]
この関係をつなげるアイテムとして、鎌の存在があります。
大臼命や、洞戸の星宮神社には、左鎌が関わっています。
変わったアイテムだから、それには意味を持たせてあると思うのが自然かと思うのです。
もう一度、太陽の舟のラーの持ち物を見て下さい。
ラーの前には鎌と、羽と、片足があります。
羽は女神・マアトの「法」の羽です。
足は、次回に紐解くとして(不思議なつながりがあります)、鎌は何なのでしょう?
アヌビス神(夜のトト神)の妻・セシャトにも、鎌の杖を持ちます。
このセシャトの仕草を私の勝手な想像で紐解くと、死者の名前を書く書記の仕事を表している
と思うのです。トト神が死者の名を書く書記として知られるからです。
今までの紐解きから、トト神は、日本では、イザナギとしてきました。
妻・セシャトは、トト神と性質は同じで有ることから、同じ創造神であり、日本では「イザナミ」を
表し、イザナミは、冥界(死者の国)の女王である事から、セシャトも、冥界の女王と考えられる
のです。
このセシャトの鎌と、トトの雁股の杖は、星宮神社の左鎌と、雁股の矢と重なることから、この
地に、強く根付いている白山信仰から、やはり、その祀神・イザナギ(夫)と、イザナミ(妻)である
と思うのです。
そうでなかったら、これだけの重なりは何なのでしょう。
この組み合わせを見つけた興奮で、私は、そう信じたいだけなのかもしれません。
鎌のつながりは、法隆寺でも見られます。
法隆寺の五重塔の法輪に鎌が付いています。
この謂れは、法隆寺123世管主が書かれたものに、「雷除けとしたお札のようなもの」と書かれ
ていますが、何故、鎌なのかは、はっきりしていません。
この管主が、堺の鍛冶屋に頼んだものですが、依頼するなら、堺の鍛冶屋には頼まないはず
です。
その訳は、今日の趣旨とは離れるので省きます。
高い塔に付けられた事は、確かに、雷除けのまじないでしょうが、高い塔は、以前のサルベー
ニャ島の記事でも書いたように、高い塔は、ピラミッドにつながっています。
法隆寺夢殿の弥勒菩薩がエジプトのミイラのような姿をしていなかったら、雷除けだけで通り
過ぎましたが、法隆寺の伝説にも「片目のカエル」が登場する事は、この鎌は、エジプトに由来
する事を示していると思うのです。
日本の太陽の舟に描かれた「カエル」や、一つ目と、鍛冶屋と、白山が、私の中では、つなが
っているので、法隆寺の鎌とのつながりも、私の紐解きの流れの中にあるのです。
そして、法隆寺の前にある弁天池の存在も、七夕信仰の存在を露にし、「7」も、サルベーニャ
島からピラミッドとつながってくるのです。
この7のつながりは、トトの妻・セシャトにも感じられるのです。
[セトシャの頭の印を考える]
セトシャには、変わったデザインのものが頭に乗っています。
この星のような飾りについても、私の勝手な想像ですが、七つの突起物から、最近、知恩院の
記事で紐解いた(浄土宗の宗紋から)タジキスタンの国旗を思い出し、「七」と、「星」で重なります。
また、少し強引かもしれませんが、「星」と、ウ冠のような組み合わせから、星の宮とも取れま
すが、トト神を金剛界の九会曼荼羅と重ねてきた事から、九グリッドの曼荼羅図の周りを7体
の仏か、尊者を配置した事と重なるのかも知れません。
丁度、15日に元善光寺の宝物殿を見てきたら、金剛界曼荼羅があり、頂上にピラミッドのよう
な三角のデザインがあったからそう感じたのです。
不思議な事に、今日、17日に、お客様の門に、セシャトの印と同じようなデザインがあったので
す。ただ違うのが、星ではなく、菊の紋だったのです。そして、その門には、ライオンが一頭、
置かれているのです。
それらの経緯を尋ねた所、偶然に揃ったようです。
この記事を書き始めた時に、この付近で、私の前に117の番号の車が、またまた、登場した
のでした。
この地は、共時性のパワーが、今、強く現れているのでしょう。
エジプト信仰は、日本に、数多くの痕跡を残していて、それらを記事で書き記してきましたが、
次の記事で書き記す事も、驚きの一致を見ます。
それは、次回に・・・