前の記事のつづきです。
前の記事では、ヤマトタケルを古代エジプトの神・セトとし、ヤマトタケルの兄(大臼命)をオシリ
スと紐解いてきました。
それを結びつけた時、「まさか?」と思った事がありました。
[セト神と、大臼命がつながるとしたらこの偶然は・・・・]
この地図をまず見て下さい。
大臼命の墓がある猿投山は、猿投と瀬戸との境界上にあります。
この場所は、セト(瀬戸)と、大臼命がつながっています。
瀬戸は、陶磁器の瀬戸物で全国的に知られる名古屋の北東に位置する場所にあります。
早速、瀬戸の意味を調べました。
「両側から陸地が迫った小さな海峡で、潮の干満の差で流れが速くなる場所」と、特別、意味
がつながるような由来ではありませんでした。
ただ、古くからある地名のようです。
この辺りには、「白山」の地名が見られ、白山が関わっているようです。
[鴇(とき)の姿のトト神と、鴇(とき)と、「時」]
トト神も、変わった偶然があります。
トト神は、鴇(とき)の顔も持ちます。
そして、時の管理者です。
時と、鴇の日本での読み「とき」が同じなのも偶然でしょうか?
また、瀬戸から北東に行った所に土岐市があります。
土岐市も瀬戸同様、焼き物の街で、美濃焼きで知られています。
土岐と、瀬戸と、猿投は、隣接しているのです。
時・鴇・土岐は、本当に「とき」で重なるのでしょうか?
このような組み合わせの 陶器・小臼命・トト神・エジプトは、熱田神宮の付近でも揃っていた
のです。今日、その地域を仕事で回っていた時、気がつきましたが、プライバシーに関わる事
が含まれるので、ここでは避けます。
皆さんの地域でも、日本武尊に関わる場所があったら、このような関わり方があるかどうか調
べて見て下さい。
大臼命をエジプトのセト神と紐解かなかったら、このようなつながりなど見えなかった事です。
本当に不思議な偶然ですね。
[時と、比叡山と、白山]
また、比叡山の山王信仰は、「猿」で知られます。山王信仰の日吉大社は、比叡山の麓にあ
り、その隣には、近江神宮があり、「時の神社」として知られ、そこには、トト神が発明したとさ
れる「水時計」があります。
龍の形の古代火時計。どのように時を告げるのかは近江神宮のHPで見て下さい。
火と、水の時計が飾られているのも、私が紐解いてきた「火のニワトリ」と、「水のニワトリ」を
意味しているのかもしれません。
始めて漏刻を作ったのは、天智天皇(飛鳥時代)とされ、(諸説ある)その日を記念して時の記
念日(6月10日)が制定されたのです。
しかし、これは、文献がとぼしいので、はっきりはしていないのです。
天智天皇と、「時」を結びつけるために創られた話なのかもしれませんね。
それとも、天智天皇は、「時の管理者」であるトト神と言いたかったのでしょうか?
この漏刻は、古代エジプトでも使われていました。
そして、この場所の漏刻には、矢が刺さっています。
とても、変わったデザインです。普通、矢など刺さないでしょう。
トト神が「神よりも強い鋭い矢」と言われる事を裏付けているようです。
また、近江神宮は、百人一首の聖地でもあるのです。
これも、洞戸の星宮神社に伝わる大鳥の魔物伝説に登場する藤原高光が関わります。
この人物は、魔物を退治するような武人ではなく、平安時代の歌人なのです。
白山と、この比叡山と結びつけるためのパズルのアイテムとして登場させたと思わざるを得ま
せん。
不思議なのは、近江神宮は、昭和15年に建てられた新しい神社なのです。
古から続く神社なら、これらのつながりはあっても不思議ではないのですか゛、こうも新しい神
社である事は、この水時計とか、百人一首とか、建築に携わった責任者が、エジプトとのつな
がりを知っていたとしか考えられないのです。
皆さんは、どう思われたでしょう。
このエジプト信仰の日本での痕跡は、まだまだあります。
続きは次回に・・・