鉄地蔵尊のある六角堂/ (1)名古屋城に据えた八角堂の疑問 | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

今日の記事は、10年以上の出来事をまとめながら書いているので、少し長くなり、分けてUPしていきます。

それは、細切れになった今までの記事が、一つに繋がっている事に、読者の方は気が付かれるでしょう。

なるべく、まとめ上げて書いてありますので、

興味を持たれましたら、最後の章までお読みください。

この後の陽明門の謎の最終章に繋がっていきます。

 

<<<<< 目次 >>>>>

第一話 鉄地蔵尊のある六角堂

●六角堂と呼ばれる長光寺

●臨済宗と、摩利支天との不思議な縁

●金属の気の数

 

第二話 空也上人と鉄

●名古屋日置神社と、津島日置神社から読み解く鉄地蔵尊

 ** 越前足羽神社と白山狛犬の繋がり

   **   白山比咩の「比咩」は何故、この字なのか?

尾張国分寺移転と、空也上人から繋がる地蔵尊

 

第三話 猪と、鉄と、古代エジプト

●鍛冶屋の一族と「八」と「イノシシ」

●鉄と、古代エジプト信仰の符合

 

第四話 臨済宗開祖栄西禅師から読み解く鉄

●栄西禅師と、鉄と、織田信長と、越前

●筑後と、岡山の桃太郎伝説の繋がり

 

第五話 鉄と、夏至の太陽

●鉄と、イノシシと、夏至の太陽

築後の遺跡の太陽の船と、エジプトの太陽の船

 

第六話 日本の宗教に見られる古代エジプトの痕跡

東寺の立体曼荼羅と、ギザのピラミッド

●さざれ石と古代鉄の産地・伊吹山

 

第七話 キュウリの紋と、ギザのピラミッド

織田信長との繋がり

織田信長が遊んだ寺

 

第八話 西アジアと繋がる古代日本

宮地嶽神社と、アブシンベル神殿

●三柱鳥居と、西アジア

 

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第一話

先々週の土曜日、稲沢市六角堂と言う地にある長光寺を訪れました。

それは、尾張徳川初代藩主、徳川義直が、清洲城から名古屋城に、六角堂を八角堂に変えて据えた事に、何故と思ったからです。

(八角堂の記事はコチラ)

清洲城からと言うのも、はっきりしていないからでもあったのです。

また、徳川の城の8度の傾きとの繋がりを、知りたかっただけです。

 

丁度、訪れる2日前に稲沢在住のお客様と話していたら、六角堂と言う地名がある事を話されたのです。

 

[六角堂と呼ばれる長光寺]

長光寺は、「六角堂」の愛称で呼ばれます。

 

1161年に、この地域を任された平頼盛の病気平癒に関わった地蔵尊を祀るために建てられました。

宗派は、色々変遷があり、現在は、臨済宗妙心寺派となっています。

 

ご住職とお会いする約束をし、訪れると、六角堂の中に通されました。

私は、なるべく、その場所の事は調べないで訪れる事にしています。

先入観を持つからです。

驚きました。

六角堂に祀られていたのは、鉄でできた地蔵尊でした。

楼門には、立派な仁王像があり、見ていると、仁王様の腕が折れているのです。

檀家の方がいて、昨年、賽銭泥棒に腕を折られたと話してこられました。

私は、思わず「えっ!」と言っていました。

ほんのわずかでも宗教心を持っていたら、絶対に有り得ないことです。

子供が親を、親が子供を殺める事件が最近多く起きています。

これも、宗教心を持たない人々が増えている事なのかもしれません。

この仁王様の画像は、私には撮る事ができませんでした。

 

[臨済宗と、摩利支天との不思議な縁]

お寺から帰った時、私のブログに1通のメッセージが届いていました。

その内容が、「臨済宗妙心寺派の聖澤院に摩利支天像があり、妙心寺の参道も少し傾いている」と言うものでした。

この聖澤院の名前にも驚いたのですが、私が、この日、「臨済宗妙心寺派」の長光寺に行く事は、妻と、「聖」の名前の義理の娘以外には話していません。

タイミングの良さにいつもながら驚きます。

 

この「聖澤院」と「摩利支天」について聖澤院に尋ねた所、文化財登録では摩利支天としてあるが、これは、毘沙門天であったと言われ、聖澤院の名前の意味も分からないとの事。

しかしながら、摩利支天とした事に、臨済宗との繋がりの深さを感じるのです。

 

摩利支天を私が知ったきっかけが、5年前の京都旅行においてです。

有り得ないぐらいイノシシ縁の場所を、何箇所も偶然に1日で巡ったのです。

その時、訪れた臨済宗の建仁寺で、イノシシが摩利支天の使いだと知ったのです。

(京都旅行の記事はコチラ)

この寺には、縁の力が私を来させたのでしょうか?

長光寺のある稲沢での不思議な繋がりも、その力が働いているのかも知れません。

実家の電話番号が「1738(いなざわ)」で、弟も同じ数で繋がった事も不思議に思うのです。

 

また、正月にお茶する小学校からの友人が2人いて、一人は易の名前を持ち、一人は、稲沢に住んでいるのです。

この稲沢の友人との縁は、今までこれと言ってなかったので、見つかるかと思ったのです。

 

[金属の気の数]

私は、ブログを書き始めてから、「鉄」と「菊」に導かれるように今日まで書き綴ってきました。

陰陽道で重要な金気の数、4の生数(きすう/ウサギ)と、9のを成数(せいすう/猿)を日置神社から知り、どんどん繋がっていきました。

この数を表す橋が、日置神社(名古屋市中区橘)を中心に、東にはウサギの橋(宇津木橋)、西には猿の橋(猿子橋)が、東西に結界を貼っているかのように配置されています。(多分)

 

名古屋の鬼門の中心は、「名古屋の中心を表す」と書かれている「八角堂」かもしれませんが、家康が、名古屋の守護として日置村に持って来た大須観音であり、その地に在る日置神社の方が方位的にも正解かもしれません。

名古屋城では位置的にも、東西南北に面していない事からも不自然で、私的には、城に白山を鎮める役目に持たせたのでは思うのです。

水の化身シャチで、白山の火を鎮めると言う具合にです。

 

第二話へ続く