世界にも見られる不思議な八度の傾き/陽明門の謎(5) | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

第一話から続いています。

 

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●火山と徳川の城と八角

●京都鬼門、裏鬼門とスフィンクス

●聖ミカエルと摩利支天

●ミカエルと消防の聖地

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[火山と徳川の城と八角]

第四話では、家康が造った城と、火山が不思議なラインで結ばれていると紐解いてきました。

名古屋城では、白山と。

浜松城は、御嶽山と。

江戸城は、日光東照宮(日光火山群)とです。

不思議な事に、そのラインの角度を計ってみると、共に、西へ八度の傾きがあったのです。

姫路城には、それらしき対象物がありませんでしたが、真っ白な外観の特徴から、白山を表していると想像でき、

菊理姫を祀る白山と繋がるかのように、城内には八角形の「お菊の井戸」があるのです。

白山と繋がるだろう名古屋城にも、徳川義直が清須(稲沢とも言われる)から持って来た「八角堂」があり、当初は、六角堂でした。

白山と名古屋城が繋がるかのように、白山の神紋は六角形なのです。

そして、名古屋城の西に隣接する地名が菊井町と言うのです。

 

では、この角度は何を指し示しているのでしょう。

京都裏鬼門の石清水八幡宮の「八」や、名古屋の市章の「丸八」の「八」に秘密を埋めたと思われます。(多分)

八の字の形状が、火山を表しているのでしょうか?

八の字が、右と左で角度が逆になっていることを表しているのでしょうか?

八幡宮では、この「八」を鳩で描いていますね。

鳩

八の重要性を強調して、この謎を解いてみろと言わんばかりです。

 

この八の字が、右と左で表すとしていたら、これは、偶然なのでしょうか?

京都の鬼門、上賀茂神社の参道が左に傾き、裏鬼門の石清水八幡宮の参道は、右に傾いている事です。

合わせると「八」の形状になります。

 

両神社共に、参拝後、神様にお尻をむけては失礼だからと言われます。

そうであるなら、全国にある神社でも、その形が見られるはずです。

私は聞いたことありません。

 

 

【京都鬼門、裏鬼門とスフィンクス】

東照宮奥の院の家康の零廟前の置物に香炉がありましたが、その上には獅子が乗っていました。

何故、獅子が乗っているのでしょう?

私なりの妄想で紐解いていくと、エジプトのスフィンクスに行き着きます。

 

石清水八幡宮の参拝方法で変わったものがあります。

参拝前に手を洗うのではなく、池に影を映し清めると言うものです。

そして、八度傾いた参道の先の一の鳥居の下には「一つ石」があり、地面の中に埋められたような形状をしています。

スフィンクスも一つの石でできていて、同じですが、スフィンクスは左に傾いた参道の先にあり、右に傾いてる参道は無く(クフ王のピラミッドにはある)、スフィンクスは有りません。

狛犬のルーツとも言われ、シンメトリーのピラミッドからして、腑に落ちません。

右にも有るはずなのです。

それは、ヒッタイト文明の首都であったハットウシャの城門の前には、スフィンクスは2頭並んでいた事からも、そう思えるのです。

 

石清水八幡宮の地中に埋まった石と、異界を表すような清め方から、

異界に在って、見えないスフィンクスを表していると、私は妄想するのです。

八度の傾きを持つ場所との一致はまだあります。

 

【聖ミカエルと摩利支天】

モンサンミッシェルの聖なるラインとも類似を見せ、

それは、家康が信奉した摩利支天も繋がっているのです。

私が摩利支天に不思議なつながりがあった事から見つけたのです。

日本とのラインの一致も不思議ですが、

この欧州と、日本の2つのラインに、私が絡んでいる事の方が不思議で、私にとってゾッとする事なのです。

(名古屋城と白山の記事はコチラ)

(ミカエルのラインの記事はコチラ)

(摩利支天と、ミカエルの記事はコチラ)

 

名古屋の伏見通と、日置神社からの夏至のラインとの類似が見られるストーンヘイジのライン。

 

上記のリンク記事を読まれると、ミカエルの掲げる剣と羽が、日置神社の隣にあった寺の摩利支天像の剣の形状が類似を見せ、驚かれるでしょう。

ミカエル像

 

名古屋の日置神社隣の寺にあった摩利支天像

 

その剣の掲げる角度を調べることは私にはできないですが、八度の角度を感じられるのです。

 

【ミカエルと消防の聖地】

ミカエルは、消防士の守護神でもある特徴を持ちます。

日本では、京都の愛宕が、消防士の聖地とされ消防士が良く訪れるとされます。

それは、この地は火炎の世界の女王イザナミの地とされ、古くは、白山信仰を開山した泰澄大師が開いた愛宕五坊があり、空海や、最澄が、唐から帰国して直ぐに留まった場所なのです。

天台宗を開いた最澄にも、泰澄大師の影響を受けたと思われるのです。

天台宗が絡んだ日光東照宮にも、その思想があるはずなのです。

 

最澄は「足羽(あすわ)郡」の神社の宮司の家に生まれました。

越前足羽郡の中心的神社は「足羽神社」で、この名前は、古代エジプトの太陽神ラーの太陽の船に描かれたデザインと不思議に重なるのです。

以前にもそれは取り上げてきましたので「太陽の船 足羽」で私の記事を検索してみて下さい。

驚きますよ。


足羽神社は、御井の泉の三柱を祀ります。

真名井の水と考えられます。

おそらく、最澄大師の役割は、愛宕も、白山もイザナミ神の地である事から、イザナミの火焔の災いを真名の水で消火することだったと推測します。

 

名古屋で言えば名古屋城の金のシャチホコが「水の化身」とされる事から、白山からの災いを防ぐ意味を持たせたと思われます。

それは、こんな事からも考えられます。

名古屋城のシャチホコは、東西に並んでいます。

城下町の中心部は、城の南側に広がるのに、中心部の民は、金のシャチホコのお尻しか見えない事になります。

金色でなければ、それも有りなのかとスルーするでしょうが、シャチをワザワザ金色にした意味は何なのでしょう。

このシャチホコが、ここまでの全ての謎を解く鍵となるのです。

以前の金シャチの記事を読まれてない方は是非お読みください。

(金のシャチホコの本当の役割の記事はコチラ)

この金シャチには、日光東照宮へ導く重要な役割があると私は推測しました。

それを、この先の記事で紐解いて行きます。

日光東照宮の見方が一変する事でしょう。

 

続く