豊臣秀吉と、不思議な渦 | パオンのブログ

パオンのブログ

最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

前の記事では、豊臣秀吉誕生の地の豊国神社を絡めて紐解いてきました。

何故、秀吉は、猿と呼ばれていないのに、死後、猿と言う愛称を持ったのでしょうか?

これについては、以前にも、紐解きました。 

猿と呼ばれた秀吉の記事はコチラ)

 

三猿で知られる日光東照宮や、猿の山王信仰に結びつけるものだったのではと感じるのです。


////  目次  ////

豊臣秀吉の誕生の地の渦

猿と渦

西美濃の垂井の三猿

////  //// ////  ////


 【豊臣秀吉の誕生の地の渦】

前の記事で、秀吉誕生の地にある豊国神社の裏(北西側)に八幡社があり、その繋がりが、日光の伝説と重なっている事を書いてきました。

 

記事を書く前に、その場所(中村公園)を訪れた時、豊国神社裏(北東)にこんな楠に目が行きました。

 

渦のような幹をしていたのです。

思い過ごしかと、中村公園を見て回りましたが、どうも、この木だけのようです。

桜の木などは、そのように見えたりもしますが、楠は、真っすぐ幹の肌がしています。

 

少し意識し過ぎているかもしれません。

それは、この場所に渦のモニュメントがあるからです。

(中村公園にあるモニュメントの記事はコチラ)


【伊勢瀧原宮の不思議な渦】

伊勢神宮遥宮(はるかのみや)の伊雑宮(いざわのみや)の北にある、もう一つの遙宮・瀧原宮にも渦の木肌を持つ杉の木が一本だけあった事を思い浮かべました。

(瀧原宮の記事はコチラ)

この宮に隣接した「多気」と言う地名が重なりました。

瀧原宮も「多気郡」にあった斎宮ではないかとも言われるのです。

 

私が良く記事にする養老(岐阜県)にも「たき」の字を持つ「多岐神社」があります。

この地も「瀧」で知られる場所です。

「瀧原宮」の、「瀧」と、「多気」。

「養老の滝」の「瀧」と、「多岐」。

と言う具合です。

「多気」の名前からして、「気」が多く発生する場所なのでしょうか?

そのパワーが、木を渦状にしているのでしょうか?


 【猿と渦】

多岐神社は、名古屋の山王地区にあるから、夏至の太陽が沈む方角にラインを引いた時、ラインが上を通る神社です。

そのラインは、中村公園の八幡社も通り、他にも猿に関わる場所が多く、私は「猿のライン」と呼びます。

多岐神社参道の一の鳥居の先は「日吉地区」と呼ばれている地区で、日吉神社が多い地域です。

猿と呼ばれた秀吉誕生の地にある八幡神社も「橘紋」です。

また、石清水八幡宮は、橘紋と「うず」を表す、巴紋も並んで表しているのです。

 


 そして、ここには、日光に繋がる不思議な猿があります。

左甚五郎作の「目抜きの猿」です。


豊国神社北にある八幡神社と、渦の木と、猿で揃うのです。

その考えは、 瀧原宮と、多岐神社が関係しているとした場合です。

だから私の想像でしかありません。


しかし、瀧原宮の南に位置するもう一つの遙宮・伊雑宮が、下鴨神社の澤田社と繋げた私にとって、養老の多岐神社周辺の地域が広範囲に「沢田」と呼ばれる地域である事から、下鴨神社とも繋がる事を感じるのです。

 

下鴨神社は、「豊国」(大分県)を拠点とした秦氏と結びついている神社です。

秦氏は、八幡宮を全国に広めた氏族で、京都での拠点は「太秦(うずまさ)」で「うず」で重なるのです。

 

【西美濃の垂井の三猿】

先週の木曜日、伊吹山西麓の垂井を訪れました。

 

比叡山の守護宮日吉大社から、最澄と慈覚が勧請した日吉神社を見たかったからです。

中村公園の豊国神社が祀る豊臣秀吉の幼名を「日吉丸」とされましたが、それも、死後、大衆の読みもの「太閤記」で取り上げられてからです。

これも、「猿」の愛称と同じように、何故、日吉と呼んだのかは分かっていないのです。

 

その日吉神社は、西美濃には、幾つかあり、ナビで検索しても、どれが目指す日吉神社か分からないので、近くから訪れる事にしました。

最初に訪れた場所は、河原にある小さな村社でした。

 

 

 

ここには、私が見たかった「三猿」が有りませんでした。

しかし、ある事に気が付きました。

この神社の神紋にです。

 

 

善光寺と同じ、「立三つ葉葵」で、

日置神社(橘町)から引いた猿のラインは、善光寺東海別院の上も通るのです。

(善光寺と猿のラインの記事はコチラ)

 

次の日吉神社は、そこから直ぐの所に在りました。

 

 

そこに、私が見たかった三猿がありました。


【三猿と、善光寺の寺紋】

 

 
 

そこの神紋も立三つ葉葵紋です。

下鴨神社も葵の紋です。

 

 

徳川家康の紋も葵の紋。

その霊廟の日光東照宮も、三猿で知られます。

豊臣秀吉を猿としたのは、徳川の旗本、土屋氏(中村氏族)が書いた「豊臣秀吉素性記」にでした。

(その記事はコチラ)

日吉大社も山王信仰が絡んでいて、山王信仰が猿の信仰である事からと、比叡山の天台宗とも絡み、日光東照宮創建も、天台宗の高僧・天海が関わっている事からも、豊臣秀吉に意識的に結びつけたと思われるのです。

徳川家康縁の、大須(名古屋市中区)も「多気」と同じ意味を持ち、その地の守護宮・日置神社(橘町)から猿のラインが、そこにある渦の木の上を通るのも偶然とは思えないのです。

(夏至の太陽が沈むラインの記事はコチラ)

 

このように、瀧原宮、伊雑宮、日吉神社、伊勢神宮、豊臣秀吉、下鴨神社、八幡宮、豊国、日光東照宮、徳川家康、葵紋が、不思議な繋がりをみせるのです。

 

これだけの繋がりが見られても、「渦」に結び付けるのは、私の思い過ごしでしょうか?