豊臣秀吉の愛称「サル」の裏にあるもの(2)ピラミッドと、土屋氏 | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
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前からの続きです。

 

平塚の近くには、江戸の南西を守護する八方易で知られる寒川神社があります。

 

「寒川」の「寒」は、前にも取り上げたように、「鉄」を意味します。

 

ここでも「鉄」です。

 

ですから、鉄と、猿も深く結びついているはずなのです。

 

 

豊臣秀吉をサルとした土屋氏(祖・中村氏)の生まれた相模国中村荘には、中村氏の菩提

 

寺・五所宮八幡神社(相州足柄上郡御所宮)(寺は今は無い)があり、そこには、サルに纏わ

 

るものがあるのです。

 

庚申塔には、三猿が描かれ、常夜灯にも三猿が彫られています。

 

庚申塔は、いろんな場所で見られ、辻々に置かれた、お地蔵さんと良く似ています。

 

三猿は、庚申塔で表わされる、人間の体に宿っている「魂(こん)」と、「魄(はく)」と、「三尸(さ

 

んし)」を意味しているように思われ、現段階では、猿とのつながりが、私には理解できませ

 

ん。

 

 

寒川神社の対極にあるのが、東照宮である事から、三猿でつながっていると言え、この三猿

 

が隠している事が、不思議な体験をしている人達のパワーの秘密なのかも知れません。

 

 

これらから、筆者の土屋氏は、山王信仰(さる)や、鉄、易、とのつながりがあるのではと推測

 

でき、寒川神社と同じ方角を護る京都の岩清水八幡宮も、寒川神社周辺の特色と重なってい

 

るいるものと思われます。

 

[石清水八幡宮と重ねてみると・・・]

 

岩清水八幡宮を、鉄の発祥の地「ヒッタイト」や、「ギザのピラミッドとスフィンクス」と重ねてき

 

ました。(その記事はコチラからシリーズで続いています

 

岩清水八幡宮にも、意味深な「サル」の彫り物があり、片目を打ち抜かれたサルの彫り物で

 

す。(左甚五郎作)

 

一つ目信仰は、鉄の信仰です。

 

そして、土屋氏の名前からも、鉱山技師を連想します。

 

同じく、江戸時代、鉱山技師で知られた平賀源内(土用の丑にウナギを食べる事を発案した

 

人物)の故郷も讃岐の寒川郡でした。

 

 

[土屋氏の家紋はギザのピラミッド?]

 

土屋氏の家紋は、主に丸に三石です。

 

ギザのピラミッドも三つの石と言えます。

 

少し飛んだ解釈に思われますが、この家紋の意味を知ると、これも有りかなと思えるのです。

 

武田信玄に仕えていた二十四将に土屋の名が見られ、その家紋は、三つの石が長方形で、

 

石畳とされ、この家紋の石畳は、神域を表わすからです。

 

石畳は、沢山の石で造られている事を意味しているのではと感じるのです。

 

何故、石だけではなく「畳」とされているのでしょうか。

 

そして、「石の神域」と合わせて、「土屋」の字から読み取れるのは、「土の家」

 

つまり、「古墳」を表わしているのではと、何も根拠も無く思うのです。

 

[東北から読み解く]

 

少し、場所を宮城県に飛びます。

 

「厩猿信仰」は、東北から伝播したと言われるからです。

 

そこには、サンカの民から派生する太子信仰が根付いています。

 

以前、宮城県の多賀城市にある荒脛巾(アラハバキ)神社を取り上げました。

 

それは、三つの祠からなり、右に蚕神社があり、ハサミが奉納されていて、左には太子堂と書

 

かれた祠があります。

 

この時の紐解きから、シルクロードの絹(蚕)と、カエルの紋様が象徴の西アジアにつなげまし

 

た。

 

その記事はコチラ

 

そのカエル(荒脛巾)と、法隆寺の厩戸皇子(聖徳太子)の伝説とつなげ、鍛冶発祥の地、一

 

関の舞草(もぐさ)遺跡の鉄とつなげました。

 

その記事はコチラ

 

その場所が白山岳にある事から、限りなく、サンカの民と、白山信仰が結びつくのではと思う

 

のです。

 

これらの事から、厩猿信仰と、厩戸皇子とも、結びつくものと思われます。

 

 

[秀吉が生まれた中村(名古屋市)の由来]

 

福岡の中心を、那珂川(なかがわ)が流れますが、その由来を調べると、その歴史はとても古

 

く、魏志倭人伝の中に出てくる奴国(なこく)が語源とされます。

 

そして、その名前は、八世紀頃の資料に「那珂郡」として、登場し、その地名は、仲村に変わ

 

ります。

 

その場所の近くには、海部(あま)と言う地名も古くにありました(現在の博多区住吉の付近と

 

されます)。

 

 

[海部族との結びつき]

 

名古屋の中村の地名を調べると、色々な説が出てきますが、角川書店の「日本地名大辞典」

 

を見ると、平安時代からこの名はあり、「尾張国の愛智郡十郷の一つであり、北九州の「ナカ

 

族(海人族)」ではないかと書かれていて、偶然にも、名古屋でも隣合わせであった「海部郡

 

(あま)」(宗像の海人族)の海部氏と一緒に、この地(名古屋)に来たのではないかと思われ

 

るのです。

 

私の求めていた答えが見つかりました。

 

海部郡の中心地であった津島市は、天王祭りで知られ、巨大な、まきわら船が幻想的な姿を

 

池に映しだす、海人族らしいお祭りです。

 

この天王祭りは、「牛頭王」の祭りでもあるのですが、どうつながるかと思っていたら、美濃の

 

同人誌に「厩猿信仰は、牛頭信仰でもある」と書かれているのが目に入りました。

 

 

いつものように、簡単につながりました。

 

そして、この津島には、「日比」と言う姓が多くいます。

 

平塚(神奈川県)の東に隣接する寒川神社近くにも、「日比」の姓が多く見られます。

 

秀吉の生まれた場所の近くにも、日比津があり、白山神社があります。

 

そして、それは、我が家の近くでもあり、隣も「日比」なのです。

 

近くには、「栄生(さこう)」と言う地名があり、この地名を紐解いた私の説(宗像三女神)が結

 

びつくのです。(その記事はコチラ

 

このような事柄から、名古屋市中村区の由来は、海部氏とつながる宗像一族が関わってい

 

て、七夕信仰にも、つながるのです。

 

この縁の力は、我が家の墓のある江南とも深くつながっている事を痛切に感じました。

 

津島天王祭りが開かれる津島神社は、巨大な藤棚で知られ、江南も、愛知随一の藤で知ら

 

れるのです。

 

 

「秀吉」と、「猿」とを知るには、秀吉の生まれた場所とのつながりを、もう少し、知る必要があ

 

ります。

 

妻の「ねね」の姉は、、津島の鍛冶屋五郎助に嫁ぎます。加藤清正の父も、美濃から来て、

 

鍛冶屋で修行し、鍛冶屋五郎助と同居します。

 

秀吉・清正と鉄のつながりの記事はコチラ

 

これだけ、海部の鍛冶屋とつながりがあって、鍛冶屋の信仰が伝わっていない訳がありませ

 

ん。

 

また、平塚も七夕祭りで有名で、七夕でも重なるのです。

 

これらは、総て偶然なのです。

 

これを知るには、製鉄で知られた西美濃をもう少し知る必要がありそうです。

 

それは、やはり、豊国や、宗像大社に関わる北九州につながるのです。

 

それは、日本にも、黒のマリアを守る一族の存在が浮かび上がってくるのです。

 

続く