前の記事は、二歳の孫が高熱を出し、入院したのは天竜川で拾って来た石が原因ではなかったかと考えて書いてきました。
医師からこの子の病名が「川崎病」と告げられました。
この子は、生まれて直ぐに手術をしました。
今は、そんな事があったのかと言うほど元気で過ごしていましたが、川崎病は、手術したこの子に影響を及ぼす特徴を持っていました。
前の記事で書いた様に、拾って来た石を元の場所に戻して直ぐに、この災いは好転して行きました。
まだそれは、続きました。
前の記事をUPして直ぐに、長男が近況を知らせてきました。
「原因は分からないが、川崎病ではなかった。喉の腫れが引いたら退院できる」とメールがあり、今日(24日)退院できました。
この子にとって、天敵と言えるこの病名が消えたのです。
一気に悪い流れが好転して行くのが分かりました。
竜は水の化身です。
天竜川から陸に上げた蛇紋石の「蛇」は、龍の子供と言え、まさにこの子だったのかもしれません。
この石の名前を初めて知ったのが、伊勢神宮の鬼門を護る朝熊山を訪れた時でした。
この場所には、金剛證寺(こんごうしょうじ)があり、本堂前には鬼門を守護する牛と、虎が並んでいるのです。
その事を取り上げた記事を読んで頂ければ分かるように、伊勢神宮からは鬼門の方角ではなく東に位置します。
鬼門は、どちらかと言うと神道的な考えで、寺では、東西南北を四聖獣で守護する考え方では無いかと私は考えます。
だから、伊勢神宮の東の金剛證寺では、表に現れていませんが、「青龍」が守護する事ではないでしょうか。
西は、「白虎」ですね。
私が拾って来た石は二つ。
青と、白の石でした。
「蛇紋岩」、「青」、「白」と総て揃って重なるのです。
青い石は、断層のような表情をした石でした。
先週訪れた信濃比叡や、伊勢神宮は中央構造線上で、そのラインは、糸魚川静岡構造線と繋がっています。
この青い石に描かれた断層のようなラインの形状とよく似ている事に気が付きました。
この石は、天竜川の阿島橋の下で拾い、阿智村の信濃比叡でその姿を知り、伊勢でその石の存在を知った 事は、阿吽の「阿」が示す「異界の扉が開かれた」状態を意味しているのでしょう。
まさにお盆の出来事。
この石の特徴や成り立ちから、それは、断層が擦れ合い地の底からエネルギーが放出されている場所を表し、そういう場所をパワースポットと呼ぶのでしょう。
【瀧原宮と、多岐原神社】
石を天竜川へ戻した4日前に、私は、伊勢も訪れていました。
それは、私のブログに初めて来られた燈さんの記事に、瀧原宮(たきはらのみや)が書かれていて、それを見て、行ってみたいと興味を抱いたからです。
それと、この方と繋がりを感じたからです。
この宮は、伊勢神宮内宮の域外別宮で、伊勢神宮から20Kmほど西に在ります。
金剛證寺とは、対極の位置になります。
この宮が造られたのは、伊勢に天照大神を祀った倭姫がこの地に来て、この地の美しさを気に入り、宮を建てたのです。
祭神は、天照大神。
この宮から北にもこの倭姫縁の同じ読み方をする神社が在ります。
多岐原神社です。
倭姫が宮川の急流を渡れないでいたところを助けた土地神、真奈胡神(まなこのかみ)を祀ります。
「急流を渡れない」話は、私が石を拾った天竜川の対岸の喬木村の謂われ「川を渡れない」に似ています。
天竜川も天竜下りで知られるように急流です。
それよりも、何故、「瀧原」を「多岐原」と書き、この地を「多気」と書くのかは、川を渡る話を七夕の話と重ねると、七夕の宗像三女神の名前の由来「たぎる」と、「霧」が浮かびます。
滾(たぎる)とは、液体のようなものが沸騰する様を表します。それは、湯気を発します。
このようなことは、阪神大震災(断層地震)の起きる前に地面から湯気のような霧が立ち昇る様子が写された映像がありました。
中央構造線から湧き上がる多くの気と考えると、「多気」の地名がピッタリ合うのではないでしょうか。
熱田神宮の名前も、同じような解釈ができるのではと考えます。
「熱い田」は、電子レンジのように電磁波が、水分子を振動させ滾るから付いた名前だと想像するのです。
地面の空気が熱せられると、空気は、渦を巻いて昇って行きます。
そんなことを思わせる物が、この瀧原宮には有りました。
それが、これです。
滾(たぎ)るマントルが地上に現われ、水と反応して出来上がった「蛇紋岩」が符合するのです。
私が拾って来た石であり、伊勢の地の基盤である蛇紋岩が私に不思議な世界を見せてくれたのでしょう。
それは、私がブログを書くきっかけになった「私が住む地は、電磁波を出す所ではないか?」とも繋がっていたようです。
TVのリモコンを持っただけで作動したり、チューナーも無いスピーカーからラジオの放送が聴こえて来たり、電子レンジの前を通っただけで作動したり、車のキーを持っただけで、連続して作動した事も、我が家の上にUFOが停まったのも、伊勢神宮の地の意味と同じ特徴を持っているのではと思ってしまいます。
ここでは書けない決定的な事がありますが、それを知ると私の妄想的発想を受け入れてくれるものと思います。
宗像三女神は、天照大神の子の三女神とされることから、
私が訪れた信濃比叡も、天照大神の天岩戸伝説の岩戸を開けた手力男が降臨した伝説があり、天照大神が、私が抱いている疑問の中心にいる事は間違いがなさそうです。
そして、この岩戸とは、「蛇紋岩」を表わしているのではないでしょうか。
天岩戸伝説のように、光と闇を私の孫の病気に変えて現れたのではないでしょうか。
【養老三神町の多岐神社】
お盆休みに、もう一か所、訪れていた場所がありました。
墓参りの後、養老(岐阜県)へ肉を買いに、養老ミートを初めて訪れたのです。
この場所は、闇の森八幡神社のある山王(名古屋市中区)の日置神社から夏至の太陽の沈むラインを引いた時に、ピンポイントで繋がる場所です。
ここを訪れたのは、その前の日に、TVで養老ミートを紹介していて、養老ハーブ牛がお値打ちで美味しいとの事、我が家の墓の在る江南からは比較的近かったのもあります。
この時、同行したのは上記の長男家族で、入院した子も一緒でした。
この養老ミートがある場所は、この子が生まれて直ぐに手術をした時に、私が祈願に行った御井の神社があるのです。
子供を守る三柱(三神)が祀られていたからです。
私が良く取り上げる場所です。
多岐原神社の名前と、祭神の名前が、この養老にも見られます。
三神町にある多岐神社で、養老の守護宮です。
この三神の地名は、恐らく、滋賀の三上山へ降臨された火の神で、御井神社の泉とは、対極の三柱と思われます。
この神社は、全国でもほとんど見ない神社です。
祭神は、スサノオノミコトですが、この町の名は「三神」です。
スサノオノミコトは、牛頭天王と言われるからか、この神社の周囲には、精肉店があるのです。
この神社は、他の神社と少し変わっています。
以前の記事を参照して下さい。(養老の多岐神社の記事はコチラ)
この神社の「多岐」の語源は、昔、この地を治めていた「多芸(たぎ)氏族」からとされます。
この神社の由緒書きには、ヤマトタケルが「霧のように滾(たぎ)る」と言った「たぎる」に由来すると書かれています。
中央構造線と、蛇紋岩を紐解いた事と、面白いように重なっているのです。
ヤマトタケルと、宗像三女神に、「たぎる」や、「霧」で重なるとは考えられません。
もっとその言葉には意味を秘めていると言っているように私は感じるのです。
【伊勢、養老、信州との接点】
養老の多岐神社と、伊勢の多岐原神社とは一見、繋がりが無いように見えますが、良く見ると色々な重なりが現れます。
例えば、伊勢の多岐原神社の祭神の真奈胡神(まなこかみ)は、外宮にある御井の泉の神を表していると考えられ、
外宮の豊受大神の出自が、元伊勢神社であるから、その奥宮・真名井神社の天から宮司が持ち帰った水は、外宮の御井の井戸に移したとされ、真奈胡神は、御井の泉の三神と思われるのです。
養老の多岐神社の境内にも御井神社がある事も一致します。
何故、伊勢の多岐原神社は、瀧原宮の北に在るのか不思議ですが、養老の多岐神社と御井神社の配置を見ても同じで、北に御井神社が在るのも一致するのです。
北の多岐原神社の北側に宮川が流れ、御井神社の北には牧田川が流れます。
この御井の神社は鋳物師(金屋氏)の跡地にある事も、伊勢の氏族が穴師(鉱山技師)である事も伊勢との繋がりを感じさせます。
1)御井神社 2)多岐神社(三神町) 3)沢田 4)桜井 5)中 6)安久 7)宇田 8)象鼻(ぞうび)古墳群
上記の御井神社は、泉町にあり、多岐神社は、三神町にあります。
その多岐神社の南側は、滝見町と言います。
ここでも、「多岐原神社」と「瀧原宮」に繋がるかのように「滝」が意味ありげに並んでいます。
前の記事で、私が拾った石の正体が分かった阿智村の信濃比叡でも「滝見」が出てきました。
やはり、この私がお盆に訪れた三地点は、不思議な力で繋がっているようです。
石を拾った場所は、天竜川で、元善光寺の有る坐光寺と言う場所です。
善光寺は、北向き観音(長野)とペアになっていると言われます。
養老(多岐神社・御井神社)も、伊勢(多岐原神社・瀧原宮)(内宮・下宮)も、信州もペアになっています。
北向き観音は、普通のお寺の向きとは逆になっている特徴を持ちます。
上の養老の図で(6)に昔は大鳥居がありました。
と言う事は、北に参道が伸びていると言う事です。
普通は、宮の北に第一の鳥居があるのは、私の知る限りここだけです。
いや、瀧原宮も北に在りました。
そのペアを意識させるかのように、瀧原宮の本殿にそのような形が見られます。
この形は、他の別宮では見られません。
それは、二つの別宮が並んでいるのです。
行かれた方は、何故、同じ神・天照大神を並んで祀っているのか不思議に思われたのではないですか?
瀧原宮(祭神/天照大神御魂)→東側
瀧原竝宮(ならびのみや)(祭神/天照大神御魂)→西側
私が拾った白(西の白虎)と青(東の青龍)の石みたいです。
【瀧原宮の渦巻く杉と、国生み神話と、孫の病気】
養老の多岐神社の祭神は、スサノオ命です。
この神は、牛頭天王とされます。
牛頭天王を祀る八坂神社の祇園祭でも分かるように、この期間は、キュウリを氏子は食しません。
それは、八坂神社がキュウリの神紋であるからです。
白山の神紋は、キュウリの花で、これを結び付けると、牛頭天王は、イザナミの子であると言え、
白山の神は、昔は、イザナギ・イザナミで仲良く祀られていました。
然しながら、古事記に書かれていたのは、黄泉比良坂での言い争いです。
イザナミは、子供に害をもたらす特徴を持ち、
夫のイザナギは、イザナミとは逆で、子供の生命や未来を守り、その事で言い争いをします。
この特徴から、子供を守る御井神社の神は、イザナギで表す事が出来ます。
この二柱のバランスが、世の中を造り上げていく事に大事な事なのでしょう。
しかし、いまの世を見るとイザナミの力が強くなっているようです。
この創造神二柱の伝説で、国生み神話が有ります。
天と繋げるため御柱を立て、その周りを回ります。
サイザナギは右回り、イザナミは左回りで回り、その事で国が産まれて行く話です。
もう一度、瀧原宮の渦巻く杉を見て下さい。
左に渦を巻いています。
多岐原神社は、イザナギの特徴を持っていました。
とすると、ペアになっている瀧原宮は、イザナミの特徴の左回りが現れていると言う事になりませんか。
信州にも御柱信仰が有る事からそれは言え、
善光寺の本殿前にも立派な御柱があり、諏訪大社では、御柱祭りが有名です。
外宮の御井神社は、外宮第一の社・多賀宮の参道に在り、多賀宮の総社・多賀大社(近江)は、イザナギ・イザナミを祀ります。
伊勢神宮の多賀宮では、豊受大神の荒神を祀り、祭神が異なります。
おそらく、豊受大神の荒神は、イザナミなのでしょう。
このイザナミ神は、古くは、白山の祭神です。
白山の越前馬場の足羽郡の足羽神社は、御井の神を祀り、代々牧田氏が宮司を務めます。
白山の開祖・泰澄も足羽郡の神職の子として生まれ、三神と言う姓でした。
養老の地図をもう一度見て下さい。
重なる事が良く分かります。
ここまで私が書いてきた事は、子供を守る水の神と、子供に害を与える火の神の内容で、
それは、滾るマグマが、水と合わさってできた「蛇紋岩」が総てを物語っているのです。
火の神が子供に害を与えるとは、地中から出る電磁波であり、子供の成長過程で遺伝子に影響し害を与えるのでしょう。
遺伝子構造も螺旋の渦を巻き、左回りと右回りで構成されている重なりは、どう説明すればよいのでしょう。
我が家での出来事を整理すると、
長女の子供も、次女の子供も、長男の子供も、大きな災いの兆候が現れ、それをギリギリの所で、奇跡としか言いようがない回避の仕方で、その災いを好転してきました。
それは、それぞれの配偶者との結びつきで、縁と言う不思議な力で陰と陽が合わさっているのです。
これを語ると本当に、そんなことが有るのかと思われるほどですが、それぞれのプライベートな事なので書けません。
今回のお盆の出来事も、行くべくして行き、起こるべくして起きたのでしょう。
異界へ導く牛に牽かれて善光寺で石を拾い、牛肉を買いに養老へ行き、牛頭天王と繋がる多岐原へ行き、多くの気を受けこの出来事が出来上がったのでしょう。
では、これがどうして起きるのかは、推測でしかないですが、
真奈胡神は、真名子→愛子(まなこ)→AIの子となり、仮想現実に私達は住んでいて、一人一人の特性も、一つの検索アイテムであり、神話が、オペレーションシステムの基幹となっていると思えて来るのです。
それは、遺伝子が媒体となり御柱のように神の世界につながるのでしょう。
皆さんには,どう映りましたか?