前の記事では、七夕と、蟹の秦氏族との繋がりをギリシャ神話や、ギザのピラミッド、そして伊勢神宮を絡めて見て来ました。
エジプトやギリシャに見られる、その形は、日本では逆になっているともしました。
秦氏が関わった石清水八幡宮の神紋(橘紋と、巴紋)からも繋げて来ましたが、その紋から、まだ伺い知れる事があります。
「橘」は「生」を表します。
石清水八幡宮の一の鳥居にある一ツ石をスフィンクスとした時、スフィンクスは、死の河岸神殿の位置にあり、生と死。
それは、石清水八幡宮と逆になっています。
ギザでは、生の位置には、何も有りません。
上加茂神社も参道が8度ほど傾いていて、スフィンクスへの参道が重なります。
前の記事で出て来た、上加茂神社と対極の石清水八幡宮の参道とは傾きが左右反対になります。
二つの違う左右の参道は、ギザとの繋がりを示唆しているのではないでしょうか。
[ヤマトタケル兄弟の秘密]
この様な形は、ヤマトタケルの兄弟にも見られます。
兄、大臼命が祀られている猿投神社(旧愛知県賀茂郡)には、猿投山に向かって、左右に、二つの墓と宮が在るのですが、向かって右の墓(東宮)には何も無いのです。
この理由は良く分かっていません。
何故、一つは有って、一つは無いのでしょう。
私は、こう考えます。
カフラー王のピラミッドを猿投山にした時のスフィンクスの位置と重なるのです。
そう考えると、弟の小臼命が、日本武尊(ヤマトタケル)とも呼ばれるのも分かる気がします。(多分)
この兄弟の一方は、エジプト信仰、もう一方は、日本を表していると言う事です。(多分)
それは、スフィンクスを模した狛犬でも表されていて、東の狛犬は、日出る方角から太陽が昇って来る様に、口が開いています。
ギザで言えば、もう一頭のスフィンクスがあるとするのなら、それは、地の底にあるのでしょう。
それは、ひょっとして、「根の国」なのではないでしょうか?
[上加茂神社の影の狛犬と、二つの本殿]
この形は、陰陽道の祖、上賀茂神社にもあります。
ここの本殿は、二つあり、右手(東)には、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)が祀られていますが、左手(西)の社殿には、誰も祀られていません。
大臼命と同じですが、猿投山では、東の宮には何も無いのです。
もう一つ、上加茂神社と、猿投山の違いは、墓です。
神社には墓は設けません。ギザになら、それは、あります。
だから、猿投山と、上加茂神社に、わざとこの様な形を施したと言う事ではないでしょうか。
上加茂神社の西の本殿を権殿(ごんでん)と言い、この神社が言うには、
「権殿は、非常の時に神儀を遷す御殿」なのです。
一般的には、式年遷宮の時に、御祭神が移られるのです。
そして、両社には狛犬の絵が描かれており、それを、
「影狛(かげこま)」と言うのです。
これは、この両社前、それぞれに、一対の獅子(阿形)と、狛犬(吽形)があり、その影が、正面脇の板壁に当たり、写し取ったものです。
まさに、見えないスフィンクスです。
また、石清水八幡宮では、参拝の時、清める方法として、池に影を写して清めるのです。
これも、実態の無いものを意識するものです。
伊勢神宮の式年遷宮と違うのは、社を壊さず残っているのです。
私は、伊勢神宮とは、意味合いが違うもので、実態が無い場所に存在する事を表しているのではと感じるのです。
私が、これをカフラー王のピラミッドと結びつける根拠は、加茂の神が降りた奥山(神山こうやま)の前に、二つの本殿が有ることです。
そして、境内にあるピラミッドのような立砂があることもです。
立砂の上には松の葉が乗っています。
この上賀茂神社は、葵祭で知られます。
この祭では、葵の葉と、桂の木で山車などを飾り付けます。
これに対しての明確な意味は聴こえて来ませんが、葵の葉を女陰とし、桂の木を男根とした説があります。
男女の出会いから、七夕を連想します。
石清水八幡宮にも七夕が潜んでいました。
七夕は、お盆の行事であったことから、異界との繋がりを表しています。
それを表すかのように、京都の北西の鬼門愛宕には、黄泉の女王、イザナミが鎮座します。
また、南東は伏見稲荷の狐が鎮座します。
エジプトで言えば、狐そっくりなアヌビス神です。
上加茂の葵祭は、京都の裏鬼門の石清水八幡宮の例祭を南祭と言うのに対して、北祭と呼ばれるのです。
前の記事でも書いたように石清水八幡宮にもピラミッド信仰が隠れていました。
[海の一族との繋がり]
この加茂神社にもまだ、それを、疑うものがあります。
この神社(下鴨)神社の祭神の一柱に、玉依姫(タマヨリヒメ)がいます。
上賀茂神社の祭神・別雷大神を不思議な力によって産み、
前の記事で何度も出て来た、神武天皇の母でもあるのです。
そして、玉依姫は、海神族(三輪の祖)の娘とされるのです。
ギリシャ神話では、海の守り神はポセイドンです。その聖なる木は、松なのです。
立砂に松が乗っているのもここから来ているのかもしれませんね。
前の記事でも、蟹からギリシャ神話に繋がりましたね。
そして、天照大神も海の一族としました。
天照の文字からも、この神は、「太陽神」です。
また、外宮の豊受大神は、月読命と関わっている事からや、陰陽から見ても、「夜の神」と言えます。
私が、不思議な力を宿しているのも、三輪の血を引くからなのか、太陽神を表す八幡神の「八」が重なる八十八夜に生まれているからなのかも知れません。
もし、そうであるなら、私は、海神族となるのでしょう。
天照大神が海神族とするならば、それは、ヒッタイトにもやはり、関わっているようです。
ヒッタイトの神官は、北にする隣接するミタンニ国のフルリ人が勤めていました。
この民は、「夜の人」と呼ばれていたのです。
ヒッタイトが滅亡した(BC1200頃)事は、謎となっていますが、隣接のエジプトのルクソール神殿の柱に、唯一、その記録が残っていて、そこには「海の一族によって滅ぼされた」と書かれているのです。
日本でも謎に包まれている「海の一族」がいて、エジプトとの繋がりが見られるのは、どう考えればよいのでしょう。
下鴨神社や、太秦の木嶋神社には、「糺す(ただす)」の字を使った森や、池があります。
その字は、二つの糸が絡み合った状態を表わしています。
スフィンクスについて書かれたヒエログリフ。
2つのヒモが絡み合っているのは、「灯心」。
神域へ導く物で、日本では「灯籠」になります。
この文字が書かれているのは、ギザから30Kmの位置に有るウナス王(BC25~24)のピラミッド(サッカラ)の中に、ギッシリ書かれた人類最古の宗教碑文の中にあります。
ピラミッドについて書かれていて、ピラミッドテキストとされるものです。
そして、スフィンクスについて書かれている重要な部分がこのヒエログリフです。
ここには、2頭のライオンが描かれています。
これからも、スフィンクスは2頭いる事が分かりますね。
[不思議な共時性]
前の記事で書いたように、神話や伝説を元に、不思議な繋がりが私の周りでは現れます。
これは、前にも載せたスパイラル。
まるで、スフィンクスの碑文(上記)に登場した灯心のヒエログリフのような形状です。
それは、私の家の近くにある豊臣秀吉の誕生の地の豊臣神社にあるモニュメントです。
おまけに、ライオンズクラブの寄贈と来ています。
豊国(大分県)は、石清水八幡宮を創設した秦氏の拠点と言うのも、ただの偶然でしょうか?