とある学生の雑記 -5ページ目

とある学生の雑記

本音の話がしたいのです。

まだ3年になったばかりで、就職活動すら始めていない私ですが、もしかしたらIT関係の取締役秘書として『正社員』になるかもしれません。

ビジネスに関しては、高校の学科が『総合ビジネス科』だったので、できなくはないです。ただ、ある程度は学んだ感じなんですが、大学で商業を離れてしまったので、あまり踏み込んだ勉強はできていないのです。その点はかなり不安があります。

しかし、これでなんとか決まりそうです。でも、やっぱり夢は、あくまでも心理職で。

(追記)

進学が決まったとしても、将来は『取締役秘書』として働くことになりました。

取締役の知人が面接しているので、運よく働けるようです。ほんとに幸運すぎる。社長は、取締役の人に採用のことは全て任せているとのこと。(ただし信用できない人はもちろんダメ)そして、取締役が『取締役秘書』でおkしてくれた!なんという…(;ω;`)ブワッ

臨床心理士の夢ですが、数年後に事業拡大が成功したら臨床心理士として働いても良いとのこと。だから資格取得は、私にとって絶対的なものとなり、大学院進学のため『今』により一層力を入れることとなりました。

取締役と友人なのが社長なのです。凄ス!(・ω・´)

上海にて事業拡大中。そして私は、社員に中国語を教える予定です。(通訳としても希望しています)中国語は、単語が全くだめなので、これからの課題ですね。

今のところ社員は4人。まだ出来たばかりの会社ですが、社長が色々と勉強してる人とのこと。そしていつかはこの会社でもITの分野で拡大し、更に大きな会社にしていくそう。アニメ系のことも色々やるそうです。わくわく。こんな私が内定ゲットするなんて、就職氷河期なのに本当にありがたい話です。会社愛でフワフワしちゃいそうw

いきなりこんな展開になるなんて、とても不思議だと思います。突っ込んでいくのは危ないよ~という意見もあると思います。

しかし、だからこそ一か八か、このことにかけてみようと思います。賭けるというか、絶対に成功させてやんよ!(キリッ って感じ。そしていつも前向きでいることにします。不安でいると、せっかくのチャンスも台無し。こんな経験はもう無いでしょう。そうなると、いつまでたっても、お金のない親のすねかじり…という、考えただけでも恐ろしいことになりそうです。弟も内定が決まらずハローワーク通いなので、必然的にもこの道しかないでしょう。しかし、仕方なくやるのではなく、私はこの仕事に人生とか命をかける気持ちで取り組むつもりです。

そして、将来はきっと親孝行します。いや、絶対に親孝行します。



まってろ!!中国!!
前期の授業が開始となった。

私は3年生として、今日、新たに学生生活をスタートさせた。

今年は、就職活動という壁が立ちはだかる。このご時世、あっさり就職先が決まるはずがない。そのことに対する心構えを普段からしっかりしておかないと、他人より遅れを取るだろうし、社会に出てから大変苦労するだろう。従って、就職までの準備期間は、相当気合を入れて生活していなければならない。

もちろん、就職してからも気を抜いてはいけないのだが、そう思うと、避けては通れないその競争には、ますます不安が募るばかりだ。

社会における様々な知識や経験を、普段から意識して得るということが、とても重要になってくる。もちろん、世の中のことを理解しているからといって、上手く内定まで辿り着けるとは限らない。重要なのは、自分と真剣に向き合う時間を設け、その苦しい状況をどう切り抜けるのか模索することを怠らない、というところにあると考えている。自分をを理解し、自分の気持ちに上手く向き合えるかどうかは、就職できるか出来ないかということよりも、もっともっと深く重要なもの、詰まりは人生を力強く生きていけるかどうかに関わってくるのではないだろうか。

さて、ここまで就職に対する考えを書いたのだが、実はここからが最も伝えたかったことだ。

実は、私はまだ就職を望んではいない。というと、進学を希望しているのだ。就職と進学、言い換えれば現実と夢、いや、諦めと希望なのか。 誤解しないでもらいたいのは、私の夢が『進学してなりたい職業に就くこと』であるだけで、就職がダメだ、とは全く思っていない。夢はのかたちは人それぞれだ。話に戻るが、そのように自分の将来について、私はまだ悩んでいる段階にあるのだ。悩みぬいて結論が出るそのときはまだ先であり、そのとき私は、また大きな壁である卒論に取り組んでいることだろう。

もちろん進学したい気持ちのほうが断然強い。しかし、その気持ちが強すぎる故、いつまでもどっちつかず、その就職と進学という狭間を漂っているだけの今に到る。しかし、その期間も自分にとっては大切な時間であると考えよう。既に述べているが、『自分と真剣に向き合う時間を設け、その苦しい状況をどう切り抜けるのか模索する』、つまり、悩み抜き、考え抜くことは、非常に大切だと考えているからである。

何故、進学を諦めなくてはならないのか。もちろん学費の心配もある。しかし、私が最も悩んでいる理由はそこではない。それは自分に対する、1つのけじめなのかもしれない。若しくは、重みのある人生を歩みたい自分が失敗しないようにするための、補助輪のようなものかもしれない。もしかすると、楽な道に逃げたい癖に、一向に現実を見ようとしない自分に厭きれ、自分には無理だと必然的に決まるよう言い訳をしているだけなのかもしれない。これからを生きる『言い訳』には、どれにせよ、結局は『良く生きたい』、ここへ繋がる。

ところで、私が自分を進学させるための、自らで決めた条件とは何なのか。それは、『卒業間近までには、夢を叶えることに必要な最低限の知識、それを自分の納得がいくまで深く掘り下げたものを手に入れていること』である。『納得がいくまで』だと、永遠に納得がいかない気もする。

“自分の問いに答えた”未来を手に入れようとするまさにそのとき、その条件を満たしていなかったのなら私にとって1番の願いを手に入れる勝負、つまり人生最大の挑戦で負けたということになるだろう。大切なのは夢を追う過程である、と自分に言い聞かせても、言い聞かせられないほど落胆するだろう。『ピンチはチャンス』のような柔軟な考え方は、残念ながら私には出来ないのだ。今まで何度も試みてきたが、どうにもこうにも、ピンチを切り抜ける力をつけることが出来ず、また自責の念が強いため、結局は自己嫌悪に陥ってしまうのだ。だから、落胆しない為、させない為、そして自分を守る1つの手段が、夢を叶えるという『良く生きたい』であると考えている。生き生きと生活する為には、どちらにせよ、その未来をとである勝ち取るしかなさそうだ。『自分を守ること』の定義は、あくまでも私の考えていることであり、誰しも同じように思っているわけではない。それに思いの強弱は様々だ。だからこそ、私は私自身の期待に、自分で応える必要性が出てくる。

そして、肝心な私の将来の夢はというと、具体的に言えば『臨床心理士をやる傍ら、文学者(できればコラムニスト)としても活動していきたい』のだ。臨床心理の『心理』、コラムニストの『社会』と『言語文化』の知識…。心理・社会・文化の3つの観点からアプローチできる作新学院大学は今の私にとっては、とても理想の形で存在する学校と言える。

理想が高すぎるために、叶わなくなる理想もあることなど、誰しも分かっていることであろう。かと言って、他人に“決めてもらった一生”を、他人が操る中で、満足に生きることができる筈がない。私の夢は、冒険家のように日々新しい出来事を発見し、自ら進んで研究していきたい、という宝のような思いなのだと感じる。その夢に、特に利益は求めていない。だが、夢の中に現実を見出すなら、全く利益がないとただの自己満足で終わってしまうことだろう。

夢を見るだけでまだ何も努力していない自分が、このような夢を語ることを、今までは恥じてきた。とても語れる立場ではなかった。しかし、いつの間にか、『夢を持つということは生きる原動力』だと、また私に似合わず偉そうな考え方ができるようになれた。夢を語れない、というとても自信がなかったときから比べ、何故、それほどまでに私の意識は成長できたのか。それは、私が在学している作新学院大学の存在が、大きく関わっていることにあると思う。それについては、何の言葉にも変えられない喜びがあり、上手く言葉として表現できる力が私にはない。したがって、その思いは自分の中だけに留まる見えない宝とになるだろう。

夢を実現するため、この学校で学ぶことは私にとって最も望ましかった。学部は、人間文化学部であるが、その人間文化学部の学びの特色は、心理・社会・言語文化の3つの視点からの探究が出来ることなのだ。まるで、私の夢のために適合してくれたかのようで、この学校には何か特別な思いが湧き上がってくる。

これから、どのような生活になるのか、どのような生活にできるのか、とても楽しみである。止まることのない、生きている今この時を大切にし、それは将来への一歩ではなく、直接的に『自分自身』へ関わっていることを忘れないようにしたい。そして、いつでも自分の『学びたい』を大切にしていたい。




とか書いてみたんだけど、なんかすんごい危ない人みたいだwww\(^O^)/

このブログは日本語を上手く使えるように、練習の場にしようと思っている。

ある学者が調べたそうです。

人の人生をトータルすると、「楽しいこと」と「辛いこと」とでは、どちらの方が多いか。

多くの人の人生を調べてみると、やはり「辛いこと」の方が圧倒的に多かったそうです。

つまり、人は苦しむために生まれてきたということになるということなのです。少なくとも楽しむために生まれてきたのではなさそうです。そうなると、ますます絶望の淵に追いやられる感じですよね。

でもそうでない人たちがかつて存在しました。その人たちの存在が私たちに生きる勇気を与えてくれるのです。

第二次世界大戦中にナチスによって、アウシュビッツ等の強制収容所に送られた多くのユダヤ人たちがいました。その中の一人に、収容所での体験を書いた「強制収容所における一心理学者の体験」(邦訳:「夜と霧」)の著者で、精神科医のV・E・フランクルもいました。


 

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戦後、彼の講演会の内容をまとめた著書も何冊か出ています。「それでも人生にイエスと言う」(春秋社、1993年初版)という著書などが日本でも翻訳されています。


 
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人間的なもの全てが奪われた絶望しかない悲惨な生活の中で、人間の精神がどう変わっていったかを分析しています。

強制収容所に入れられた囚人の心理的反応をフランクルは、3段階に分けています。

その第1の段階は、収容所に入れられるときの入所ショックです。何しろ95%が輸送後すぐにガス室に送られたのです。たまたまガス室に送られなかった5%の人々も毛を全て剃られ、肩書きも地位も何もない一個の「裸の」人間として始まります。そして、いつガス室に送られるかというとんでもない恐怖の状況におかれます。絶望して自殺を考え、高圧鉄線に飛び込むことを考える人もいたようです。

しかし、フランクルは、“ガス室を恐れて、自殺する必要があるか”ということに気がついてからは、一度自殺を望んだなら、「ガス室」を恐れることはなくなったと述べています。

強制収容所に入って数日間は、恐怖や怒り、様々な身体症状が起こるようですが、次第に自らの運命に対して無関心・無感動になっていきます。

そしてひたすら一日、一日をなんとか生き延びることだけに全力を注ぎ、それ以外は心の殻をかぶってしまいます。いわば無意識の心的防衛でしょう。(親から虐待を受け続けた子どもが次第に麻痺し無感動になっていく過程に似ていると感じました。)

そして次に退行という現象に近づいていきます。人間的な水準が下がり、ほとんど動物の水準まで下がっていくのです。動物の水準といっても、目立ってはいけません。目立てば殴られ、蹴られ殺されることになるからです。囚人という群れの中に自分を隠さねばならず、本能的に原始的な存在になるのです。

しかし、果たして強制収容所は全ての人間を運命的に退行させ、動物のように内面的にも後退させてしまうのでしょうか?

実は、そうでない人たちがいたことをフランクルは発見したのでした。

フランクルが発見したのは、強制収容所で人間的に退行や後退するどころか、内面的に前進し、大きな人間に成長した人たちでした。

強制収容所の生活の中で、典型的な囚人になってしまった人たちと、そうでなく前向きに生きることが出来た人たちとの違いをフランクルは、「心の支え」の持ち方に見出しています。

典型的な囚人は「将来」にその支えを持っていた、つまり、必ずナチスが降伏して解放され、将来自由の身になれる、といった支えです。一方、前向きに生きれた人たちは、その支えを「永遠なもの」に置いていたそうです。

ところで、「前向きに生きれた人」というのは、どのような人だったのでしょうか。

「同じ状況に直面して、ある人間はそれこそ豚のようになったのに対して、他の人間はそこの生活において反対に聖者のようになった」といいます。「色んな人に優しい言葉をかけ、自分の一片のパンを他者に与えていた人々」がいたという驚くべき事実を、フランクルは見たのでした。

決して強靭な肉体の人ではなくむしろ繊細な性質の人の方が収容所の生活によりよく耐えられたともいいます。

では、フランクルが驚嘆した聖者のような人たちは、一体何にその支えを置いていたのでしょうか。

フランクルによればそれは「宗教的なもの」だと言います。

いろいろ解釈できると思いますが、ここでいう宗教的なものとは、本来の宗教というよりも、生きる意味を自分なりにしっかりと持っている人のようです。かつてニーチェも「生きることに理由を持っている人は、どんな状態にも耐えることができる」と述べています。

では、生きる理由とは何なのか?

フランクル自身は、『生きる延びることが義務であり、生き延びることに意味がある』

と言っています。

そもそも生きる意味は何なのか、ではなくて、生き抜くこと自体が意味である、と。

なるほど、と思いました。

いろんな意見があると思います。ただ、強制収容所では、そのような考えができる人が他人にも優しく、強くたくましく生きることができたという事実があるのです。

それをどう支えにするかはそれぞれの課題だと思います。しかし、そういった事実があったということが私には大きな支えとなっています。

ここでは、最近のうつ病事情についてとりあげ書きたいと思います。

昔、うつ病といえば、几帳面・勤勉・責任感が強い・他者への配慮も怠らない・自分に対する要求水準が高すぎる人が、過労に陥り、うつ病になるというパターンが多かったようです。

要は、真面目に頑張りすぎて過労となって、うつ病になってしまう感じでしょう。40~50代の男性に多いものです。

これは、メランコニー型うつ病と言われています。

ところが、1970年代後半からは、過保護な養育環境、葛藤のない生活、母子分離が不十分といった背景をもった、プライドの高い若いエリートサラリーマンにみられ、休日は活発に過ごせるが、強い職場恐怖を持ち、うつ状態は目立たないが、おっくう、だるさなどを訴え、寝込んで欠勤するタイプが出てきました。


要は、過保護に育ったお坊ちゃんタイプが社会に出て躓いた感じでしょう。 これは、逃避型抑うつ病と言われています。

その後、90年代から現代型うつ病なるものも報告されました。

そして、最近、注目されているのが、ディスチミア親和型うつ病というものです。

1970年以降に生まれた、比較的若い世代に多く「どこまでが“生き方”でどこからが“病気”かはっきりしない」といった特徴があります。

「ディスチミア親和型うつ病」とは

ディス=上手くいかない
チミア=気分

2005年に発表された新しい概念で次のような特徴があります。

・初期から「うつ病」の診断に協力的
・衝動的な自傷、一方で“軽やかな”自殺企図
・不全感と倦怠
・回避と他罰感情
・自己自身への愛着
・規範への「ストレス」
・もともと仕事熱心ではない
・薬物への反応は多くは部分的効果にとどまる
・休養と服薬のみではしばしば慢性化する
・環境の変化で急速に改善することがある

一昔前なら、何らかのパーソナリティ障害と診断されたり、怠け病と言われていたかもしれません。

治療は、これまでのうつ病治療がそのまま適用できるとは限りません。

自分はうつ病じゃないか、と思って受診される方は年々増えています。

典型的うつ病というのは、サラリーマンの方の場合です。バリバリ働けていたのに、仕事や人間関係のトラブルがきっかけで、朝起きられない・疲れやすい夜寝れない・食欲がない、などの訴えがあります。この辺りは、話し方、表情からうつ病だとの診断がつきます。

ところが最近、違ったタイプのうつ病が明らかに増えているようです。

確かに、何もやる気が出ない・不眠・死にたい・自傷・OD、といった症状を訴えられます。

でも自分の好きなことは全然平気に出来てしまいます。


例えば、コンサートには不思議と行けるのです。電車に乗って時間をかけて混雑した中を平気で行けるのです。買いたいものがあってお金が欲しいとなると、うつ病のはずなのにバイトは行けるのです。

はたして、本当にうつ病なのか。


もちろん、つらい気持ちが本当なのは痛いほど伝わってきます。しかし、このような患者さんの場合は、抗うつ薬が殆ど効果がありません。

では、薬が効かなければどうするか。

そのような人たちの共通点があります一般にうつ病になる人は、人が良くて何でも引き受けて頑張り過ぎてしんどくなるタイプと思われがちですが、実は違うようです。。

うつになりやすい人は、

・ストレスがあったときの対処能力が十分でない人
・遺伝的な要素を持っている人
・何でもマイナス方向に考えてしまう認知の歪みのある人
・他罰的・攻撃的な人(皆悪いやつだ、分かってくれない、など)

に多いようです。

ストレスの対処能力は、失敗を生かそうとするなど自分で上手く前向きに考えたり、誰かに相談したり愚痴を言ったりなどして上手くストレスを発散することです。これはある程度の社会的なコミュニケーション力と知的能力が必要です。

他罰的・攻撃的な人は、ズバズバ相手に思ってることをハッキリ言って打ち負かそうとします。

相手を言葉で打ち負かすと、一見スッキリし、言い負かされた方はどん底に落ちると思われがちですが、どうやらそれは逆のようです。

経験ある方もいると思いますが、相手を言い負かした後は、強い空虚感に襲われることがあります。あんなこと言わなければよかった、傷つけてしまった、恨まれるのでは、と後悔が出てきます。これがずっと尾を引くことになります。

相手を攻撃したり罵倒してしまった後、後悔したり、後で言い過ぎたと謝ったりする人がいる一方で、まったく振り返らない人もいます。相手が悪いから自分が怒ったのは当然だと。


私は、この後のタイプの方がある状況下で深刻な鬱になりやすい気がします。なぜなら、周りの人は「悪い奴、嫌な奴ばっかりだ」といった思考の誤りに陥りやすいからです。常に振り返りがなければまだマシかもしれません。しかし、このような人たちもいつかは寂しさを感じるのです。

そして次第に、その人たちはいつも他罰的で誰も自分のことを分かってくれない、誰も信用できない、となっていきます。何となく「うつ」になりそうな気がしませんか?

なぜ覚醒剤が厳しく禁止されているのか。

人の脳には脳血液関門といって、血液中の不純物・有害物質が脳に入るのを防ぐ機能があります。ところが覚醒剤はその脳血液関門を突破して、直接、脳細胞に入り込みます。覚醒剤はエフェドリンと他の化学物質と反応させ密造されています。

密造だから使用者の健康など考えて作られているはずがなく衛生管理などないと思ったほうがいいでしょう。

一時期の報道では北朝鮮で作られていると言った話もあります。あなたは、北朝鮮製の薬って飲む気しますか?北朝鮮製の食料でも食べる気はしませんよね。


更に覚醒剤という違法物質を日本人の健康を考えて害の少ないように作ることはありえないでしょう。

覚醒剤の脳への薬理作用について、簡単に説明します。

実は、覚醒剤と統合失調症(旧、精神分裂病)はとてもにているのです。統合失調症はドーパミンが脳内で過剰に出てしまうことに原因があるといわれています。覚醒剤も脳内に入り込み、ドーパミンを脳細胞へ送り込む作用があります。つまり極端に言えば、覚醒剤は一時的に統合失調症に近づく薬といえるでしょう。

統合失調症がどんな病気かは、ネット上でも詳しくのっていますので詳しくは割愛しますが、主として思春期に発病し、特徴的な、思考障害・自我障害・感情障害などを主徴とし、経過は、慢性・進行性で、放置すれば多くはやがて人格荒廃に至る原因不明の予後不良の精神病といわれています。

便器にこびり付いた他人の便を必死になって食べたり、自分の爪を全部はがして食べてしまったり。覚醒剤精神病は、覚醒剤が原因の、統合失調症とそっくりの病気です。

覚醒剤は一度やると、人間の欲求である食欲・睡眠欲・性欲以上の欲求となってしまいます。食べることをやめろと言われてやめられますか?眠気にずっと勝ち続けられますか?だから覚醒剤を一度でもやってしまうと、一生苦しむことになることでしょう。

まだ、一度くらいなら大丈夫だと思っていませんか?

それが実は違うのです。

覚醒剤はエフェドリンとの化合物です。何と化合されているのかと言うと、体に有害な物ばかりです。それが直接脳内に入り込み、脳内にとどまります。一度でもすればそれら有害なものが脳内に残るわけです。

またドーパミンを放出させるエフェドリンも、その後、覚醒剤をやめてもケースによってはドーパミンの放出を暴走させる可能性もあります。それがフラッシュバックです。

覚醒剤を止めたのにあたかも使用しているかのようにドーパミンが出続けてしまう、それが覚醒剤精神病の後遺症状態です。そうなるともう統合失調症とは見分けがつきません。

一度でも覚醒剤を使用すれば、脳細胞のドーパミン放出システムに破綻を来たし、暴走するリスクもあります。

そこまでして覚醒剤を使うメリットはない、と断言できるのです。

「発達障害」ってお聞きになったことはありますか?

残念なことですがマスコミ等で注目されるのは、犯罪事件が起こったときです。

奇怪な重大犯罪が起こった際、犯人は「発達障害」であったとクローズアップされたりします。そのせいで、発達障害の子どもを持つ両親は世間からの偏見の目に晒されたりします。

先日の新聞でも「発達障害児は犯罪予備軍」といった誤解がはびこっているという指摘がなされていました。


それなら自分には関係ない、と思っているあなた!


もし、あなたが友人や家族からよく「あなたは空気が読めてないよね」と言われたり、

 片付けができない
 物をよく忘れる
 人の表情が読めない
 人の目を見るのが怖い
 変更するのが苦手
 人と接するのが苦手
 こだわりがある
 授業中立ち歩いていた

などがあるとしたら、あなたも発達障害かもしれません。

発達障害とは、大きく分けると

 精神遅滞(MR)
 広汎性発達障害(PDD)
 学習障害(LD)
 注意欠陥多動性障害(ADHD)

に分かれます。

まず、AD/HDからお話しますが、その前に何故AD/HDがそんなに問題になっているのでしょうか。

不注意は危ないですが、多動は言い換えれば活動的であり、輝かしい功績をあげた過去の偉人たちの中にもAD/HDが疑われる人物はいます。特に子どものAD/HDが問題になっています。それは授業中動き回るから深刻な問題になっているのではありません。

DBDマーチと呼ばれている経過があります。

それは、

「AD/HDの中で強い攻撃性を示す約4割の子どもが学童期に反抗挑戦性障害の診断基準を満たし、その約3割の子は思春期に入る前後から行為障害を呈する。さらにその一部は成人以降社会的に予後不良な経過をたどる」

というものです。つまり1割近くが行為障害になる可能性があるということです。子ども時代に気付かれず大人になってしまったケースで、困っておられる方も多いはずです。

AD/HDは3つのタイプに分けられます。

 ① 不注意優位型
 ② 多動性―衝動性優位型
 ③ ①と②の混合型

以前、「片づけられない女たち」という本が出て話題となりました。これは大人のADHDのうち、特に①の不注意を主としたものです。

このほかに、「のび太・ジャイアン症候群」という本も有名です。

例えば、ジャイアンは衝動的で、学校では集中力がなくて落ち着きもなく、感情の起伏が激しいタイプで多動性が優位な②のタイプであり、一方で、のび太はおとなしいが集中力がなくて忘れ物をよくするなど不注意も目立つ①のタイプと言えるでしょう。

もし、あなたがお父さん、お母さんや学校の先生を喜ばせようと、一生懸命何かやろうとします。でも何度やっても上手くいかない、空回りしてしまう。

そんなとき、「やっぱりお前は何をやっても駄目だな」と両親や先生から言われ続けたら、どんな気持ちになるでしょうか?「自分なんて価値のない人間だ、何をやっても無駄なんだ・・」と思って投げやりになってしまいませんか?

AD/HDの子どもは、ちょうどそんな感じです。彼らに悪気はありません。しかし、周囲には不注意・衝動的・暴力的にうつり、誤解され続けます。そして、たまたま上手くいっても、「そんなの出来て当たり前だ」と褒めてもらえなかったりします。

「あそこの子はどんな育て方されたのかしら・・」「甘やかし過ぎだ」ときに親の育て方のせいにもされてしまいます。親もどんどん自信を失っていきます。

AD/HDを含めた発達障害は誤解を受けやすい病気であり、しかも、その誤解により新たな二次障害を生みやすい病気といっていいでしょう。

他者から認めて貰えないことは、AD/HDの子どもに限らず当てはまることです。「承認されない」ということは、大きな心の傷に繋がります。誰でも他者から認めて貰いたい、尊敬されたい、という気持ちがあるのです。

一言でいいんです。

よく、頑張ったね」 と。 

この一言で人はどれだけ元気になれるのか。特に子どもはそれが大きいのです。小さな子どもは親が世界の全てです。親から「いい子だね~」と声をかけてもらうために頑張ります。

承認され、認められて始めて自分を大切にでき、そして他者を尊重して成長していけるのです。承認を受けないと、自分を大切に思えないのです。

さて、AD/HDの診断基準です。<不注意>または、<多動性><衝動性>の項目で「7歳まで」に6つ以上該当すれば、診断がつきます。

<不注意>

(a)学業、仕事、またはその他の活動において、しばしば綿密に注意することが出来ない、不注意な過ちを犯す。

(b)課題または遊びの活動で注意を持続することがしばしば困難である。

(c)直接話しかけられた時にしばしば聞いていないように見える。

(d)しばしば指示に従えず、学業、用事、または職場での義務をやり遂げることが出来ない。

(e)課題や活動を順序立てることがしばしば困難である。

(f)学業や宿題のような、精神的努力の持続を要する課題に従事することをしばしば避ける、嫌う、またはいやいや行う。

(g)例えばおもちゃ、学校の宿題、鉛筆、本、道具などの課題や活動に必要なものをしばしばなくす。

(h)しばしば外からの刺激によって容易に注意をそらされる。

(i)しばしば毎日の活動を忘れてしまう。

<多動性><衝動性>

(a)しばしば手足をそわそわと動かし、またはいすの上でもじもじする。

(b)しばしば教室や、その他、座っていることを要求される状況で席を離れる。

(c)しばしば、不適切な状況で、余計に走り回ったり高いところへ上ったりする。

(d)しばしば静かに遊んだり余暇活動につうことができない。

(e)しばしば“じっとしていない”またはまるで“エンジンで動かされるように”行動する。

(f)しばしばしゃべりすぎる。

(g)しばしば質問が終わる前に出し抜けに答えてしまう。

(h)しばしば順番を待つことが困難である。

(i)しばしば他人を妨害し、邪魔する。


あなたはどうでしたか?


実はADHDについては、まだまだ分かっていません。

生まれつき多動、衝動的で親の苦労の甲斐無く、どんどん非行に向かう一群があります。

それはADHDと診断されますが、やはり何かが典型的な例とは違います。

生まれつきの犯罪予備軍と言った概念も実はあるのです。誤解と偏見が多数ですがそれをはっきりと反論できないのも事実です。

「前世療法」という言葉を聞いたことがある方もあると思います。

アメリカの精神科医ブライアン・ワイス博士が、1986年に著書「前世療法」を出版し、世界的にも知られるようになりました。

前世と聞いて、胡散臭いものを感じる方も多いでしょう。それまでにも同じようなオカルト的な本は、数多く出版されていました。


なぜ、ブライアン・ワイス博士の著書が有名になったのでしょうか。

それは、ブライアン・ワイス博士がもともと通常の科学的な精神医学の研究者であり、精神薬理学と脳科学の分野で国際的な権威であって、そもそも前世などという「非科学的」な領域を全く疑っていたからです。

ところがある日、博士の前にこれまでの常識を覆すような患者が現れたのです。

アメリカの精神科医ブライアン・L・ワイス博士は、ある神経症の女性にある催眠療法を行っていました。

催眠療法は、過去のトラウマなどが原因となり不安感やうつ状態になっている方の治療として行われるものです。(日本の医療機関では殆どされていません)

ワイス博士は、いつものようにその女性に退行(現在から幼児期まで記憶を遡っていく)させるために催眠を行っていたところ、なんと記憶が前世まで退行してしまったというのです。

もちろんワイス博士はすぐに信じる筈もなく、ありもしないことをそれっぽく語っているのだと考えました。 そりゃそうですよね。もしあなたの友人がいきなり前世のことを詳しく語り始めても書物で読んだ知識を言ってるだけとか、それとも頭が変になったのかと感じると思います。

その患者の女性は、催眠療法で3歳まで退行しました。そこで彼女を襲ったひどい事件がありました。 実の父親から性的虐待を受けていたことを思い出したのです。その辛い記憶を掘り起こしながら、ワイス博士はトラウマ治療を行っていきました。

通常はそれでかなり症状は軽くなるはずでした。ところが、その後も彼女はひどい症状を訴えたのでした。息が出来なくなる恐怖、水や暗闇への恐れ、閉所恐怖への不安感、恐怖感が彼女の生活を脅かしていたのです。

ワイス博士は悩みました。3歳より前に彼女の身に何が起こったのだろうと。

そこで2歳まで退行させましたが、何も出てきませんでした。その後、ワイス博士は言いました。 「あなたの症状の原因となった時まで戻りなさい」と。

「アロンダ…、私は18歳です。建物の前に市場が見えます。……時代は紀元前1863年です。…その地域は不毛で、暑くて、砂地です…」

ワイス博士はびっくりして何が起こったのか分かりませんでした。 そして、さらに彼女に何年か先に進むように指示します。

「私の髪は金髪です。…私は25歳です。私にはクレアストラという名前の女の子がいます…」

その後、ワイス博士は彼女の症状の原因となった事件を探し始めます。どうやら洪水か津波がその村を襲ったかのようでした。

彼女は続けます。

「大きな波が木を押し倒してゆきます。…とても冷たい。子供を助けないと。でも、だめ…水で息がつまってしまった。息ができない、飲み込めない…塩水で。赤ん坊が私の腕からもぎ取られてしまった」

診察室の女性は、苦しそうに息をして、突然、ぐったりします。

「雲が見えます…私の赤ん坊も一緒にいます。村の人たちも…私の兄も」

その人生が終わったかのようでした。

ワイス博士は精神医学のあらゆる事例を思い浮かべ目の前の現象を説明しようと考えますが、どうしても説明できませんでした。そしてそれはある種の記憶に違いないと考えます。

ではどこから来たものか?


困惑の中、ワイス博士は更に催眠療法を続けていきました。


転生輪廻はあるのだろうか…

ワイス博士は転生輪廻に関する科学論文を読みあさります。

ある学者の論文では、転生輪廻の記憶を持つ2千人以上の子どもの例を集めていました。一度も習ったことのない外国語を話す能力を持った子どもなどです。

博士は次第に強い興味を抱くようになります。

博士が催眠療法を行っていたその女性(キャサリン)にはスチュワートという恋人がいました。二人はとても惹かれ合うのですが、いろいろギクシャクした問題もありました。 スチュワートがウソをついたり約束を守らなかったりと、彼女をひどく扱うのにスチュワートには逆らえなかったのです。

さらにキャサリンは喉にできたできものを取り除く手術をするのをきっかけに、とても強い恐怖心を覚えるようになりました。

その原因が明らかになるのです。キャサリンが催眠の中で話し始めました。

「私は少年です。…オランダです。1473年頃です。私は今、港にいます。…母が土鍋で料理をしています…」

その後、その少年は他の男性たちとカヌーに乗って敵地を偵察に行きます。そこで敵に出遭います。

キャサリンは突然喉を鳴らして叫び始めます。敵が後ろから襲ってナイフで喉をかき切ったとキャサリンは語ります。

死ぬ瞬間、少年(キャサリン)は敵の顔を見ます。それがスチュワートだったのです。現在とは違う顔をしていたが、同一人物であることが確かだったのです。

少年は21歳の生涯を閉じました。

ワイス博士はキャサリンの催眠を続けいくにつれ、次第に彼女が本当に前世のことを語っているのではと確信するようになっていきます。キャサリンも前世でのトラウマを語ることで、彼女を悩ましてきた様々な症状が治っていったのです。

何度か繰り返す催眠の中で、マスターという精霊たちが彼女を通してワイス博士にメッセージを送り始めます。 マスター達の世界は幾つかの次元に分かれていて、その魂の進歩の度合いによっていく次元が変わってくるのです。

その世界に行くまでに(この現世で)多くのことを学ばねばならない、そして自分の欠点に気がつかねばならない、もしそれを怠ると、次の人生に、その欠点を持ち越すことになるというのです。

その他のメッセージは次の通りです

『自分で溜め込んだ悪癖は肉体を持っている時にだけ取り除くことができる。もし争いの癖を取り除こうとしなければ、次の転生に持ち越される。』

自分と同じ波長をもつ人と魅かれ合うのは当然で、そうでない人たちと付き合うことも必要。我々は直観力を与えられているので、それに抵抗せず従うべき。それに抵抗すると危険な目に遭う。

人はみんな平等には作られていない。前世で徳を積んだ人は他の人よりも大きな力をもっている。

どう受け取るかは個人の自由です。私はこの本以上に「死ぬ瞬間」の著書で有名な精神科医キューブラー・ロスが書いた唯一の自伝「人生は廻る輪のように(邦訳)」に強い感銘を受けました。

「死ぬ瞬間」があまりにも有名になり過ぎたため、彼女が死の専門家であり、それが彼女の代表作ととらわれがちですが、実は彼女が最も伝えたかったことは「人生は廻る輪のように」の中に入っているのです。

書いてある内容はワイス博士の著書の内容にとても似ています。世界的に有名な実績のある精神科医が同じ結論に達しているのです。

この世に偶然ということはない、と。繰り返し彼女は述べています。