No Way Out 2012
メインはJohn Cenacle vs BigShow
表向きは自己中心的で被害的な裏切り者のBigShowとアメリカの良心を代表するシナと戦うことになってるんだが、
裏の流れではアメリカの大衆の薄っぺらさを象徴する(ようにしたてられた)シナが相変わらず嘲笑され続けてる訳だ。
誰得でそんな含意を組み込んでるのか・・・・
相変わらず夜も眠れません
その昔、こういうのはsmart向けに云々って言っているひとがいたが、ほっといても見る人向けの角度なんて何の役に立つ?
なぜ私たちは自己評価が高いか
今日どうしようもない真理を一つ発見した。
『何故、どうしようもない奴ほど自分を信用するのか?』
判断を2回に一回間違うどうしようもない奴でも、2回に一回は正しいことを言う。
間違ったことを言ったときには必ず非難されると仮定した場合ですら、1/2に確率で間違う彼らは、彼らはその非難の半分を言いがかりと判断するする。(もちろん正しいこといった場合には非難される率は低い)
間違って運良く反省するのは4回判断して1回だけだ。
となると、かれらは4回判断して1回間違うか間違わないかだから、大抵の判断を正しくしていることになる。
そんなに正しい彼らは、『自分がいつでも正しい』か、『たまには間違うか』の判断を問われると、1/2の確率で、『自分はいつも正しい』し、のこりの1/2の確率で『たまには間違うこともある』となる。
となると、近いうちに1/2回判断を間違うどうしようもないやつの自己評価は、遅かれ早かれ『いつも正しい』か『稀に間違う』になる。
窓
把瑠都「遊びみたいな場所」/技量審査場所
http://www.sanspo.com/sports/news/110511/spf1105110504001-n2.htm
パルトは日本に生まれてないのに日本の文化に大して素晴らしい一言。白鵬といい、パルトといい、日本の心が外人からしかきけないなんてなんたることだ。
お相撲は興行だから、金を取らずにやるなら予告編か遊びみたいなもんだ。
八百長がないものには価値もない
そうですね、大関
大災害に科学は声を失う
『このほど34の学会の会長が「日本は科学の歩みを止めない――学会は学生・若手と共に希望ある日本の未来を築く」という共同声明を発表した。』んだそうな。
『同声明は、1.学生や若手研究者への徹底的支援、2.被災施設や教育研究体制の早期復旧復興への支援、3.原発災害の風評被害を無くすための正確な情報発信――を提言している。地球科学分野を中心に国内34の学会(44万会員)が、政府や海外の学会と協力しながら次世代に希望をつなごうとしている。』んだそうな。
この声明の評判が悪い。
原発事故時の専門家の太鼓持ちのせいでもあろうし、理系の置かれる現状のせいもあるかもしれない。
でも、そんなことがなくても科学ってのは大災害の前には声を失うものだ。
科学は、斉一性を前提にしている。勿論大災害だって科学の理解の枠外ではないし、非自然なしろものでもない。
しかし、昨日と同じ明日という気もちの枠の外にある大災害下においては、斉一性は嘘くさく見える。そこへ原発事故だ。なおさら嘘くさくなる。
こんな声明に力はない。
受領はたおるるところに土をもつかむ
今昔物語に曰く
受領(平安時代に現地に派遣された地方長官)はその地方に思い入れがないので地方からむしり取るだけむしり取った。
ある受領藤原陳忠が崖から落ちて助けてもらうときに、自分のみの安全より落ちた場所にあったキノコを採ることを優先したという話。受領の強欲や過酷な搾取を示す話だったんだが
今では、どんな窮地・転帰も本人の取り組み次第でチャンスにという意味になる。
昨日の送別会に使った
大相撲八百長問題新展開:文部科学省、童話を推薦図書から外すよう通告
文部科学省は、大相撲八百長問題を鑑み、『泣いた赤鬼』を小学校・幼稚園の推薦図書から外すよう通告。
すでに各相撲部屋の図書室からは廃棄された模様
八百長な八百長はない
割と自明なことだが・・・
空をみたこともなく、自らのよってきたるところにおもいをよせることもなく、詩人でも哲学者でも解剖者でもなく、目に見えるものも見えないものもともに見えない人達にはわからないだろう