20代から、15年間暮らしたシドニー。
難民や移民も受け入れ多様性を認めるオーストラリアは、
多文化国家であり平等主義社会でした。
生まれた国や文化的な背景、
言語、宗教が異なる人の存在は異質どころか自然なのでしょう。
実際に私も一度も人種的な差別を感じたことはありませんでした。
気候も穏やかで暮らしやすく美しい街でした。
30歳で待望の娘を出産。
出産予定日の数週間前にようやく産休に入り、慌てて出産準備!
壁をスポンジでペタペタ塗ったりして楽しかった。プーさんワールド
出産後は、「マザーズグループ」という社会プログラムに参加。
看護師さんが6週間に渡って子育てについて講習をしてくれるもので、
講習といっても同時期に出産したママたちと交流するための
息抜きみたいなもの。孤立しない対策だと思います。
地域(公園)で開かれる「プレイグループ」にもよく参加しました。
3歳から本格的に仕事復帰。
当時から、オーストラリアでは女性が活躍できる環境が整っており、産休もとりやすく最長2年間の育児休暇が保証されていました。
今思えば、旅行会社の企画の仕事は私にとって天職でした。
キンディ(幼稚園)では、毎朝泣いてしがみつく娘を先生が抱きかかえ、
後ろ髪ひかれる思いで職場へ向かいました。
働くママは時に罪悪感を抱え、それでも信じた道を進むしかありません。
比較的治安のよい国として知られているオーストラリアですが、
11歳までは子供を一人で留守番とかさせちゃいけないんですよ。
通学も親の送り迎えが基本。
法律で「親は子どもの衣食住および安全の確保そして監督を行う義務をに担う」
と決められています。
国が子どもを守るという感じ。
日本とは全く違う、と感じましたね。
学校生活も文化の違いを感じました。
日本は協調性に重きをおき、個人より集団を大事にすることが特徴ですが
オーストラリアは、個性重視。
人と違って当たり前
むしろそれが強みとなるという考え方。
自分を肯定することができるからこそ、
他人を尊重するという考え方なのでしょうか。
子どもの成長度合いによって、就学を一年遅らせることも珍しくありませんでした。
この辺りもみんなと同じことに
安心する日本とは大きく違いますよね。
文化の違いって大きいですね。
小学校では、イベントが盛り沢山!
好きな絵本の主人公になる日
「カウボーイガール」
前歯がないのはご愛敬。
クリスマスにちなんだ服装をする日は王冠かぶったり。
ぶっちゃけなんでもありで、自由です。
売店では、子ども達がランチを買ったり
アイスを買ったり
送った後は、いつも駅まで走って電車で会社に向かっていました。
永住を決めていたオーストラリア生活。
まさか、この後しばらくして日本に帰国することになるとは
思ってもいませんでした。
人生何があるかわかりません。
8歳の娘は、のびのびと育ってきたこともあり
日本に帰国してからしばらく
謙虚さと協調性を美徳とする日本との文化の違いに
カルチャーショックを受けていたようです。
当時は、日本語も不自由だったし
私が思っている以上に大変なこともあったと思います。
娘の胸の星は「貫索星」
幼少期の十二大従星は「天将星」です。
十二大従星中最大のエネルギーを持つ天将星の人生は、
光も影も多く平凡な人生はありません。
子どもの頃の育ち方がポイントで
あまり大切にされると中年までに挫折しやすくなる
と教わりました。
大成功か、一生人の世話になるか
動物占いでいうと、トラ
もちろん苦労をさせたい、と思ったことはありませんが、
算命学を知っていたので、きっと多少の苦労も乗り越えてくれる、と
願っていたところもありました。
宿命通り?困難を乗り越え、素直に真っすぐに育ってくれました。
バンコクで象との記念写真
象乗りは楽しんでたのになぜか緊張する娘
慎重で用心深いところは幼いころから同じ。
成長しても、本質は変わらないものです。
子どもが小さい頃って、本当にあっという間ですよね
もうすぐ夏ですね
いつもありがとうございます。