松の種が二つありました。 一つは岩の間に落ちてもう一つは土の中に埋まりました。 土の中に落ちた松の種はすぐ芽を出してすくすく育ちました。
しかし,岩のすき間から落ちた種は少しずつしか育ちませんでした。 土の中で育つ松の木が言いました。 "わたしを見てごらん。 "私はこんなに大きく育っているのに,あなたはどうしてそんなに少ししか育たないのか"と,岩間の松の木は何も言わず,深く根を下げていました。
ところがある日,雨風が吹きつけました。 台風でした。 山の上に立っている木々が折れて折れていました。 その時,岩の間から育つ松の木は力強く立っていますが,土中の木は倒れてしまいました。 すると,岩の間に立っていた松の木が言いました。
私がどうしてあれほど厳しく生き延びたのか今は分かるだろう? 根が丈夫になるためには痛みと試練を乗り越えなければならない"。
上松の話は人生道程で経験するようになる逆境と試鍊について、一度ぐらい反芻にした文句です。 私たちが世の中と向き合って,人間と一緒に生きていく人生には,大小の逆境と試練が伴います。 自分の意志とは無関係にそうする恐れもあり,自分を取り囲んでいる環境がそうなる可能性があります。 こんな環境に直面すると,ひとりで重い荷を背負ってくよくよしながら険しい峠を越されてはがく,また,水に溺れた人がわらをもつかむ心情で,周囲の助けを借りて立ち上がろうとする事もあるでしょう。 しかし,問題はこの試みさえしないまま,その状況で"私の人生はそうなのよ""やっぱり私はダメだ!","空はなぜ,よりによって私にこんな試練を与えられるのか"といった自暴自棄をしながら,天に恨みだけをするのです。
このような想念に対して,あるコメディアンが大学の教壇で大学生たちにこんな話を伝えます。 人生はローラーコースターと同じです。 下にたくさん下りていけば下るほど,その反動で上へ突き進む力がもっと大きくなります。 人生に上り坂があれば下り坂があり,下り坂があれば必ず上り坂があります。 興があれば戻りがあり,盛があれば暦があり,吉があれば凶があり,問題を起こせば福があるものです。 それだけ喜びと試練は繰り返されるということですね。 逆境と試練は,私たちの人生の中で一度では終わらないということにあります。 人生において痛くない人はその痛みを知らない。 試練も経験し,逆境も経験し,一層成熟した人だけが人生の濃い香りを放つことができます。
それでは逆境と試練に毅然として対処するためには何が要求されるのでしょうか。逆境という環境に置かれると,その逆境を乗り越えようとする意志が生じ,それを成功の足場にして,結局は通じて逆境を乗り越え,成功するということです。何より重要なのは,逆境と試練を経験するからといって,おのずと成功できることではないということです。逆境と試練を成功の機会にするという固い信念と意志の絶え間ない努力が伴わなければなりません。ある事例では茶山・丁若鏞(チョン・ヤクヨン)が18年間流刑生活の逆境と試練をむしろ五百冊あまりの本を執筆する機会にして人々が持つべき徳目と道理を盛り込んだ『牧民心書』を誕生させたということが挙げられています。
また,試練を他の言葉で成功するための焼き入れといえます。 焼き入れは,鉄をこねる火鉢の中から火鉢を取り出して叩き,それを急冷させることを繰り返すことで鉄を固める作業です。 このように鉄を漬けてこそ丈夫な鉄が作られるように,成功も数回の試行錯誤と失敗を繰り返しながら経験と知恵と能力を身につけてこそ成すことができるというのです。 したがって,成功しようとする者は絶え間ない固い信念と意志,そして闘志が絶対的に求められることが分かります。 これは,泥の中でも清潔で高貴に育つ蓮の花がそうであるように,岩の隙間の厳しい環境の中でも深く根付く松の木がそうであるように,数回の逆境と試練を避けずに乗り切り,それぞれ自分の固有の領域を開拓し,存在価値を実現して成功の花を咲かせたものといえます。
上帝さまがらおっしゃった"天が将来その人に大きな任務を任せようとするときは,必ず先にその心志を苦しめ,その筋骨を煩わせ,飢餓にさせ,窮乏にもし,行おうとする事をふいにし,めまいがする。 そうする理由は心を奮い立たせ,忍耐力を育て,さらに彼の力量を増進させるためである。(ヘンロク3枚50節)
特に,修道人が逆境と試練を経験することは, 道通の究極的理想への首都に一度は振り返るような文句です。 挑戦様が"身命公判が運輸を受ける席に行っていることがなく、首都の過程で先に受けることになるものであるため、上帝さまがおっしゃった'私は解魔を中心するので私を従う者は先に伏魔の発動があるから伏魔の発動をよく耐えるしか解冤あげよう。'という一節を深く肝に銘じてほしい"して、『典經』に"すべからく禍福と一人なのでこれは福よりも平穏を先にしているという話だからやられる腹を耐えてよく受けて乗り越えなければ福が達しない"(ギョボプ1枚19節)という言葉を延ばしてみると、上帝さまの天下会社に従事する首都人たちには必然的に試練と逆境が到来するということを知ることができます。
そうだから,誰も予想できなかった逆境と試練を経験するということは,今後さらに大きく成功するように,天からの贈り物として甘んじて受け取らなければならないでしょう。 また,このように逆境と試練を経れば経つほど,私たちの内面がより深まるということは言うまでもないでしょう。 これは岩間の松の木が忍苦の時間を送り,地中に根を下ろすのと同じことです。 さらに私たちの首都の人々にとって何よりも重要なことは,道通を得ることができる器を作ることですが,これは首都の目的を達成するために必然的に要求されることを肝に銘じ,誠·敬·信を尽くして首都に邁進しなければならないでしょう。










