leaderという言葉を考えると,私たちは普段どんなイメージを思い浮かべましょうか。 おそらく権威と命令,そして先立って導く人程度ではないかと思います。 そうであるように,一つの目的を果たすために集まった人々にとって,リーダーは言葉通り,頼りにして従わなければならない存在のようです“
ところで,一方ではこういう姿のリーダーを想像してみてはいかがですか。 見えないように後ろから押してくれる人,心の壁を崩して下に近付く人,互いに対する感謝の紐で互いに一つになろうという人。
おそらく,このような姿のリーダーは普通の認識から見ると,あまり格好良くもなく,カリスマもないように見えます。 しかし,もう少し考えてみると,むしろその姿の中に隠された強力な力と資質を発見することがあります。 後ろに立ちたいリーダーの謙虚さは,彼らに大きな包容力と温かい心になります。 先立って上へ上ろうとする権威の力が包容力と愛に変わる瞬間です。 これは強大な権威以上の崇高な権威でしょう
心の壁を崩して下に近づくリーダーは,他人を服従させず,他人の心を得て一体になろうと思います" 自分の能力を指揮棒で他人を服従させるリーダーは,従う人と自分の間に大きな壁を作るのと同じです。 命令と服従との間には,強圧と盲目的に従うという等式が成り立っています。 反面,心の壁を崩して下に迫るリーダーと従うこの間には,疎通と主体的自発性という等式が成立します。 リーダーが自ら下に下りてきて疎通する時,リーダーの徳と資質は従う者に共有されるはずで,その中で従う人々にはそのように共有された徳と資質を通じて自発的で能動的な力を持つようになります" リーダーと従う人のこのような関係の中で,通心情という巨大な一体が形成されるのです。
お互いに対する感謝の気持ちの紐で一つになろうというリーダーは永遠なパートナーを自分のそばに置く人です。 階級的地位として相手を自分下に置くことはいつか彼らが自分から離れることを心配しますが,お互いの感謝の紐で一つになった彼らの間には"立ち去り"という意味は生じないでしょう。その中での調和は,リーダーに対する尊敬と従う人々に対する愛の関係が形成され,率いられる階級ではなく,一体の中での調和になるでしょう。 こんな姿のリーダー,話だけでも深くてほのかな香りが感じられるようです。
典經
典經は信仰の対象である九天上帝さまの教えと宗教的行為,そして道主(とず)の宗教的行跡を記述した大巡真理会の経典である。 構成は九天上帝さまの降世と行動、天地公事、宗統の継承、倫理的実践の教え、権能と知恵、病人の治癒、到来する世間の姿などの内容で行録、公事、敎運、敎法、権智、済生、予示の計7本17章で構成されている。
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<典經> 敎法 第一章
1. 上帝は「いまや天下が滅亡の境に瀕するにもかかわらず、それをいささかも悟り得ず、ただ財と利にのみ心を奪われている。どうして嘆かずにいられようか」と仰せになった。
2. 我々の工夫(コンブ)は、他人を益するものだ。他人に益となり、我々はその残りを得るのみでよい。全明淑は事を起す際、常奴(サンノム)を両班にし、賎民を貴人となすことを志したゆえ、死後に報われて朝鮮の冥府を預かったのである。
3. 志を抱く者は、込み上げる怨み、怒りをよく呑みこんで鎮めねばならぬ。
4. 三世(さんぜ)の縁があればこそ、私に従うのである。
5. 汝らの信を私に捧げてこそ、私の信を授かるのである。
6. 我が教法は、他人が死ぬとき我は生きようとすること、他人が生きるとき我は栄華と福禄を授かろうとすることである。
7. 我々の工夫は、一杯の水でも理由なく他人の力を借りることのできぬ工夫だから、たとえ親兄弟であってもみだりに頼ってはならぬ。
8. 上帝は金亨烈に「倒れかけた家の家財道具は、ためらいなく捨てて、新しい場を生み出すのだ。もし惜しんでそれにこだわっていると自分の身まで滅ぼすことになるから、よくよく悟らねばならぬ」と仰せになった。
9. いまは解冤の時代である。両班のみを重んじて班常(両班と常奴)の差別にこだわるのは先祖の墓を暴くようなもので、破滅の気が伴う。ゆえに両班の古い因習は早く捨て、賎民を優待してこそ慼(チョク)【怨恨】も解かれ、よい時代が早く来るであろう。
10. 上帝は賎しい者にも必ず敬語を用いられた。金亨烈は自分の下人である池南植に上帝が常に敬語で話されるのを心苦しく思い、「この者は私の下人ですので、敬語をお使いにならないでください」と請うた。上帝は「その者は君の下人であり、私とは何の関わりもない。この村では幼いころからの習慣で、言葉を改めるのは難しかろうが、他の村では、いかなる者に対してもみな丁重にせよ。これからは嫡庶(嫡子と庶子)、班常(両班と常奴)の区別は、なくなるであろう」と諭された。

