松の種が二つありました。 一つは岩の間に落ちてもう一つは土の中に埋まりました。 土の中に落ちた松の種はすぐ芽を出してすくすく育ちました。

しかし,岩のすき間から落ちた種は少しずつしか育ちませんでした。 土の中で育つ松の木が言いました。 "わたしを見てごらん。 "私はこんなに大きく育っているのに,あなたはどうしてそんなに少ししか育たないのか"と,岩間の松の木は何も言わず,深く根を下げていました。

ところがある日,雨風が吹きつけました。 台風でした。 山の上に立っている木々が折れて折れていました。 その時,岩の間から育つ松の木は力強く立っていますが,土中の木は倒れてしまいました。 すると,岩の間に立っていた松の木が言いました。

私がどうしてあれほど厳しく生き延びたのか今は分かるだろう? 根が丈夫になるためには痛みと試練を乗り越えなければならない"。

上松の話は人生道程で経験するようになる逆境と試鍊について、一度ぐらい反芻にした文句です。 私たちが世の中と向き合って,人間と一緒に生きていく人生には,大小の逆境と試練が伴います。 自分の意志とは無関係にそうする恐れもあり,自分を取り囲んでいる環境がそうなる可能性があります。 こんな環境に直面すると,ひとりで重い荷を背負ってくよくよしながら険しい峠を越されてはがく,また,水に溺れた人がわらをもつかむ心情で,周囲の助けを借りて立ち上がろうとする事もあるでしょう。 しかし,問題はこの試みさえしないまま,その状況で"私の人生はそうなのよ""やっぱり私はダメだ!","空はなぜ,よりによって私にこんな試練を与えられるのか"といった自暴自棄をしながら,天に恨みだけをするのです。

このような想念に対して,あるコメディアンが大学の教壇で大学生たちにこんな話を伝えます。 人生はローラーコースターと同じです。 下にたくさん下りていけば下るほど,その反動で上へ突き進む力がもっと大きくなります。 人生に上り坂があれば下り坂があり,下り坂があれば必ず上り坂があります。 興があれば戻りがあり,盛があれば暦があり,吉があれば凶があり,問題を起こせば福があるものです。 それだけ喜びと試練は繰り返されるということですね。 逆境と試練は,私たちの人生の中で一度では終わらないということにあります。 人生において痛くない人はその痛みを知らない。 試練も経験し,逆境も経験し,一層成熟した人だけが人生の濃い香りを放つことができます。

それでは逆境と試練に毅然として対処するためには何が要求されるのでしょうか。逆境という環境に置かれると,その逆境を乗り越えようとする意志が生じ,それを成功の足場にして,結局は通じて逆境を乗り越え,成功するということです。何より重要なのは,逆境と試練を経験するからといって,おのずと成功できることではないということです。逆境と試練を成功の機会にするという固い信念と意志の絶え間ない努力が伴わなければなりません。ある事例では茶山・丁若鏞(チョン・ヤクヨン)が18年間流刑生活の逆境と試練をむしろ五百冊あまりの本を執筆する機会にして人々が持つべき徳目と道理を盛り込んだ『牧民心書』を誕生させたということが挙げられています。

また,試練を他の言葉で成功するための焼き入れといえます。 焼き入れは,鉄をこねる火鉢の中から火鉢を取り出して叩き,それを急冷させることを繰り返すことで鉄を固める作業です。 このように鉄を漬けてこそ丈夫な鉄が作られるように,成功も数回の試行錯誤と失敗を繰り返しながら経験と知恵と能力を身につけてこそ成すことができるというのです。 したがって,成功しようとする者は絶え間ない固い信念と意志,そして闘志が絶対的に求められることが分かります。 これは,泥の中でも清潔で高貴に育つ蓮の花がそうであるように,岩の隙間の厳しい環境の中でも深く根付く松の木がそうであるように,数回の逆境と試練を避けずに乗り切り,それぞれ自分の固有の領域を開拓し,存在価値を実現して成功の花を咲かせたものといえます。

上帝さまがらおっしゃった"天が将来その人に大きな任務を任せようとするときは,必ず先にその心志を苦しめ,その筋骨を煩わせ,飢餓にさせ,窮乏にもし,行おうとする事をふいにし,めまいがする。 そうする理由は心を奮い立たせ,忍耐力を育て,さらに彼の力量を増進させるためである。(ヘンロク3枚50節)

特に,修道人が逆境と試練を経験することは, 道通の究極的理想への首都に一度は振り返るような文句です。 挑戦様が"身命公判が運輸を受ける席に行っていることがなく、首都の過程で先に受けることになるものであるため、上帝さまがおっしゃった'私は解魔を中心するので私を従う者は先に伏魔の発動があるから伏魔の発動をよく耐えるしか解冤あげよう。'という一節を深く肝に銘じてほしい"して、『典經』に"すべからく禍福と一人なのでこれは福よりも平穏を先にしているという話だからやられる腹を耐えてよく受けて乗り越えなければ福が達しない"(ギョボプ1枚19節)という言葉を延ばしてみると、上帝さまの天下会社に従事する首都人たちには必然的に試練と逆境が到来するということを知ることができます。

そうだから,誰も予想できなかった逆境と試練を経験するということは,今後さらに大きく成功するように,天からの贈り物として甘んじて受け取らなければならないでしょう。 また,このように逆境と試練を経れば経つほど,私たちの内面がより深まるということは言うまでもないでしょう。 これは岩間の松の木が忍苦の時間を送り,地中に根を下ろすのと同じことです。 さらに私たちの首都の人々にとって何よりも重要なことは,道通を得ることができる器を作ることですが,これは首都の目的を達成するために必然的に要求されることを肝に銘じ,誠·敬·信を尽くして首都に邁進しなければならないでしょう。

 

 

 

韓国の首都人において布德 活動は実に大きく,高貴な修行である。 上帝さまの大純な真理を世の中に繰り広げるこの布德は,私と相手の心の間に広がる崇高な交流の場だ。 心から心から天の徳が伝わって世間が明るくなるということを考えると,我々の首都人にとっての報徳は,意味深く幸せな使命と言わざるをえない。

ところが,世の中で本当に難しいことの一つが人の心を開くことだという話がある。 鍵のない厚い鋼鉄門は物理的な力で何とか開くことができるが,人の心はそうすることができず,ただ心の道理に接近する時初めて開くことができるからだ。 修辞学とは,まさにその心の扉を開く鍵,心に迫る道理に関する学問だ。

相手を説得する方法を研究するこの修辭學は古代ギリシャの哲学者Aristoteles(紀元前384~紀元前322)から発達した。 捜査学は人間を対象とするので,人間の精神的特性と対応するが,人間の精神は大きく"論理的特性·感情的特性·道徳的特性"を持つ。 アリストテレスはこのような特性に注目して説得の3要素として'logos・pathos・ethos'を提示する。

まず説得の論理的要素をロゴスと言う。 ログスとは"言語·真理·理性·論理·法則"の概念であり,客観性と調理的説明を導く要素である。 話す人が道理に合う言葉をすれば,聞く人も論理的な認識を通じて相手の言葉を理解して内面に共感を形成する。 "よくしゃべれる"というとき,それは,話し手の筋の通った説明に対してそれが共感したことを意味する。 logos的表現は,言葉の中に論理的道理がどれだけきちんと具現されているかを重要視するため,やや冷たく無味乾燥な感じを与えることができる。 したがって,聞き手の性向や状態によってlogos的方式は肯定的な効果を与えることも否定的な効果をもたらす。

次のpathos的要素にはlogosの冷たさが持てなかった温もりがある。 Pathosとは"情熱·自信感·同情心"の概念であり,捜査学では感情的な訴えで相手を感化させる説得の要素である。 言葉の調理が足りなくても,感情的な訴えは相手によって強力な効果を発揮することもある。 例えば,長たらしい論理を持ち上げなくても確信に満ちた口調で投げた"私の言葉を一度信じてみてください!"という言葉が相手の心を動かしたのがpathosの効果が的中したケースだ。 pathosによる説得は,よく目にするテレビ広告の中から探すことができる。 テレビ広告は,短い瞬間に視聴者の心に浸透しなければならないため,論理よりは感情を狙う。 また,人は心が苦しい時,論理的な理解よりは感情的な傷を慰めさせたい傾向があるが,この時,パトソスは大きな効果を発揮する。 したがって,"pathos"をはじめとした発言は,論理よりは相手の気質と習慣,そして現在の心身状態などを主に考慮することになる。 このような要素が相手の感情的な要求を形成しているから,そうした情緒的な要求が相手の内面に突っ込めるドアになる。

また,pathos的言い方は,大衆を扇動して合理的判断を曇らせることがあるので,話し手の意図によって危険要素を持つことができる。.logosが論理として理解を導きながらも,冷たくて乾燥した感じで相手の情緒的な面に合わないという短所があるとしたら,逆にpathosは,温もりのある感情的な訴えで早い共感を得られるが,その持続力が単発的であったり,事理を逃して判断を誤る危険性がある。

次にethosは,logosとpathosが持てなかったもう一つの特性を持つ説得の要素だ。 ethosは"性格·慣習·道徳性"の概念で,修辞学では話者の道徳的人格として現れる。 logosが論理として, pathosが鑑定で相手の心に近づいていたら,ethosは話し手の人柄で漂う信頼性を土台に相手に近付く。 つまり,語る人が過去に築いてきた道徳的な生き方やその徳の充満さで形成された生命力が説得の力を発揮する。 その生命力は,安定した心身の姿と礼,そして,話し手の徳が残した良い印象が積み重ねられ,厚い人望の形で表れている。

これについてアリストテレスは彼の'修辞学'で次のように述べた。

正確な知識の領域から外れた問題点について意見が分かれる時,私たちは信頼できる人の言葉を受け入れる。 話し手の人柄がすべての説得手段の中で最も強力なものである。

アリストテレスの言葉からも分かるように,話者の人品は相手を説得する最も重要で強い力を持つ。 logosとpathosに話す人の"真心と徳"という生命力を吹き込むことがまさにこのethosである。 したがって,logosとpathosにethosの生命力が欠如していれば,いくらでも操作と飾り物が発生する恐れがある。 他の本音を抱いて論理を悪用したり,相手の感情を巧妙に利用できるためだ。 これに比べて,ethosの人柄が深い信頼感を与えられる理由は,人品は短期間に形成された話し手の品性ではないということにある。長く持続して検証されたものなので,長い生命力を持つ。

したがって,相手の心をつかむ理想的な方法は,ethosを中心にしたlogosとpathosの調和だと言える。 ログスでは話し手の理性的合理性を,pathosを通じて感情に近づける情熱を,ethosを通じて真心と徳の生命力を備えることで,聞く人に最大の信頼と実質的援助を与えることができる。 この三つのものは,どれ一つ欠かすことのできない説得の重要な要素として,人間精神の本質から起因する。 日常の道徳的修養と教養知識の習得,そして豊かな情緒がバランスよく成長して一つの人格を成す時,その語は相手の心を開く偉大な鍵になる。 "役員たちは議長道人に対する教化を認定があふれて、信頼が漂っており、はったりを利かず、顔色は火器で気楽な場所で安定した時間を選んで負担のない対話で信仰心を高め、真理道統の珍景に上るように啓蒙しなければならない<83.10.26>"は、挑戦の話は'認定・火器・真理'で教化を導いてほしいという意味として、これはエートスに基盤したパトスとロゴスの調和と同じ脈絡と考えて見ることができる。

ethosを中心にした修辞学の理論を見て"大順指針"に"言葉の才能より行動と行動で相手を感化させる姿勢を持て"という都典さまの言葉を思い浮かべるようになる。 これは,砲徳に臨む姿勢に対する言葉であり,瞬間の言弁と機転より,真心と真摯な意志を通じて固まった日常の姿が,砲徳の根本にならなければならないという意味だ。 ethosが欠如したlogosとpathos的言弁が一つの言葉の器用に過ぎないように道を伝えることは,人柄から湧き出た真の行動と行動なしに,言葉の才能による瞬間的な扇動としてうまくいくものではない。 長い間,形成された道徳的人格とその持続の意志が,すなわち,私の姿になってこそ,可能なことだ。 その中に込められた言弁と機転は,真正性を持つようになり,相手の心を開くことができ,その時になって初めて相手の魂の中に道の機運を伝えることができる。

要するに,真の人柄は,人知れず地道な修行の誠意なく,ある日突然生じるものではない。 日常の自己反省を通じた遂行の意志が積み重なり,少しずつ厚くなるのがその人格ということだ。 普段の修行が良くない人が布德に立ち上がり"真心で人に接しなければならない"と誓うからといって,その瞬間,深い人柄の所有者になることはできない。 したがって,日常修行の毎瞬間がまさに布徳の始まりであり準備の時間にならなければならない。 その始まりを忠実にこなす人にとって,真の首都の縁が心を開く準備をして彼を待っているだろう。 真の"布德"の意味の中で捜査学のさらなる正義を発見する瞬間だ。

 

 

 

首都の目的は道通です 道通とは大純真理によって道統君子になるのです. ドーインが修道するということは,道通まれる器を作るということですが,道通は体と心が塵一つなく,ガラスのようにきれいでなければいけません。 即ち,天性に戻って心が正しく立っていなければなりません。 挑戦様は"上帝さまのお話をいつも心に刻んで,言行と仕打ちが一致して生活化し,細入微塵·心無慾淸淨になった時,都統進境にいたる"とおっしゃっていました。 このような境地に至ってこそ,道統を受けることができます。

『典經』には道統に関する様々な記録があります。 主な内容を見てみると次のとおりです。 第一に,道通は道人が心を磨くことによって与えられ,上等,中等,下等に分けられます。 かつて孔子は弟子のうち、72人が誘導に通じ、釈迦の弟子のうち500人が仏道に通じたが、そのほかの人たちは夢を果たすことができなかったです。 しかし、上帝さまはこれからは誰にも心を磨いたところによりその心を明らかにしてくれるとして"上梓は七ことであり、中裁は十四ことであり、下齋二十一にはそれぞれソンドハてくれるだろうから上等は万事を任意に行うこととなり、中等は勇士に制限があり、下等は知っているだけして勇士を意味通りにできないため、全ての仕事を行うことができないぞ。"(ギョウン1枚34節)して'上梓は度を創成して[上有道昌]、仲裁は大幅に善良で[中有泰仁]ジェヌン大きく気づく[下有大覺]としました。 現在は海原時代に,道を陰湿にしようとする者は,かえって海を被って,誰でも磨いたところによって,道に通じることができるようになったのです。

第二に,道統は錦江山と密接な関連を持っています。 上帝さながら我が国を,道術文明と世界を活かす計略を持った中心国として表現しました。 また 弓乙歌 "朝鮮江山 名山と 道通君子再び出る"(グォンジ1枚11節)して、"回る将来、金剛山(クムガンサン)イルマンイチョン棒をウンキハてイルマンイチョンの道統君子に創成あげよう。 しかし、後天の道統君子には女が多いと"(例示45節)と言いました。 この言葉で、韓国がサンドゥングクになって金剛山(クムガンサン)万2チョンボンにウンキハて道統君子が出ているのを確認することができます。

第三に 道通は 道通に関する神明と調和してこそ行うことができます。 上帝さまは, 道通の際は,儒佛仙の 道通信がすべて集まって,各自が心身で磨いたところによって 道通じるようになるとおっしゃって,自分が独りで道統を受け持って行うのではないことを強調されました。そしてパクコンウに"各姓のソンリョンシンが一人ずつ天上工程に参加して待っている中だからもうもし一人に道統を施しば、すべての先靈神たちが集まってかたよることを難詰すると。"(ギョウン1枚33節)と言いました。 このような内容に注目すると,道通は上帝の主宰で道統神,先霊神などの大神明が参加し,成立することがわかります。 したがって,道人がそれぞれ磨いたバーの首都の如何によって,道統と関連した神明と調和する可能性を示します。 このような内容は,道統の特徴を示す重要な一節と言えます。

多くの試練と逆境の中でも,真摯な心を持ち,道徳を築いてきた人が道通君子と言えるでしょう。 ここで注目する点は,道通を達成しようとする過程には必ず障害があることです。 大勢の人がこの 劫厄に屈し,自我自棄するうえで目的を果たせません。 首都は針を乗り越えて進むことで成功するのです。 つまり,自分が首都の道で多くの試練と逆境があっても,道に対する確固たる信念を持って,一つの心を一つにし,道通君子になるべきだという意味です。

道理をよく守り,完全な道人になれば,元の天性と本性に戻って,人間の良心を探るようになります。 私たちの道で道理を守らなければならないことの中で強調するのが三綱五倫と訓会·守則です。 三綱五倫を実践していかなければならない理由は,礼を備えていなければ,道理と秩序が崩れ,人格が備わらないからです。 これが守られる時大運があり,道通を受けます。 さらに,ご挑戦の方は"我らの訓会と守則は,このような道理をよく守ってもらおうと,譲位上帝が出したものです。 必ず守らなければならない道理です。 これに反したら,どうして運勢が得られるでしょうか。 今の世の中で自分の道理を尽すというのはとても難しいことでも困難なため,必ずやらなければならないことです。"とおっしゃって,仙境は天·地·人·神がそれぞれ自分の道理を尽くす時,それがまさに仙境であり,和平の世界だといわれました。

道通は道人の首都の如何によります。 正しい仕方をすることは,心を清く綺麗に拭き,仕事ができるようにすることです。 上帝さまは"神明に人に臨んで心に墨糸を向けさせ,事情の感情を稲妻に付けるだろう。 心を入れかからずに邪曲を行う者は,地気が下がる時に心臓が爆発し,骨の節が腫れるであろう。 運輸は嬉しいが、首を渡ることが難しいと。"(ギョボプ3枚24節)と言いました。 この言葉は,道通とは,物品を授受するように取り交わすのではなく,各自が心を正しく磨くかどうかにかかっているという意味です。 神明公判とは,道通にあって公判を受けるのではなく,首都の過程で先にもらうことになります。 都統は天地工事の設計により,すべての人に与えられるもので,首都の目的です。 しかし,この道通は,今後,それぞれ磨いたところによって開かれるといわれたように,道人が修行過程を経た後に至る最終結果である。

 

済生
 

 


1. 上帝が病者を相手にされるときには、病者の胸と腹のなかをのぞくように、経穴(ツボ)と臓腑を、これが何、あれが何といちいち指し示された。そして、どの臓腑から発病したかを教えられ、また臓腑の黄色がかった部分が痰(タム)である、などと語られながら、一つひとつ病者がわかるように教えられた。

2. 上帝は花亭洞ではじめて医術を施された。あるとき、花亭洞に住む李京五という者が足の病にかかり、三、四年の間にひどくなってとうとう歩けなくなった。そこで親しくしていた大院寺の住持朴錦谷が上帝に彼の病のことを申し上げ、診てくださいと懇願した。上帝が李京五の家に行ってその病を診られると、左足の指が痺れてうずいていた。また、午後から夜中にかけて脚が柱のように腫れ、朝には腫れがひいて昼には元に戻り、午後には再び腫れるという症状を繰り返した。上帝は脈を診られると、「まことに怪異な病だ。何事も小事をもって大事を測るというから、この病を範として、私が天下の病を治める試みとしよう」と仰せられた。上帝は自ら病者の足先まで触られ、「軒先から落ちる雨水を集めて、それで足を洗うように」と仰せになった。李京五がそのようにすると、病はたちどころに癒えた。

3. 上帝が全州の陵墓におられた折、黄応鍾が上帝の生家からやって来て、上帝の父親が病気になったことを申し上げた。上帝は黄応鍾に酒と金十両を与え、「日も暮れたが、不快に思わず直ぐに引き返し、清道院で金松煥の家に泊まり、明朝早く銅谷の金甲七のところへ行き、苧麻で織った私の外套(ツルマギ)を持って戻り、それを父に着せよ。また、この金で滋養のあるものを作ってさしあげよ」と仰せられた。黄応鍾は、すでに日も暮れたが上帝の命には逆らえず陵墓を発った。すると一時間もしないうちに、道端に標石が見えた。清道院に着いたのである。陵墓から六十里もある清道院まで一時間もしないで着いたことに驚き、これは必ずや上帝の道力によるものと思って喜んだ。黄応鍾は、金松煥の家に泊まり、翌朝早く銅谷に立ち寄った。そこで外套(ツルマギ)を持ち出し、それを携えて客望里に行き、上帝の父親に着せると、父親はたちまち元気を取り戻した。そして、滋養の付くものを食べて体はすっかり回復した。 


4. 上帝は壬寅(じんいん)年(一九〇二)、全州と夏雲洞のあいだを行き来されながら、薬を使わずに、病に苦しむ者を助けてくださった。上帝の神力を敬わない者はいなかった。

5. 上帝は壬寅年四月十三日、金亨烈の家に行かれた。折しも金亨烈の妻が末息子を生んだときであった。その妻はいつも産後四十九日にわたって、腹痛で苦しんでいた。金亨烈がそのことをひどく案じていると、上帝は、「これからは私を信じて心配しないように」と仰せられた。金亨烈は上帝の助けを信じて安堵した。それより後、妻は、腹痛と喘息の苦しみから解放された。

6. 張孝淳は、嫁入りした娘が回虫による腹痛で生死の境をさ迷っていたので、全州府に留まっておられた上帝を訪ねて、治してくださいと懇願した。上帝はその家に行って、夫婦を呼び、夫婦が壁を挟んで互いに背中合わせになるように立たせ、妻の病を夫に移してから、夫の腹をさすって病を治された。

7. 金允根は痔で幾十年も難儀していたが、癸卯(きぼう)年(一九〇三)三月には、起き上がれぬほどひどくなった。上帝はそれを哀れんで、金允根に毎朝、侍天呪(じてんじゅ)を七遍唱えるように命じられた。その通りにすると、病は快方に向かい、幾日かするとすっかり治った。

8. 古阜の李道三は癲癇を患っていた。彼に請われて上帝は、「私の言う通りにせよ」と言い、李道三を寝かせ、眠らぬように仰せ付けられた。李道三はものを食した後に、腹が痛くなり、便に痰(タム)が混じるようになった。十四日後になるとその病は治った。 


9. 上帝が銅谷に留まっておられたとき、村の酒幕の主である金士明の息子金成玉が急な病で死んだ。金士明は息子を生き返らせようとして、半日が過ぎるまであらゆる手を尽くしたが、どうしても生き返る見込みがなかったので、母親が息子の亡骸を背負って銅谷の薬房を訪ねてきた。上帝はそのことをあらかじめ知っておられ、「薬房の命運が塞がっているゆえ、死者が背負われてくるのだ」と仰せになった。母親は息子の亡骸を上帝の前に横たえて、涙を流しながら、助けてくださいと哀願した。上帝は笑いながら、息子の亡骸を膝の上に乗せて腹を撫で下ろし、宙に向かって「眉叟をして尤庵を呼ばしめよ」と叫ばれた。そして、自身の唾をその息子の口に入れられた。すると、たちどころにその息子の肛門から汚物が流れ出てきて、息子は声を上げて生き返った。そして息子は重湯を飲み、歩いて家に帰っていった。

10. 金昌汝は銅谷で暮らしていたが、幾年ものあいだ胃もたれに苦しんでいた。ある日、上帝を訪ねて、その病を治してくださるように哀願した。上帝は金昌汝を台の上に横にならせて、その腹を撫でながら、金亨烈に次の詩をお読ませになると、金昌汝はその病から救われた。

調来天下八字曲 (調(しら)べは天下に来たり八字の曲)
涙流人間三月雨 (涙は人間(じんかん)に流る三月の雨)
葵花細忱能補袞 (葵花(きか)の細忱(さいしん)【細やかな誠意】は能(よ)く袞(こん)を補(つくろ)うも)
萍水浮踵頻泣玦 (萍水(ひょうすい)は浮踵(ふしょう)し頻(しき)りに玦(けつ)に泣く)
一年明月壬戌秋 (一年の明月壬戌(じんじゅつ)の秋)
万里雲迷太乙宮 (万里の雲は迷う太乙(たいいつ)の宮)
清音鮫舞二客簫 (清き音に鮫(こう)は舞う二客の簫(しょう))
往劫烏飛三国塵 (往劫(おうごう)の烏(う)は飛ぶ三国の塵)

11. 龍頭峠に暮らす金某は足が不自由で、いつも輿に乗って外出していたが、ある日、上帝にお目にかかって、歩けるようにしてくださいと哀願した。上帝は金某を前に座らせて煙管(きせる)を示し、「この煙管の動きに付いて立ち上がりなさい」と仰せになった。そして金某に煙管の高さに合わせて少しずつ立ち上がるよう努めさせ、金亨烈には「曳鼓神曳彭神石蘭神東西南北中央神将造化造化云吾命令吽(えいこしんえいほうしんせきらんしんとうざいなんぼくちゅうおうしんしょうぞうかぞうかうんごめいれいうん)」と唱えさせた。また上帝は、金某を庭に立たせて歩かせ、金光賛に金某のふくらはぎを打たせて、速く歩くようにさせなさった。金某は輿を捨てて歩いて帰っていった。その後、彼は歩けるようになったお礼として、上帝に金三十両を献じた。上帝はその金で道行く人々に酒食を施され、金某は人々の前で、上帝が足を治してくださったと述べ、感謝の意を伝えた。

12. 朴順汝は六十歳の母親とともに銅谷で暮らしていた。その母親が病で危篤になったので、家族は葬式の用意を始めた。上帝はこれを伝え聞いて、その家を訪ねて行かれた。その家に至り、上帝は朴順汝に、市に行って、「初終の礼に使う祭酒を用うることなからせたまえ」と誠意をこめて心告してから帰ってくるよう命じられた。そして、四物湯を一服煎じた後、母親がいる部屋の庭から十二歩離れたところの土を墓穴のように掘り、その薬を埋めて、「古い病だから、地に薬を飲ませねばなるまい」と仰せになった。戻ってきた朴順汝に、「誰に心告したのか」と訊ねられたので、彼は「先生に心告しました」と申し上げた。上帝はお笑いになり、作っておいた酒を彼に持ってこさせ、隣家の人々と分けあって飲ませた。母親はたちどころに生き返った。

 

 

"大順に指針"に目的を達成する過程に劫厄が発生するという内容が明らかにある

人は現実よりもより良い未来を追求するために目的を立てる。 修道人も今,先天の現実に満足せず,後天の境界を志向している。 問題は,目的だけを立てたからといって,すべてがうまくいかないということにある。 現在の問題を改善するために目的を決めたため,改善方法をいろいろチェックしなければならない。 その際,さまざまな方法が導き出される恐れがあり,これらの方法はいずれも問題の原因を取り除くことに焦点が当てられている。

それなら目的を立てる時,劫厄が伴うのか。 それは問題を解決する過程でその問題の原因が明らかになるからだ。 この時,鎖は自然に顔を出す。 福を得ようとする時,まず災いが来るように首都と関連した目的を立てたとすれば,首都と関連した劫厄が現れる。 また,目的を大きく立てたなら,その重さもともに大きくなるものだ。 このように劫厄は,自分自身の選択が動機になって発生する。

このような点は,事業を行う時も同様に適用される。 すべての事業には目的と方法がある。 企業が金銭的利益を得るために事業をするように,大純真理会は"上帝様の天地工事"を実現するために事業を展開している。 事業に臨む首都のいずれも大巡真理に合わせて目的を立て,これを実践している。 そう考えると,首都は後天仙境の建設という目的を成し遂げるためのものであり,その過程で現れる劫厄を克服する実践に属する。

このように劫厄が私の目的意識と関連があるという点を理解すれば ある者は劫厄を環境や線角の助けがなくて,前世の業によって示されたと思う。 もし劫厄の原因をすべて他者という空間と過去という時間に置く場合どうなるだろうか。 その瞬間,首都の主体としての責任を負う自分自身を見つけることができない。

劫厄すなわち私が経験する事件に対する認識が変われば"私"を眺める観点まで変わることになる。 私はただ先祖の選択によって首都をするのだろうか? 言うなれば正しい言葉だ。 しかし結局,決定権は私にある。 私自身が三生の因縁により自ら上帝の道を選んだからだ。 過去だけでなく現在と未来の私も道を選ぶだろう。 "私の主体的な選択によって,今回の生は首都のための生へ転換されるのだ。

こう考えてみると,劫厄は避けなければならない対象ではない。 むしろ自分の目的を達成するために必要な基盤である。 問題の中に解答があるように,吐は自分自身を首都に邁進させる動力だ。 劫厄を理解して解いて行く時,私は目的に一歩もっと近づくことができる。 その瞬間劫厄は私を成功させてくれるありがたい対象になる。 事業に臨む私の認識がこのように変わっていくとき,私にはとても大切な資産になるのだ。

典経の構成と内容

<行録篇>

行録篇は計5枚223節で構成されています。 姜世臣(カン·セシン)姜甑山 聖師が九天上帝さまとして行った言葉と行跡を年代記的に記録しました。 ここには上帝さまがらの降世から幼年時代,青年時代,周遊天下と天地公事,そして化天に至るまでの行跡が詳しく記されています。 全体的な特徴は、私の幼年時代の紀行の移籍と東学、日露戦争など19世紀末の朝鮮社会の激動期を成し遂げた時代的状況、宗徒らとの出会い、そしてケース別教化を広く扱っています

<公事篇>

公事篇は計3枚106節で構成されています。 ここでは上帝さまの大役事に該当する天地工事9年間の記録を扱っています。 天地工事は大きく範疇別に天界公事,地界公事,人界公事に分類されますが,これはすべて天·地·人三系を開闢するための工事です。 '典經にはこのような工事に該当する内容を集めて宗道たちの証言とともに詳しく紹介しています。 時期別の区分は明確でなく,ただ工事に関する記録を全体的に示すという点で他と区別されています

<敎運篇>

敎運篇は計2枚132節で構成されています。 ここでは上帝の位牌が宣布された大順に進理理念を含め,その価値実現のための総合勝利の歴史を盛り込んでおります。 上帝さまきの真理は道主さまに至って体系化し,これが継承され今日の大順で真理会を成すことになったことを明らかにしています。 第1枚には上帝さまの真理が歴史的にどういうかを扱っており、2枚では上帝さまの宗統繼承した道主さまの生涯と都典さまの宗統繼承が主な内容です。

<敎法篇>

敎法篇は計3枚173節で構成されています。 ここでは首都と信仰生活の規範となるべき内容を中心に上帝さまの教えを集めて伝えています。 修道人としての心構え,実践方法,信頼の問題,社会的な問題,倫理道徳の問題などを扱っています。 教法は他の宗教でいう説法または説教に該当します。 道徳的な事項と宗教的な戒律に関するお言葉の記録で,首都生活の道案内です。

<権智篇>

権智篇は計2枚71節で構成されています。 ここでは上帝さまが在世時代に有した超越的権能と凌智を扱っています。 上帝さまは約40年間、印税に滞在しながら神通自在に求愛されることなく、唯一無二た真理を宣言しました。 一人の人間の体を持ちながらも上帝さながらおこなわれた権能と知恵は,もう不人の限界を越えたものでした。 また,多くの人々の苦難を解決し,多くの願いを叶えることで,上帝の持つ絶対能力を人々に刻み込ませました。 上帝さながらの信仰を発生させ,多くの人々が上帝さまに追従するようになった物語が込められています。

上帝さながらの主な権能は自然の調和を自由にし,人間の寿命を主管しすべての神命を治めることなどがあります。 また予知力としては,過去·現在·未来に通達し,人の心を見抜くことなどが挙げられます。 権智は宗教的奇跡です。 奇跡は理性的な知識が及ばない神秘な領域です。

<済生篇>

済生篇は計1枚44節で構成されています。 ここでは上帝さまが在世時に行なわれた数多くの民生救済の歴史が込められています。 上帝さまは天下創生を救済し、後天、ソンギョンに開かれようと9年間の天地工事を断行していて、苦痛を強いられている民生の苦難に背を向けなかったです。 数多くの方便と説法によって不治の病を治療し,民生が望む所をすべて叶えてくださったいと思います。 このような上帝さまの行跡を追って,そのつたわる事実を済生に記しており,上帝さまが万人の崇拝を受けるようになった歴史的根拠となっています。

<予示篇>

予示篇は計1枚88節で構成されています。 ここでは上帝様が在世時におこなわれた天地工事の記録に基づいて,これから展開される後天仙境の未来像が垣間見られることを扱っています。 天地公司には上帝さながらの絶対権能で,人類と天下の創生を迎える希望に満ちた未来が込められています。 これによって人類社会は,世界文明と自然環境,宇宙と神明世界において解冤相生が支配する道化楽園が与えられるようになります。 予見はまさにその具体的な実像と変化の過を詳細に伝えています。以上,"典經"の構成と主要内容について概観しました。 "典經"の各編はそれぞれの固有の事実と教訓,そして信仰の根拠となる内容を全体的に含んでいます。 "典經"は,それが持つ経典的価値と信仰体系の主要な軸を構成しているという点で,首都の人は常に"典経"を受持 奉讀することを怠ってはならないでしょう。 都典さまが『典經』を100度読みなさいと言った言葉を想起させてみます。

 

 

2015年3月に韓国で封切りした映画シンデレラは1950年にディズニーで作ったアニメを原作として実写映画でリメークしたものです。 シンデレラ物語は全世界に伝承説話として広く分布しています。 よく知られたシンデレラの原発はシャルル・札に来て絵兄弟の話があり、1950年にディズニーで、シャルル・札への話をもとに映画を上映して全世界に広く知られました。 シンデレラの全体基調はハッピーエンドですが,加害者の許しをめぐってシャルル·パローバージョンは継母と姉たちを許し,皆一緒に幸せに暮らすという結末をつけており,絵兄弟の結末は残酷な童話のように加害者が罰せられることで結論を結んでいます。

映画の始まりには,以前は"姉妹間の美しい愛"をテーマに観客を動員した"アナと雪の王国"の主人公エルサとアンナの誕生日パーティーのエピソードを紹介していますが,制作陣の意図が何であれ,アナとシンデレラを結び付けて道的な眼目で映画を解説することも意味のあることです。 "アナと雪の女王"を"シンデレラの前生物語"と設定してみることです。 前世には仇敵ですが,現生に南男に会えば,またお互いを争うことになり,恨みを晴らす方法がないので,家族や親戚関係に生まれ,人倫道徳を守り,お互いに愛好させることで, 解冤相生の人生になるようにする道があります。 逆に前世に恩人関係で臨みますが,現世には私を修練めることができ,苦労させる敵のような存在になることができます。 こんな時,恩人のように敵意をもって親しまれと言った上帝さまの言葉が胸に響くのです。

シンデレラの前生ではanna,継母がエルサだったとしたらどうでしょうか。 惰弱で善良なだけのannaを守り,一国の国母にするという点で,エルサの継母の役割は決定的だと言えます。 シンデレラは団欒な家庭に生まれ,父と母の愛をいっぱい受けながら幸せな子供時代を過ごしたのです。 そんなエラにとって,母親の死は,すべてを変えさせる転機になります。 お母さんは遺言で,エラにお前が夢を成すことができる秘密をお知らせすると言いながら,"Have a courage, be kind"という教訓を残します。 父は再婚し,継母と異母姉が来て,エラはお姉さんから"シンデレラ"というニックネームを得て,下女同然になります。

ここで,もし,エラは団欒な家庭で両親の下で苦労なく育ったら,後でエラはどのような人生を生きてきたでしょうか。 一国の国母になるよりは一人の平凡な主婦になったはずです。 苦難が人を玉にします。 継母と異母姉妹のお姉さんたちのこだわりがあったので,エラはシンデレラになって逆境を乗り越え,王子に会って王妃になり,国の国母として民に親切にさせたのです。 だから,継母は成功したシンデレラには恩人になります。

"私たちが映画'シンデレラ'で注目しなければならないもう一つの重要な教訓があります。 シンデレラは結末が決まっています。 シンデレラが苦労する過程はどうであれ,結論はハッピーエンドです。

シンデレラが勇気と親切さを失わず,最後まで行くだけで夢は叶えます。

都典さまは"道主さまは帝勢市に落ちず,従って行けば,運輸を受けるといわれました。"とされ,すべての功徳の中でこの道を最後まで従う功が最も大きいといわれました。 私たちが終りまで行けば成功することができるのに首都を正しくすることができなければ神明公判で途中下車するようになるので運輸とはかけ離れることです. シンデレラの物語がハッピーエンドに決まっているように,我々の成功もハッピーエンドとして定められています。 神様がお決めになったご運勢だからとてつもないことです.

 

権智 第一章 

1. 柳瑞九は上帝の父親と親しく、上帝の予知にたいそう驚き、上帝を敬い称えるようになった。上帝は柳瑞九の来訪を常にあらかじめ知っておられ、酒肴を調えられた。上帝の父親がそのことを柳瑞九に告げたが、彼は信じなかった。壬寅(じんいん)年(一九〇二)一月七日、この日もまた上帝は訪ねてきた柳瑞九を庭で迎えながら、「年の暮には用事があって来られたのに、おもてなしできず礼を欠いてしまいました」と仰せになり、弟の永学に暦の本を持ってこさせた。上帝がそれを開いて、そこに挟まれていた紙片を柳瑞九に見せると、紙片には「人日に人の寅艮(いんごん)の方(かた)より来たり、場に逢えば必ず是(こ)れ柳瑞九(人日人来寅艮方逢場必是柳瑞九)」と記されていた。これに柳瑞九は驚き、その後上帝を敬い称えるようになったのである。

2. 上帝が、夏の照りつける日差しの中を歩かれると、いつも雲が日傘のように太陽を遮(さえぎ)り陰ができた。

3. 上帝は「諸葛亮が祭壇で七日七夜祈って東南風を吹かせたというが、笑止である。祈っている間に事が誤ればどうするのか」と仰せになり、たちまち東南風を起こしてみせられた。

4. 「易を学ぶ者たちは、方位の相が変わると言うが、私が天地の位相を変えておいたことをどうして知ろうか」と仰せになった。

5. 上帝は、農夫たちが九月に畑を耕して麦を忙しげに植える姿をご覧になり、「こんなに苦労しても実りはなかろう。何という哀れなことだ」と嘆かれた。このお言葉を立ち聞きした金亨烈は心を決め、その年は麦を植えなかった。

6. 明くる年の春、天気がよく、麦の作況も順調で豊作の兆が現れた。農夫たちと金甫京、張興海は、昨秋、上帝のお言葉を信じて麦を植えなかった金亨烈を嘲笑(あざわら)った。これを聞かれた上帝は「それは神明(しんめい)の公事ですでに定められたことであり、どうして作物が実る前に農作の出来映えを予期できようか」と、従徒らの性急さを嘆かれた。五月五日に雨が激しく降った。やがて麦の穂が病んで枯れはじめ、実を結ばなかった。米の値は跳ね上がり、麦が収穫できなくなると、金甫京と農夫たちは上帝のお言葉の真意を悟り、感じ入るばかりであった。

7. この年の七月になって米の値がさらに跳ね上がり、加えて農作物もひどい虫の害を被って人心はいっそう荒れた。そのため上帝は従徒らに、「辛丑(しんちゅう)年(一九〇一)より私があらゆる天地公事を担っているゆえ、今年は作物がよく実るようにしよう」と仰せになった。この年、雨がほどよく降って日も照り、田畑では人々が豊作を喜んだ。

8. これをご覧になって上帝は、「私が天地公事を行なってすべての餓莩神(がふしん)を天上へと追い払ったから、これからは民が飢饉で死ぬことはなかろう」と仰せになった。

9. 上帝はどこかへ行かれる際には、常に文を事前に記して神明に治道令を下された。上帝のおられた夏雲洞は昔から山奥であり、道は狭くて険しく、樹木に蔽われていた。治道令を下されると、夏には風が木の葉に降りた露を吹き落とし、冬には泥の道が凍りついたり、積もった雪が融けたりした。

10. 崔雲益の息子が病で生死の境をさ迷っていたため、崔雲益は上帝のもとに駆け込んで切に救いを求めた。上帝は「その病者は顔の醜さを生涯の恨(ハン)とし、その霊がいま清国の瀋陽に行って戻ろうとしない。何としよう」と仰せになった。上帝が病者をご覧になったかのように仰せになるので、彼はいよいよ悲しみに耐えられず、薬をくださいと懇願した。上帝はやむなく四物湯を一服包み、それに「九月飲」と記された。彼がその薬を携えて家に戻ると、息子はすでに息絶えていた。崔雲益が帰った後、従徒らが「九月飲」の意味をうかがうと、「『九月に始皇を驪山(りざん)の下(もと)に葬(ほうむ)る(九月葬始皇於驪山下)』というが、これは死を意味する。彼の息子の命脈は尽きていたが、薬を切に乞い、もし得られずに戻れば崔雲益は怨みを抱くだろう。ただその思いを慰めるために薬を与えたのだ」と仰せになった。

11. 上帝はある日、車京石を伴って龍岩里を発ち井邑に向かう途中、院坪の酒幕に立ち寄られた。そして行き過ぎる人を呼び入れて酒を勧め、「この道は南朝鮮航路だ。荷がいっぱい積まれたら出発するのだ」と仰せになった。それから道を急がれ、三十里となるところに至って「大軍の一日の道のりは三十里である」と仰せになり、古阜の松月里にある崔家の斎室に暮らす朴公又を訪ね、そこに泊まられた。その時、朴公又と車京石に「すでに会うべき人には会ったゆえ、通精神が出て来るであろう。私が行なう事は、たとえ親兄弟であっても知らぬことである。私が西洋大法国の天啓塔に降って天下を大巡した後、三界の大権をもって三界を開闢し、仙境を開いて死滅に瀕した天下の蒼生を救おうと東方を巡る中で、この地にとどまったのは、すなわち惨禍に埋もれた無名の弱小民族をまず助けて、万古に積もった冤(ウォン)を解くためである。私に従う者は永遠の福禄を得て不老不死となり、永遠の仙境の楽しみを授かるであろう。これすなわち真の東学である。弓乙歌に「朝鮮の江山は名山なり。道通の君子再び現る」とあるが、それも私の行ないのことである。東学の信者らは大先生が再生すると伝えているが、それは代先生(代わりの先生)が再び現れるということである。我われがすなわち代先生である」と仰せられた。

 

 

2016年10月5日、テジン大学の代診教育館では縦断の経典である『典經』、『大巡指針』、『大巡眞理會要覽』の日本語版出版記念会が行われました。

今回の日本語版'『典經』'·'大順指針'·'大巡真理会要覧'が堅固で美麗なデザインで無事出版されました。 内部の滞在もきれいにしており,ここには出版社の創意性も大いに貢献したと思います。

実は,最初に翻訳作業を始めた当時でも,韓国語に似た語順を持っている日本語の場合,非常に容易に,そして短期間内に出刊できると期待していました。

しかし,日本は同じ漢字文化圏に位置し,韓国とはまた違う文化を形成してきたため,韓国では漢字がそのまま簡単に伝えられる用語であるにもかかわらず,日本では漢字だけでは伝えられない場合が多い点です。 韓国と似た言語体系を持ったという点も困難の原因にもなりました。 発達した敬語,謙譲語によって韓国語の語感と正確に一致する敬語と謙譲語の選択は難関でした。 結局、三種類の翻訳版の中で最も長い時間と最も多くの人員が投入されてから6年半にわたる翻訳作業を終えることができました。 実際に翻訳を担当したのは,手塚山大学の古田教授,翻訳のガイシン立野先生,そしてその他の方たちです。

古田教授の"『典經』"が非常に難しく,奥深くて翻訳が容易でない"と語りました。 世界的に著名な道教学者であり,漢学の大家,八谷邦夫教授が日本語版の『典經』に対する最終的な監修を引き受けることにし,"『典經』"の日本語翻訳作業は新たな転機を迎えました。 ほとんどすべての難関が解決の糸口を見出したのです。

蜂屋教授の徹底した検討結果に基づき、2013年には古田教授をはじめとする日本の文学学者四人に依頼し、監修者の意見が反映されるようにする1年間の検討作業が行われました。

その結果物は2014年2月蜂屋教授が麗州本部道場を訪問した2週間、また、5月大阪での一週間にわたって徹底的に検討されました。 そして議論された内容によって6ヵ月間の後続作業が行われました。 ついに2015年初めには、監修者である蜂屋教授と議論して本の形式、力走および索引などに対する最終決定が行われ、1年間、その後続作業が続々と進行されました。 また、抄訳をした立野先生から日本東京に位置したクオン出版社のキムスンボク社長を紹介され、本格的な出版作業に着手するようになり、ついに2016年5月31日『典經』日本語版は、日本で出版されました。 これは道文化の特徴を持つ'典経'が日本読者に受け入れられる準備ができていることを意味します。

検討すべき原稿としてではなく,完成した書冊として,ある程度スピードをもって読んでみると,以前には感じられなかったことも感じられました。 登場人物たちももう少し活気を持って動く感じでした。 "『典經』"全体が生き生きと読む人に近づいてきました。

今後,日本人の間で"『典經』"を知る人が増え,またこの本に基づいて韓国の文化や宗教について研究する日本人研究者も多数出てほしいとの願いです。 "『典經』"が日本社会に大きなインパクトを与えることを念願します。

また,日韓がお互いを理解し,日本の文化的思想を豊かにする上でも役立つと思います。

<予示>

77. 先天では念珠の数が百八であったが、後天では百五となるであろう。

78. 四十八神将を並ばせ、玉枢門を開ける時は、落ち着きを保つのは難しかろう。

79. 上帝はある日、朴公又に「東学の徒は崔水雲の再生を待ち、仏教の徒は弥勒の下生を待ち、耶蘇の徒はイエスの再臨を待っているが、誰か一人でも現れれば、皆はその者を師として従うであろう」と仰せられた。

80. 後天では、皆が不老不死となって長寿を得、櫃ひつを開ければ着物や飯が出で、万国が和平し、猜忌、嫉妬、戦争は絶えるであろう。

81. 後天ではまた、天下が一つの家となり、武威と刑罰を用いずとも、調和により、法理に則り蒼生を治めるであろう。官吏はその職分に即するという気運が開かれ、越権行為はなくなり、百姓は怨恨や貪欲などあらゆる煩悩が消えるであろう。病苦や死の苦しみを免れて不老不死の命を得、貧富の差はなくなるであろう。また自由に往来し、天は低く思いのまま昇り降りすることができ、過去・現在・未来と十方世界に通ずる智慧を得るであろう。そして、世の中から水・火・風の災禍が消え、地上は祥瑞に満ちた仙境と化すであろう。

82. 私が食を断ち、夏には袷衣(あわせ)を、冬には単衣(ひとえ)を着るのは、将来、貧窮にあえぐ衆生を食べさせ、衣服を得させるためである。いま汝らは、労苦があろうとも耐え忍ばねばならぬ。未来において天下万国を巡って衆生を導くとき、その栄華は他に比べるものがないであろう。

83. 見よ。仙術を得んと、十年を作男として費やし、ついにその誠心によりて天に昇ることを得たる者を。彼は仙術を学ぼうと師を求めたが、師は仙術を教える前に彼の誠心を示せと言った。彼が十年間心身を尽くして田を耕した末に、やっと師は彼を池の端に伴い、「水の上に伸びた柳の枝に登り、そこから飛び降りよ。そうすれば仙術に通じるであろう」と教えた。彼はそれを信じ、枝に登って飛び降りた。すると、突然五色の雲が集まり、仙楽の鳴り響くなか、燦爛(さんらん)たる宝輦(ほうれん)が彼を乗せて天上に昇っていったのであった。

84. 上帝はある日、従徒らに、

七八年間古国城(七八年間 古国の城)

画中天地一餅成(画中の天地 一餅(いっぺい)に成る)

黒衣飜北風千里(黒衣は北に飜(ひるがえ)り風千里)

白日傾西夜五更(白日は西に傾むき夜五更)

東起青雲空有影(東に青雲起こり空に影有り)

南来赤豹忽無声(南に赤豹来たり忽(たちま)ち声無し)

虎兎龍蛇相会日(虎(こ)・兎(と)・龍(りゅう)・蛇(だ)の相い会するの日)

無辜人民万一生(無辜(むこ)の人民は万に一生)という古詩を唱えて聞かせられた。

85. 上帝はまた、従徒らに、

三人同行七十里(さんにんどうこうしちじゅうり) 五老峰前二十一(ごろうほうぜんにじゅういち)

七月七夕三五夜(しちげつしちせきさんごや) 冬至寒食百五除(とうじかんしょくひゃくごじょ)

という古詩一首を唱えて、よく覚えておくようにと仰せになった。また従徒の金炳善に、

日入酉 亥子難分(日は酉(ゆう)に入り 亥子(がいし)は分かち難く)

日出寅卯辰 事不知(日は寅卯辰(いんぼうしん)に出で 事知らず)

日正巳午未 開明(日は巳午未(しごび)に正(せい)にして 開明し)

日中為市交易退 帝出震(日中(にっちゅう)に市を為して交易して退(の)き 帝は震(しん)より出づ) と記して下さった。

86. 上帝が金亨烈の家にとどまっておられた時に、金亨烈は家が貧しかったので、麦飯を上帝に献じていたが、八月秋夕を迎え、釜を売って金をつくり、上帝にご馳走を献じようとした。上帝は「釜が上下に揺れ動くゆえ、弥勒仏が現れるであろう」と仰せられた。

87. 上帝はある日、従徒らに「君たちは手に『生』の字を握っているから、『得意の秋』ではないか。心を怠ってはならぬ。三遷しなければ事は成就しない」と仰せになった。

88. またある日、公事を行なわれて、五呪と次の文を記された。

天文地理(てんもんちり) 風雲造化(ふううんぞうか) 八門遁甲(はちもんとんこう) 六丁六甲(ろくていろっこう) 智慧勇力(ちえゆうりき)

道通天地報恩(どうつうてんちほうおん)

聖師(せいし)

医統(いとう) 慶州龍潭(けいしゅうりゅうたん)

无極神(むきょくしん) 大道徳奉天命奉神教大先生前如律令(だいどうとくほうてんめいほうしんきょうだいせんせいぜんじょりつりょう) 

        審行先知後覚元亨利貞布教五十年工夫(しんこうせんちこうがくげんこうりていふきょうごじゅうねんコンブ)

89. 上帝は化天される前、金亨烈に次の一首を詠んで下さった。

後人山鳥皆有報(こうじんさんちょうかいゆうほう)

勧君凡事莫怨天(かんくんはんじばくえんてん)

 

 

1849年12月、ロシアシェメのメルシヤノフ刑場死刑台の上に反体制容疑でつかまえてきた28歳の若き死刑囚が立っていた。 厳しい風の中で執行官が死刑囚に叫んだ.

"もう死刑前の最後の5分の時間をやる。" 死刑囚は絶望した

"私の人生が5分で終わりなんで残った5分で何ができるかな? 愛する私の家族と友達から先に去る私を許して私のためにあまり多くの涙を流さないでください. あまり悲しくならないでください。 執行官は2分が経過を知らせた。

"後悔する時間も足りないね。 私はなぜそんなに無駄な時間の中で暮らしたのだろうか。 刹那の時間でももっと与えられたら...。"ついに執行官は最後の1分を知らせた。 死刑囚は恐怖に震えながら周囲を見回した。

"冷たい風ももう感じられないね。 私の裸足に乗って上がってくる地の冷気もこれ以上感じることができないね。 これ以上会うことも触れることもできないね。 すべてが残念で残念だ"。

死刑囚は初めて感じる世の中の大切さに涙を流した。 さあ,これから執行を始めます。

人々の足音が聞こえ,向こうから射撃のために隊列を成す音が聞こえた。

"生きていたい。生きていたい。" "もう少しだけ...。 少しでも...""カン"

弾丸を装填する音がまず彼の心臓を穿った "ドン"と心臓の音が聞こえた. まさにその瞬間。 "やめなさい!兄の執行を止めなさい!“

一人の兵士が叫びながら刑場に駆けつけた。 死刑の代わりに島流ししろという皇帝の伝理が到着したのだ。 やっとの思いで死刑は止まり,死刑囚は死の入り口から劇的に帰ることができた。 その死刑囚はまさにロシアの大文豪ドストエフスキーだった。 死の入り口から帰ってきたその日の夜,ドストエフスキーは淡々とした口調で弟に手紙を書いた。

"過ぎ去ったことを振り返ってみてミスと怠惰で時間を無駄にした日々を思うと心臓が血を流すようだ。 人生は神の贈り物... すべての瞬間は永遠の幸せだったかも知れないことを少し若い時に知っていたら もう私の人生は変わるだろう。 生まれ変わるということだ"。

以後、シベリアで送った4年の流刑生活は彼の人生で最も貴重な時間になった。 酷寒の中でなんと5kgの足かせを付けたまま過ごしながらも彼は創作活動に没頭した。 文章が許されなかった島流しの生活だったが,時間を無駄にすることができず,紙の代わりに頭の中で小説を書き始めた。 しかもその全てを暗記したりもした。

島流しの生活を終えた後、世間の外に出たドストエフスキーは'人生は5分の連続'という覚悟で作文に集中し、その後、世を去るまで、『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』、『永遠な出会い』など数多くの不朽の名作を残した。

ドストエフスキーの最後の5分間、彼に何が起きたのでしょうか? 最後の5分! それは彼の全人生を総整理して締め切る時間でした。 しかし,人生を終えながら,彼は時間の大切さを悟ったし,刹那の時間でも惜しいと思いました。 彼は,"瞬間は永遠の幸せで,人生は神から授かった贈り物だ"と言っていました。 しかしそれまでの時間は彼にとって大切なものでなかったのです。 私たちが空気と水がありふれていて,その大切さを知らないようにです。

神が人間に許した時間は有限です。 しかし,体感する時間は置かれた状況や心の状態によって永遠から胸の間まで延びることもあります。 私たちはよく時間が多ければ時間の密度は減って,時間が短ければ密度が増えるを日常でしばしば体験します。 ドストエプスキは最後の短い5分間、永遠に近い密度の時間を体験しました。 その瞬間に幸せと世の中が美しいということを感じ,そうしてもっと生きたいという強烈な願いを叶えたのです。 瞬間と刹那の時間そして永遠さがクローズアップされたのです。 心が今この瞬間を強く体験していたのです。

私たちは普段刹那の時間を認識できません。 刹那の時間は,高度の集中力がある時だけ認識することができます。 高速カメラは時間を小さい単位で分けて周辺を撮影することができます。 この時,周辺状況は遅い映像と思われます。 まるで時間がゆっくり進んでいるようです。

普段,日常で私たちの心はこの瞬間ここにいません。 過去と未来にあります。 過去の記憶,未来の心配事などが全て私たちの心を捕らえます。 この時,時間はすぐ過ぎたようです。 低速カメラで周辺を撮影するのと同じです。 心の高速カメラと低速カメラを作る差は何でしょうか。 それは執着から解放され,意識がいかに目覚めているかによる。

起きていることとは,この瞬間に現存することで高度の集中力です。 他のことに気をとられていると心が散ります。 現在この瞬間,私がすべきことに集中すること,これが目覚めていて一心です。 一心なのです。

私たちはよく感動的な場面に出会うと普段より心臓が早くどきどきします。 そこに集中するためです。 自分の好きな事をする時や愛する人に会っても胸がどきどきします。 すると,血液が速く回り,高速カメラが回り始めます。 それでは周辺はスロービデオに見えます。 時間が長く感じられます。 しかし,ストレスを受けると心臓の圧迫を感じ,心臓は不規則になります。 人生の重さを大きく感じるだけに,私たちは精神的な圧迫とストレスを受けているのです。 そうすればするほど低速カメラが出回って体感時間は早くなって,する事もなしにすぐに行ってしまいます。 胸をときめく人生を送ることが人生の重荷をおろす道です。 "普段は,人生の重さは生涯の間,背負って歩き回って死ぬ時になってこそ,降ろします。 生の重さを置く方法は"今日私が死んでもこのことをするか"と自問することです。 今日死ぬという設定ですが,このようにしたら人生の重みが薄くなるし,胸が望むことをするでしょう。 そうすると義務感じゃなくて幸せで仕事をするようになり,より集中力をもって今この瞬間を楽しみながら仕事ができると思います。 楽しみながらすることは業務の成果もたくさん出るものです。

修道人が本当に望むことは,上帝さんの仕事をすることです。 サンジェさんの仕事をすることが一番胸がどきどきするようにして幸せなことです. サンジェさんの仕事を義務感でやれば,それは重い荷物で私に近づくだけです。 一心! それは楽しい気持ちで,上帝さんのお仕事をしている真ん中にあるのです。 "この時,私も忘れ,周りも忘れ,現在の自分のすることに集中できます。

一心は時間と空間を超越した心です。 施工間が創造される前に根源に戻るのです。 これが原始返本の思いで一心です。 上帝さんは"わたしがたとえソチョクに伴っても一心を持つ者に欠かさず探そう"(ギョボプ2枚13節)して、"人間の福祿は私が引き受けたが、任せてくれるところがなくて残念だ。 これは一心を持つ者がいないためである。 一心を持った者に対しては、遅滞なく施してくれると。"(ギョボプ2枚4節)して、"私を追う者は永遠な福祿を得て不老不死し、永遠のソンギョンの、楽しみを享受するので、これが本当に東学なり。"(グォンジ1枚11節)しました。 私たちの道人にとって,一心の貴重さはいくら強調しても度が過ぎません。

我々はあらゆる行動に注意し,お見舞い様への思いを覚ましては覚えず,常に,お上帝さんが身近に戒心を固く心に刻んで尊敬し,真心を尽くす心を忘れてはいけません。 いつも私の心を正しくして,私の義理を立て,私の心霊を求めて上帝さんの任意に任せる改頭の首都人となるべきです。

 

 

leaderという言葉を考えると,私たちは普段どんなイメージを思い浮かべましょうか。 おそらく権威と命令,そして先立って導く人程度ではないかと思います。 そうであるように,一つの目的を果たすために集まった人々にとって,リーダーは言葉通り,頼りにして従わなければならない存在のようです“

ところで,一方ではこういう姿のリーダーを想像してみてはいかがですか。 見えないように後ろから押してくれる人,心の壁を崩して下に近付く人,互いに対する感謝の紐で互いに一つになろうという人。

おそらく,このような姿のリーダーは普通の認識から見ると,あまり格好良くもなく,カリスマもないように見えます。 しかし,もう少し考えてみると,むしろその姿の中に隠された強力な力と資質を発見することがあります。 後ろに立ちたいリーダーの謙虚さは,彼らに大きな包容力と温かい心になります。 先立って上へ上ろうとする権威の力が包容力と愛に変わる瞬間です。 これは強大な権威以上の崇高な権威でしょう

心の壁を崩して下に近づくリーダーは,他人を服従させず,他人の心を得て一体になろうと思います" 自分の能力を指揮棒で他人を服従させるリーダーは,従う人と自分の間に大きな壁を作るのと同じです。 命令と服従との間には,強圧と盲目的に従うという等式が成り立っています。 反面,心の壁を崩して下に迫るリーダーと従うこの間には,疎通と主体的自発性という等式が成立します。 リーダーが自ら下に下りてきて疎通する時,リーダーの徳と資質は従う者に共有されるはずで,その中で従う人々にはそのように共有された徳と資質を通じて自発的で能動的な力を持つようになります" リーダーと従う人のこのような関係の中で,通心情という巨大な一体が形成されるのです。

お互いに対する感謝の気持ちの紐で一つになろうというリーダーは永遠なパートナーを自分のそばに置く人です。 階級的地位として相手を自分下に置くことはいつか彼らが自分から離れることを心配しますが,お互いの感謝の紐で一つになった彼らの間には"立ち去り"という意味は生じないでしょう。その中での調和は,リーダーに対する尊敬と従う人々に対する愛の関係が形成され,率いられる階級ではなく,一体の中での調和になるでしょう。 こんな姿のリーダー,話だけでも深くてほのかな香りが感じられるようです。

典經

典經は信仰の対象である九天上帝さまの教えと宗教的行為,そして道主(とず)の宗教的行跡を記述した大巡真理会の経典である。 構成は九天上帝さまの降世と行動、天地公事、宗統の継承、倫理的実践の教え、権能と知恵、病人の治癒、到来する世間の姿などの内容で行録、公事、敎運、敎法、権智、済生、予示の計7本17章で構成されている。

典經set(典經,大巡指針,大巡眞理會要覽)価格は送料を含む万円です。

典經を購入された方々を随時お祈りいたします。

<典經> 敎法 第一章

1. 上帝は「いまや天下が滅亡の境に瀕するにもかかわらず、それをいささかも悟り得ず、ただ財と利にのみ心を奪われている。どうして嘆かずにいられようか」と仰せになった。

2. 我々の工夫(コンブ)は、他人を益するものだ。他人に益となり、我々はその残りを得るのみでよい。全明淑は事を起す際、常奴(サンノム)を両班にし、賎民を貴人となすことを志したゆえ、死後に報われて朝鮮の冥府を預かったのである。

3. 志を抱く者は、込み上げる怨み、怒りをよく呑みこんで鎮めねばならぬ。

4. 三世(さんぜ)の縁があればこそ、私に従うのである。

5. 汝らの信を私に捧げてこそ、私の信を授かるのである。

6. 我が教法は、他人が死ぬとき我は生きようとすること、他人が生きるとき我は栄華と福禄を授かろうとすることである。

7. 我々の工夫は、一杯の水でも理由なく他人の力を借りることのできぬ工夫だから、たとえ親兄弟であってもみだりに頼ってはならぬ。

8. 上帝は金亨烈に「倒れかけた家の家財道具は、ためらいなく捨てて、新しい場を生み出すのだ。もし惜しんでそれにこだわっていると自分の身まで滅ぼすことになるから、よくよく悟らねばならぬ」と仰せになった。

9. いまは解冤の時代である。両班のみを重んじて班常(両班と常奴)の差別にこだわるのは先祖の墓を暴くようなもので、破滅の気が伴う。ゆえに両班の古い因習は早く捨て、賎民を優待してこそ慼(チョク)【怨恨】も解かれ、よい時代が早く来るであろう。

10. 上帝は賎しい者にも必ず敬語を用いられた。金亨烈は自分の下人である池南植に上帝が常に敬語で話されるのを心苦しく思い、「この者は私の下人ですので、敬語をお使いにならないでください」と請うた。上帝は「その者は君の下人であり、私とは何の関わりもない。この村では幼いころからの習慣で、言葉を改めるのは難しかろうが、他の村では、いかなる者に対してもみな丁重にせよ。これからは嫡庶(嫡子と庶子)、班常(両班と常奴)の区別は、なくなるであろう」と諭された。

 

 

修道人が経験しなければならない試練と逆境は大きく四つの点で起因すると考える。

第一に,神明の器局に試験による困難があり得る。 人々に磨いたものと器局があり,天地神明が器局へ試験を行う。 この時,真にできない行為をすると,神明が大きな仕事を任せない器局と判断して離れる。 神明は,たとえば,その性質が寛大でなく,家庭に和気を失うと嘲笑し,離れて行くのである。 このような神明の"技国試験"は,いつ,どのような方法で来るか分からないが,真摯でない行為を誘発しかねない難しい状況が展開され得るということだけは確かだ。 このような試験をしている理由は、上帝さんが"量が少ない者に過重にくればお腹が破裂し、量が大きいものに少なくあげるとお腹が空いたので、各自の器局に合わせてくれると。"(ギョボプ2枚54節)と言った言葉通りに各自の器局に合わせていただくためだ。

第二に,上帝様が私たちの体質と性格を改めて使おうとするので試練と逆境が伴う。 上帝は修道人を天地公使に参加させ,後天仙境に合った人格で作るために,神明に私たちの胸の中と腹の中を行き来しながら体質と性格を直すようにしてくださいました。 この時,私たちが経験する困難は,上帝が修道人に,心と言義が苦しく,筋肉と骨の節が苦痛で,体は飢えて生活が貧しく,することごとに塞がれる難関をうまく克服させ,忍耐と器局に育てて,以前できなかったことをできるようにするためだ。

第三に,劫厄による。 すべてのことにはその目的を達成しようとする過程で必ず障害が伴うが,これを劫厄と言い,これを克服して進むことに成功することを認識しなければならない。 大勢の人がこの劫厄に屈して自殺したことで目的を果たせず途中でやめる事例が多い。 怒りは福の皮だから受ける画家が大きくなれば,その分,廊下も大きいのだ。 そのため,劫厄をよく克服していかなければならない。

第四に,慼神の発動による。 "慼"は"私に対する人の怨恨"なので,慼神は"私に対する苦"を持った神を意味する。 慼神が犯すと経済的損失を被ったり,肉身に害を被って首都に支障をきたす。 仕事をする過程で必ずある慼神は,私の過ちによって他人に慼を建て,そのおたまりが戻ってきて私の仕事を邪魔することだ。 劫は克服しなければならないが,慼は解かなければならない。 慼を作れば解くべきだが,以前は"慼"を建てない。 慼を作らないためにはいつも人を愛し,善良な心を持って温かくて礼儀正しく,そして謙遜で譲歩する美徳で人に接しなければならない。

首都生活での困難は,その大半が上の四つの状況にあたり,これを経験する理由は道通を受けるためである。 なぜならこの四つの状況を通じてウォンを解いて全く受ける棋局を育てためだ。 都統を受けるには,まず"恨"の恨みがなくならない。 怨恨を持つ人が後天に行けば,それが種となり,後天もまた芽生えるからである。 後天は相生の気運が漂う明るい世で,恨みがあり得ないので,私が他人から恨みを持っていたり,他人が私に"恨み"を持っていると,都統はもちろんのこと,後天にも住めない。 だからこそ,挑戦するためにはまず,他人を恨んだり,憎んだりして"自分に対する恨み"の機運を解かなければならないのだが,試練と逆境はこれを解決できる機会である。

また,道統を受けるには道統君子としての技国と体質,そして性格を備えなければならない。 後天、オマーン年間創生を治めていく道通君子としての資質は仁義禮智に人間完成を果たすことだ。 首都の人は誰もが未完成の人間として過不足があり,この過不足を削って満たしてこそ,道統軍者に生まれ変わることができる。 短時間内に個人の力でこの過ち,不足を全て磨くのは難しいので,サンジェさんの徳化で神明の助けを受ける。 身命が体内に出入りして体質と性格を直すので,この時来る心身の苦痛に耐えると,人間完成を成すことができる。

このように,首都人の試験と逆境は,道通りがもらえる資格と器を作る役割をする。 もしこれがないなら,冤を解けないし,器局をわきまえることができないので,道を通じることができないのだ。 導通に必要な試練と逆境も克服した時に意義があるだけに,これをうまく克服するための姿勢が必要だ。 この姿勢の一つは,試練と逆境について肯定的に認識することだ。 首都に障ると思われるよりも,都統君子としての器を作る機会が与えられたと考えることが,それを克服することに大きな力になるだろう。 "先覚者"たちが"安らかさ"よりは"しんどいもの"を選べと言うのも,試練と逆境が"道統"に向かう近道の役割をするということを認識するためだ。

次にこれをうまく克服するための姿勢は解冤相生の心得である。 試練と逆境は予想できないほど訪れる。 このため,日常自らを省察して首都生活に伴う困難を把握し,これを海原共存で解こうとする姿勢を常に維持しなければならない。 解冤相生で解かなければ,機会が大きくならずに,首都の段階が足踏みしたり,挫折と脱線でまた別の円を結ぶことになる。 すべての困難に直面して段階を超えるためには,解き相生という基準で臨まなければならない。

理想から修道人の試練と逆境が,柱(はつ)の発動と体質と性格を直し,使おうとする尚済の意図,そして神明の器官に示されることに起因することと,これを経験する理由が道通のためであることを見てみた。 道通に意味を置いて行く修道人に試練と逆境は個人によって正道が違うことは確かだが,誰でも経験して克服しなければならない必然的な過程だ。 試練と逆境にあって不正と恨み,怒りで対処するのではなく,道統君子の器局を育てる機会が与えられたことにむしろ感謝し,解冤相生の姿勢で臨むなら,道統境に行く足取りが軽くなるだろう。

                         <典經 日本語版>

 

 

オーストラリアのシドニーに住む僑民が故国へ行く途中,レンギョウの枝を折って自分の家の前の庭に移しました。 翌春になりました。 澄んだ空気と良い陽射しのおかげで枝と葉は韓国より茂っていましたが,花は咲いていませんでした。初年度とそんなものだ。思ったが、2年目にも、3年目にも花は吸わなくました。そうしてはじめて分かるようになりました。 韓国のように厳しい寒さの冬がないオーストラリアでは,レンギョウの花は咲かないということです。

低温を経てこそ花が咲くのは専門用語で"春化現象"と言いますが,チューリップ,ヒヤシンス,ユリ,ライラック,つつじ,ツツジなどがすべて見られるそうです。 人生はまるで春化現象と同じです。 人生の眩しい花は,酷寒を経てから咲くものです。

また春に種まきをする春の麦に比べて秋に種蒔いて冬を過ごす秋の麦の収穫がもっと多いです。 人生の果実は,まるで秋の麦のようで,冬を経るにつれ,もっと豊かで堅実になります。 現実がとても難しいです。 努力しても成功に対する確信はなく,時間がたつほど未来はさらに暗く見えるだけです。 しかし,挫折しないでください。 人生の花と実が結ばれる人生の春は,寒い冬を過ぎないと迎えられません。 私たちに今必要なのは,凍土を溶かす暖かい心と希望で土を割って出てくる若芽のもがきです。

世の中で成功した人々は,多くの試練と逆境にもついに自分の夢に向かって情熱を燃やした人々だ。 彼らはある日突然成功したわけではない. 目に見える成果は,目に見えない隠れた努力と底力が作り出した奇跡だ。 見えない中で降り注いだ努力が見える成功を作る。 偉業を果たした人々は,一様に障害物を踏み石に変え,跳躍の足場をつくってきた人々だ。 彼らにとって足かせと踏み石は同じ石だった。 障害という逆境が近づくと,それを踏み台にして跳躍できる経歴を作った。 逆境をひっくり返せば経歴になる。 成功した人々の輝かしい経歴は,並外れた試練と逆境が生み出した結果である。

一輪の花を咲かせるためにも冬が必要だ。 それでは万事任意で行う 道通じるにはどんな過程が必要だろうか。 その答えは'典經'の内容にある

"空が将来この人に大きな任務を任せようとする時は、必ず先に彼の心を苦しませて筋肉と骨を苦しませ、肉体を飢えさせる、道を離れる時に困ってそのしたいことのことを大変にしたらこんなにするのは心を奮起させて性質を我慢して、彼がうまくできなかったことを一層よくすることができるようにするためである。"(ヘンロク3枚50節)と仰った。

世の中のすべての人に冬はやって来る。 ただ寒さの程度が違うだけだ。 その冬をどのように過ごすかによって結果が変わる。 試練のない人生がどこにあるだろうか。 生きることの目的がある人はどんな状況にも耐えることができる。 状況に屈服するかどうかを決める主体は,あくまでも自分だ。 運命は勇気ある者の前では弱くなるが,卑怯な者の前では限りなく強くなる。 ロシアの諺に"ガラスはハンマーに割れるが,鋼鉄はもっと硬くなる"という言葉がある。 自信を持った人は,同じ試練に見舞われても,強い信念で世界のいかなるハンマーに打たれて倒れるとしても,決して挫折せず,立ち上がり,鋼鉄のようにさらに強い人間に成長していく。

天が大任を引き受けるために試練をくださると言った。 なぜ私たちに試練が必要なのか。 人間が自分の過不足を振り返る時は,自分に試練が襲った時だ。 "愚かで貧しく,浅はかで,弱いのが楽で,心や口,意から起こるすべての罪に注意し,他人に憎むな。 富貴で賢く,強権を持つ者はすべて"慼"にかかって,山菜が選ばれるようにするため,古い空気が満たされているところに,大きな運輸は手に負えないからだ"と仰った。 "聖経"にも"恵まれた人は傲慢な席には座らない"と言った。 空は我々に厳しい冬をくれ,その冬を耐えぬいて成熟した春を迎えることを望むだろう。 結局,私に来る試練は前世の報いでもあるが,私を振り返ってみてより良い明日に向けた先祖の隠れた努力かもしれない。

2003年『支線よ愛してる』という本を出版して話題を集めた李ジソン(38)氏がUCLAで社会福祉学博士号を取得した。 李さんは梨花女子大学在学中だった昨年2000年7月飲酒運転者ひき逃げ事故にあって全身に重度のやけどを負って、40回以上の手術とリハビリ治療を受けた。 この本は自分の治療とリハビリを盛り込んだ。 李氏は16年前、死の入り口まで行ったが、かろうじて助かった時"障害人を助ける人生を生きて行く。"と念を押していた。 助けが必要な人にきちんと手を差し出すためには,福祉専門家にならなければならないと考えた。 それで2005年、再び始めた勉強が11年ぶりに終わった。 これから長い間抱いた夢を思いきり展開できる瞬間がやってきたのだ。

チ·ソン氏は突然襲ってきた苦難を"贈物"という言葉に代える。 "事故前に戻りたくない"という言葉もよく口にした。 彼女は"直接苦痛の時間を送った後,世の中には痛くてつらくて助けが必要な人が多いということを知った。 彼らに私の手を差し伸べたい。 これが私が生きる理由だ"と言って明るく笑った

雪は涙を流せば注ぐほど清くなり,心は憂患と苦難を経験するほど,さらに穏やかで寛大になる。 昔ある山奥の寺に長い石段が置かれていた。 ある日,石階段がお寺の中の石仏を見て言った。 "君も私も二人とも石でできているのに,私は毎日多くの人たちに踏まれ,君は高い席に座って供養を受ける。 これはあまりにも不公平ではないか"と不平を言うと,石仏が言った。 "あなたは五、六回ほど情を迎えて石段になったが、私は数百、数千回以上鄭を迎え、割れて削られた後、初めて今の私になったよ。"と話した。

順境にいる人を弱くすることもできるが,逆境の人を強く鍛えてくれる。 生きていれば,順調な時もあり,苦しい時もある。 人生が順調なのはいつも良いことのようだが,堕落することもある。 逆境は耐え難いが,意志を磨く良い機会になり得る。 私にくる試練をほどよく乗り越え,首都の目的である道通のための踏み石としなければならない。