2015年3月に韓国で封切りした映画シンデレラは1950年にディズニーで作ったアニメを原作として実写映画でリメークしたものです。 シンデレラ物語は全世界に伝承説話として広く分布しています。 よく知られたシンデレラの原発はシャルル・札に来て絵兄弟の話があり、1950年にディズニーで、シャルル・札への話をもとに映画を上映して全世界に広く知られました。 シンデレラの全体基調はハッピーエンドですが,加害者の許しをめぐってシャルル·パローバージョンは継母と姉たちを許し,皆一緒に幸せに暮らすという結末をつけており,絵兄弟の結末は残酷な童話のように加害者が罰せられることで結論を結んでいます。
映画の始まりには,以前は"姉妹間の美しい愛"をテーマに観客を動員した"アナと雪の王国"の主人公エルサとアンナの誕生日パーティーのエピソードを紹介していますが,制作陣の意図が何であれ,アナとシンデレラを結び付けて道的な眼目で映画を解説することも意味のあることです。 "アナと雪の女王"を"シンデレラの前生物語"と設定してみることです。 前世には仇敵ですが,現生に南男に会えば,またお互いを争うことになり,恨みを晴らす方法がないので,家族や親戚関係に生まれ,人倫道徳を守り,お互いに愛好させることで, 解冤相生の人生になるようにする道があります。 逆に前世に恩人関係で臨みますが,現世には私を修練めることができ,苦労させる敵のような存在になることができます。 こんな時,恩人のように敵意をもって親しまれと言った上帝さまの言葉が胸に響くのです。
シンデレラの前生ではanna,継母がエルサだったとしたらどうでしょうか。 惰弱で善良なだけのannaを守り,一国の国母にするという点で,エルサの継母の役割は決定的だと言えます。 シンデレラは団欒な家庭に生まれ,父と母の愛をいっぱい受けながら幸せな子供時代を過ごしたのです。 そんなエラにとって,母親の死は,すべてを変えさせる転機になります。 お母さんは遺言で,エラにお前が夢を成すことができる秘密をお知らせすると言いながら,"Have a courage, be kind"という教訓を残します。 父は再婚し,継母と異母姉が来て,エラはお姉さんから"シンデレラ"というニックネームを得て,下女同然になります。
ここで,もし,エラは団欒な家庭で両親の下で苦労なく育ったら,後でエラはどのような人生を生きてきたでしょうか。 一国の国母になるよりは一人の平凡な主婦になったはずです。 苦難が人を玉にします。 継母と異母姉妹のお姉さんたちのこだわりがあったので,エラはシンデレラになって逆境を乗り越え,王子に会って王妃になり,国の国母として民に親切にさせたのです。 だから,継母は成功したシンデレラには恩人になります。
"私たちが映画'シンデレラ'で注目しなければならないもう一つの重要な教訓があります。 シンデレラは結末が決まっています。 シンデレラが苦労する過程はどうであれ,結論はハッピーエンドです。
シンデレラが勇気と親切さを失わず,最後まで行くだけで夢は叶えます。
都典さまは"道主さまは帝勢市に落ちず,従って行けば,運輸を受けるといわれました。"とされ,すべての功徳の中でこの道を最後まで従う功が最も大きいといわれました。 私たちが終りまで行けば成功することができるのに首都を正しくすることができなければ神明公判で途中下車するようになるので運輸とはかけ離れることです. シンデレラの物語がハッピーエンドに決まっているように,我々の成功もハッピーエンドとして定められています。 神様がお決めになったご運勢だからとてつもないことです.
権智 第一章
1. 柳瑞九は上帝の父親と親しく、上帝の予知にたいそう驚き、上帝を敬い称えるようになった。上帝は柳瑞九の来訪を常にあらかじめ知っておられ、酒肴を調えられた。上帝の父親がそのことを柳瑞九に告げたが、彼は信じなかった。壬寅(じんいん)年(一九〇二)一月七日、この日もまた上帝は訪ねてきた柳瑞九を庭で迎えながら、「年の暮には用事があって来られたのに、おもてなしできず礼を欠いてしまいました」と仰せになり、弟の永学に暦の本を持ってこさせた。上帝がそれを開いて、そこに挟まれていた紙片を柳瑞九に見せると、紙片には「人日に人の寅艮(いんごん)の方(かた)より来たり、場に逢えば必ず是(こ)れ柳瑞九(人日人来寅艮方逢場必是柳瑞九)」と記されていた。これに柳瑞九は驚き、その後上帝を敬い称えるようになったのである。
2. 上帝が、夏の照りつける日差しの中を歩かれると、いつも雲が日傘のように太陽を遮(さえぎ)り陰ができた。
3. 上帝は「諸葛亮が祭壇で七日七夜祈って東南風を吹かせたというが、笑止である。祈っている間に事が誤ればどうするのか」と仰せになり、たちまち東南風を起こしてみせられた。
4. 「易を学ぶ者たちは、方位の相が変わると言うが、私が天地の位相を変えておいたことをどうして知ろうか」と仰せになった。
5. 上帝は、農夫たちが九月に畑を耕して麦を忙しげに植える姿をご覧になり、「こんなに苦労しても実りはなかろう。何という哀れなことだ」と嘆かれた。このお言葉を立ち聞きした金亨烈は心を決め、その年は麦を植えなかった。
6. 明くる年の春、天気がよく、麦の作況も順調で豊作の兆が現れた。農夫たちと金甫京、張興海は、昨秋、上帝のお言葉を信じて麦を植えなかった金亨烈を嘲笑(あざわら)った。これを聞かれた上帝は「それは神明(しんめい)の公事ですでに定められたことであり、どうして作物が実る前に農作の出来映えを予期できようか」と、従徒らの性急さを嘆かれた。五月五日に雨が激しく降った。やがて麦の穂が病んで枯れはじめ、実を結ばなかった。米の値は跳ね上がり、麦が収穫できなくなると、金甫京と農夫たちは上帝のお言葉の真意を悟り、感じ入るばかりであった。
7. この年の七月になって米の値がさらに跳ね上がり、加えて農作物もひどい虫の害を被って人心はいっそう荒れた。そのため上帝は従徒らに、「辛丑(しんちゅう)年(一九〇一)より私があらゆる天地公事を担っているゆえ、今年は作物がよく実るようにしよう」と仰せになった。この年、雨がほどよく降って日も照り、田畑では人々が豊作を喜んだ。
8. これをご覧になって上帝は、「私が天地公事を行なってすべての餓莩神(がふしん)を天上へと追い払ったから、これからは民が飢饉で死ぬことはなかろう」と仰せになった。
9. 上帝はどこかへ行かれる際には、常に文を事前に記して神明に治道令を下された。上帝のおられた夏雲洞は昔から山奥であり、道は狭くて険しく、樹木に蔽われていた。治道令を下されると、夏には風が木の葉に降りた露を吹き落とし、冬には泥の道が凍りついたり、積もった雪が融けたりした。
10. 崔雲益の息子が病で生死の境をさ迷っていたため、崔雲益は上帝のもとに駆け込んで切に救いを求めた。上帝は「その病者は顔の醜さを生涯の恨(ハン)とし、その霊がいま清国の瀋陽に行って戻ろうとしない。何としよう」と仰せになった。上帝が病者をご覧になったかのように仰せになるので、彼はいよいよ悲しみに耐えられず、薬をくださいと懇願した。上帝はやむなく四物湯を一服包み、それに「九月飲」と記された。彼がその薬を携えて家に戻ると、息子はすでに息絶えていた。崔雲益が帰った後、従徒らが「九月飲」の意味をうかがうと、「『九月に始皇を驪山(りざん)の下(もと)に葬(ほうむ)る(九月葬始皇於驪山下)』というが、これは死を意味する。彼の息子の命脈は尽きていたが、薬を切に乞い、もし得られずに戻れば崔雲益は怨みを抱くだろう。ただその思いを慰めるために薬を与えたのだ」と仰せになった。
11. 上帝はある日、車京石を伴って龍岩里を発ち井邑に向かう途中、院坪の酒幕に立ち寄られた。そして行き過ぎる人を呼び入れて酒を勧め、「この道は南朝鮮航路だ。荷がいっぱい積まれたら出発するのだ」と仰せになった。それから道を急がれ、三十里となるところに至って「大軍の一日の道のりは三十里である」と仰せになり、古阜の松月里にある崔家の斎室に暮らす朴公又を訪ね、そこに泊まられた。その時、朴公又と車京石に「すでに会うべき人には会ったゆえ、通精神が出て来るであろう。私が行なう事は、たとえ親兄弟であっても知らぬことである。私が西洋大法国の天啓塔に降って天下を大巡した後、三界の大権をもって三界を開闢し、仙境を開いて死滅に瀕した天下の蒼生を救おうと東方を巡る中で、この地にとどまったのは、すなわち惨禍に埋もれた無名の弱小民族をまず助けて、万古に積もった冤(ウォン)を解くためである。私に従う者は永遠の福禄を得て不老不死となり、永遠の仙境の楽しみを授かるであろう。これすなわち真の東学である。弓乙歌に「朝鮮の江山は名山なり。道通の君子再び現る」とあるが、それも私の行ないのことである。東学の信者らは大先生が再生すると伝えているが、それは代先生(代わりの先生)が再び現れるということである。我われがすなわち代先生である」と仰せられた。

