2016年10月5日、テジン大学の代診教育館では縦断の経典である『典經』、『大巡指針』、『大巡眞理會要覽』の日本語版出版記念会が行われました。
今回の日本語版'『典經』'·'大順指針'·'大巡真理会要覧'が堅固で美麗なデザインで無事出版されました。 内部の滞在もきれいにしており,ここには出版社の創意性も大いに貢献したと思います。
実は,最初に翻訳作業を始めた当時でも,韓国語に似た語順を持っている日本語の場合,非常に容易に,そして短期間内に出刊できると期待していました。
しかし,日本は同じ漢字文化圏に位置し,韓国とはまた違う文化を形成してきたため,韓国では漢字がそのまま簡単に伝えられる用語であるにもかかわらず,日本では漢字だけでは伝えられない場合が多い点です。 韓国と似た言語体系を持ったという点も困難の原因にもなりました。 発達した敬語,謙譲語によって韓国語の語感と正確に一致する敬語と謙譲語の選択は難関でした。 結局、三種類の翻訳版の中で最も長い時間と最も多くの人員が投入されてから6年半にわたる翻訳作業を終えることができました。 実際に翻訳を担当したのは,手塚山大学の古田教授,翻訳のガイシン立野先生,そしてその他の方たちです。
古田教授の"『典經』"が非常に難しく,奥深くて翻訳が容易でない"と語りました。 世界的に著名な道教学者であり,漢学の大家,八谷邦夫教授が日本語版の『典經』に対する最終的な監修を引き受けることにし,"『典經』"の日本語翻訳作業は新たな転機を迎えました。 ほとんどすべての難関が解決の糸口を見出したのです。
蜂屋教授の徹底した検討結果に基づき、2013年には古田教授をはじめとする日本の文学学者四人に依頼し、監修者の意見が反映されるようにする1年間の検討作業が行われました。
その結果物は2014年2月蜂屋教授が麗州本部道場を訪問した2週間、また、5月大阪での一週間にわたって徹底的に検討されました。 そして議論された内容によって6ヵ月間の後続作業が行われました。 ついに2015年初めには、監修者である蜂屋教授と議論して本の形式、力走および索引などに対する最終決定が行われ、1年間、その後続作業が続々と進行されました。 また、抄訳をした立野先生から日本東京に位置したクオン出版社のキムスンボク社長を紹介され、本格的な出版作業に着手するようになり、ついに2016年5月31日『典經』日本語版は、日本で出版されました。 これは道文化の特徴を持つ'典経'が日本読者に受け入れられる準備ができていることを意味します。
検討すべき原稿としてではなく,完成した書冊として,ある程度スピードをもって読んでみると,以前には感じられなかったことも感じられました。 登場人物たちももう少し活気を持って動く感じでした。 "『典經』"全体が生き生きと読む人に近づいてきました。
今後,日本人の間で"『典經』"を知る人が増え,またこの本に基づいて韓国の文化や宗教について研究する日本人研究者も多数出てほしいとの願いです。 "『典經』"が日本社会に大きなインパクトを与えることを念願します。
また,日韓がお互いを理解し,日本の文化的思想を豊かにする上でも役立つと思います。
<予示>
77. 先天では念珠の数が百八であったが、後天では百五となるであろう。
78. 四十八神将を並ばせ、玉枢門を開ける時は、落ち着きを保つのは難しかろう。
79. 上帝はある日、朴公又に「東学の徒は崔水雲の再生を待ち、仏教の徒は弥勒の下生を待ち、耶蘇の徒はイエスの再臨を待っているが、誰か一人でも現れれば、皆はその者を師として従うであろう」と仰せられた。
80. 後天では、皆が不老不死となって長寿を得、櫃ひつを開ければ着物や飯が出で、万国が和平し、猜忌、嫉妬、戦争は絶えるであろう。
81. 後天ではまた、天下が一つの家となり、武威と刑罰を用いずとも、調和により、法理に則り蒼生を治めるであろう。官吏はその職分に即するという気運が開かれ、越権行為はなくなり、百姓は怨恨や貪欲などあらゆる煩悩が消えるであろう。病苦や死の苦しみを免れて不老不死の命を得、貧富の差はなくなるであろう。また自由に往来し、天は低く思いのまま昇り降りすることができ、過去・現在・未来と十方世界に通ずる智慧を得るであろう。そして、世の中から水・火・風の災禍が消え、地上は祥瑞に満ちた仙境と化すであろう。
82. 私が食を断ち、夏には袷衣(あわせ)を、冬には単衣(ひとえ)を着るのは、将来、貧窮にあえぐ衆生を食べさせ、衣服を得させるためである。いま汝らは、労苦があろうとも耐え忍ばねばならぬ。未来において天下万国を巡って衆生を導くとき、その栄華は他に比べるものがないであろう。
83. 見よ。仙術を得んと、十年を作男として費やし、ついにその誠心によりて天に昇ることを得たる者を。彼は仙術を学ぼうと師を求めたが、師は仙術を教える前に彼の誠心を示せと言った。彼が十年間心身を尽くして田を耕した末に、やっと師は彼を池の端に伴い、「水の上に伸びた柳の枝に登り、そこから飛び降りよ。そうすれば仙術に通じるであろう」と教えた。彼はそれを信じ、枝に登って飛び降りた。すると、突然五色の雲が集まり、仙楽の鳴り響くなか、燦爛(さんらん)たる宝輦(ほうれん)が彼を乗せて天上に昇っていったのであった。
84. 上帝はある日、従徒らに、
七八年間古国城(七八年間 古国の城)
画中天地一餅成(画中の天地 一餅(いっぺい)に成る)
黒衣飜北風千里(黒衣は北に飜(ひるがえ)り風千里)
白日傾西夜五更(白日は西に傾むき夜五更)
東起青雲空有影(東に青雲起こり空に影有り)
南来赤豹忽無声(南に赤豹来たり忽(たちま)ち声無し)
虎兎龍蛇相会日(虎(こ)・兎(と)・龍(りゅう)・蛇(だ)の相い会するの日)
無辜人民万一生(無辜(むこ)の人民は万に一生)という古詩を唱えて聞かせられた。
85. 上帝はまた、従徒らに、
三人同行七十里(さんにんどうこうしちじゅうり) 五老峰前二十一(ごろうほうぜんにじゅういち)
七月七夕三五夜(しちげつしちせきさんごや) 冬至寒食百五除(とうじかんしょくひゃくごじょ)
という古詩一首を唱えて、よく覚えておくようにと仰せになった。また従徒の金炳善に、
日入酉 亥子難分(日は酉(ゆう)に入り 亥子(がいし)は分かち難く)
日出寅卯辰 事不知(日は寅卯辰(いんぼうしん)に出で 事知らず)
日正巳午未 開明(日は巳午未(しごび)に正(せい)にして 開明し)
日中為市交易退 帝出震(日中(にっちゅう)に市を為して交易して退(の)き 帝は震(しん)より出づ) と記して下さった。
86. 上帝が金亨烈の家にとどまっておられた時に、金亨烈は家が貧しかったので、麦飯を上帝に献じていたが、八月秋夕を迎え、釜を売って金をつくり、上帝にご馳走を献じようとした。上帝は「釜が上下に揺れ動くゆえ、弥勒仏が現れるであろう」と仰せられた。
87. 上帝はある日、従徒らに「君たちは手に『生』の字を握っているから、『得意の秋』ではないか。心を怠ってはならぬ。三遷しなければ事は成就しない」と仰せになった。
88. またある日、公事を行なわれて、五呪と次の文を記された。
天文地理(てんもんちり) 風雲造化(ふううんぞうか) 八門遁甲(はちもんとんこう) 六丁六甲(ろくていろっこう) 智慧勇力(ちえゆうりき)
道通天地報恩(どうつうてんちほうおん)
聖師(せいし)
医統(いとう) 慶州龍潭(けいしゅうりゅうたん)
无極神(むきょくしん) 大道徳奉天命奉神教大先生前如律令(だいどうとくほうてんめいほうしんきょうだいせんせいぜんじょりつりょう)
審行先知後覚元亨利貞布教五十年工夫(しんこうせんちこうがくげんこうりていふきょうごじゅうねんコンブ)
89. 上帝は化天される前、金亨烈に次の一首を詠んで下さった。
後人山鳥皆有報(こうじんさんちょうかいゆうほう)
勧君凡事莫怨天(かんくんはんじばくえんてん)

