ジーンズ
ズボンはジーンズしか持っていないと言って良いほど、ジーンズばかりはく。
スカートに憧れているが、全く似合わないので周囲の人の事を考えてやめている。
ジーンズは同じ様なのを何枚も持っていても、何枚でも欲しくなるのがジーンズマジックであり、きつくても何でも、今のサイズの1サイズ下を買おうとしてしまう悲しいブタの性である。
先日も友人の営む「ドゥニーム」に、「今日はジーンズを買うぞ!」と意気込んで乗り込み、前から気になっていたジーンズを試着してみた。
1着目はすんなり入ったので1サイズ落としてみると、まだ行ける感じである。
「もう1サイズ下で!」と、友人に言うと完全に苦笑いである。
どうにか入ったというだけで、どう見てもびっちびちだからだ。もっとシルエットとかいう部分を気にした方が良い。
だが、「いいから持ってきてくれ」と無理矢理頼み、はいてみると一番上のボタンだけ閉まらなかった。
ボタンが閉まらないくらいは日常茶飯事なので、「これを下さい」とすまして言うと、友人は困惑顔である。
自分の店の看板であるジーンズが、あんな風にびっちびちに着られるのは嫌なのであろう。もっと素敵に着て欲しいのだ。良く分かる。
がしかしこちらも一歩も引けぬ。十分太っている今に照準を合わせて買う訳にはいかないのだ。
「一番上のボタンは寝っ転がってはいたらとまるし、これから痩せるから」と、嘘八百並べて購入成功である。
翌日早速購入したジーンズをはいて出掛けようと、寝っ転がって一番上のボタンを悶絶の末しめて出陣した。
すると2時間ほど経った頃、有り得ない締め付けに腰骨が物凄く痛くなってきた。
「もうダメだ・・腰骨が砕けそうだ・・」と感じ、不本意だがボタンを外す事にした。命には代えられぬ。
しかし悶絶の末にしめたボタンであるのでなかなか外れず、今度は指が取れるかと思うほどの大仕事であった。出先であったので、寝っ転がって外せないのが致命傷であった。
一部始終をドゥニームの友人に話すと、「だから言ったべや・・」と言われた。
悔しいので、「痩せるから大丈夫」と、また大見得をきったが。
奇跡の1枚
汚い財布を整理していると、免許証が無い事に気付いた。
クレジットカードはもちろん、信玄のスタンプカードやマンガ喫茶の会員証、数々のカラオケ店の会員証等、しょーもない物は軒並み揃っているのに大事な免許証だけ見当たらない。
「もしや最近財布のボタンの閉まりが悪かったから、鞄の中にでも落ちたか?」と、鞄を隈なく調べても見当たらない。
だんだん不安になり、「免許証をなくしたみたいだ」と友人にメールしてみると、「有り得ない、絶対ある」と返信が来たので、「そうだよな、有り得ないよな」とまた探し始めたが一向に見つからない。
いよいよやばいと感じ、友人にメールをしている場合ではないと、警察に電話をした。何かの犯罪に使われては大変である。それだけは何があっても避けたい。
私の慌て具合とは裏腹に、警察の対応は冷静で的確であった。察するに、こんな慌てん坊のドジが毎日山ほど居るのであろう。それは毎回親身になっていては身が持たぬ。
結局再交付の為に手稲の運転免許試験場へ行った。毎回思うが、私の住む南区のど田舎からでは、あそこはいつ行っても遠い。
写真を撮ったり書類を書いたり、何だかんだで時間がかかり、更に全ての書類を提出してから交付迄に1時間強かかる。
何もする事がないので、腹も減っていないのにそばを食べる事にした。そばも早々に食べ終わり、完全にする事がなくなったので思いっきりぼーっとしてみた。すると、「またのご来店をお待ちしています」という看板が目に入ってきた。
「ここに来るったらかなり何年か後だけどなあ・・・」と、運転免許試験場のそば屋の商売熱心さに関心したりしていた。
そんなこんなで出来上がってきた免許証を見て驚いた。
自分で言うのも何だが、写真が抜群に良く写っているのだ。まさに奇跡の1枚である。見合い写真には免許証を使いたいくらいだ。
あまりに嬉しかったので、「免許証で奇跡の1枚が撮れた」と、お客様に話すと、「客がコメントに困る様な事を言うな」と言われてしまった。
なるほどごもっともである。
ソムリエナイフ
何年も前に、「いつか自分で店を始めた時に使おう」と、調子に乗ってラギュオールのソムリエナイフを買った。
そして本当に店を始めるまで数回しか使っておらず、正直まだ慣れていないので全く使いづらい。
コルクが硬くてなかなか開けられず四苦八苦している私を、見るに見兼ねたお客様が助けてくれた事が3回ある。開店して1ヶ月少々で3回なので、かなりの高確率であろう。
他に使いやすいソムリエナイフも常備しているのだが、「これを使いこなすぞ」と、敢えて難関に挑んでいる。
先日お客様に、「そんなん使ってんだ」と言われたので、「全然使えてません」と、つい本当の事を言ってしまった。「は!やばい!お客様にそんな事言ってしまった!」と思っていると、「それは使いづらくて当たり前だよ、だからこそ気を付けていつもより慎重に開けようと思うから良いんだよ」と、非常に納得させられる事を言われた。
しかも必要以上に納得し、「そうか!」とか「やっぱり!」と、店中に響き渡るほど大声を出した。
要は「自分の不出来の裏づけが取れた!」と嬉しいだけだが。
好物
寿司が何より好きである。
しかも好きなくせにこだわりも無く、スーパーのパック寿司から回転寿司、普通の寿司屋と何でも食べる。
寿司屋は金銭的な問題もあり、ちょくちょく行けるものではないが、他ならかなりちょくちょく食べられる。素敵な世の中である。
先日、「今日の昼は絶対寿司だな」と、迷いもなく近所の回転寿司へ向かった。ここはいつも空いていて気楽に入れるのが良い。
案の定空いていたので回っている寿司さえ無く、「注文して下さい」と、厳ついオヤジに言われた。
何品か注文してあっという間に平らげ、追加で頼もうと厳ついオヤジを探すと何処にも居ない。あまりの暇さに厳ついオヤジは休憩へ行ったようであった。
まだまだ食べたい私は、「すいませーん」と店員さんを呼ぶと、今度はかなり線の細いのオヤジが出てきた。
ちょっと気になったので、線の細いのオヤジが握る寿司を見てみると手が震えている。嫌な予感的中である。
「んん・・・」と思いながら食べてみると、寿司に対してかなりのふり幅を持つ私でさえ、「ぬぬぬ」と思う寿司であった。
しかし「ぬぬぬ」と思いながらも、また何皿も平らげてしまい、空虚感満載であった。
「ぬぬぬ」の寿司で腹は一杯だが心までは満たされず、帰宅途中の車中でマナーの悪い車に一人怒りを爆発させた。
心が狭過ぎる。
ピアッツァ
私は以前、「タベルナ・ラ・ピアッツァ」というイタリア料理店に9年間働いていた。
9年居ると自ずと年長になるもので、気付けば社長以外は全員私より年下であり、それをいい事に私はスタッフにはかなり傍若無人に振舞っていた。
どの程度の傍若無人かと言えば、スタッフが取っている朝刊を毎日欠かさず持ってこさせたり、手が痛いと言うまで肩を揉ませたり、飲みに行けば酔っ払って若いスタッフにチューをしたり、ついには休みの日にまで彼等がたいして出来ないテニスに付き合わせたりと、それは酷いものであった。
それに対して私は何一つ感謝をせず、当然だと言わんばかりの態度で、不備があったりすると凄い勢いで罵ったりしていた。極悪非道である。
しかしピアッツァを退職して1年半。色々な所で勉強がてら働かせて貰い、今更ながら人間的に少々成長した私はそれまでの自分を思いっきり悔いた。
今までの自分は酷すぎた。
感謝の言葉くらい言える様になろうと、彼等に「ありがとう」や「ゴメンね」等の言葉を掛けるようにした。おそらく本来であれば10代のうちに出来ていなければおかしい事であろうが。
するとタレコミが入った。「最近ノムラさんがありがとうとか、ゴメンとか言って気持ち悪い」と、彼等が言っているというのだ。やはりとは思ったが、「そんな事言ってるらしいじゃん」と、現料理長を務めるヤスに詰め寄ると、もごもご言っていたのでそうらしい。
「あたしだって少しは大人になったさ」と言ってやると、ヤスは遠い目をしながら苦笑いしていた。
我が故郷のピアッツァ。可愛い私の子供達は暇を見ては手伝いに来てくれる。
有難い限りである。


