↑のつづき。

さて、天ノ原の天神社を後にして
鮎喰川沿いを車で数分。


徳島市と神山町の境目まで来た。

そんな場所にはバス停『二本木』。



バス停のすぐ横にある小さな神社。


ここがとんでもなく面白いのである。

鳥居には『船盡比賣神社』の扁額。




小さな祠が社殿。

『船盡比賣(ふなはてひめ)神社』

鎮座地 徳島県徳島市入田町大久
創建 不詳
別名 二本木のフナハテさん
祭神 船盡比売命(フナハテヒメ)

鮎喰川を挟んだ対岸の
神山町阿野字歯ノ辻には
船盡神社が鎮座しており、
鮎喰川の増水によって
船盡神社に参拝できない場合は、
参拝客用の拝観所としての役割もあった。

船盡神社の祭神は『船尽比売尊』。


この周辺には「船盡」や「船尽」など
『船』を冠する神社があり、
鮎喰川の船着場であった。

下界から船でやってくると
高天原の入り口、
つまりこの周辺で下船していた。


そして、
フナハテさんから連想するのは
船戸神(オフナトさん)である。



全国の岐の神の元社とし、
大宜都比売命の兄弟神
天鳥船神」が祭神である。

松浦年長が記した文書↓
天ノ仁木命
亦の名を建羽雷命 
亦の名は角凝魂命と申して
大和國鳥見白庭山に天降る後に
賀茂別雷神とし齋祀られたる
弓矢神 天ノ磐船ノ神此なり
其妃を船盡比賣命といふ 
こは木船ノ神、屋船ノ神 なりとの
御系をませば御名を稱へ申して
其の夫神 建羽雷命と共に
倭文ノ神と齋祀られし玉へ、
御社は名西郡長谷村船盡比賣神社此なり
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これは色々とヤバい内容だ。

木船ノ神』、つまり
貴船の神』である。

京都の貴船神社の奥宮鎮座地の伝承では、
5世紀初頭、玉依姫黄色い船
淀川から貴船川をさかのぼり、
たどり着いたことが由来とされている。

年代的に古事記の玉依姫よりも
新しいことから、同一神ではないにしろ
同族か、あるいは巫女のように
同じ役割を持った女性である可能性は高い。


また、
岐ノ神(クナト神)
船戸ノ神(フナト神)と同一視され、

日本の民間信仰で
村や部落の境にあり、
他から侵入するものを防ぐ
塞ノ神』とも紐付けられている。

伊津毛国高天原の境目に
塞ノ神がいることに違和感は無く、

それらの神が
猿田彦大神とされることに
とても意味がある。

 
また、船の神と言えば
系図上では
阿波の女神大宜都比売命の兄弟神である
天鳥船神(別名 鳥之石楠船神)』がいる。

この入田町を境に、高天原である
神山町へ行くと大宜都比売命の本拠地
上一宮大粟神社が鎮座する。


天鳥船神の別名
天夷鳥命(アメノヒナトリ)の神名は
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「高天原から夷(鄙・ひな=出雲国)へ
 飛び下った鳥」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
を意味しており、

川を下った伊津毛国つまり
『長ノ国』には、
夷(エビス)が生まれたとされる
式内社事代主神社に比定される
生夷神社』が鎮座している。

国譲りの際に活躍した天夷鳥命は
建比良鳥命とも呼ばれ、
夷鳥(ひなとり)』とは
夷を取る」つまり、
事代主の国を取る」という
暗号が隠されているではなかろうか。




天夷鳥命と同神とされるのが、
阿波伎閉委奈佐毘古命(アワキヘワナサヒコ)

阿波から来たワナサヒコという意味。


島根県松江市宍道町上来待和名佐に鎮座する
和奈佐神社』の祭神『和名佐比古命』は
阿波から黒曜石を求めてこの地に
降り立ったと伝承されている。

付近に『忌部』の地名があることも
大いに関係しているであろう。


また、丹後国の天女伝承では、
天女の羽衣を隠した老夫婦の名が
ワナサ』であり、
天女は伊勢外宮の神豊受大神であり、
後に阿波の女神大宜都比売命と習合、
または元から同一神であった。



徳島県海部郡海陽町には、式内社
和奈佐意富曽(ワナサオオソ)神社』が
鎮座しており、
付近には那佐(なさ)湾の地名が残り、
この地は昔、『倭の那佐』
つまり『倭奈佐(ワナサ)』だったのである。

また、「意富曾」とは
大麻」の意味だという。

つまり、
ワナサオオソ神とは、
大麻比古神の可能性がある。


(この話はもはや
阿波古代史では基本中の基本である。)


忌部海部は手を繋ぎ、
この地から島根出雲や丹後半島に
開拓のために旅立ったのだ。


佐那河内中学校の校歌より↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~
忌部海部の手と手をつなぎ 
南北文化の力をあつめた 
血脈伝統この地に受けて 
真理を探り 平和を築き 
名誉あがる 佐那河内村中学校
~~~~~~~~~~~~~~~~~

こんな素晴らしい歌詞は、
阿波でしか生まれないのではなかろうか。





船盡比賣神社には
神代文字の「のぼり」が伝わっており、

「トホカミエヒタメ」
「スエキアワカミ」

と、神代文字で書かれているのだそうな。


そればかりか、
古代、エビス人稲飯王
宝船で到着した場所がここだという
伝承さえあり、ロマンが尽きない。


徳島市指定保存樹木『むくの木』。

その横にあるのが今回の目的である↓
三柱鳥居』❗❗


石で造られた三つの柱の間には
丸い珠の石。

これは本当にヤバいやつである。


オフナトさん信仰は、鮎喰川流域、
神山町を中心に多く見られる信仰であり、
石組みの祠の中に丸石が祀られる。

しかし、三柱というのがただごとではない。

よくある丸石信仰は、例えば
四枚の青石で作られた竈状の
「オカマゴ」が石垣の中に埋めこまれ、
その中に丸石を祀るというもの。



これはただの『結界』ではない。


高天原と下界を隔てる
特別な結界なのかもしれない。



さて、最後に猿田彦大神のことを、

↓にも書いた通り、
『三輪叢書』の三輪高宮家系には
こう記載されている↓


都美波八重洲事代主命
亦の名 猿田彦大神
亦の名 大物主大神

事代主大物主が同一であることは
事代主神社の記事で書いた通りだが、
猿田彦大神も同一神であることは
あまり知られていない。

三輪の系図に書いてあったとしても
なぜそうなっているのかは
よくわからないのだ。

阿波の古代史を知らない限りは。


大国主と同一と思われる
阿波忌部の祖天日鷲命の系図を
掛け合わせると見えてきてしまう。

つまり、
父)大国主=天日鷲
子)事代主=大麻彦

そして、大麻彦と同一視されるのが
猿田彦大神なのである。


元々は猿田彦大神だった。



石川県金沢市に鎮座する
式内社『大野湊神社』では、
猿田彦大神のことを
佐那武大神』と称している。

なぜ、「サナ」と称されるのか…


それは、この地より南、
神山町より東側には
徳島県唯一の村
佐那河内村(さなごうち)』があり、
往古、『佐那県(サナノアガタ)』と
呼ばれていたからであり、
猿田彦大神の居住地だったからである。



そんな佐那河内村の、
とある神社の境内には↓
こんな石碑が建っていた❗
後日記事になります

 


原初の形を模した三柱鳥居

それは例えば、三つの一族の融合の証。


三つの輪とも言える。


それは例えば、三輪の『三ツ鳥居』。


猿田彦=事代主=大物主ですからね。



さてさて、
引用にて前述した松浦年長が記した文書に
気になる神の名が記されていた。

天ノ仁木命』。


このバス停名は『二本木』。


確か、
天孫降臨し猿田彦が先導した
神の名は…


ニニギノミコト(仁々木)』❗






高天原の境目に鎮座する神社、
ワクワクが止まりませんよ皆さん❗


そして舞台はついに
高天原とされる神山町へ。


アマテラスとスサノオの誓約は、
姉に会いに天に昇ったスサノオに対し、
スサノオは国を奪おうとしているのでは❓️
とアマテラスが疑ったことに始まる。


つまり、誓約がおこなわれた
天ノ安河(アメノヤスカワ)』もまた、
高天原の入り口付近。


次に向かう神社の地名は阿野。
周辺には『阿川(あがわ)』の地名が残る。

神山町の成り立ち↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
広野・阿川の両村が合併して阿野村となり
下分上山村・神領村・
鬼籠野村・上分上山村の5村になった後、
昭和30年に合併して「神山町」が発足した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



天ノ安河って本当は、


天ノ安河(アメノアガワ)』と
読むのではありませんかねぇ。。



つづく。


ではまた❗







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