↑のつづき。
さて、大麻比古神社を後にしたワタシは、この日最後の神社へと向かった。
徒歩25分ほど。
その神社は、線路沿いに鎮座していた。
『宇志比古・宇志比売神社』である。
拝殿。
大麻比古神社境外摂社
『宇志比古・宇志比売神社』
鎮座地 鳴門市大麻町板東牛ノ宮東
創建 不詳
祭神 大己貴命 少彦名命
別名 牛ノ宮
式内社「阿波国板野郡 宇志比古神社」の論社。
現在の祭神は、大己貴命と少彦名命だが、
普通に考えれば、元々の祭神は
『宇志比古(ウシヒコ)』と
『宇志比売(ウシヒメ)』だと思うのだが。。
裏に回ると、二つの本殿が仲良く並んでいた。
やはり、元々は夫婦神なのだろう。
この狛犬は個性的だ。
べーってしてる😜
で、ここからさらに東には『宇志比古神社』が鎮座している。
そちらの祭神は、
宇志比古尊 応神天皇 仁徳天皇 神功皇后。
江戸時代には八幡宮と呼ばれていた為に、この並びなのだろう。
さて、この神社に来るまで存じ上げなかった『宇志比古(ウシヒコ)』とはいかなる神様なのか。
その答えは、阿波古代史において最も信頼のおける方々の一人、awa-otokoさんのブログに答えがあった↓
例えば、こうなる↓
上記の「阿波之宇志彦」が
『宇志比古(ウシヒコ)』である。
天日鷲命の孫であり、大麻比古の子であり、
安房を開拓した天富命やオオヤマツミの妻と兄弟姉妹という関係性だ。
さらに↓
『宇志比古』の正体は、
『丹波比古多多須美知能宇斯王(たんばひこたたすみちのうしのきみ)』なのだという。
またの名を、
『丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)』。
なんと、
『四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)』の一人である。
第10代崇神天皇の御代に、北陸、東海、西道、丹波に派遣た四人の皇族将軍たち。
『王大彦命(おおびこのみこと)』
『武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)』
『吉備津彦命(きびつひこのみこと)』
『丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)』
ちなみに、吉備津彦命は桃太郎のモデルだ。
丹波道主命は第9代開化天皇の皇孫。
名前のとおり、丹波に派遣された。
丹波道主命とはその時に名付けられた名だろう。
昨年の夏、京都の元伊勢に参拝した時には、あまり深掘りしなかったが、
元伊勢外宮の向かいにあった
『二宮神社』の祭神は丹波道主命の五子だった。
同じく元伊勢と称される籠神社の社伝には、
丹波国に派遣された丹波道主命の娘『八乎止女』が比治乃真井で「御饌都神」を奉斎したとされている。
この「御饌都神」こそが外宮の祭神
『豊受大神』である。
そして、豊受大神と同一神とされているのが
阿波の女神
『大宜都比売神(オオゲツヒメ)』であり、
『天石門別八倉比賣神社』の祭神
『大日靈女命(オオヒルメノミコト)』。
つまり、『アマテラス』だったのだ❗
丹波道主命の娘が『豊受大神』を祀ったのは当然と言えば当然。
丹波道主命は宇志比古、つまり
阿波出身であったのだから。
伊勢神道の根本経典と言われる『神道五部書』の
『豊受皇太神御鎮座本記』にはこう記述されている。
天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也
豊受大神を祀る伊勢神宮外宮は、
阿波⇒元伊勢⇒伊勢のルートを辿ってきた可能性があるということ。
阿波からやってきた『宇志比古(ウシヒコ)』は、
丹波の道を拓き『丹波道主命』となった。
これが真実であるなら、
驚くべきは、阿波忌部の宇志比古の祖父が
第9代『開化天皇』であるということ。
さらに、二柱の系図を並べてみる。
●宇志比古の系図
祖父 天日鷲命(天太玉命?)
祖母 天比理刀咩命
父 大麻比古命
母 磯根御氣比賣命
●丹波道主命の系図
祖父 開化天皇(若倭根子日子大毘毘命)
祖母 伊香色謎命(イカガシコメ)
父 彦坐王(ヒコイマスオウ)
母 意祁都比売命(オケツヒメ)
ちなみに、彦坐王の兄弟姉妹には、
御間城入彦五十瓊殖尊(第10代崇神天皇)や
御真津比売命らがおり、徳島県の「美馬(ミマ)」と関連していることは明白である。
そして、実は最も重要かもしれないのが、
丹波道主命の祖母『伊香色謎命』。
伊香色謎命については大御和神社の記事でも少し触れたが、
『伊香色謎命』を祀る神社は、調べた限りでは一社しか存在しない。
それが、徳島県吉野川市川島町桑村に鎮座する、
式内社『伊加加志(いかがし)神社』である。
●祭神
伊加賀色許売命
伊加賀色許雄命
天照大御神
『伊香色謎命』は第8代孝元天皇の妃にして、
第9代開化天皇の正妃というとんでもない人物。
そんな伊香色謎命が阿波の神社にのみ祀られているという事実。
さらに、伊香色謎命の両親の名は、
父『大綜麻杵命』
母『高屋阿波良姫』
明らかに阿波を意識した名である。
ちなみに、伊香色謎命と第8代孝元天皇との間に産まれた子に『彦太忍信命』がいる。
その彦太忍信命の子、あるいは孫が、ご存知
初代『武内宿禰』である。
阿波(あわ)から丹波(たんば)へ。
『宇志比古』という人物、そして阿波徳島がいかに重要だったかが、お分かり頂けたら良いのですが。
丹波は、宇志比古の『庭(丹波)(にわ)』だったということですね(^ー^)
さて、帰ろうと思ったら、駅のホームにも鳥居。
なにからなにまで徳島は最高ですよ。
翌日は丸一日岡山でお仕事。
今回の阿波徳島編はこれで終わり…
かと思いきや、翌々日。
再度、徳島で仕事が入るという奇跡(笑)
一度の出張で、二度同じ地域を訪れることは初めてである。
呼ばれている(と、思い込んでおく)。
ということで、阿波徳島編はまだ終わりません。
つづく。
ではまた❗
人気ブログランキング