↑のつづき。

さて、大麻比古神社の後半戦です。





拝殿。

阿波国一宮
『大麻比古(おおあさひこ)神社』

鎮座地 徳島県鳴門市大麻町板東字広塚
創建 神武天皇の御代
祭神 大麻比古大神 猿田彦大神
別名 大麻さん おわささん


回り込んで横から本殿。



千木は男千木。

さもありなん。

祭神は大麻比古神なのだ。


境内社 末社
『豊受社』
祭神 豊受大神



末社
『山神社』
祭神 大山祇神


後ろから本殿。


末社
『中宮社』
まさかの祭神不詳。

個人的には、境内の中で最も気になる社だった。

この社殿は、かつて伊勢神宮が使用していた御用材で、式年遷宮をした後に使われなくなった撤下古材で建てられているのだそうな。

つまり、ご祭神は伊勢神宮と深く関わる神であり、とても重要な神様である。

なぜ隠されてしまったのだろうか。。



ワタシが参拝したときには見当たらなかったが、さい銭箱には木槌が置かれていたらしく、参拝する前にお賽銭箱の淵を木槌で叩き、御挨拶に来たことを神様に伝えるのだそうな。

小鎚が必要な理由は、この中宮社に祀られている神様は、「耳が遠い」という伝承があるらしいのだ。


「耳が遠い神様」と言えば、
七福神の一柱『エビス様』である。


そして、エビス様と同一神とされているのが
『事代主』。

中宮社の祭神は『事代主』なのだろうか。




『めがね橋』。


この鏡池の色合いはスゴい。





奥宮『峯神社遥拝所』
祭神 峯大神(津咋見命(ツグイミ))

奥宮は大麻山の山頂に鎮座している。

津咋見命は大麻比古大神の別名だとされている。

しかし、大麻比古神社のもう一柱の祭神
『猿田彦』も、古くから大麻山に祀られており、後に合祀したとされている。


実は、徳島市明神町にも大麻比古神社が鎮座しており、「おおあさひこ」ではなく「おおまひこ」と読む。

こちらの祭神も『猿田彦大神』。

と、いうことは大麻比古と猿田彦は同一神なのであろうか(ここには猿もいっぱいいたし)。

しかし、それは早計というもの。

猿田彦が大麻比古と同一ならば、阿波忌部の一族である。

どちらかと言えば、猿田彦の配偶神『アメノウズメ』こそ、阿波との繋がりがある気がしている。
※「ウズ」は「渦潮」や、
「光」を意味する「ウツ」を連想させる。


猿田彦は、最も古い部類に入る、縄文の神だというイメージが、ワタシの頭から拭いきれない。

固定観念なのかもしれないが。。




ドイツ橋。


その向こうには階段が。




『丸山社』
祭神 丸山神

一体どなただろうか。




『丸山稲荷社』
祭神 倉稲魂神


境内社には、倉稲魂神や豊受大神など、
大宜都比売命に関わる神が多く祀られている。


となれば、中宮社の謎の祭神の正体が見えてくる。
この記事の後の方で答え合わせといきませう。



『八大竜王』『鳴門神海五国竜王神』と
刻まれている。

名前かっけー。


その他、残念ながら見落としていた末社に
『西宮社』があったらしく、
祭神は天照皇大神。

西宮と言えば、『えびす様』だと思っていた。

実際に兵庫県西宮市に鎮座する『西宮神社』は
エビス神社の総本社と言われている。


前述した『中宮社』といい、
意図的に(わかる人にはわかるように)、
『エビス(事代主)』が隠されているのは気のせいなのだろうか。

「事代主は阿波徳島とは関係ない」とおっしゃる方もいるだろうが、勿論大いに関係がある。


それは、延喜式神名帳に記載がある、
事代主神社に比定された神社を見れば一目瞭然である。



徳島県勝浦郡勝浦町に鎮座する『生夷神社』。
創建 不詳
祭神 事代主

社名のとおり「夷(エビス)が生まれた」場所を表している。



ちなみに、平安時代に記録された式内社の中に
「事代主神社」があるのは、
阿波国の勝浦郡と、阿波市の事代主神社のみ。

事代主は「長氏」の祖とされているが、
阿波の南方は古代『長の国』と呼ばれていたのである。

これらの情報だけでも、事代主の出身が何処であったかは明白なのでは…


事代主の弟である『建御名方神』も、元諏訪として阿波徳島に祀られており↓

さらに、勝浦町の隣町には
徳島県阿南市長生町宮内に鎮座する
延喜式内社の『八鉾神社』。
祭神は事代主の父神『大己貴命』。

地名の「長生」は「長(おさ)が生まれた土地」を意味する。

「長(おさ)」とは「王」、

つまり、「大国主(大己貴命)」のこと。


境内の看板には、
「長(ナガ)の国の祖神は大己貴命」と書いてあるのだそうな。


そして、古代の長の国は『伊津面(出雲)』だった。


この一連の話が真実であり、阿波古代史を研究する方々がそう主張していたとしても、
現在の出雲(島根県)の文化を軽視しているワケでは決してない。

出雲風土記にあるように、島根県にも素晴らしい神話や文化があったことは事実であり、古代王朝があったとしてもなんら不思議ではない。


しかし、記紀神話においては、四国にその痕跡が多数残されていることも、また事実であるのだ。





最後に、事代主のことをひとつだけ。



事代主の配偶神は『阿波咩(あわひめ)』だと言われております。


そして、敬愛してやまない『ぐーたら気延日記』さんのブログでは↓


阿波国の国造「粟凡直(あわのおおしのあたい)」の系図である「粟国造粟凡直粟飯原氏系図」が紹介されております。

その驚くべき内容を一部引用させていただきます。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「積羽八重事代主神」の后が
「粟の國魂」である「大宜都比売命」であり、
又の名を、
「大阿波女(おおあわめ)神」
阿波女(あわめ)神
「阿波波(あわわ)神」
天津羽羽神」であり、
「粟国造粟凡直」の産(うぶすな)神であり、
大粟山上の一宮大明神とある❗

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


あわわヽ(´Д`;)ノ


これは大変なことになってまいりました。


事代主の妃が『大宜都比売命』!


つまり、『八倉比売』!


つまり、『アマテラス』だったのだ❗



さらに、『天津羽羽(アマツハハ)』。

東京都神津島浜に鎮座する
『阿波命神社』の祭神『阿波咩命』は
神津島の開拓神で、『三島神(事代主)』の本后と伝わっている。
阿波咩命は『天津羽羽(アマツハハ)』と同一神説があり、しかも『天岩戸別神(タヂカラヲ)』の子である。
※八倉比売も天手力男命の子であり
つじつまが合う



大麻比古神社では隠されてしまったかもしれない
『事代主』。



『一宮』を名乗る以上は、色々と足並み揃えなければならない事情も、中世頃にはあったのかもしれませんね。
(わからないけど)


大麻山はあそこかな?


自然が豊かで、猿も元気で(笑)、
大麻比古神社は素晴らしい神社でした。


毎月のように大麻比古神社に参拝されるという徳島の方からメッセージを頂き、とても嬉しかったのですが、「猿」を見かけたことはないとおっしゃっていました。

あんなに群れで遊び回ってたのに(笑)。



お猿さんも、ありがとね~🐒



つづく。


ではまた❗


参考資料↓


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