人事労務日記~所長のつぶやき~ -348ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

平成23年7月13日


 今日も暑いです。クーラーをギンギンに冷やして

涼みたいところですが、今は節電です。

28度に温度設定をして時々団扇で扇ぎながら

我慢しています。


我慢と言えば、某臨床心理学者が、“人は我慢

するだけでは成長しない”というようなことをある番組で

言っていました。

“我慢を重ねても物事が好転するとは限らないため、

その我慢をそのまま続けなければならない場合が

よくあり、そして、我慢に我慢を重ねていると、

最後はストレスが溜まりすぎて出口がなくなり、

最悪の判断を下してしまうこともある”、

“だから、このような悲劇を避けるためにも、ストレスを

ためて我慢をし続けない方がよい”との意見でした。


心理学的にはその通りなのでしょう。

でも、今の世の中は我慢しなくてはならないことが

多すぎます。

大震災から4ヶ月以上も経つのに一向に進まないや

復興や原発。


何よりも我慢ならないのは、政権担当能力が無いのに

政権にしがみつくことばかりに知恵を絞り、一向に辞めようと

しない○○。


平成23年7月12日


 他人の悪口ばかりいう人は、「いい出会い」

にはめぐりあえないと言われています。
なんでも人のせいにしていたのでは、人が寄って

こないのは当然と思われているからです。


「政治が悪い」「会社が悪い」「上司がこうだから」
「部下が無能でオレの足をひっぱる」と、いつも嘆いている。

このような「他罰傾向」は、自己顕示性性格の人に

強いようです。


こんなことをいう人がいました。
「政治が悪いから、日本の将来は絶望的だ。誰に

投票しても政治家などみんな悪いやつで、何も変わらない。

投票しても無駄だ」。
けれどもよく聞いてみれば、その人は、成人してから今まで

数十年、選挙の投票に
行ったのは一回きりだといいます。

一票ぐらい、あってもなくても阿じだからという
理由です。これでは、選挙に行かないことを正当化している

だけではないでしょうか。

それにしても、今の政治は本当に酷い。

だから、早く総選挙でキッチリと投票権を行使したいと

私は、思っています。



平成23年7月11日


 今日のお昼はチョッと遠出して、久し振りに

駅前のラーメン屋に行って来ました。

その店は、中国人のコックが調理を担当していて、

広東メンがとても美味しいのです。

久し振りに美味しいラーメンを食べ、「満足!満足!」

でしたが、そのラーメン屋への道すがら、駅からオフィス

への道沿いにあったコンビニが最近閉店していることに、

気がつきました。


オフィスの近くは、セブンイレブンが2つのほか、別の

「ファミリーマート」など多数のコンビニ店があり、激戦区

です。

そんな中その店は、道路から一段下がった場所にあったため、

立寄るにはチョッと不便で、普段から客足は今ひとつでした。

そんな店から、いつの間にか店長の姿が見えなくなりました。

従業員はいつものように応対していていましたが、結局

その後店長の姿を見ることはありませんでした。


「弱肉強食」のこの世の中ですが、私の身の回りでも厳しい

生存競争が繰り広げられていることを改めて実感させる出来事

でした。

それにしても戦い敗れたあの店長は、今どうしているのでしょうか?

平成23年7月9日


 今日、関東地方も梅雨明けしたそうです。

菅総理大臣という前代未聞の権力者の存在で

機能不全に陥り、混迷を深めている日本国の苦悩

を尻目に、時間は刻々と過ぎて行きます。


私は、最近、どういうわけか小学校時代のことを

よく思い出します。子供時代に一緒に遊んだけれど、

今は、全く付き合いのない人の「子供の頃の顔」を

思い浮かべては、“あの人は、今どうしているんだろう”

と思ったりしています。

そして、同時に私の頭には、懐かしい昔のことが

次から次へと浮かんでは消え、消えては浮かんで

、まるで走馬灯のように流れていきます。


こんな「昔のことを懐かしく思い出す」というのは、

きっと新しい経験が段々と少なくなってきたせい、

つまり年をとってきたせいなのでしょう。そしてこのように

“歳をとったなぁ”と思っているうちにもドンドンと「時間」

は流れて行き、ドンドンと歳をとって行くのでしょう。

日本国の苦悩も一刻も早く解決するようにと祈りながら、

ドンドンと歳をとって行きます。



平成23年7月8日


 あの大震災からもう4ヶ月近く経ってしまいました。

新任の復興大臣が暴言でわずか9日で辞任に

追い込まれたり、原発の稼動再開問題で総理が

突如思いつきでストレステストを言い出し再開の見通し

が立たなくなったりと今の政権はコントロール不能の

異常な状態になっているようです。


被災地の復興は遅れに遅れ、被災者の悲惨な状況は
一向に改善へと動いて行きません。

政治の混迷がこれほど国民の生活を脅かせているのは

未だかつてなかったかもしれません。



でも、「時間」は、ひとの世で何が起ころうと淡々と

過ぎて行きます。

ひとの世の喜びや悲しみや怒りなどに関係なくただ淡々

と過ぎて行きます。

今のような日本全体が無力感に覆われているような

「時間」も何十年後(私は生きていないでしょうが)かには、

きっと「アノ頃は・・・」と誰かに思い出されることでしょう。



梅雨が終るともう直ぐ暑い夏が来ます。節電に努めなければ

ならない今年はさぞかし暑い夏になることでしょう。





平成23年7月7日


 今日は七夕ですが、空はドンヨリと曇って

おり、夜は星空がみられそうにありません。

今日も朝、自宅から客先に直行、お昼を

客先最寄駅構内の蕎麦屋さんで済ませ、

オフィスに出ました。


ところで、

この間、随分久し振りに私の生まれ育った

ところに行って来ました。
私の実家は、今は、亡くなった兄の嫁さん一家が

住んでいるので、チョッと顔を出すのが億劫

になっています。
でも、生まれ育ったところというのは、やはり

懐かしいものです。
仕事とか人生とかでヒョッとつまずいたとき、

やはり頭に浮かんで来るのは幼い頃、

自分が遊んだ場所の風景とか母親の顔とかに

なります。


久し振りに訪れた故郷は、随分変っていました。

毎日変わり映えのしない平凡な日々を過ごして

いますが、気がつかない内にも人の生活は、

毎日少しずつ変化しているんですね。

そして、変わり映えしないと思っていた生活も、

月日が経って見て見るとその変化の大きさに

ビックリさせられるものだと思ったのでした。

平成23年7月6日


 「四十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」

と云われることがあります。

“幼い頃の顔は百パーセントが遺伝でも、その後

どんな生き方を選ぶかで顔つきが変わってくる。

その顔付きを長年続けるうちに次第に定着し、

やがてその人の顔ができあがる。その年齢が四十歳”

という意味のようです。


つまり、

「生まれて直ぐは遺伝が百パーセント。その顔を

土台にして、成人するまでの二十年間は育った環境が

顔をつくる。そしてさらにその顔を土台に、成人してから

四十歳までの二十年間は、その人の意志が顔をつくる。」

ということなんでしょう。


そんな思いの中、電車の中を見渡せば、実に様々な

顔があります。

”夫々の顔が、夫々の人生の年輪を重ねた顔かなぁ”

という目で見ると実に意義深いものがあります。



平成23年7月5日


 今日は朝一番で客先に直行し、最寄駅そばの

洋食屋でハヤシライスを食べて、オフィスに

出るため、地下鉄に乗りました。


電車の中でのマナーが悪くなったことは前に

何回も書きましたが、今日は改めてビックリさせられ

てしまいました。

私は元々右足が不自由なのですが、最近はこれに

ぎっくり腰が加わり、足と腰の痛みに悩まされています。

今日も一つ電車を乗り過ごし、列の一番前で電車を

待つことにしました。勿論、できれば座りたいからです。

待っていると電車が滑り込んできました。

待っていた駅は大きな駅なので、沢山の人が降りて

行きます。目論見どおり、優先席の片側がみんな

空きました。

私は、当然に座れるものとして、最後の降りる人を

見送って乗り込んだのです。

でも、最近の人たちは降りる人が降りてから乗り込む

という悠長なことはしません。

途中から私の横に並んでいた若い男性がサッと

乗り込んでしまったのです。

アレッと思っているうちに次々と敏捷な若い男性が

優先席に座り込み、私が座ろうと席に進んだときには

もう空いている席は無くなってしまいました。


なにか我が身の動きの鈍さと「人への思いやりがどこか

に行ってしまった時代」に情けなくなってしまいました。





平成23年7月4日


 先日、ぎっくり腰になり、とても痛い思いをしました。


足元でじゃれている愛犬(牝のパグ)を抱き上げようと

腰をかがめたら、グキっときてしまったのです。

それからは、その痛さに七転八倒の苦しみです。

モノの本によると、ぎっくり腰には、正式な、共通の定義が

いまだなく、広い意味では、急に生じた腰痛すべてを指す

そうです。そして、ぎっくり腰の痛みのピークは初日MAX

だそうです。


中世の西欧では、ぎっくり腰を「魔女のひと突き」と呼んで

いたそうです。
「靴下はき、洗顔、クシャミなど、日常の何げない動作でも

生じ。あれよあれよという間に。大の男が腰を抜かし。

なぜか、寝返りも出来ず。あまりの痛さに、

“もう、俺の人生も終わりだ”と泣き叫ぶ。」

然し、「10日も過ぎれば、泣き叫んでいた者が、他人事の

様に、ケロッとして笑っている。」ぎっくり腰のこの変わり様を、

魔女の仕業(ユーモアをこめれば魔女のイタズラ)に

例えていたとのことです。


実際に経験してみると、本当にこの通りだなと思い、

二度と「魔女のひと突き」には会うまいと心に期すのです。



平成23年7月2日


 原発問題とか政治の混迷とか日本の社会全体が

大震災の混乱から中々立ち直れません。

そんな混乱状態が続く社会でイジメ問題も深刻化して

いるようです。

中でも、言葉によるイジメ、暴力が深刻なようです。
若い人の間で“「うざい」と呼ばれて傷ついた”という

言葉を聞きます。
私が、はじめて「うざい」という言葉を聞いたとき、その

語感のあまりの気持ち悪さに、驚きました。“
なんと毒々しい言葉なんだろう”と思ったのです。


「うざい」は、多分もともとは、行為や物の性質を表現する

言葉で、うざいの元はおそらく「うんざり」で、うんざりするほど

いやなことを指したのでしょう。
でも、これなら罪のない言葉です。
世の中にはうんざりすることはいくらでもあるからです。
しかし、この言葉が対人関係で用いられると、その言葉は

想像以上の毒を含むことになります。
「うざい」と言われたら、そのへんの物以下であると思ってしまう
からです。

未だ、社会経験の無い、若い心ではどれほど傷ついてしまう

でしょう。

「言葉」、これには皆が気をつけたいものですね。