人事労務日記~所長のつぶやき~ -295ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

平成25年7月24日


 世の中には、仕事でも遊びでもとことん極めよう

とするタイプの人がいます。

起業家、研究者、打ち込める趣味がある人、

何らかのマニア等々でしょうか。

決して数は多くはないですが、それなりに存在感があり、

中にはテレビにも出て、社会的にも影響力があるような

人も居ます。
 

しかし、私を含め世間の大半の人は、そこそこ

こなせれば、後は何も考えず、何となく続けて、

そして何となく死んでいくようにも思えます。

「会社でもそんなに無理はしなかったが、そこそこ出世して、

それなりに責任ある仕事をして来た。金にも困らないし、

だから、俺はまぁまぁの人生なんじゃないか」

と思っているサラリーマンOBは少なくないでしょう。

私も深いところまで極めたり、より高いレベルを目指す前に、

ソコソコで満足してしまう人生でした。


でも、「まぁ、俺のこ人生はこんなものか」と満足しています!



平成25年7月23日


 最近読んだ雑誌に「主婦の定年」という記事

がありました。


 「会社を定年退職した夫が、随分昔に、その夫との

  結婚を機に勤めていた会社を辞めて専業主婦に

  なった妻から、

 “私も、もうすぐ定年(65歳)になるのよね。

あなたと同じ無職になるのよ。退職金は頂けるのかしら?“ 

と言われてハッとし、

 “それじゃ、わが家から主婦がいなくなるじゃないか”と

  危機感を覚え、早速奥さんと団交に入った。

  そして結局、退職金は、会社から夫が貰った退職金の半分を

  奥さんに支給。主婦業は、激論の末、妻の定年を5年間延長し、

  その代りに、夫もバイトで家事を手伝う主夫になった。」

 という内容です。



この記事は、私にとってもハッとした内容でした。

今まで、自分や同僚・知人の定年は考えても、「妻の定年」など

 考えたこともありませんでしたから。

でも、よく考えれば「主婦業」という業務に定年があってもおかしく

はないのですね。

でも、私の場合、妻が定年宣言したら、とても困ります。


平成25年7月22日


 年をとると物忘れが進むといいますが、

わたしの場合もかなり進んてきたようです。

例えば、パソコンで何かを見ようとブラウザのアイコンを

ダブルクリックして、立ち上がるのをぼーっと眺め、

別のことを何か考えていると、何を見ようとしていたのか

忘れてしまうのです。



そして、最近では、忘れやすくなったせいかどうか、

あまり物事に悩まなくなったようでもあります。

悩むべき事柄も忘れてしまうのでしょう。


 先日、七十歳になった人と話をしていて、

「昔、『七十になると(精神的に)楽になるよー』と聞いた

ことがあるけど、なってみると、ホント、楽だよ」と聞きました。

心強い限りです。


もしかすると、その楽さというのは、「面倒くさい物事は、

忘れてしまい、頭に残らなくなる」、ということと関係が

あるのかもしれません。





平成25年7月19日


 電力不足の中、暑さに閉口する夏の季節

となりました。

寄る年波のせいか、私は最近とみに暑さに

弱くなり、頭がジリジリと太陽に照り付けられると

薄くなった髪の毛が十分にお役目を果たせないため、「

脳味噌が溶け始めているのではないか」

とさえ思えてしまうことが随分と増えました。

つまり、記憶力がメッキリ衰えてしまったのです。

いや、正確に表現すれば、「記憶する」というよりも

「思い出す」という能力に大分劣化現象が生じて来て

いるようなのです。


“たった今まで掛けていたメガネの置き場所を忘れる”、

とか、“あることをしようとリビングに行ったらリビングに

着いた時にはその用事が何であったのか忘れてしまった”、

などなどのことが日常茶飯事的に起きるのです。


単なる度忘れなのか、何かの病気なのかわかりませんが、

「困った年齢」になったものです。



平成25年7月18日


 最近の人は、「自分を大事にするという」

言葉が好きなようです。

「自分へのご褒美」とかで一人ご馳走を食べたり、

高価なものを買ったりとかするようです。


そして、何倍という競争を経て、ヤッと就職しても、

「この会社は自分に合わない」といってはサッサと

辞めていく新卒もすくなくないようですし、

自分に相応しい人と思って結婚したはずなのに、

「この人との結婚生活では、自分の中に意味を見

つけられない」とか言っては、サッサと離婚するケースも

少なくないようです。



組織とか共同生活の中で、

「自分というものを大事にしたい」という思いは自然だと

思います。

だけど、「人間社会」という組織に住んでいる以上、

人は「個々の自分」という個人の思いとは別に

「社会的な存在でもある=他人への思いやり」と

いうこともまた大事なんだろうと思います。


「自分を大事にする人」も「他人」とか、自分の周りの

人たちもまた大事にしなければいけないという気持ちを

もう少し持って貰えたらといつも思っています。



平成25年7月17日


 私は元来ものぐさなので、人にものを

頼むことは不得手です。

人に何も頼まずにいられたら楽なのかも

しれませんが、そういうわけにもいきません。


街を歩けばそこには道なりに色鮮やかな

機械が並んでいたりします。

商品の並んだ四角いその箱の前に立ち、

コインを入れてボタンを押せば、中から

飲みたいジュースなどが出てきます。


自動販売機という名のこの機械に、

「ジ ュースくれよ」と頼んでいるわけです。

自動販売機は感情を持たないため、

欲しい商品を買うという経済行為が、

何の気兼ねもなく成立します。

だから、人見知りの多い日本では

自動販売機が沢山あるのでしょう。


でもこれが更に進むと、人との触合いが

全く必要の無い社会が出てきてしまうかも

しれません。

だから、物事の行き過ぎは必ずしも良いこと

ばかりではないのかもしれません。

平成25年7月16日


 私は最近、酒を飲みすぎた翌朝などテキメンに

身体が不調となります。

昨日も、お休みでしたので昼から一杯やり、

少々過ごしましたので、今日は絶不調です。



また、
テレビやパソコンの文字も随分と見えにくくなりました。
加齢に伴う(と思われる)症状(老眼など)が、

“気のせいかな?”という程度から“確実に加齢のせいだ”

に変わって来たような気がします

だけど未だ、それに抵抗したりもしていますが……)。


物忘れもひどくなりました(なったような気がします)。

年を取ると、誰でも物忘れをするようになるといわれます。

私も妻から指摘されるまでもなく

“最近、物忘れがひどいなぁ”と密かに心配しているのです。


平成25年7月13日


 社会生活を営む以上、私たちは、毎日、

社会のシステムに頼って生活しています。

「朝起きて、ご飯を食べて電車に乗って出勤して・・・」

と社会の社会のシステムに乗らなければ何も出来ません。


そして、そのシステムに何か不都合があれば誰かに

その不都合の埋め合わせを頼むことになります。

でも、その頼み方によっては、全く相手に通じないことも

あります。

通じても相手が頼みを受け入れてくれない場合も

少なくありません。

その場合、頼んだことを後悔する羽目に陥ります。


だから、人に何にも頼まないで済めば、後で後悔する

嫌な気分も味わないので済むので、私は出来るだけ

淡々と社会システムに乗って生活をしていくだけで、

特別には誰にも何も頼まないようにしています。


でも、なにがしらのことで、人に頼むことが必要になる

場合もあります。

自分ひとりでは、社会生活をいつも正常には営めない

からです。

それなら、気持ちよく応じて貰えるよう、頼む前に工夫

するのが一番だと思って実践しています。

平成25年7月12日


 昨日の帰りの電車の中で、途中駅から

乗り込んできた高齢の男性が居ました。

丁度、私の隣の席が空いたので、そこに

座ったのですが、その人が座ると同時に

酒の匂いがプンプンとし出しました。



きっと昼酒の帰りなのでしょう。

もうとっくに仕事は引退している年齢に

見受けられましたので、気の向くままの

酒なんだろうなと思ったりしました。



でも、酒の匂いがするのは何も年寄りだけ

ではありません。

バリバリ働ける年齢の人でも、朝から酒の匂い

を漂わせる人にお目にかかったこともあります。

だから、「酒の匂いは、人それぞれの人生行路の匂い」

なのかもしれません。


私の場合は、最近は外で酒を飲む機会がメッキリと減り、

酒の匂いをプンプンさせて電車に乗ることもメッキリと

減りました。


これも「人生色々」なのでしょう。


平成25年7月11日


 暑い猛暑日が続いています。

汗をダラダラ流し、フウフウ言いながら、顧客まわり

をしています。

寒い時期から、あっという間の真夏の時期への

移り変わりと、時間の経つ早さに改めて驚いたり

しています。



「時間」は、ひとの世で何が起ころうと淡々とただ

過ぎていきます。

そして「時間」は、また、その早さに驚く一方で、

過ぎ去った日々のアレコレや、子供の頃、若かった頃の

ことなどを懐かしく思い出させてもくれます。



私は、最近、どういうわけか小学校時代のことを

よく思い出します。

子供時代に一緒に遊んだけれど、今は、全く付き合いの

ない人の「子供の頃の顔」を思い浮かべては、

“あの人は、今どうしているんだろう”と思ったりしています。



これは「多分年をとって、新しい出会いが少なくなってきた

せいなのかなぁ」とも思ったりしています。