映画を映画館で見なくなったの社会人になってからといったが、正確には大学へ入学してからである。入学当時は第一次安保闘争で日本中が騒然としていたときである。映画より学生運動の方が忙しかった。したがって、この思い出に出てくる映画は1950,1960年代に公開されたものが多い。
昭和27年(1952年)ごろは秋田市内の中学生であった。その頃の市内には映画館は当時の東宝、大映、日活、松竹の日本映画の直轄館と洋画専門館があった。その多くは当時の秋田市街を流れる旭川沿いの市街中心近くにあった。映画館のある川の反対側は当時は秋田市唯一の歓楽街の川反である。外国映画の専門館は2館が隣り合っていた。ひとつは、封切り映画館で特にそのごろからでてきたシネマスコープやシネラマといわれる大型スクリーンに対応した大きな映画館であり、その隣は旧作専門上映の小さな映画館であった。
イタリアは日本と同じように戦争に負けた国である。戦後の生活は、国の人口や国土の広さからいっても日本とあまり違わない。確かに、歴史や宗教などは違うけれども、なぜか私たちにとって親近感のある家族関係や日常風景があると思ったのが「鉄道員」、「道」という映画であった。「鉄道員」は1956年ピエトロ・ジェルミ監督主演の作品である。戦後のイタリアに生きる庶民の喜怒哀楽を、ある1人の初老の鉄道機関士の姿とその幼い末っ子の息子の目を通して描いた映画である。機関士としてのプロ意識そして列車事故、家族関系の破綻、労働組合との軋轢と仲間との対立から酒場への逃避を経て家族や友人との和解ができそうになったところで、家族や友人たちとの幸せなクリスマスパーティを終えた夜にベッドでギター弾きながら息をひきとる。映画の主題曲も有名になり今でもギターで演奏される。
「道」はフェデリコ・フェリーニ監督の代表作であり、まだ貧しかった時代のイタリアを舞台に、知的障害のある女性と粗暴な旅芸人の人生が語られる。まさにイタリア映画らしい庶民的な哀愁に満ちた傑作といえる。特に、物語中盤で語られる「そこら中に落ちている石でもなにかの役には立っている」というセリフは、苦境の中で虚しく人生を終えていくジェルソミーナの境涯とともに、見る人の涙を誘わずにいられなかった。主演のアンソニー・クイーンという性格俳優はここで初めて知った。ジェルソミーナ役の女優の名前は憶えていない。
イタリア映画では主演俳優というより誰が監督しているかで選んでいたような気がする。たとえば、フェデリコ・フェリーニ監督の「甘い生活」などは監督名につられてみた映画である。俳優としてはここでマルチェロ・マストロヤンニを知った。ジーナ・ロロブリジーダ、クラウデア・カルデナーレなど美人女優がいたのを知っていた。「島の女」でデビューしたソフィア・ローレンについてはこの女優は世界的に売れると思ったがそのとおりハリウッドでも活躍する大女優になった。
私のイタリア映画はここまである。いわゆるこの後に流行ったマカロニ・ウエスタンはほとんど映画館では見ていない。なんといってもウエスタンは米国、そしてジョン・ウエインが主演していないと本物ではないと感じていたからである。