シャンソンは今ではパリで聞けなくて、東京、横浜の方が盛んだということを前回書いた。シャンソンばかりでなく、ラテン音楽やジャズも昔年ほどの力はない。

 音楽や歌が世につれ、時につれ変わっていくからこそ、小説の時代背景を説明するのにことばはあまり必要ない。これを取り入れるに上手なのはステイーブン・キングである。かれはホラー作家ともいわれるが、スタンバイ・ミーのように少年の心を描くことも巧みであるが、時代を逆行する物語もある。そのときは、「街からはコニーー・フランシス」の歌声が流れていたと書くだけで1960年代なのだということが分かる。日本にも恩田陸という活躍中のSF作家がいる。発想も状況描写も優れているが、小説を終わりまで読み切ってもいつの時代の話かよく分からないことが多い。どこか、1行でも、「街のスピーカーからはピンクレデイのペッパー警部が流れていた」とか、「居酒屋のテレビではデビューしたばかりの八代亜紀が舟歌を歌っていた」とあれば。少なくても昭和生まれの人にはすぐにこの時代と分るのであるが。

 シャンソンは実は日本からも消えつつある。好きな人はイヴ・モンタン、ジュリエット・グレコ、エデイット・ピアフ、ダミア、日本では越路吹雪、高英男、加藤登紀子などの名前をすぐ浮かぶ。だが、若い歌手の人をあまり知らないのは私がテレビを見ないせいなのか。

 ラテンは私が高校生の夢中になった音楽であるから沢山の思い出がある。ラジオでは週に1回ラテン音楽だけを流す番組があった。解説者はホルヘ・的場か高橋忠雄氏であったことも記憶にある。ルンバ、サンバ、タンゴ、マリアッチなど

中南米各国で少しちがうが、アフリカ系のリズムが入ったこれらの曲には魅了された。なかでも。ペレス・プラードに引き連れられたマンボは日本でも大流行したことを憶えている。これは私が大学に在学中である。東京にでれば銀座や新宿で三砂忠明とキューバン・ボーイズを生演奏を聴きに行った。

 ジャズは私が聞いて楽しいというのはデキシーランドジャズやビッグバンドによるスウィングまでである。モダーン・ジャズは楽しく聞けない。デキシーの発祥の地といわれるニューオリンズには国際学会も開催され4回ばかり出かけた。夜になるとプリザーベーション・ホールのあるバーボン・ストリートではあちこちからの店から生演奏が聞こえて来ていた。2005年のハリケーン・カトリーナで街全体が水没してからは行ったことがないので今はどうなっているのだろう。復興したのであろうか。