関東地区はしばらくぶりに雪である。南岸低気圧が停滞し東京に雪が降ると春はもうそこある。北国の人はあたりまえの景色には驚かない思うが、たった10cm降っただけで電車は動かなくなる。

 晴耕雨読という言葉はあるが、晴耕雨聴ということばは勝手に作ったものである。晴耕雨読の時代には聴くものといえば鳥の声ぐらいであったろう。雨の日ぐらいはゆっくり音楽でも聴くかという程度の言葉である。

 今から70年前の中学生時代は音楽マニアであった。もちろんろくなラジオもない時代であるので、なにか音楽、とくにクラシックを聞くとなると当時の日米文化センターで主催されるレコード鑑賞会に参加するほかはなかった。咳ひとつださないで、身動きをしないままひとつの交響曲を聞いているのは辛かったが、ほかに方法もないのでやむを得なかった。

 この体験をもっと簡単にということで後年オーデイオマニアになった。オーデイオ機器を自作したり、購入したりしながらとにもかくにも自分でレコードを選び聞くようになった。

 当初数年間はクラシックが中心であり、ベートーベンやベルリオーズ、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ドボルザークなどを好んで聞いたが、次第にもっと軽い古典派の交響曲がよくなりモーツアルトに戻って、結局はさらに古典派の作曲家、いわゆるバロック音楽に偏っていった。

 もちろん、軽音楽も好みであり、タンゴなどの中南米音楽にも夢中になった。亡くなった中学の友人はシャンソンマニアであり、これも大分聞かされたのでいい曲はほとんど知っている。数年前にパリに行ったときシャンソンの生唄を聞きたかったので観光案内所へ行ったらモンマルトルに一軒クラブがあるとのことで、シャンソン好きなどは時代遅れであることをまざまざ感じた。東京、横浜の方がそういうお店はたくさんありますよともいわれたことにはびっくりした。

 80代の真ん中近くの今はそれもよほど気が向かないと聞かなくなった。いまは静かにトマゾ・アルビーノの曲をアレクサから流して聞くか、あるいは日本の杉本雅人バンドの歌を聞くだけになってしまった。

 今日は晴耕雨聴の日である。たまにはマントバーニーオーケストラの曲を静かに流すことにしようか。