大学を卒業して社会人になってから、また、社会から引退して時間ができたにも関わらず映画館に出かけて映画を見るという習慣を完全に忘れてしまった。  Netflixにも加入しており、Amazonでもプライム会員になっているから、テレビでいくらでも新作のドラマや映画を見ることができるのだけれど、ほとんど見る機会はなくなった。なぜなのだろうか。

 テレビで見る映画は映画館で味わう臨場感がなく、電気紙芝居を見ているような安っぽい気分になるからかも知れない。あるいは、いろいろな作品があり過ぎるにも関わらず、これらのドラマや映画では出演者の名前が映らないこともあって、かつてのハリウッドのように話題になる俳優や女優がいないような気がする。新作映画を見る判断は主演する俳優だったこともあった。

 私たちの中学時代や高校時代は社会全体が戦後の貧しさを引きずっていたときであった。今の若い人がスマートフォーンでツイッターやインスタグラムで大勢の仲間と話をしたり、Tik Tock,You tubeなどで動画を楽しんでいるのを見るとまるで夢みたいな生活を過ごしているように見えてしまう.長い夏休みにはすることといえば、本を読んだり、映画をみたり、ときどき友達と群れてていないことには時間をもて余していた。

 なかでも映画を見ることは他にない大きな娯楽であった。暗いなかで1時間半ぐらいスクリーンに映るストリーに引き入られてしまうと、映画のなかが現実で、映画が終わって映画館から出てしまうと外の世界の方が非現実に感じられる経験は何度もあった。もっとも数時間経ってしまうとやはり今が現実なんだなというように納得しまうけれども。

 あまり映画は好きでないという友達もいたが、この人達は小説もあまり読まないようである。私はこれは想像力の問題であると思っている。いつも夢ばかり見ている人も困るが、夢のない人はもっと困る。

 さて、初めて映画を見たのはいつの頃であろう。小学校では、授業のひとつとして映画鑑賞というイベントがあったのは覚えている。年に1回程度であったが、文部省推薦というあまり面白くない映画を見せられたのであろうが、強烈な記憶に残っているのは、小学校6年生での映画鑑賞であったルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」である。もちろん、当時は監督や主演の子役の女性の名前も知らなかったが、両親と一緒に避難していた幼い少女のポーレットは戦闘機による機銃掃射で両親と愛犬を失ってしまい、愛犬の死骸を抱きながら川沿いの道を彷徨っているうちに、貧しい農家の少年ミシェルに出会い、両親を亡くしたことを不憫に思ったミシェルの家庭に引き取られる。ポーレットは、愛犬の死体を人の来ない水車小屋に埋葬するが、愛犬がひとりぼっちでかわいそうだと思ったポーレットはミシェルと共にいろいろな小動物の死体を集めて次々に墓を作っていく。ついには、十字架を盗んで自分たちの墓に使おうと思い立つ。しかし、ミシェルの父は戦災孤児として申告されていたポーレットを孤児院に入れることを承諾し、ポーレットはミシェルとも引き離されて車でつれていかれる。ポーレットは多くの人であふれる駅に連れてこられるが、この場所から動かずに待っているように言われて残される。ポーレットが一人きりになると、人ごみの中から「ミシェル!」と呼ぶ声が聞こえてくる。その声にハッとしたポーレットはミシェルの名を叫びながら探しに行く。しかし人違いで、ミシェルはいない。ポーレットはママとミシェルの名を泣き叫びながら走り出し、雑踏の中へと姿を消していくところで映画は終わる。ハッピーエンドでもなく、アンハッピーエンドでもなく、戦争の数多い不幸な物語のひとつであるが、全編にながれるナルシソ・イエペスによるギター曲「愛のロマンス」と雑踏の中に消えて去りながら「ミシェル!、ミシェル!」と呼ぶ声が忘れられない。この物語があった1940年は、ナチスドイツがフランスに侵攻していよいよヨーロッパが戦火に包まれるように年でもある。多分、ポーレットの苦難はこれから本当に始まるのであるが、その運命に思いをはせるのは想像力の仕事である。終戦の年に小学校入学、広島、長崎も原爆のこと、東京の10万人が焼死する大空襲など戦争の悲惨さを記憶していたこともあってこの映画がいまでも忘れられないのである。

 これがフランス映画の見始めとなるが、少し時代は前後するが、「恐怖の報酬」でイブ・モンタンを見て、「現金には手だすな」で老ギャング役のジャン・ギャバンの演技を楽しんだ。「悪魔のような女」ではシモーヌ・シニョーレのどんでん返しの結末、「死刑台へのエレベータ」ではジャンヌ・モロー、ヌーベルバーグ映画といわれた「勝手にしやがれ」ではジン・セバーグ、「シェルーブールの雨傘」ではカトリーヌ・ドヌーウ”というフランスの美女たちの映画を楽しんだ。ここまでは白黒の映画だと記憶している。ルネ・クレマンが再びメガホンをとったのは「太陽がいっぱい」である。これは地中海がきれいに撮影されたいわゆるカラー映画であった。アラン・ドロンを知ったのはこの映画からである。

 このあたりで社会人になって映画を見ない時代に入ったらしく、その後も話題になるフランス映画は結構あったようであるがあまりよく知らない。

 当時あこがれたフランス美女もみないいお婆さんになっているだろうと思う。